9.沈む心
セラフィナが去っていく後ろ姿を見送り、エドワードは長年の友人であるフェリクスにいつもよりも鋭い視線を向けた。
「どういうつもりだ」
エドワードはひょいと片眉を上げ、フェリクスを見返す。
「どう、というのは?」
「……セラフィナ嬢のことだ」
「妹がどうしたんだい? ああ、愛らしい妹に君も夢中になってしまったかな?」
「フェリクス!」
軽い調子で躱そうとするフェリクスに、エドワードは苦々しそうに咎める声を上げた。
「君の意図が分からないとでも思うのか? 君の大事な妹なんだろう? なぜ私と交流させようとするんだ」
今日の雑談の中で、フェリクスはただの妹自慢だけでなく、エドワードに分かりやすく妹を売り込むような姿勢を見せた。社交界で日々令嬢方からのアプローチを受け流し続けているエドワードに、それが分からないはずがなかった。
「君は私とセラフィナ嬢を結婚させたいのか?」
妹をアピールするということは、つまりそういうことだろう。貴族の世界において未婚の男女が親しくなるということは、その先に見据えるのは結婚だ。まして適齢期の令嬢を、その兄が友人にアピールしているのだ。エドワードにとって、フェリクスの行動はそういった意図であるとしか思えなかった。
「セラフィナが結婚してしまったら私はとっても寂しい……」
フェリクスはふざけているのか、よよよ、と涙を拭う動作をする。だったら何故、と言いかけたエドワードは、しかし次の瞬間フェリクスの真剣な眼差しに射貫かれて言葉を飲み込んだ。
「だけどね、エドワード。私はセラフィナの幸せを何よりも願っているんだよ。あの子には絶対に幸せになって欲しいんだ」
「……だったら尚更、私ではない誰かの方が適任だろう。私はいずれ父の決めた相手と結婚するつもりだ。君だってよく知っているだろう」
エドワードは以前から――それこそ寄宿学校時代から、将来は父が決めた相手を結婚相手に選ぶことを受け入れていた。そこに決して恋情などなくとも。
「もちろん知っているとも。でも人間には感情があるからね。いつどうなるかなんて分からないだろう?」
「私は両親の期待に答えたい」
「両親の望む結婚をすることが両親の期待に答えるということではないと思うけれどね」
フェリクスの言葉に、エドワードはわずかに唇を噛む。
フェリクスの言葉は決して間違ってはいない。けれどエドワードがどう受け止めるかはエドワードが決めることだ。
「……とにかく、妹のことが大事なのなら私に関わらず、もっと良い相手を探した方が良いとだけ助言しておく。悪いけれど今日はこれで失礼するよ」
そう言ってそのまま立ち去ろうとするエドワードをフェリクスが呼び止めた。
「なんだ」
「君は”アイザック”という名前に覚えはあるかい?」
「アイザック?」
エドワードは脈絡のない質問に怪訝そうに首を傾げる。
「アイザック・レイハートのことか? 何度か会ったことはあるが」
答えるエドワードの目をじっと見ていたフェリクスだったが、やがて「いや」と頭を振った。
「覚えがないならいいんだ。忘れてくれ。じゃあまた、今度は我が家のお茶会にお誘いするよ」
ころりと調子を変えてウインクをした友人に返事はせず、エドワードは踵を返した。
「……手強いなぁ……」
一人残ったフェリクスは困ったように呟き、グラスにわずかに残っていた果実酒を飲み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パウダールームで化粧を整えて戻ると、ソファには兄一人が座ってグラスを呷っていた。
「お兄様、お待たせしました」
近づきながらきょろきょろと辺りを見回すけれど、エドワード様の姿はない。
「おかえり、セラフィナ。エドなら先ほど帰ったよ」
「そうですか……」
警戒されてしまっただろうか。それとも、嫌われてしまったか。
落ち込む気持ちを堪えるように唇を引き結ぶと、兄が苦笑した。
「嫌われたとするなら、それはおそらく私の方だよ。セラフィナは何もしていない」
「いえ、わたしは上手にお話できませんでした……」
何をどう話せばいいのかすっかりわからなくなってしまったから。聞きたいことがたくさんあったのに、何一つ訊ねることができなかった。ただの雑談でさえ上手に話題を拾い上げて会話を広げることができなかったのだ。まるで恋する小娘のようになってしまった自分が不甲斐なくて、ますます気分は落ち込んだ。
兄が隣を掌で示したので、わたしは再び兄の横に腰を下ろした。
「エドワードは元々ガードが固い。ちょっとつついてみたけれど、やっぱりそう簡単にはいかないね」
やれやれと肩を竦める兄はそれほど堪えていないようだ。
「それでも諦めずにまた誘ってみるけれどね」
「ですが……」
これ以上しつこくしたら本当に嫌われてしまうのではないだろうか。そう考えると胸が痛む。まだたいして交流すらしていないのに嫌われて拒絶されるのは、想像するだけで耐えがたい。
そんなわたしの考えはお見通しなのか、兄は大丈夫だよと軽やかに笑った。
「一応これでもエドとは長い友人なんだ。本気で嫌われる前にどうにかするさ」
それは大丈夫と言っていいのかしら? と思ったけれど今のわたしの頼みの綱はやっぱり兄しかいないので、曖昧に頷くことしかできなかった。
それからもいくつかの社交会に参加したものの、運よくエドワード様に出会えることはなかった。示し合わせているわけでもなく社交会で遭遇するのはなかなか難しいものだ。……もしかしたら避けられているのかもしれないけれど。
どうしても落ち込む気持ちは抑えられないまま、わたしは再び令嬢だけの茶会に参加していた。
令嬢たちの情報は多く、そして早い。
今日は茶会開始直後から、どこの令息と令嬢が急接近しているとか縁談が成立したとか、相変わらず社交界の色恋の話が飛び交っていた。わたしはあまりそれらの話に入る気持ちになれず、いつも通りひっそりとお茶とお菓子を楽しむ。その中でまたしても「エドワード・フォード」という名前が耳に入ってきた。
「エドワード・フォード伯爵令息と宰相閣下の孫娘の縁談が水面下で進んでいるらしいわ。ついにエドワード様もご結婚されてしまうのかしら。有望株がまた一人減ってしまうのね」
ざわざわとした令嬢たちのさえずりの中で、その言葉はわたしの耳にダイレクトに飛び込む。その内容に目を瞠った。
宰相閣下。確かサジェス侯爵だ。サジェス侯爵には十九歳になる孫娘がいる。孫娘であるミリアリア・マーベル様は伯爵家の令嬢で、女学院ではわたしの二学年上に在籍していた。二年前に学院を卒業して以降は、まだ結婚の話は聞いていなかった。
伯爵家ということは、フォード伯爵家とのバランスも良い。しかも宰相閣下の孫娘だ。行く行くは宰相補佐になるのではと期待されているフォード伯爵にとっては、またとない縁談だろう。
水面下で進んでいる縁談がどうしてお茶会で噂になるのかと空恐ろしく思うものの、わたしは胸の痛みを止められなかった。
そんな理想的な縁談の話が進んでいるなら、わたしなんてエドワード様の眼中にもないはずだ。むしろ友人の妹という関係性がある分、煩わしさは一入かもしれない。あまり無碍にするにもいかず、けれど相手としては不十分。ただの厄介者だったというわけだ。
常に築かれていた壁の理由に強く納得してしまう自分と、それでも少しでもわたしを見て欲しかったと感じてしまう自分がいる。まだ全然距離を縮めることができていないのに。けれどそもそもエドワード様はわたしとの距離なんて縮めたくなかったのだろうから、これでよかったのだろうか。
でも……もう少し、話をしたかった。エドワード様に”彼”の記憶があるのか、確かめたかった。たとえ”彼”の記憶があったところで、どうにかなることなんてなかったとしても。
その後お茶会で口にしたお茶もお菓子もまるで砂を噛んでいるようで、胸に澱のように積もっていった。
◇ ◇ ◇
「おかえり、セラフィナ」
「おかえりなさい」
お茶会から一週間後、鬱々とした気持ちのまま学院で授業を受けて家に帰ると、兄が婚約者のナターシャお義姉様とお茶をしているところだった。兄に続いてナターシャお義姉様が切れ長の目を細めて微笑みかけてくれる。
「ただいま戻りました、お兄様。ナターシャお義姉様も、お久しぶりです」
わたしは日中は学院に通っている為なかなかナターシャお義姉様には会えないけれど、結婚式を控えている二人は色々と打ち合わせ等あるらしく、しばしばこうしてお茶をしているようだ。派手ではないものの整った顔立ちのナターシャお義姉様は、結婚式が近づくにつれて会う度に洗練された美しさが増していっている気がする。
「本当に久しぶりね。たまには一緒にお茶はいかが?」
「ええ、是非。一度着替えて参りますね」
急いで自室に戻り、動きやすい日常用のドレスに着替える。そうして再び兄とナターシャお義姉様のところへ戻ると、二人は微笑み合いながら話に興じていた。
あれ? もしかしてこれ、わたしはご一緒しない方が良かったのでは……?
今更ながら気の利かなさに入室を戸惑っていたら、あっという間に兄に見つかってしまった。
「セラフィナ、早く入っておいで」
苦笑しながら言う兄は、多分わたしの思考を読んでいる。気にする必要ないよ、と窘めるように言われて、わたしは自分の邪推が恥ずかしくなって顔が赤らむのを感じた。
「愛しいナターシャとセラフィナに囲まれて、私はなんと果報者だろう」
兄がおどけてそう言った。冗談めかしているけれど、半分くらいは本気でそう思っているかもしれない。本当に幸せそうに蕩けた顔をしているから。
そんな兄を微笑んで見ているナターシャお義姉様に、こっそりと「お邪魔をしてしまって申し訳ありません」と伝えた。けれどナターシャお義姉様は朗らかに首を振る。
「私もセラフィナとお話できるのは楽しいのよ。だから遠慮しないで。フェリクス様とはいつだってお話できるのだもの」
「ありがとうございます、お義姉様」
たおやかに笑むナターシャお義姉様は、兄にはもったいないくらい思慮深く良識的な人だ。
以前はわたしのことも「セラフィナ様」と呼んでいたけれど、わたしが「ナターシャお義姉様」と呼ぶ許可を頂いた際に「セラフィナ」と呼んでもらうようにお願いした。ついでに敬語もやめてもらい、砕けた口調で話してくれるようになったのだ。だってこれからは義妹になるのに様付けなんて寂しいもの。
「……セラフィナ、もしかして少し元気がないかしら?」
メイドに新しくお茶を用意してもらって二人の話に混ざってすぐ、ナターシャお義姉様が気遣うようにわたしに訊いてきた。思わず息を詰めそうになる。
ナターシャお義姉様は兄と同じく、よく人の表情を見ていて鋭い。
「……最近少し暑くなってきたからかもしれません」
初夏を迎え、最近はじわじわと気温が上がってきている。このタイミングで体調を崩す令嬢は少なくないので、言い訳としては不自然ではないと思う。
ナターシャお義姉様は納得したように頷いた。
「そうね、確かに最近暑くなってきたわね。もうすぐ休暇だから、ぜひゆっくりと体を休めてね」
この国では、暑さの厳しい夏にまとまった休暇が取られる。前世で言うところの夏休みのようなものだ。その際多くの貴族は領地に避暑に行く為、社交も控えめになる。社交シーズンは秋まで続くけれど、中休みのような状態になるのだ。
我がベイリー子爵家も、休暇中は避暑の為に二週間ほど領地のカントリーハウスに赴く予定だ。今年はナターシャお義姉様もカントリーハウスに招待するという話なので、それはとても楽しみだった。
休暇のことを考えると少し気分が浮上して、先ほどまでよりも自然に笑うことができた。
「はい。今年はお義姉様もいらっしゃるのですよね? とても楽しみです」
「ええ、私も楽しみにしているの。休暇中はたくさんおしゃべりしましょうね」
ほわほわとした気持ちで笑い合う。ナターシャお義姉様は兄にはもったいないとは思うけれど、ナターシャお義姉様のことを好ましく思っているわたしとしては、兄よよくやった! という気持ちも大きい。
「おや、ナターシャは私とはおしゃべりしてくれないのかい?」
「もちろんフェリクス様ともたくさんおしゃべりしたいですわ。もう、意地悪なのですから」
にこにことわたしたちの会話を聞いていた兄がいたずらっぽく割り込んできて、そのまま婚約者同士特有の甘い空気が醸し出される。……やっぱりわたしはここにいない方がよかったかもしれない。




