2.貴族の令嬢
子爵家というのは、つまるところ貴族である。家格としてそれほど高いわけではないけれど、低いというわけでもない、何とも中途半端……いや、程よい位の貴族と言って良いと思う。
これより低いと社交界で他貴族のご令嬢たちから下に見られてしまうこともあるし、これより高いと国政上の立ち回りが必要になることも多く、やはり社交界では注意を払わなくてはならない場面が増えてくる。
もちろん子爵家だから気楽というわけではないけれど、幸い我が家はその程よい家格と現当主夫妻の人当たりの良さのおかげで、社交界で槍玉にあがることもなく、純粋に社交を楽しむ余裕を持つことができているようである。
「ようである」という表現を使ったのは、その言葉がわたし自身のものではないからだ。
この言葉は社交界に出るようになってから久しい六歳上の兄のものである。兄は程よい身分での社交を楽しんでいるらしい。対してわたしと言えば、実のところまだ社交界デビューを果たしていない。
この国では一般的に、貴族の令嬢は概ね十五歳から十八歳くらいの間に社交界デビューを果たす。厳密に社交界デビューに関する年齢の定めはない為、各家の都合であったり、本人の希望によってデビュタントへの参加が決まるのだ。
現在、わたしセラフィナ・ベイリーは十六歳。つまり正に社交界デビュー適齢期である。昨年も社交界デビューしようと思えばできたのだけれど、一年見送り、今年晴れてデビュタントへ参加することを決めている。
昨年社交界デビューを見送った理由は、病気で臥せっていた……などという重篤なものでは決してない。もっと単純なものだった。
「セラフィナはデビュタントでのエスコートはもう決まっているの?」
ブラウンの瞳を瞬かせて尋ねてきたのは、マーガレット・マーキュリー。マーキュリー子爵家の令嬢である。貴族の令嬢が通う女学院に共に通う、わたしの親友だ。
現在昼休み中の女学院のカフェテラスでは、そこかしこで貴族令嬢たちが話に花を咲かせながら各々昼食を取っている。わたしたちもまた、カフェテラス内に配置された丸テーブルを囲み、ランチタイムを楽しんでいた。
「ええ、兄がエスコートしてくれる予定よ」
もぐもぐと咀嚼していたサンドイッチを飲み込み、頷く。
「ああ、お兄様がエスコートをなさるのね。確かにあのお兄様なら、セラフィナのデビュタントでのエスコート役を他の方に譲るなんてことありえないわね」
我が兄を思い浮かべたのか、マーガレットはふふ、と笑みをこぼした。
「衣装選びにも口を出してくるくらい、張り切っているわ。もしかしたらわたし以上に意気込んでいるかも」
先日ああでもないこうでもないと衣装選びに白熱していた兄を思い出し、思わず肩を竦めてしまう。
兄フェリクスは、わかりやすく一言で言うとシスコンである。六歳という年の差故か、わたしが赤ん坊の頃からそれはそれは可愛がってくれているのだ。
妹としては兄に愛されているというのはとてもありがたいことではあるものの、それにしてももう少し控えめな溺愛のしかたもあるのではないかと思わなくもない。
「マーガレットは、エスコートはお父上が?」
「うーん……悩んでいるのよね。従兄がエスコートしても良いと言ってくれているんだけど……」
マーガレットは紅茶を一口飲み、悩まし気に首を傾げた。
サングレイス王国ではデビュタントでのエスコート役に特別な決まりはない。家族や親族、友人、それに婚約者が既に内定している場合はその婚約者が務めることもある。
従兄にエスコートをしてもらうことには何の問題もないはずだけれど、マーガレットは決めかねているようだ。
「従兄の方だと何か問題が?」
「従兄自体に問題があるというわけではないの。単純に、従兄よりお父様にエスコートしてもらう方が殿方も近寄りやすいかしら、と思って」
「ああ、そういう……」
マーガレットが言っているのは、つまりこうだ。
年齢が近い従兄にエスコートをしてもらうと、その従兄が婚約者候補になっていると周囲に思われてしまうかもしれない。すると適齢期の男性からは対象外として分類されてしまう可能性がある。ところが父親がエスコートであれば、自分にはまだ婚約者候補がいないということをアピールできる、ということである。
「だって、デビュタントで運命の相手に出会うかもしれないじゃない」
しとやかな見た目に反して、マーガレットの目がきらりと光る。まるで狩人のような鋭さだ。
マーガレットは昔から”運命の相手”というものに強い憧れを持っている。運命の相手――それは出会った瞬間に互いに恋に落ちるような相手だ。更にマーガレットに言わせると、出来れば家柄も良く、見目も良いと尚良し、ということらしい。
社交界にデビューするということは、わたしたち貴族の娘にとっては結婚適齢期に達したということと同義である。社交界デビュー後は本格的に結婚相手探しが始まるし、それどころかデビュタントの時点から戦いが始まっていると言っても過言ではない。
デビュタントでまだ決まった相手がいないことをアピールし、一人でも多くの男性に縁談候補として見てもらいたい、というのがマーガレットの目的である。
「マーガレットらしいわ。良い相手に出会えると良いわね」
「あら、セラフィナだって社交界デビューしたら結婚相手を探すんじゃないの? だったらデビュタントから気合を入れていかないと。ああ、でもセラフィナの場合はお兄様が妨害して来そうね」
「うーん……案外そうでもないかも……?」
兄は間違いなくシスコンではあるけれど、わたしの結婚相手探しにはどちらかというと積極的な節があるように思う。
というのも、昔からよく「セラフィナの運命の相手はお兄ちゃんが見つけてあげるからな!」と高々に宣言しているのだ。シスコン故に、妹の結婚相手は自分が認めた相手でないと許さない、ということなのかもしれない。
現在、サングレイス王国では貴族の結婚には大きな制限は設けられていない。好ましいと思った相手であれば、身分を越えて結婚をすることも可能だ。
とはいえやはり家同士の関わりによって結ばれる貴族同士の婚姻が最も多く、純粋に恋愛結婚をするケースは少ないのが現実だ。
マーガレットや兄が言う”運命の相手”との結婚は、もし叶うならそれはそれは素敵だと思う。でも、わたしにそんな運命の相手が現れるとは思えなかった。恋をする自分を想像してみたことはあるけれど、それはとても不鮮明で、どう頑張っても現実味を伴うようには思えなかったのだ。
貴族の娘が社交界デビューを果たすということは、「結婚相手を探し始めましたよ」と周りにアピールするのと同義だ。だからこそ強く結婚を望む令嬢ほど早く社交界デビューを願っているし、娘を飾り立てる為にその両親もお金をかけて準備をする。
貴族の娘にとっての幸せは、より良い結婚である――それがこの国での一般的な価値観だ。そこに異を唱えるつもりはない。
だけどわたしは……。
「なんにせよダンスの練習もしないといけないから、エスコートは早く決めないといけないわね。セラフィナはお兄様がばっちりリードしてくれそうだけど、私はちょっとダンスは自信がないもの」
つい黙ってしまったわたしに、マーガレットが肩を竦めてみせた。マーガレットはあまり運動神経が良くないのだ。
「ふふ、大丈夫よ。まだあと二か月もあるもの、きっと上手に踊れるようになるわ」
「うう……不安だわ……。でもセラフィナも今年デビュタントだから、その点はちょっと心強いわ」
「ええ、わたしもよ」
実はマーガレットは、わたしより一歳年下の十五歳だ。
わたしが昨年のデビュタントを見送った理由の一つがこれだ。どうせ社交界デビューするなら、親友と同じタイミングの方が心強いと思ったのだ。わたしの両親も社交界デビューを焦る必要はないと言ってくれたので、お言葉に甘えて一年遅らせて今年晴れてマーガレットと共にデビュタントに参加することにしたのである。
社交界デビューを果たしたらいよいよ本格的な結婚相手探しが始まる。もしかしたら運命的な相手に出会えるかもしれないし、出会えないかもしれない。
結婚相手が恋愛相手であるとは限らない。だから必ずしも社交界デビューが恋愛の玄関になっているというわけではない。
それでも多くの令嬢は社交界デビューと恋愛を結びつけて考えているし、わたしも少なからずそう捉えている部分があると思う。
でも、だからこそ、”恋愛”に結びついてしまう社交界デビューを少しでも遅らせたかったという気持ちもあったことを否定はできなかった。
いつもわたしの胸の奥に残る姿。前世に置いてきたはずの、心の欠片。別の”わたし”になったはずなのに、消えてくれない熱。
抱き続けても苦しいだけだと分かっているのになくならないその気持ちに蓋をして、わたしはマーガレットと笑い合った。




