18.急転
もうすぐ休暇も終わろうという日、わたしはマーガレットと共に街にやってきていた。先日約束した新しいカフェにケーキを食べに行く為だ。ついでに少し街で買い物をしようということになり、わたしたちは日傘を片手に大通りを歩いていた。
送迎の馬車は一旦帰して、また後程迎えに来てくれることになっている。
貴族令嬢とはいえ所詮子爵家の娘でしかないわたしとマーガレットは、時折こうして二人でショッピングを楽しんでいた。王都の治安が良いからこそできることだけれど、友人と水入らずのショッピングは気分転換には最適だ。
王都の大通りにはいろいろなお店がある。王都に住まう人々の生活に欠かせないパン屋や八百屋と言った食料品を扱うお店はもちろん、服飾や雑貨のお店、ちょっと高級な宝石店、それから今日行く予定のカフェのような飲食店も豊富だ。王都の流行の最先端が集まる場所と言っても過言ではない大通りは、社交界の休息期間とも言える休暇中であっても人々で溢れていた。
まずはウインドウショッピングを楽しんでから目的のカフェに行くことにして、わたしたちは雑貨屋や比較的庶民向けの服飾店を見て回った。
この辺りのお店は庶民向けも貴族向けも混在していて、幅広く様々な商品を見ることができる。貴族が庶民向けの商品を見ることもあるし、逆に庶民がちょっと背伸びをして貴族向けでありながら手頃な価格の商品を見ることもできるのだ。
久しぶりのショッピングは思った以上に楽しい。最近は気分が塞ぎ込みがちだったけれど、それも部屋に引きこもっていたせいだったのかもしれない。マーガレットに誘ってもらったおかげで、だいぶ視野が狭くなっていたことに気づいた。今はまだ胸の痛みは消えないけれど、昨日までよりも視点を高くすることができていると思う。
「この色、セラフィナにぴったりね」
「じゃあマーガレットにはこっちの色ね」
色違いで同じデザインのリボンを買い、笑い合う。これをつけて女学院に行くことを想像すると、休暇明けへの楽しみも増えるというものだ。
大通りを歩いて回った為、ほどよくお腹も空いてきた。ということでいよいよお目当てのカフェに向かう。
最近できたというその新しいカフェは人気のようで、わたしたちが訪れた時も店内は人で溢れていた。
テーブルは店内だけでなくテラス席も用意されているらしく、わたしたちはテラス席を選んだ。テラス席はテーブルごとにパラソルが設置されて日陰になっており、風もほどよく通っていて、思ったより涼しい。テラスは大通りを見通せる位置に設けられている為、行き交う人々を眺めながら食事も楽しめるようになっていた。
メニュー表には料理の見た目が分かりやすくイラストで描かれており、目にも楽しい。わたしはレモンのタルトを、マーガレットはチーズケーキを注文した。
「とても人気なのね、このお店」
「ケーキがとても美味しいと評判だもの、ぜひ食べてみたいと思う女性は多いはずよ。店内もテラスもおしゃれだし、来てよかったわ」
店内もテラスも、席はほぼ客で埋まっている。
わたしだってうら若い令嬢である。流行りのおしゃれなお店も美味しいケーキも大好きだ。わくわくと浮足立つ気分でマーガレットとさっきまで見て回ったお店の感想を述べあっているうちに、注文したケーキとお茶があっという間に運ばれて来た。
マーガレットと顔を見合わせ、早速おのおののケーキへとフォークを入れる。わたしのレモンタルトは、淡い黄色のレモンクリームにスライスしたレモンが飾ってあって、とてもさわやかな見た目だ。口に含むと、見た目通りのさわやかなレモンの風味が広がる。程よい酸味と甘味で、まるで暑さを吹き飛ばすようだ。
「美味しい!」
「こっちのチーズケーキもしっとりしててふわふわで、しかもさっぱりしていてとっても美味しいわ!」
マーガレットも頬に手を当ててうっとりとチーズケーキを堪能している。これは評判になるのも頷ける。もう一口、とケーキに伸びる手が止まらなくなりそうだ。
周りの席の女性客たちもそれぞれ好みのケーキとお茶を楽しんでいるらしく、はしたなくならない程度に気を付けながら伺い見てみる。様々な種類のケーキとそれをほおばって幸せそうにしている人たち。確かにマーガレットが言う通り、美味しい物を食べるというのは幸せなことなのだと実感した。
周りを見回していた為、わたしの視界には大通りの様子も目に入った。様々な種類のお店が立ち並ぶ大通りの中、一軒のお店のドアが開き、中からお客らしい男性が出てくる。その姿を見て思わず息が止まりそうになった。
「エドワード様……?」
いつもより少しだけ軽装をしているけれど、遠目にも鮮やかなプラチナブロンドは間違いなくエドワード様だ。
エドワード様とは先日カントリーハウスで会ってから一度も会っていない。そもそも社交界でもなかなか会うことができなかった相手だ。それなのに、まだ傷も新しいこのタイミングでエドワード様を見かけるなんて、世界はなんて残酷なんだろう。
それでもわたしの目はエドワード様を追ってしまう。エドワード様が今出て来たのは、貴族にも人気のある宝石店だ。
宝石店から男性が一人で出てくる意味――そんなもの、考えたくない。
「セラフィナ? どうしたの?」
マーガレットが動きを止めたわたしに気づいた。けれどわたしの目はエドワード様にくぎ付けになっていて、さっきまで心を躍らせてくれていたケーキさえその魅力を失ってしまっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エドワードは馴染みの宝石店の店主に見送られて、大通りに面したその店を出た。
休暇も残すところあとわずか。今日この宝石店にやってきたのは、ひとえに父であるフォード伯爵からのおつかいを賜ったからだ。
父からおつかいを言い渡されたのは何年ぶりだろうか。最近は仕事を割り振られることはあっても、”おつかい”を頼まれることはなかった。それなのに今回おつかいを頼まれたのは、つい先日父とじっくりと話をする機会を設けて、久しぶりに純粋な親子としての時間をとることができたからに他ならなかった。
先日フェリクスに叱咤なのか激励なのかそれ以外なのか分からない喝を入れられた後、エドワードは父であるフォード伯爵に今の心境を包み隠さず告げた。
まず、以前から冗談程度に浮上して宙に浮いたままになっていたマーベル伯爵令嬢との縁談は明確に断った。父ももともとこの縁談に固執していたわけではなかった為か、どこか安心したような表情で二つ返事で了承してくれた。
それから、結婚相手は自分で探したいということも伝えた。この発言には何か思うところがあったのか興味深そうな顔をされたが、追及されることはなく、好きにしていいという言葉を貰うことができた。
父の許可は得たものの、これで万事うまくいくというわけではない。なぜならエドワードは一度セラフィナを拒絶している。しかもエドワード自身が前世と今世というものをうまく整理しきれなかったせいで、一方的に心無い言葉で拒絶した。今更掌を返して思いを伝えたところで、信じてもらえないかもしれない。今度は自分がこっぴどく振られる覚悟で体当たりするしかない。
まずはもう一度きちんと会って話をする必要があるが、それさえも受け入れてもらえるかどうか分からない。一言で言えば、今のエドワードは自業自得だが八方塞がりだった。
そうして自分の縁談は自分で決めるという話を父とした際、エドワードは愛情深い親の顔をした父からおつかいを申しつけられた。それは、大通りにある懇意にしている宝石店に、注文してある商品を受け取りに行ってきて欲しいというものだった。
もうすぐ両親の結婚記念日がやってくるこの時期、毎年父は母にプレゼントを用意している。今年のプレゼントは宝飾品にしたはいいものの、仕事が忙しく受け取りに行く時間が取れないらしい。内務長官に休暇は関係ないと言っても過言ではなく、世間が休暇でゆったりと過ごしている間も、父は毎日のように王宮に上がって仕事をしている。そこでエドワードに代わりに受け取ってきて欲しい、ということだった。
宝石店には事前に連絡を入れておいたため、注文品はスムーズに受け取ることができた。
店主に礼を言って店を出る。
大通りにやって来るのは久しぶりだった。気分転換を兼ねて少し歩いてみようかと辺りを見る。
王都の大通りには様々な店があり、人の往来も多い。普段あまりこうして大通りを歩くことのないエドワードだったが、たまにはそぞろ歩きも良いだろう。歩いているうちに八方塞がりの現状を打開する方法も思い浮かぶかもしれない。
そんな情けない打算を胸に、石畳の歩道を歩き出した。
少しも歩かないうちに幼い子供と母親らしい親子連れが目に入る。子供はまだ五、六歳くらいだろうか。母親と一緒に買い物をしていたのか、母親は大きな紙袋を抱えている。母親の手が塞がっている為手を繋いでおらず、子供は母親の少し後ろをとことこと追いかけるように歩いていた。
大丈夫だろうか、とエドワードが思ったその時、母親の持つ紙袋からオレンジのような丸い物体が転がり落ちた。少し後ろを歩く子供が、それを拾おうと丸い物体を追いかける。転がった先が馬車が通る車道であることにも気づかずに。
「――っ!」
運悪くそこに丁度馬車がやって来た。少し下り坂になっているせいで速度が出ている馬車の御者が突然車道に転がりだしてきた小さい影を認めて手綱を引くが、加速がついていた馬車はすぐには止まれない。
「どいてくれ!」
御者が叫ぶのとエドワードが駆け出したのは同時だった。
考えるより先に体が動いた。小さな体で勢いのついた馬車に衝突したら、きっと子供は無事ではいられない。それは駄目だ。親より先に子が死ぬなんてことはあってはならない。
出せる全力の速度で駆けたエドワードは、なんとか子供の細い腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。小さな体を守るように抱き込みながら転がる。ガラガラという車輪の音と急に手綱を引かれたせいで高く嘶く馬の鳴き声が響く。見開いたエドワードの目には勢いを殺しきれないまますぐそこ迫る馬車と恐怖と焦りに強張る御者の姿が映った。
かつてこんな光景を見たことがあった。ここではない世界、今の自分とは違う以前の自分。かつての最期もこんな風に迫ってくる大型車に目を見開いた。
――自分はまた伝えられないまま終わるのか。
そんな思いが脳裏を過った。かつてこれ以上ない程後悔したのに、また同じことを繰り返してしまうのか。
伝えたい思いがあった。しかしそれを伝えることは叶わなかった。せっかく生まれ変わって、今度は伝えようと思えば伝えられたはずだったのに。エドワードが怖気づいたばかりに、また伝えられないまま終わってしまうのか。
今更後悔しても遅かった。けれどもし、もう一度だけチャンスが与えられたなら。
今度こそ正面からきちんと彼女に伝えよう。
思い浮かぶのは、黒髪黒目ではなく、ストロベリーブロンドにアンバーの瞳だった。
昼下がりの王都の大通りに大きな音と悲鳴が響き渡った。




