21.終わりと始まり
わたしは思わずエドワード様を凝視した。
”前”の約束。その言葉が示すのは前世でのあの約束だ。エドワード様が明確に前世の話題を口に乗せたことに、わたしはただただ驚く。
既にエドワード様が”彼”の生まれ変わりであるということは確信していたしエドワード様もわたしが前世の”私”の生まれ代わりだと気づいていたはずだけれど、明言したわけではなかった。ただ、それをほのめかして拒絶されただけだった。
それなのにエドワード様が今前世の出来事を話に出した理由がわからなかった。
戸惑うわたしにエドワード様は少し困ったような、気まずそうな顔をした。
「先日あなたを心無い言葉で傷つけた私が今更何を言っているのかと思うかもしれません。ですが……私は約束を守れなかったことを今でも後悔しているんです。あの日約束を守れなかったこと、伝えようと思っていたのに伝えられなかったこと……その後悔を残したままでは、私は先へ進めない」
心臓の音が少しずつ大きくなってくる。
「これは私の自分勝手な戯言だと思っていただいても構いません。あなたには耳を塞ぐ権利があります。それでもどうか、聞いて欲しい」
唇が震えて、わたしはただエドワード様を見つめることしかできない。
伝えられなかったという後悔。それはわたしにもある。だからこそきちんと伝えないと前に進めないと思っていたのだから。
わたしたちは、まず終わらせなくてはならない。
少し待っても動かないわたしを見て、エドワード様がゆっくりと息を吸う。
そして。
「あの日、君に伝えるつもりだったんだ。――渡辺沙穂さん、俺は君のことが好きだった」
「あ……」
渡辺沙穂。わたしの記憶の中にある”私”の名前。もう決して呼ばれることのない筈だった、わたしの魂に残っている名前を、エドワード様が呼んだ。……いや、違う。これは”彼”の言葉だ。
瞬きすら忘れてエドワード様を見る。”彼”とは全く違う、エドワード様。けれどそこにいるのは間違いなく”彼”で、間違いなくエドワード様だ。
「……隣の席になって、渡辺さんと話をする時間がどんどん楽しくなって、気が付いたら好きになってた。だから出かける約束も嬉しくてすごく楽しみで……そこで告白しようと思ってた」
「――っ」
そう。そうだった。”私”も隣の席で話をするようになってからどんどん好きになって、一緒に出かける約束が本当に嬉しくて楽しみだった。”私”もそこで言おうと思っていたんだ。
頬を涙が伝った。感情が溢れてしまって、制御できない。ずっと昔に行き場をなくした心が悲鳴を上げる。
「そして、セラフィナ嬢。私はあなたが好きです。私たちはまだ出会ったばかりですが、初めて会った時からあなたのことが気になって仕方なくて、あなたの隣に誰か他の人がいることが堪えられないのです。初めは”以前”の記憶に引きずられているだけだと思いました。そのせいであなたを心無い言葉で傷つけてしまった。ですが――やっと気づきました。私と”俺”は別人ですが、どちらも私で、あなたも”渡辺さん”もどちらもあなたなのだと。私がセラフィナ嬢に惹かれるのは当然のことだった。私はどうしたって、きっと何度でもあなたに恋をしてしまうんです」
エドワード様の姿に重なった過去の影が焦点を結んで、熱を持つ。
「わ、たし……」
嗚咽が漏れそうになるのを堪えて、震える口を開いた。
「私も、相沢くんが……相沢匠くんのことが好きだったの。休み時間の相沢くんも授業中に居眠りして慌てて起きる相沢くんも部活を頑張ってる相沢くんも、全部好きだったの。私もあの日相沢くんに告白しようと思って……でもできなくなっちゃって、それからもずっと相沢くんのことが忘れられなくて……。結局、生まれ変わってもやっぱりわたしは相沢くんのことを忘れることはできなかった」
”私”が最期の瞬間に強く思ったのは、他の誰でもない相沢くんのことだった。”私”の生涯は、相沢くんへの想いと共に終わりを迎えた。
「だから、わたしはエドワード様のことも好きになってしまうんです。生まれ変わっても忘れられなかったあなたのことを、好きにならずになんていられないんです。わたしは、ただ、あなたが好きなんです」
最初はわたしも自分の気持ちを疑った。
だってわたしには前世の記憶があるから。わたしの価値観や思考回路にはどうしたって”私”の影響が出てしまう。
この世界で生まれ育った”わたし”はこの世界に見合った価値観を持っているつもりだけれど、根底には”私”がある。それがわたしの感情に影響を与えてしまうのは仕方のないことだった。
だからわたしがエドワード様に惹かれてしまうのも前世の記憶のせいかもしれないと思った。でも違った。前世とかそんなものは関係なく――いや、前世も含めて、わたしはわたしという存在の全てでエドワード様という存在を好きになった。
「先日エドワード様がわたしを否定したのも、仕方ないことだったと思います。わたしもわたし自身の気持ちを明確に理解できてはいませんでした。でも、エドワード様に否定されて気づきました。私は相沢くんが好きだった。そしてわたしはそれも全部ひっくるめてエドワード様が好きなのだと」
「セラフィナ嬢……」
エドワード様がくしゃりと音がしそうな笑顔に変わる。
「……フェリクスに頭が固いとか考えすぎだとか頭が固いだとか散々言われました。どうやら私たちは互いに考えすぎていたようです」
いかにも兄が言いそうな言葉だ。肩を竦めて言う兄の姿が容易に想像できて、わたしも思わず笑ってしまった。
「そうですね。だいぶ遠回りをした気分です。兄から見たらきっとまどろっこしいことこの上なかったと思います。兄はいつも直情的に生きているような人ですから」
目尻に残った涙を指先で拭う。もう後から涙が出てくることはなさそうだ。
昨日までとは打って変わった晴れやかな気持ちが広がっていく。
「確かにフェリクスは直情的ですが、時にはそのまっすぐさが大切なのだと気づかされました。まったく、大雑把なくせによく見ている……フェリクスには貸しができてしまいましたね」
困ったような口ぶりだけれど、その表情は明るい。わたしも兄の勢いには振り回されることもあるけれど、結局のところ、兄はいつだって宣言通りわたしの味方でいてくれるのだ。きっと今回エドワード様を焚きつけたのだってわたしを思ってのことだ。まったくシスコンが過ぎると思うものの、兄のまっすぐな熱に助けられていることは間違いなかった。
「これでエドワード様と兄の仲がこじれてしまったらどうしようかと思っていましたが、大丈夫そうで安心しました」
「フェリクスがちょっとやそっとで挫けるわけがありません。多少わだかまりがあったところで、どうせすぐにけろりと話しかけてくる、そういう男ですよ」
「それは……確かに」
さすが長年の友人。エドワード様は兄の性格を的確に把握している。
なんだかとてもおかしくなってしまって、わたしはふふ、と声を漏らしてしまう。慌てて口元を抑えるけれど、一度漏れた笑いはすぐには止まらない。くすくすと笑い続けるわたしにエドワード様も柔らかい笑顔を見せてくれる。
「……私はたぶん、あなたの笑顔が好きなんだと思います。今も、昔も」
「――っ」
ああ、もう。今日のエドワード様はこれまでとまるで別人のようにまっすぐわたしを見て言葉を紡いでくれる。そんなことをされたら、わたしの心臓が持たなくなってしまうではないか。
笑いは止まったけれど代わりに頬が上気するのを感じる。その様さえも見つめてくるエドワード様から隠すように頬を手で覆うけれど、きっと隠しきれていない。
恥ずかしさを隠しきれないわたしに気づいているはずなのに、エドワード様はどこか嬉しそうだ。
「私もフェリクスを見習って、言葉はできるだけ惜しまないようにしようかと思いまして。――もう、伝えられなかったと後悔をするのは嫌なので」
「エドワード様……」
そうだ。わたしたちは共に同じ後悔をした。伝えられないまま否応なく終わらせられる――それはこの上なく深い後悔を残すものだ。わたしたちは今同じ世界にいて、同じ時間を生きている。今のわたしはエドワード様より六歳も年下だけれど、それは言葉を惜しむ理由にはならないはずだ。
「わたしも、エドワード様の笑顔は好きだと思います。いつもの社交用の微笑も好きですけれど、今みたいな柔らかい笑顔も、大好きです」
わたしからも言葉が返ると思っていなかったのか、エドワード様が虚を突かれたように目を瞠った。ああ、こんな無垢な表情も好きだわ。
エドワード様が口元に手を当て、少し俯いた。その耳の先がほんのりと赤くなっている。
「……なるほど。私もまだまだ精進が必要そうですね」
ちょっとよくわからないことをくぐもった声で呟いているけれど、どうやら照れているらしいということは分かる。
辺りに落ちる何とも言えない甘い空気に二人して押し黙ってしまう。でも仕方ないと思う。だってわたしにとっては前世も今世もこれが初恋なのだから。前世での初恋はたった十三歳で、今世でもまだほんの十六歳でしかないわたしが、上手に恋の駆け引きなんてできるわけない。
なんとなく居た堪れなくなって、わたしたちはそれぞれ手元のティーカップに手を伸ばす。
冷めてしまったお茶を少し飲んで心を落ち着けたらしいエドワード様が、ふぅっと一つ息をついてわたしを呼んだ。
「先ほどの大通りのカフェの件ですが。ご一緒していただけますか?」
「……はい、もちろんです!」
エドワード様と一緒にお出かけ。想像するだけで心が浮き立つ。
つい勢いよく返事をしてしまったけれど、エドワード様の表情はとても優しい。
「カフェだけでなく、公園や植物園、それから……観劇なども良いですね。これからたくさん約束をして、たくさん約束を叶えていきたい。私がこれからこの世界で歩む先に、あなたに隣にいて欲しいと思っています」
――いかがでしょうか。
優しく柔らかく告げられた言葉の意味は。
せっかく止まった涙が再び溢れてくる。今度こそ本当に嗚咽を抑えられなくなってしまいそうで、わたしはただただ必死に頷く。
だって、それはこれから先も一緒にいてくれるということ。終わりなく続く未来を描く言葉だ。
壊れた人形みたいに涙を流しながらひたすら頷くわたしに、もう一度エドワード様は柔らかく笑った。
わだかまったままの過去を終わらせて、今を新しく始める。それは前世の記憶を持つという特殊なわたしたちにとって必要で、必然。
今度はきっと終わることはないと、強く強く思えた。
世界も存在も越えて想いを繋ぎ続けたわたしたち。始まりはきっと後悔だった。未練として残った後悔は消えることなくわたしたちの中に残って、そして今に繋がった。
後悔は終えた。だからこれからは前だけを見て、共に歩んでいける。
初恋は実らないというけれど、二度目の初恋ならその限りではないのかもしれないと、ふわふわした気持ちの中でふと思った。




