5.出会い
貴族の令嬢が通う女学院は、百年ほど前に当時の王妃陛下によって設立された。
貴族令嬢は家の為に結婚をして生きるのが一般的だ。小さい頃から良い結婚の為に淑女教育を受け、結婚後は貴族の妻として夫を支える。現在でもその傾向は強いけれど、百年前は今よりももっとそれが当たり前の世の中だった。
それを憂えた王妃陛下が、貴族令嬢の世界を広げる為に女学院を作ったと言われている。実際、女学院が作られてそこに令嬢が通うようになったことで、令嬢の教育水準は底上げされた。結果として結婚後の社交界における妻の教養のみならず、未婚の令嬢の職業の幅も広がったと言われている。
まあそんな社会的な効果はともかく、現役女学院生の多くは、同年代の令嬢たちが集う学院で友情を育んで結婚前の自由な青春を謳歌しているというのが現実だ。
友人との自由なおしゃべり。それは多くの年頃の令嬢にとっての楽しいひとときだ。
「セラフィナのところは、縁談は来ている?」
いつものように学院のカフェテラスでマーガレットと昼食をとりながらおしゃべりをしていると、好奇心を携えた目でマーガレットが訊ねてきた。
デビュタントから二週間。早い家は既に目ぼしい令嬢に縁談を申し入れ始めているらしい。
「わたしは縁談関係は両親に一任しているから、あまり把握していないの。でもまだ特に何も言われていないから、多分良いお話は来ていないと思うわ」
「そうなのね。うちはいくつか打診はあるのだけど、まだ正式な申し入れはないの。デビュタントでご挨拶した方たちは結構手応えがあったと思うんだけど」
「デビュタントで良い人がいたの?」
「父とお付き合いのある方の子息や従兄の知人の方に何人かお会いしたわ。運命を感じる方はいなかったけれど、条件としては良い方ばかりだったわね」
「条件?」
「うちに婿入りしてくれる人。うちは子供が私一人だから、婿を取って家を継ぐことになるじゃない? だから、次男以降で継ぐ爵位のない人がちょうどいいの」
貴族の子息が全て親の爵位を継ぐわけではない。継ぐべき爵位や領地には限りがあり、それは概ね長男が継ぐことになる。すると残された次男以降は他の家に婿入りし、婚家の爵位を継ぐことが多いのだ。
マーガレットはマーキュリー子爵家唯一の跡取り娘だ。結婚相手には婿養子になってくれる人材を求めている。つまり、裏を返せば婿入り先を探している貴族の子息にとっては、ぜひとも縁談を申し入れたい相手であると言える。
「そっか。そういう条件も考えないといけないのね」
あまり結婚相手探しに積極的でないわたしには、そういう視点が欠けていた。まあ、両親や兄はそういう観点からも相手を考えてくれているだろうけれど。
「セラフィナはデビュタントで良い人はいなかった?」
「お父様の知人の方や兄の友人の方に何名かご挨拶をしたのだけれど、皆さんとても良い人そうだったわ」
デビュタントで会った方たちを思い出しながら言うと、マーガレットがむむっと眉間に皺を寄せ、人差し指を立てた。
「セラフィナのそれは、”人として”という意味でしょ? そうじゃなくて、恋愛相手として良い人はいなかったのかということよ」
マーガレットはごまかされてくれない。
「だって、そういうのはあまりよくわからないんだもの」
苦笑しながら答えると、マーガレットは立てた指を左右に振った。
「出会った瞬間に胸が高鳴るような、そんな相手よ」
「うーん……残念ながらそういう方はいなかったと思うわ」
「やっぱり運命の相手というのはなかなか出会えないものなのね……」
マーガレットは残念そうに肩を落とす。
「どうせなら運命の相手に出会って結婚したいわよね。その為にはもっとたくさん社交に出て出会いを増やさなくちゃ! セラフィナも運命の相手に出会えたら私に教えてね」
恋愛に積極的なマーガレットはすぐに気持ちを切り替えたらしく、拳を握って意気込んでいる。元気なマーガレットに思わず笑みが浮かんでしまう。
「そうね、もし出会えたらマーガレットに報告するわ」
言いながら、けれどわたしにはそんな出会いはきっと訪れないだろうと漠然と思った。
学院での授業が終わると、わたしはベイリー子爵家の馬車に乗り込みタウンハウスに戻った。
王都の貴族街にあるベイリー家のタウンハウスは、玄関前にロータリーがあり馬車を玄関前に横づけできるようになっている。いつものように馬車はベイリー家の敷地の門をくぐって玄関前のロータリーに向かい、動きを止めた。
出迎えてくれたメイドの手を借りて馬車を降り、玄関に向かう。と、重厚な玄関の扉が一足先に開き、家の中から兄が出て来た。
「ああ、セラフィナ。今帰ってきたのかい? 今日も我が家の天使は愛らしいな」
「ただいま帰りました。お兄様はお出かけですか?」
「久しぶりに会いに来てくれた友人を送っていくところなんだ」
と、兄が邸内を振り返る。わたしの位置からは見えなかったけれど、兄の後ろに客人がいたようだ。これは失礼なことをしてしまったと気まずい思いで、兄の向いた先を視線で追う。
兄の後ろ――玄関の扉の影になってしまっていた場所から、その人物が姿を現した。
まるで周りの時間がゆっくりになったように、兄の友人だというその人がわたしの視界に入り込んでくる。
さらりと癖のないプラチナブロンドが光を散らす。兄よりも少しだけ低い背。俯きがちに伏せていた目がゆっくりと上がり、ヘーゼルの瞳がわたしの視線とぶつかる。
「――――!」
どくりと心臓が大きく跳ねた気がした。
だって、いや、まさか、そんな、でも。
いくつもの取り留めのない言葉が脳内を駆け巡って、それらを蹴散らすように強く強く、”彼”だ、という言葉が残る。
”彼”だ。
間違いない、この人は”彼”だ。
前世で恋をし、今もなおわたしの胸に残り続ける、”彼”。髪の色も目の色も顔の造作も背丈も何もかも違う。でも、この人は間違いなく”彼”だ。
わたしの目が驚愕で見開かれる。と、”彼”もまた驚いたように目を瞠った。
束の間、わたしたちの間に言い表しようのない沈黙が落ちる。
それを破ったのは、いつものように快活な兄の声だった。
「セラフィナ、彼は寄宿学校時代からの私の友人のエドワード・フォードだ。エド、この天使のように愛らしいのが私の妹のセラフィナだよ。どうだ、本当に愛らしいだろう? ――どうしたんだい、二人とも」
前半はわたしに、後半は兄がエドワードと呼ぶその人に向けて紹介をした兄が奇妙な沈黙を感じとったのか、怪訝そうに首を傾げてわたしたちを交互に見た。
その言葉でまるで時を思い出したように先に沈黙を掻き消したのは、”彼”だった。
「……はじめまして、セラフィナ嬢。フェリクスとは寄宿学校時代から親しくさせてもらっています。いつもフェリクスから妹君は天使のようだと聞かされていましたが、本当に天使のように愛らしいですね。驚いて言葉を失ってしまいました。失礼いたしました」
瞠られていた目は仮面のような微笑みに変えられ、胸に手を当てた貴族の礼で繕われる。一部の隙も無い、貴族の挨拶そのものだった。
わたしはまだ表情を取り繕えないまま、それでもできるだけ笑顔を浮かべて礼を取る。きっと機械仕掛けの人形みたいなぎくしゃくした動きになっているに違いなかった。
「……セラフィナ、と申します。お会いできて光栄です。兄のご友人がいらしているとは気づかず、無作法をしてしまい申し訳ありません」
震えそうになる唇で必死に告げる。心臓がばくばくとうるさい。
ぎこちない動きで再び彼――エドワード様を見る。既に驚きの表情は隠され、貴族らしい微笑がわたしを見返していた。
兄よりも線の細い、どちらかというと柔和な整った顔立ち。わたしの知る”彼”は十三歳の幼さの残る顔だった。”彼”と比べるべくもない青年の顔立ちだけれど、やっぱり”彼”だと感じる。失礼に当たると分かっているのに、目が離せない。
「セラフィナ、帰ってきたばかりで疲れているだろう? 少し部屋で休むといい。私はエドを送ってくるから、帰ってきたらお兄ちゃんと一緒にお茶にしよう」
いつもの調子で言ってくる兄が、今はとてもありがたい。兄が言葉を掛けてくれなかったらまたしても沈黙が落ちてしまうところだ。
「……はい。それでは失礼いたします。いってらっしゃいませ、お兄様」
自分の意思とは関係なくエドワード様に引き寄せられてしまいそうになる視線を引きはがし、表情を隠すように頭を下げる。衝動的にエドワード様に詰め寄りたい気持ちを抑え、早足でその場を辞去した。
半ば邸内を駆けるようにして自室に辿りつくと、淑女のマナーとしては失格の勢いでドアを閉めてその場にへたり込む。うるさく脈打つ胸を押さえる。
確証なんてない。だって見た目も名前も何もかも違う。けれど魂が震えるように「あの人は”彼”だ」と訴えている。
もしも”彼”がこの世界に生まれ変わっていたとしても、きっと気づけないと思っていた。
だけど違う。そんなことはなかった。だってこんなにもわたしの魂が反応している。
会いたくて会いたくてたまらなかった、”彼”だ。もう一度会いたいと願って、もう二度と会えないと諦めていた”彼”だ。やっと会えた。それだけでこんなにも胸が鳴る。
涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。今泣いてしまったら、きっと目ざとい兄はわたしの異変に気づいてしまう。涙の理由を兄に悟られるわけにいかない。
兄の友人だと言っていた。エドワード・フォード様。寄宿学校時代からの友人ということは、兄と同年齢かそれに近い年齢だ。
エドワード様。
声に出さず、唇だけでその名を呼んでみる。かつての”彼”と似通ったところのひとつもない名前だ。エドワード様は、かつてのことを覚えているだろうか。”私”のことを、覚えているだろうか。
ああ、いや、そんなことあるわけがない。この世界で前世の記憶を持った人の話なんて聞いたことがない。
何も知らないエドワード様から見れば、さきほどのわたしの反応はとても奇妙に映ったに違いない。気分を害されても仕方のない態度だったと、冷静な頭で思い返す。
何事もそつなくこなす兄がうまくフォローしてくれていることを願って、わたしはしばらくそのままうずくまっていた。
どれくらいそうしていたのか、ぐちゃぐちゃとまとまらない思考を巡らせていると、部屋の扉が軽快にノックされた。
「セラフィナ、起きているかい? 起きていたらお茶にしよう」
兄だ。いつの間にか友人を送って帰ってきたらしい。部屋の時計を見ると、どうやら三十分ほどこうして座り込んでいたようだ。
のろのろと立ち上がり、扉に向かって「起きています」と返事をする。少し声がかすれてしまった。
「身支度をするので、少し待っていていただけますか」
「じゃあ居間にいるから、ゆっくりおいで」
優しい声が聞こえ、ドアの外で足音が遠ざかっていく。
少し皺になってしまったスカートを叩いて整え、着替える為にクローゼットへ向かう。メイド用の呼び鈴を鳴らしておいたので、すぐにメイドが手伝いにやってきて速やかに着替えを済ませることが出来た。ついでに髪も整え直してもらう。ドレッサーの鏡を覗くと、なんとも情けない顔が映っていた。
むにむにと頬をつまんでほぐし、なんとか微笑を浮かべてみる。やっぱりいつもよりぎこちない笑顔になってしまったけれど、仕方がない。
あまり兄を待たせるわけにもいかないので、意を決して居間へと向かった。




