20.思いがけない招待
フォード伯爵からの手紙によってエドワード様が軽傷で済んだことを知り、やっと一安心して眠りにつくことができた翌日、今度は当のエドワード様からの手紙が届けられた。
手紙には、わたしのおかげでフォード伯爵家への連絡が早まり迅速に対応ができたことへのお礼と、あんな場面に遭遇して不安や心配を抱かせてしまったことへの謝罪が綴られていた。
しかし、手紙に書かれていたのはそれだけではなかった。
「お兄様!」
お行儀が悪いことは重々承知していたけれどそこには目をつぶって、わたしは兄の部屋の扉をおざなりにノックして、返事を待たずに勢いよく開いた。
「どうしたんだい、セラフィナ。ああ、よかった。今日は顔色が良さそうだ」
まさに突撃の勢いだったけれど兄はあまり驚いた様子はなく、むしろわたしの顔色を瞬時に観察して嬉しそうにしている。
昨日のわたしの顔色はそれはひどいものだったと思う。
目の前でエドワード様が事故に遭い、結局運ばれていくまで一度もエドワード様の目が開かれることはなかった。血が出ている様子はなかったから大きな外傷はなかったはずだけれど、襲ってくる不安と恐怖はどうすることもできなかった。
それは帰宅後も続いていて、両親と兄をかなり心配させてしまった。一応何があったのかだけはぽつぽつと説明したけれど、それゆえに尚更兄には多くの心配をかけたに違いない。
「昨日はご心配をおかけしました」
「気にしなくていい。セラフィナこそ大変だったんだ。セラフィナを心配させるなんて、まったくエドは罪深いな」
「……エドワード様が悪いわけではないと思います」
昨日見ていた限りでは、エドワード様は車道に出てしまった子供を救う為に行動していた。むしろ正義感からの行動だったと思う。その結果わたしは不安と恐怖に苛まれたけれど、エドワード様の優しさ故のものだと思えば、そこを責めることなどできない。……なんて、エドワード様が無事だったからそんな風に思えるけれど、エドワード様にもしものことがあったらそんな風に考える余裕はなかったかもしれない。
「幸いエドワード様は軽傷で済んだようですし、事故の危険から子供を守ったのは確かです」
「それはそうだね。ところでセラフィナ、何か用事があったんじゃないのかい?」
「そう、そうですお兄様! 先ほどエドワード様から手紙が届いたのですが、その、昨日のお礼とお詫びにぜひフォード邸に招待したいと書かれていまして……」
兄に相談しようと思った手紙の内容を思い出し、あわあわと意味もなく手を動かした。
エドワード様からの手紙には、フォード伯爵邸へ招待したいという旨が書かれていた。
昨日たまたま居合わせただけで特に役に立たなかったわたしなんかにわざわざそこまでしてもらうなんて、申し訳なくなる。
エドワード様からは先日遠まわしに振られたばかりで、本当ならエドワード様だってわたしとの関わりなんて持ちたくないはずだ。
けれど良識ある伯爵家のご子息としては、きっと感謝を形で表さなくてはならないのに違いない。仕方なく誘ってくれているとしか思えず、ここはわたしから断るべきだろうかと兄に助言を貰いにきたのだ。
ところが兄はあっさりと、
「よかったじゃないかセラフィナ。ぜひ行ってくると良い」
とにこやかに言った。
「え? いえ、でもエドワード様は社交辞令でそう言ってくださっているだけなのでは……」
自分で言っていても悲しくなる。でも、まだ招待を素直に受け止められるほどわたしの心は整理がついていない。
「エドは確かに社交辞令も使うけれど、これに関してはそういうのじゃないと思うよ。本当にセラフィナを招待したいんじゃないかな」
「でも……」
招待されたからと言って、じゃあ行きますとは簡単には言えない。
だって、意図がわからない。昨日のお礼ということだけれど、それなら手紙だけでも充分だ。フォード伯爵からも昨日のうちに丁寧な手紙を頂いたし、それに加えて今日はエドワード様ご本人からの手紙も頂いている。マナーとしては充分すぎると言えるだろう。それを越えてわたしを招待する理由なんてないはずだ。
「私はエドとは長年の友人だけど、エドは決して軽率な行動を取るタイプではないし、招待した相手を蔑ろにすることもしない。エドなりに理由があってセラフィナを招待しているのは確かだよ」
兄の言うことを信じないわけではないけれど、本当にわたしが行って良いのだろうかという懸念は消えない。
けれど実際にエドワード様を見て安心したいという気持ちもある。手紙によって無事であるということはわかっているけれど、実際に元気そうなエドワード様を見たわけではない。目が閉ざされたままのエドワード様を思い出すと、心臓が震えそうになる。元気に動くエドワード様を見ればきっとその恐怖はなくなるはずだ。
「…………お兄様が一緒に行ってくださったりは……」
「はは、さすがに私でもそんな無粋なことはしないよ。招かれているのはセラフィナだけだろう? そこに私が付いていってしまったら私がエドから睨まれてしまう」
兄が至極まっとうなことを言っている。そう言われてしまったら兄に付き添ってもらうという選択肢は選べなくなる。うう、と唸っていると兄が続けた。
「セラフィナはエドには会いたくないかい?」
その質問の答えは難しい。エドワード様には会いたい。でも会いたくない。未だ冷めない熱を持つこの心はエドワード様に会いたいと願うけれど、エドワード様に否定された先日の出来事を思えば会うのが怖いとも思う。
「わたしは……」
でも、わたしは。
昨日のことを思い出す。あの事故の瞬間、わたしは何を後悔したのだったか。
また、エドワード様に何も伝えられないまま終わってしまうかもしれないことを強く後悔したのではなかったか。
確かに先日、わたしはエドワード様に否定された。けれどそれと同時にわたしは強く自覚した。
わたしは前世の”私”としてではなく、わたし自身としてエドワード様が好きだ。伝えてもそれを認めてもらえるとは限らないけれど、そんなことをしても自己満足でしかないかもしれないけれど、きちんと伝えたい。そうしないとわたしはこれから先前を向いて歩いていけない気がする。告白をしてきちんと振られるという儀式が、きっと今のわたしには必要だ。
「エドワード様に、会いたいです……」
きっとわたしが前世からやり残しているのは”伝える”ということだ。それを終わらせる為にも、わたしはエドワード様に会いたい。
「うん、会っておいで。きっと大丈夫だから」
ぽんぽん、と頭が撫でられる。労わるような優しい手つきに励まされる。
なんだかんだわたしは兄を頼りにしているし、実際兄はいつもわたしの背中を押してくれるのだ。
兄の部屋に駆け込んだ時は頭が真っ白で困り果てていたのに、今はこれからの為にも一歩踏み出す勇気が灯っている気がした。
心を決めたわたしは、いつもよりもずっと丁寧に返事の手紙を書いた。
併せて、昨日の一件で心配をかけてしまったマーガレットにも謝罪とお礼と報告を兼ねた手紙を書いたところ、いつもの何倍もの速さで「頑張って!」という激励の返事が来た。わたしには背中を押してくれる人がたくさんいる。それを強く再認識できた。
そして二日後。わたしは早速フォード邸を訪れた。手紙で訪問日程を決め、いつもよりちょっとおしゃれな外出着を選び、お見舞いも兼ねた手土産もきちんと用意し、準備は万端のはずだ。
とはいえ伯爵家――しかもエドワード様の家であるフォード伯爵家を一人で訪れるなんて、当然初めての行為だ。緊張しない方が無理な話だ。
「ようこそ、セラフィナ嬢。今日は来てくれてありがとうございます」
案内された先はフォード邸の庭の一角のガゼボだった。
開放的な広いガゼボの下にはアフタヌーンティーの準備が整ったテーブルがあり、エドワード様が出迎えてくれる。顔色も良く、しっかりと立っている姿にほっと安堵する。しかしその右手には白い包帯が覗いていた。
「こ、こんにちは、エドワード様。こちらこそご招待いただきありがとうございます」
つい包帯に目が行ってしまいそうになるのを堪えてスカートをつまみ礼をする。
促されて着席すると、さっとお茶が用意されて、使用人たちが下がっていった。ガゼボにはエドワード様と二人で残される。その状況に戸惑うけれど、エドワード様には気にした様子はない。
「先日は心配とご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
早速丁寧に頭を下げてくるエドワード様に慌てて両手を振る。
「いえ、そんな、頭を上げてください。わたしは本当にただ居合わせただけで、何の役にも立ちませんでしたから」
そんなにしっかりお礼をされるほどのことはしていない。何もできなかった。ただエドワード様の身元を伝え、おろおろと名前を呼んでいただけだ。
「それより、エドワード様がお元気そうで安心しました。お手紙では聞いていましたが、直接拝見するまで心配でしたので……」
「はい。手の捻挫はまだ治っていませんが、それ以外は大したことありません。運が良かったようです」
「本当にご無事で良かったです……」
事故の状況はフォード伯爵からの手紙で知らされていたけれど、本当に運が良かったとしか言えない状況だった。もし馬車の軌道が乱れずそのままエドワード様に突っ込んでいたらと思うと、恐怖で体が震える。
「セラフィナ嬢はご友人と一緒だったと聞いています。せっかくの外出を邪魔してしまって心苦しいです」
「いえ、お気になさらないでください。とても気の良い友人ですから、彼女も邪魔をされたなんて思っていませんし」
「なら良かったです」
そう言って安心したようにエドワード様がほんのりと笑う。その表情を見て、わたしはなんだか違和感を覚えた。なんだろう? エドワード様はいつも完璧な微笑を浮かべているけれど、いつもより表情が柔らかいような……。
「ご友人とはよく出かけるのですか?」
「え? あ、そうですね。普段は女学院があるのでなかなか出かける時間がありませんが、休日や長期休暇の時などはしばしばお出かけしていますね」
「いつも大通りに?」
「ええ、だいたい大通りで買い物をしたりカフェでお茶をしたりしています。大通りはお店がたくさんあるので」
食料品店から宝石店まで、あらゆるジャンルのお店がある。全てのお店を見ていたら一日でも時間を潰せるだろう。
そういえばエドワード様はあの日、宝石店から出てきた。どうして宝石店にいたんだろう、と考えてしまって、少し喉元が苦しくなる。
「確かに幅広く色々なお店がありますね。先日は私も父からの頼まれごとで大通りの宝石店に赴いていたんです」
「頼まれごと……」
じゃあエドワード様自身が宝石店に用事があったわけじゃなかったんだ。苦しくなりかけた喉が一瞬で楽になった。現金過ぎる自分の体が恥ずかしい。
「セラフィナ嬢はどちらに?」
「あ、わたしは友人と新しくできたカフェに行っていたんです。ケーキが美味しいと評判らしくて、友人に誘われて」
「そうでしたか。ケーキは美味しかったですか?」
「はい、とても」
なんだか普通の雑談をしている。エドワード様が水を向けてくるからつい何気ない会話を続けてしまっているけれど、エドワード様とこんな風に雑談をするのは初めてだ。
そもそもエドワード様と会うのも話をするのも、片手で足りるほどしかしていない。そのどれもどこか壁を感じるもので、こんな風に和やかなものではなかった。いつもと違う雰囲気に落ち着かない気持ちになってくる。
「それはぜひ私も行ってみたいですね。よろしければ今度一緒に行っていただけますか?」
「え?」
今なんと言った? 聞き間違いだろうか?
一緒に――?
反応できずに固まっていると、エドワード様に真剣な眼差しで見つめられる。
「――前は約束を守れませんでしたが、今度はちゃんと守ります。”前”の約束も本当に楽しみにしていたのに果たせなくて、ずっと後悔していました」




