3.わたしの家族
今世のわたしの家族は、両親であるベイリー子爵ノーマンとその夫人コーデリア、そして嫡男である兄フェリクスだ。それぞれの祖父母も健在だが、同居はしていない。
ベイリー子爵家は他の多くの貴族と同様に領地にあるカントリーハウスと王都にあるタウンハウスを行き来しており、家族が揃う時もあれば揃わない時もある。
現在王都の女学院に通うわたしは長期休暇以外はタウンハウスに住んでいるけれど、領主としての仕事もある両親は年間の半分くらいをタウンハウスで、それ以外はカントリーハウスで過ごしている。
跡継ぎとして子爵家の仕事を学んでいる最中の兄は、「セラフィナ一人じゃ寂しがるじゃないか」という理由でわたしとほぼ同じスケジュールでタウンハウスとカントリーハウスに滞在している。ちなみに寂しがったことはない。結果として、両親が王都にいる間は自然と家族が揃うことが多い。
そして目下、ベイリー家の面々が揃った際の主な話題の一つとなっているのが、わたしのデビュタントについてだった。
「セラフィナのドレスはそれはそれは素晴らしい出来栄えですよ。きっと今年のデビュタントで一番かわいいのはセラフィナに違いありません」
家族揃っての夕食の席で、兄がほくほく顔で自信たっぷりに豪語した。
先日、領地から両親がタウンハウスにやってきた。あと一か月と迫ったわたしのデビュタントの準備と、両親自身の社交の為だ。
わたしたち家族はとても仲が良い。家族が揃っている時はできるだけみんなで食事を取るという暗黙の了解のもと、今日も夕食は家族みんなでダイニングテーブルを囲んでいた。その中で父がわたしのデビュタントの準備について言及したことから、なぜかわたしではなく兄が鼻息荒く自信たっぷりに返事をしたのである。
「ドレスは私も見たわ。確かに素晴らしい出来ね」
「そうでしょう! セラフィナにぴったりの逸品ですよ」
おっとりと同意した母に、兄がますます顔を綻ばせる。
「ドレスは確かに素晴らしいと思いますけど、”一番かわいい”というのはお兄様の目がおかしいだけだと思います」
衣装室に準備されているデビュタント用のドレスは、確かに素晴らしい出来栄えだった。
デビュタントに参加する令嬢は白いドレスを着ることが決められており、その中で形や細部のデザインに工夫を凝らす。そうして社交界デビューの娘をより美しく飾るのが貴族の一大イベントの一つになっているわけだけれど、わたしのドレスを選ぶ兄は、まさしくシスコンの鑑のような白熱ぶりだった。そのおかげで確かにとても素晴らしいドレスが出来上がったわけだけれども。
「何を言うんだい、セラフィナ。セラフィナは我がベイリー家の天使なんだよ。デビュタントでもセラフィナが一番かわいいに決まってるじゃないか」
「……」
昔からよく食べよく喋りよく笑う兄は、しばしばわたしのことを「我が家の天使」と称する。別に自分が不細工だとは思わないけれど、とびぬけてかわいいとも思っていないわたしとしては、「天使」と言われるたびにどこか遠い目になってしまうのは仕方がないと思う。
兄のシスコンぶりに慣れている両親はやれやれといった視線で聞き流し、食事を楽しんでいるようだ。
ふと、兄が重大な事実に気づいたかのように顔を上げた。
「父上! セラフィナがかわいすぎてデビュタント後から大量の縁談が舞い込んできてしまったらどうしましょう!? 片っ端から握りつぶしますか!?」
さすがにこれには父も黙っているわけにはいかなかったのか、少し吹き出しそうになった口元を押さえ、「まあ落ち着きなさい」と窘めた。
「大量の縁談が舞い込んでくるかはわからないが……、もし縁談が来たら、私たちできちんとお相手を吟味して、それからセラフィナに伝えるよ。受けるかどうかはセラフィナが決めるといい」
そう言って、わたしにやさしく微笑む。父の隣で母も同意するように微笑みながら頷いている。
「でも……わたしには、良い縁談の区別があまりよく分かりません。お父様たちに縁談相手を選んでもらう方が良いように思います」
「大丈夫だよ、セラフィナ。セラフィナが好ましいと感じる相手を選べば良いんだ。家同士の関係なんて考えず、心のままに、セラフィナが良いと思える相手と結婚してほしいと思っているからね。別に急ぐ必要もない。私としてはまだまだセラフィナには私の娘でいて欲しいくらいだよ」
「お父様……」
父と母は元は家同士の政略的な結婚だったらしいけれど、そんなことはみじんも感じさせないくらい仲睦まじい。
世の中には政略結婚のせいで愛の欠片もない夫婦は多いと聞く。そしてそういう夫婦は総じて幸福とは言い難いものだ。貴族の娘にとって結婚は義務と言って差し支えのないものではあるけれど、愛のある結婚の方が良いものであるのは確かだった。
それを分かっているからこそ、父はわたしにもより幸せな結婚を望んでくれている。
わたしが愛を持てるかどうかは別として。
優しい父の言葉に胸がじんとしてしまうわたしの横で、兄が真剣な眼差しをわたしに向けてきた。
「大丈夫だよ、セラフィナ。セラフィナの運命の相手は必ずこのお兄ちゃんが見つけてきてあげるから、安心して待っているといい」
「……お兄様は、わたしに結婚をさせたいのかさせたくないのかどっちなんですか……」
縁談を全て握りつぶすと言ったかと思えば、今度は相手を見つけてくると言う。一体どっちなのだ。
兄は苦渋を飲まされたかのような顔をした。
「セラフィナに結婚なんてして欲しくない……。だがセラフィナには幸せな結婚をして欲しいとも思う……。どちらも本音だ。セラフィナが結婚するなら私が認めた相手じゃないと……!」
なるほど、やはりシスコン故の感情の板挟みになっているということらしい。
一人で勝手に頭を抱え始めた兄は放置して、父に向き合う。
「縁談については、しばらくはお父様とお母様にお任せしたいと思います。そもそも縁談なんて来ないかもしれませんしね」
「そうだな。まずはデビュタントを楽しむことを考えよう」
「そうそう、人生で一度きりのデビュタントだもの、思い切り楽しみなさい」
「はい」
そうして再び和やかに食事に戻り、ベイリー家の団らんは過ぎていった。
◇ ◇ ◇
そうしてあっという間に時間は過ぎ、いよいよデビュタント当日になった。
朝からメイドによって隅から隅まで磨き上げられ、デビュタントにふさわしいきらびやかな姿に作り上げられていく。
兄のこだわり抜いたドレスは白い生地に同じく白い糸で精緻な刺繍が施され、光の加減によって白い薔薇が浮き出るように見える。裾に向けて刺繍が増える分足周りに重さを感じるものの、カーテシーやダンスに支障はない。
ささやかなメイクとヘアメイクをし、ティアラをセットすれば完成だ。
普段は背中に流しているストロベリーブロンドの髪は編み込み、耳の横でまとめた。デビュタントらしくティアラを乗せて、すっきりと開いた胸元はパールのネックレスで飾る。ドレスで見えない足元には、いつもよりちょっとだけ高いヒールの靴。この靴でも粗相のないように、カーテシーとダンスはしっかりと練習して体に叩き込んだ。準備はばっちりだ。
鏡に映るわたしの頬には、頬紅だけではなく緊張による赤みがさしている。
改めてまじまじと見る、見慣れた自分の顔。生まれてから十六年ずっと見ている顔のはずなのに、まるで別人みたいだ。
ストロベリーブロンドの髪とアンバーの瞳。それがわたし。
これまで、何度か考えたことがある。
わたしがこうして異世界に転生したということは、もしかしたら”彼”も同じように転生しているのではないか――? と。
でもその度にその可能性は限りなく低いと考え直した。だって、この世界で前世の記憶を持っている人をわたしは他に知らない。前世の世界とは全く違う世界なのだから前世の記憶を持つ人がいたっておかしくないと思うのに、そんな話は聞いたことがない。この世界でも”生まれ変わり”は夢物語なのだ。
それでも諦め悪く万が一の可能性を考えてみた。そうして辿り着いたのは、「たとえ転生していたとしても、きっと気づけない」という結論だった。
かつての”私”と今の”わたし”は、どこをどう見ても似ていない。黒髪に黒目だった”私”の面影なんてものは欠片もない。もうおぼろげにしか覚えていないけれど、当然顔だって全く違うだろう。
この世界――この国ではわたしのような顔立ちは一般的で、日本的な顔の人なんて存在しない。仮に”彼”が奇跡のような確率でこの世界に転生を果たしていたとして、そこに”彼”の面影なんて残っているはずもない。もしもこの世界で遭遇したとしても、きっとわたしも”彼”も、お互いに気づくことは不可能に違いなかった。
でもそれでいいのかもしれない。わたしは”わたし”であって、決して”私”の延長ではない。今も胸に残り続けるくすぶるような強い感情はあるけれど、わたしは”わたし”としての人生を送らなくてはならない。
わたしには恋はできないかもしれない。でもいつか良い縁談には巡り合えるかもしれない。そこに恋心はなくても、良い夫婦関係を築ける相手に出会えるかもしれない。それがこの世界でのわたしの生き方であり、両親や兄も願っていることだと思う。
その為の一歩が、今日なのかもしれない。
大丈夫。今日は両親もいるし、兄がエスコートとして傍にいてくれる。社交界デビューへの躊躇はまだ残っているけれど、立ち止まってばかりはいられない。わたしは貴族の娘なのだから。
「セラフィナ、準備はできたかい?」
時間が迫る中様子を確認しに来た兄に、まるで戦場に赴くような気持ちで深呼吸し、お腹に力を入れて「はい」と答えた。




