4.デビュタント
シスコン全開でかわいいかわいいと連発する兄とわたしを微笑ましそうに見守る両親と共に、デビュタント会場である王城へやってきた。
王城のホールには、デビュタントの白いドレスと色とりどりの色彩が溢れていた。
今年デビュタントの令嬢以外は白以外のドレスを着ることがマナーとなっている為、必然的にホール内にはきらびやかな色の洪水が起こる。シャンデリアの光が散るホールは、まるで宝石箱みたいだ。
ここでわたしたちデビュタントは王族の方々へ社交界デビューの挨拶をする。兄のエスコートで列に並ぶが、先はだいぶ長そうだった。
周りを伺うと、みんな一様に緊張の面持ちで列に並んでいる。きっとわたしも彼女たちと同じように緊張の浮かぶ顔をしているに違いない。
「……やはりうちのセラフィナが一番かわいいな」
さりげなく周りをチェックしていたらしい兄がぼそりと呟いた。一応小声だったので弁えてはいるのだろうけれど、前に並んでいた令嬢の耳には届いていたらしい。ぎろりと睨まれてしまった。口を慎んで頂きたいです、お兄様。
平常運転の兄のおかげで少しだけ心に余裕ができたものの、やはり王族への挨拶というのはとても緊張する。並んでいる間にどんどん緊張は高まり、列が進むにつれて胃のあたりがきゅっと痛くなってくる。
思わずみぞおちを掌で押さえると、兄が「大丈夫かい?」と気遣うように訊ねてきた。
「……ちょっと緊張が……」
「そんなに硬くなる必要はないよ。ちょっと王族に挨拶をして言葉を掛けてもらうだけさ」
「そんな簡単に言わないでください……」
社交界に出て久しい兄とは違い、当然王族の方々にお目通り願うのも初めてなのだ。”ちょっと挨拶”なんて気軽に済ませられるものではない。
「大丈夫さ、セラフィナ。この会場で誰よりもセラフィナがかわいいんだから」
「それの何が大丈夫なのかよくわかりません」
「全てが愛らしいということさ。デビュタントの令嬢は、その愛らしさだけで全てが許される」
なるほど、多少失敗しても温かい目で見てもらえるとかそういう意味だろうか。
社交界デビューを果たすということは、成人したと同義でみなされる。とはいえデビュタントのわたしたちはまだまだお尻に殻のついたひよこ同然だ。ひよこが多少失敗してこけたり上手に鳴けなくても、たしかに愛らしいと言えるかもしれない。
わたしはひよこ、わたしはひよこ……。
そう思うとほんの少しだけ肩の力が抜ける気がした。わたしたちの前に並んでいた令嬢にも兄の言葉が聞こえていたのか、先ほどまで強張っていた肩が少しリラックスしたようだった。
着々と列は進み、ついにわたしたちの順番がやって来て――。
一応つつがなく王族の方々へのデビュタントの挨拶は終えられた、と思う。多分。
というのも名前を呼ばれて進み出てからの記憶がとても曖昧なのだ。震える膝でカーテシーをしてご挨拶申し上げ、「おめでとう」とか「これからを楽しみにしています」とかそんな感じのお言葉を頂いたような気がするけれど、頭が真っ白になりかけていた為かあやふやだ。
気が付いたら王族の方々の御前を下がり、デビュタントホールの隅に兄に手を引かれて移動していた。口から魂でも抜け出してしまったような気分で兄の顔を見上げると、満足げな笑顔を浮かべている。
「しっかりご挨拶できていたよ、やっぱり私の妹は素晴らしいね」
そこにちょうど離れて見守っていた両親もやって来て、見ると二人ともうっすらと涙ぐんでいる。
「お父様お母様、わたしちゃんとできていましたか?」
「もちろんだとも。あんなに小さかったセラフィナがこんなに立派なレディになって……」
「ええ、ええ、本当にこんなに大きくなって……」
ハンカチで目元を押さえている母は、まさに感極まったといった様子だ。
兄の贔屓目の賞賛は信用ならないけれど、両親の言葉なら当てにできる。もちろん保護者特有の”子の成長への無条件の賛辞”も含まれているだろうけれど、どうやらわたしはちゃんとやり遂げられたらしいと理解して、ほうっと胸をなでおろした。
前世の”私”は成人を迎えることができなかった。きっと両親をたくさん悲しませたに違いない。
でも今回はこうやって成人に当たる社交界デビューを果たすことができた。本当に良かったと、心の底から思う。
まして今世のわたしは、幼い頃は頻繁に高熱を出して寝込んでいたと聞いている。両親にもたくさん心配をかけていたであろうことは想像に難くない。それがこうして健康に成長しデビュタント姿を見せることができて、ひとつ親孝行ができたはずだ。
「さて、ダンスまで少し休憩しようか」
デビュタントの令嬢たちの王族へのご挨拶が全て終わったら、次はホールでのダンスの時間だ。まだ王族方への挨拶の列は残っている為、しばらく休憩時間を取ることができる。
社交界の面々へのお披露目を兼ねるダンスは、デビュタントの令嬢たちの見せ場のひとつだ。わたしとしては特に縁談受付中アピールをしようという気持ちはないけれど、晴れ舞台であることに変わりはない。できるだけ完成度の高いダンスの為にもひとやすみすることにした。
休憩中、どうやら先に王族方への挨拶を終えていたらしいマーガレットの姿を見つけた。デビュタントに力を入れている彼女も、この後のダンスの為に英気を養っているらしい。ホールの隅で飲み物を飲んでいたマーガレットもこちらに気づいたようで、手を振っておいた。
マーガレットは結局「縁談受付中アピール」の為に父親にエスコートをしてもらうことにしたようだ。手を振り返してくれた後にこっそり拳を握って見せるマーガレットに、心が和む。やっぱりマーガレットとデビュタントを合わせて良かった。
デビュタントたちの挨拶が全て終わり、少しの休憩を挟んだ後、いよいよダンスのお披露目が始まった。それぞれエスコート役のパートナーと共にホールに出て、ワルツを踊る。
わたしのパートナーは気心の知れている兄だ。幼い頃から家の中でダンス練習の為に何度も踊ったことがあるし、最近もデビュタントに向けて久しぶりに兄とダンスの練習を重ねていた。
兄は「我が家の天使を見せつけてやらなくては」となんだか変な方向に張り切って練習をしていたけれど、そのおかげか、いつも以上にドレスの裾さばきが綺麗にできた。慣れている相手とのダンスは心に余裕を持てるので、純粋に楽しい。
最近の中で一番の出来栄えと言っても過言ではないダンスを終えると、次は挨拶回りの予定だ。両親も合流し、付き合いのある貴族の方々に挨拶をする。家によってはここでの挨拶にも縁談の為の根回しがあったりするらしい。
両親から知り合いの貴族に声をかけたり逆にかけられたりしながら、挨拶をして回る。多くは男爵や子爵だったけれど、中には伯爵も数名含まれていた。ベイリー家はそれほど強い家ではないけれど、その付き合いは案外多岐にわたっているようだ。
家族揃っての挨拶を一通り終えると、ここからは両親とは別行動だ。両親には両親の社交がある。この後は兄と二人で、主に兄の友人や知人にも挨拶をすることになる。
「疲れていないかい、セラフィナ」
ダンスの後からずっと歩き回っているわたしを心配して、兄が様子を伺ってくる。
いつもよりヒールの高い靴だけれど、脚は問題ない。靴擦れも起こしていないし、先ほどまでの挨拶回りも、どちらかというと両親が主体の挨拶だったので、気疲れもそれほどではなかった。
「大丈夫です、お兄様」
シスコンという欠点はあるものの、兄はそれなりに気遣いのできる人間だ。ちょっとした顔色の変化にも気を配ってくれて、エスコートとしては非常に優秀だと言える。
念のため給仕から受け取った果実水で喉を潤し、再び兄の腕に手を添えてホールの中へ繰り出す。
「今日は私の友人も何人か来ているんだ。気の良い奴ばかりだから気負わなくて大丈夫さ」
「以前何度かカントリーハウスでご友人の方たちを紹介してもらったことがありましたが、その方たちとは別ですか?」
「ああ、今日はまだセラフィナに会わせたことがない人を中心に挨拶に行こうと思っているよ」
兄は寄宿学校時代、長期休暇の度に領地のカントリーハウスに戻ってきていた。その際にしばしば学校で知り合ったらしい友人を招いていて、何度か紹介されたことがある。少し会話を交わした程度なのであまり詳細に覚えていないけれど、わたしに紹介したということはそれだけ仲の良い友人だったのだと思う。
物怖じしない兄は、交友関係が広く友人も多い。けれど友人の全てをわたしに紹介しているというわけではない。カントリーハウスに招待して更にわたしに紹介してくれた方たちは、兄の友人たちの中でも特に信頼できる相手だったのだろう。もしかしたら、将来のわたしの結婚相手候補という意図もあったのかもしれない。それについて兄に直接訊ねたことはないけれど、貴族の子女という立場である以上、なんらかの意図はあったに違いない。
しかし紹介された方たちとその後も何度も会うということはなかったように思う。わたしの物覚えが悪いだけかもしれないけれど、紹介されたことのある方たちはその一度きりで、二回以上会ったことがある方はいなかったはずだ。
人の多いきらびやかなホールの中を、兄にエスコートされながら進む。
この国は髪や瞳の色素が薄い人が多い。わたしや兄のようなストロベリーブロンドも決して珍しい色ではない。逆に暗い色はとても少なく、ホールの中を見渡してもせいぜいダークブラウン程度までで、黒に近い色はほとんど見当たらなかった。
前世の記憶があるせいか、どうしても暗い色合いが視界に入るとついそちらに目がいってしまう。もしかしたら、と思ってしまうのだ。そんなわけはないと分かっているのに。
ホールを進むうちに比較的珍しいダークブラウンに近い髪色を見かけて、やはりつい目が色を追ってしまった。すると、わたしをエスコートしている兄がその色に向けて声をかける。
「やあ、ザックス」
呼ばれたダークブラウンの後ろ姿が振り返り、兄を見た。
「やあフェリクス。先月ぶりかな」
「そうだったかな。このところ妹のデビュタントの準備に全身全霊をかけていたからね」
「君は相変わらずだね。すると、そこの愛らしいご令嬢が君の自慢の妹君かな?」
「そうだ。天使のような愛らしさだろう? セラフィナ、彼はザックス・マッケリー。マッケリー男爵家の二男だ」
そう紹介し、兄はわたしによく見えるように位置を変えた。
「初めまして、セラフィナ・ベイリーと申します。お会いできて光栄です」
ドレスをつまみ、礼をとる。今日は何度もこの動作をしているので、反射的にできるようになってきた。
顔をあげると、興味深そうにペリドットの瞳が見返している。そして胸に右手をあて、礼を返してくれた。
「初めまして。ザックス・マッケリーです。セラフィナ嬢の話は何度もフェリクスから聞いているよ。正直フェリクスが大げさに言っているだけだろうと思っていたけれど、確かに天使のように愛らしい。フェリクスが自慢したくなる気持ちもわかる」
「ありがとうございます」
にこりと何度も練習した令嬢の笑顔を浮かべ、頭の中で「ザックス・マッケリー様、ザックス・マッケリー様」と繰り返す。今日だけで何人も初対面の方と会っているので、覚えるのが大変だ。
兄がわたしの肩を抱き、「そうだろうそうだろう」と満足そうに頷いた。
「セラフィナは幼いころからそれはそれはかわいいかったんだ。我が家の自慢の天使だ」
「そんな自慢の天使を紹介してくれたということは、僕にもセラフィナ嬢に求婚する権利があるということかい?」
「いや、君にはセラフィナはやれないな」
「それは残念だ」
軽口を叩きあい、二人で笑っている。その後もしばらく会話をし、ザックス様とは別れた。
「とても仲の良い方なんですね」
「ザックスかい? そうだね、寄宿学校時代からの付き合いだからね。最近もサロンでよく会っているし。気になるかい?」
うーん、と軽く首を傾げ、
「社交慣れしている方なのだな、と思いました」
率直な感想を述べた。社交界の男性らしい軽口に慣れているという印象が強く残ったからだ。まだまだひよこのわたしにはうまくあしらえないタイプの方だったと思う。
「なるほど」
「お兄様はわたしの結婚相手としてザックス様をお考えなのですか?」
デビュタントの場でわたしに紹介したということは、そういう意図があるのだろうと思ったのだけれど。
「……いや、ザックスは違うかな」
兄はじっくりとわたしの目を見て、否定した。意味がわからなくて首を捻る。
怪訝な顔をしていたであろうわたしの頭を撫で、兄は「じゃあ次の友人を紹介しに行こう」と促し、エスコートを再開した。
その後は、アイク・ウィンダム子爵令息とイサール・ハルトマン男爵令息という方を紹介された。
アイク様は茶色の髪にグリーンの瞳で、兄よりも年下らしい少年らしさを残した方だった。イサール様は亜麻色の髪と茶色の瞳の穏やかそうな方で、兄よりも二歳年上とのことだった。
お二人ともわたしに対して「フェリクス自慢の妹君」という表現を使っていた。兄は普段どれだけわたしのことをご友人たちに自慢しているのだろうかと不安になったけれど、精神衛生上考えないことにした。
兄と同年代の方たちは既に社交に慣れているからか、思いのほか気楽な時間を過ごすことができた。まだまだ慣れない社交界だけれど、身構え過ぎる必要はないのかもしれない。
緊張に包まれて始まったデビュタントは、こうして滞りなく無事に終わっていった。




