8.二度目の邂逅
エドワード様に関する外側の情報はだいぶ得ることができた。けれどわたしが最も知りたいのは、その内側だ。これに関しては誰かに聞いてわかるものではない。それこそ直接言葉を交わして少しずつ探っていくしかないものだ。
とはいえわたしがエドワード様に会うことは簡単ではない。偶然どこかの社交会で遭遇するか、兄が場を設けてくれることに頼るしかない。
しかしながら兄もエドワード様も貴族の嫡男。多忙な身である。
まして兄は来春に結婚式を控えている。婚約者であるナターシャ様――ナターシャお義姉様との時間もきちんと確保して貰う為には、あまりわたしが拘束してしまうわけにはいかない。そうすると、兄の時間が空いている時にタイミングを合わせて夜会に出席するようにするくらいしか、現在わたしにできることはなかった。
先日の茶会の後、学院でしっかりマーガレットに捕まったわたしは、エドワード様の話題に対する反応の不自然さを無事白状させられた。といっても前世云々に関しては突拍子もなさすぎるので話していない。ただ兄の友人であるエドワード様と偶然会い、それから気になっているということを伝えただけだ。
その話を聞いたマーガレットは、それはそれは大興奮で根掘り葉掘り聞いてきた。でも残念ながらわたしが答えられることは限られている。ただ一瞬会って挨拶をしただけ。わたしとエドワード様の間に起きた出来事はたったそれだけなのだ。「つまり一目惚れってことね!」とますます興奮していたことは一旦脇に置いておく。
そしてやはりマーガレットからのアドバイスも、とにかくエドワード様に会う機会を増やすというものだった。
結局やはりそこに辿り着くのかと苦々しく思いながら、意外にも二度目の邂逅はほどなくやってきた。
夜会の会場にはたくさんの人がいる。その中でまだそれほど親しくない人を見つけるのは一苦労だ。けれど、わたしの目は一瞬でその人を見つけ出した。たった一度会っただけの、まだ決して見慣れているとは言えない人。
「……お兄様」
共に夜会に出席していた兄の腕を小さく引く。その間もわたしの目はその人から離れない。
わたしの見つめる先を把握した兄が、ふっと笑ってわたしの頭を優しく撫でた。
「私の友人が来ているようだね。挨拶に行ってもいいかい?」
「……はい」
緊張にひりつく喉に、無意識に小さく唾を飲み込む。
歩み出した兄に促されて、わたしもまた兄の友人の元へと向かった。
「やあ、エド。先日ぶりかな。君も来ていたんだね」
気軽に呼びかけた兄に、呼ばれたエドワード様が振り返る。友人の姿を認めたらしく一瞬表情が緩んだが、隣のわたしを目に留めて小さく目を瞠ったように見えた。けれどそれも刹那のことで、すぐに整った笑顔に戻った。
「やあ、フェリクス。いい夜だね。――セラフィナ嬢も、先日ぶりですね。またお会いできて光栄です」
そう言って胸に片手を当て、お手本のような礼をする。わたしも挨拶をしなければと、慌ててドレスをつまんだ。
「こ、こんばんは、エドワード様。わたしも、またお会いできて光栄です」
緊張のせいか声が上擦ってしまう。もっときちんと印象良くしたいのに。
「エドは今日も一人かい?」
「ああ、いつも通りね。父の代わりに急遽出席することになったんだ」
「お父君は相変わらず忙しそうだね。挨拶周りは終わったのかい?」
「粗方終わったところだ」
「じゃあ少し一緒に休憩といこうじゃないか。セラフィナもまだあまり夜会には慣れていなくてね。ちょうど休憩しようと思っていたところだったんだ」
妹思いの兄の顔でちらりとわたしを伺い見て、流れるようにエドワード様を誘っている。夜会に来てからまだそれほど時間が経っていないので、それほど疲れているわけではない。兄は臨機応変に休憩の言い訳をでっち上げ、エドワード様と話をする機会を作ろうとしてくれているらしい。
エドワード様は虚を突かれたように一瞬ちらりとわたしの方を見て、すぐに兄へと視線を戻した。
「……休憩なら部外者の私がいない方がセラフィナ嬢もゆっくり休めるだろう。遠慮しておくよ」
スマートに、且つ一部の隙も無く。完璧な辞退の言葉に、落ち込む。先日の茶会で令嬢たちが言っていた”一線引いている”というのはこういうことなのだろうか。
「まさか、そんなことはないさ。セラフィナだって君と話したらとても楽しいと感じるに違いないよ。それにエドだって休憩中にご令嬢がたに突撃されたくはないだろう? 少なくとも私と一緒にいれば令嬢たちの防壁になってあげることはできる。とても合理的だ」
しかしそこはさすが我が兄。まるで空気を読まず――いや、実際には空気は読めているけれどあえてそれを無視して自分の要求を押し通す勢いで、さあさあとエドワード様の背をぐいぐいと押している。エドワード様は「いや、ちょっと……」と困った様子ではあるけれど友人に対してあまり無碍にできないのか、仕方なさそうに兄に押されるままに足を進めた。わたしも申し訳ない気持ちになりながら慌ててその後を追う。
夜会会場には休憩用の部屋やソファが用意されている。未婚の令嬢であるわたしを伴って個室で休憩するのは外聞が悪いので、兄は会場脇に用意されたソファを休憩場所に選んだようだ。
座り心地の良いソファにわたしを座らせると、途中で給仕から受け取ったグラスを差し出してくる。さすが兄、抜かりがない。
「ハ」の字になるように据え置かれた二、三人が並んで座ることができるソファに、わたしと兄、対面にエドワード様が腰を下ろす。エドワード様も手にしたグラスを呷り、一息ついた。はしたないとわかっていても、そのしぐさや表情をどうしても目が追ってしまう。
あまりに頻繁に見ているせいか視線を上げたエドワード様と目が合ってしまい、慌てて俯いた。思うように動かない口も体も、だんだん情けなくなってくる。
すると横に座る兄が落ち着かせるように背をポンポンと叩いてくれた。
「エド、今日の社交はお父君の仕事関連だったのかい?」
「ああ、父が懇意にしている方たちにしっかり挨拶してくるようにと。父は急な仕事が入ってしまったらしくてね」
「内務長官殿はどんな時も仕事が入ればそちらを優先せざるを得ないからね。君もやっぱり将来は内務長官を目指すのかい?」
「……どうかな。父がそれを望むなら目指したいとは思うけれど。目指したところでそうそう簡単になれるものでもないけれどね」
「エドはなんでもできるからなぁ。内務長官だって夢じゃないと思うが。でも君の学生時代からの友人の私としては、もっと他の役職で活躍する君の姿も見てみたいところだ」
兄はそこで言葉を切り、黙って二人の話を聞いているわたしを見た。
「エドは寄宿学校時代、文武両道で何をやらせても優秀だったんだ。外交官だって経理官だって何にでもなれる能力を持っていると言っても過言ではない」
「おい、フェリクス。誇張するな」
兄に全力で持ち上げられたエドワード様が兄に抗議の声を上げる。けれどそれは非難するものではなく、とても砕けた声音だった。
学生時代に優秀だったという話は先日家で聞いた。それを敢えてここで話題にしたのは、エドワード様から砕けた態度を引き出すためではないだろうか。
兄はからからと笑う。
「寄宿学校時代のエドの話題なら尽きることはない。セラフィナだって大好きなお兄ちゃんの友人のことは知りたいだろう? エドは試験前はいつも睡眠時間を削って熱心に勉強をしていてね、それだけではなくて私や他の友人たちの勉強にも付き合ってくれたんだ。エドのおかげで追試を免れた生徒は多かった」
続ける友人に諦めたのか、エドワード様はやれやれと肩を竦めて兄に好きなように話させることにしたようだ。
「別に好きで君たちの勉強に付き合っていたわけじゃないんだが。君たちが試験前に泣きついてくるから仕方なく一緒に勉強していたんだろう? みんな揃って私の試験対策ノートを当てにしていたじゃないか」
「エドほどノートのまとめ方が上手い奴は他にいなかったからね。いやあ、本当に助かったよ。それでも結局みんなの面倒を見てくれるんだから、優しいだろう?」
最後の部分はわたしに向けて、兄は片目を瞑りながら言った。唐突に兄から投げられたパスに慌ててこくこくと頷き、エドワード様を見る。
「お優しいのですね。えっと、わたしも女学院で試験前に慌てて勉強をするタイプなので、エドワード様のような方がうらやましいです」
「……セラフィナ嬢は今女学院に通っているのですね」
「は、はい、来年には卒業ですけれど」
「……というと……」
「セラフィナは十六歳だよ。私とは六歳違いだ。セラフィナは生まれた瞬間からそれはそれは可愛らしくてね。幼い私はすぐに小さく愛らしい妹の虜になったのさ」
エドワード様の言葉を引き継いで兄が言う。ついでにいつものシスコン発言も全開だ。
けれど相手がエドワード様だと思うと、兄のシスコン発言が恥ずかしくなってくる。頬が上気するのを感じて思わず俯き、消え入りそうな声で「兄がすみません……」と呟いた。
「寄宿学校時代から何度もフェリクスの妹自慢は聞いて慣れていますから、お気になさらず」
それはそれでやはり恥ずかしい。密かに兄を睨めつけるが、その視線に気づいた兄はどこ吹く風と言わんばかりににっこりと笑うばかりだ。
「私は間違ったことは何一つ言っていないよ。セラフィナの愛らしさは見てわかるだろう? もちろん愛らしいだけじゃなく、セラフィナはお菓子作りも得意でね。セラフィナのクッキーは最高に美味しいんだ。エド、君も今度ぜひうちにお茶をしに来たまえ。セラフィナの手作りクッキーを振舞おうじゃないか」
「お兄様!」
いきなり何を言うのかと頬が熱くなり、強い口調で兄を窘める。視界の端でエドワード様が少し困ったような顔をしたのが見えた。
「ありがたい申し出だが、なかなか時間が合わせられなくてね。機会があったらぜひまた改めて誘ってくれ」
……ああ、これは。遠まわしな拒絶だ。決して礼を失する断り文句ではない。むしろスマートな対応だ。けれどそこに含まれている意図は、「あなたと必要以上に親しくなるつもりはありません」というものだ。
胸がちくりと痛みを訴える。けれど仕方ないのかもしれない。わたしがエドワード様と会うのはこれが二度目で、エドワード様にとってきっとわたしはただの友人の妹でしかない。それ以上の”何か”は、エドワード様の中にはないのだ。
明確に引かれた一線につい顔が歪みそうになる。
けれど兄はやはりその意図を読み取らず――いや、読み取った上でまるで気にしないとばかりに、
「そうか、じゃあまた、何度でも誘わせてもらうよ」
と強気な発言を返した。
兄の返答にエドワード様が一瞬眉をひそめたように見えたが、瞬きの間に端正な笑顔に戻っていた。
その後は再び兄とエドワード様の雑談に戻っていったけれど、わたしはさっきの拒絶が尾を引いてしまい、思うように会話に溶け込めない。ただでさえ何を話していいか分からずしどろもどろになっていたのに、これではエドワード様と親しくなるなんて到底無理だ。
自分が情けなくなって、会話が途切れた瞬間を狙って兄の袖を小さく引く。どうしたんだい、と視線で問いかけてきた兄に「パウダールームへ行ってまいります」と告げ、わたしは俯きがちにその場を離れた。
涙が滲みそうな顔を見られていませんように、と思いながら。




