15.失恋
カントリーハウスでの避暑を終えて王都に戻ると、いくつか届いていた招待状に不参加の返事をし、それと同時にマーガレットに手紙を書いた。王都に戻ったらお茶会をしようと約束していたし、今はなんとなくマーガレットに会って他愛ない話をしたかった。
今年は休暇のほとんどを王都で過ごすと言っていたマーガレットからはすぐに返事が来た。二日後の午後に時間が取れるということで、わたしはその日にマーガレットの家へ遊びに行くことに決めた。
◇ ◇ ◇
「セラフィナ、久しぶりね! カントリーハウスはどうだった?」
三週間近くぶりに会うマーガレットはいつも通りの朗らかさで出迎えてくれた。
マーガレットの家であるマーキュリー子爵家には何度も遊びに来たことがある。いつも通りマーガレットの部屋に通され、元気そうなマーガレットの様子にどこか凝っていた心がほっと解れるのを感じた。
「例年通り、のんびり過ごせたわ。今年はナターシャお義姉様も滞在してらっしゃったから、たくさんお話をしたの」
「それは素敵ね。結婚式は来年の予定だったかしら。もうすっかり姉妹のようね」
「ええ、ナターシャお義姉様がとても気さくにしてくださるから、わたしもとても話しやすいの。マーガレットはどうだった?」
「カントリーハウスには一週間しかいなかったけれど、王都に戻ってからはダン様とお茶をしたり植物園に出かけたりしているわ。ダン様って本当に優しいの。いつも紳士的にエスコートしてくださるし、私の話もとても楽しそうに聞いてくださって。今度演劇を観に行かないかと誘ってくださって、今からとても楽しみなの」
頬に手を当てて語るマーガレットはとても幸せそうだ。そんなマーガレットの様子にわたしも嬉しくなる。これだけ頻繁に逢瀬を重ねていて、まして人目につく観劇にも誘われているなら、婚約まであと少しなのではないだろうか。
恋する相手と結ばれるなんて、これ以上幸せなことはないだろう。
お茶を一口飲んで息を吐く。
「セラフィナは、もしかして何かあった?」
いつも通りに話せていると思ったのに、少し表情に出てしまっていただろうか。マーガレットが訊ねてきた。
カントリーハウスにエドワード様がやって来たことはマーガレットには話していない。当然、その際の会話についても。
あの日エドワード様と話をした後のことは、あまりよく覚えていない。兄がわたしたちのところにやって来て共にカントリーハウスに戻り、その後は部屋にこもっていた。ベッドにうつ伏せに倒れ込み、そのままどれくらいそうしていたのか、気が付いたらエドワード様は既に出立していて、結局挨拶はしないまま。
わたしの様子がおかしいことに気づいていたであろう兄は、けれどわたしには何も訊かなかった。
夕食の時間には体を奮い立たせてダイニングに降りて家族揃って食事を摂った。多分この時両親もわたしの様子には気づいたはずだ。体調を気遣う言葉をかけられて、大丈夫だと答えた後は、何か言いたそうにしながらも両親はわたしを見守ってくれていた。
そして気持ちを切り替えられないまま、ぼんやりと過ごすうちに王都へ戻る日になったというわけだった。
ソーサ―に戻したティーカップがかちゃりと音を立てる。なかなか口を開かないわたしを急かすことはせず、マーガレットはただわたしを見つめて待ってくれている。
恋しい相手と順調に関係を深めて幸せそうなマーガレットに聞かせる話ではないかもしれない。けれど誰かに聞いて欲しい気持ちもある。
兄にはエドワード様との出来事は話しづらかった。積極的に応援と協力をしてくれていた兄にうまくいかなかったと伝えるのは、なんだか躊躇われたのだ。
きゅっと唇を噛み、そしてゆっくり開く。
「マーガレット……あのね。わたし、振られてしまったの」
――そうだ。わたしは、振られた。恋を自覚するより前に、気持ちを伝えることすらなく。
エドワード様と最後に会話を交わしたあの日でさえ、涙が出ることはなかった。胸にっぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感はあったけれど、それが涙になることはなかった。
だけど、マーガレットに対して「振られた」と言葉にした瞬間、唐突にその事実を脳が認識したように喉の奥が熱く苦しくなって、
「……っ」
わたしの意思に反して、涙が溢れてきた。
まるで体が泣くことを思い出したみたいに。
一度こぼれ出し始めた涙は止まることなく後から後からわたしの頬を伝っていく。
マーガレットがわたしの隣に座り、そっと手にハンカチを持たせてくれた。その優しさが新しい涙を呼ぶ。しゃくりあげながら「ごめんなさい」と言うと、マーガレットは気にしないでというように首を振った。
そのまましばらく涙が流れるのに任せていると、話ができるくらいには落ち着いてきた。ぽつりぽつりと、カントリーハウスにエドワード様がやってきたことを話す。前世に関わる内容は話せないけれど、それ以外の部分をかいつまんで言葉にしていく。
「……告白をする前に振られてしまったの。そうなってしまったらわたしにはもうどうすることもできないわ……」
いいや、それどころか。
「振られて初めて、わたしはエドワード様が好きなんだと気づいたの。……馬鹿みたいでしょう? それまで自分の気持ちに気づいていなかったんだもの。……認めようとしていなかったんだもの。振られて初めて自分の気持ちがわかって、そして失恋してしまったわ……」
「セラフィナ……仕方ないわ。初めての恋なんだもの。自分の気持ちに戸惑ってしまうのは当たり前のことよ」
「ありがとう、マーガレット……」
わたしは前世の記憶があるからだと言い訳をして、わたし自身の感情と向き合うことをおろそかにした。だからこれは自業自得なのかもしれない。
もっと早くきちんと自分の気持ちを見つめなおしていれば――そう思うけれど、それでもやっぱりこの結末は変わらなかったのかもしれない。エドワード様はわたしに前世の記憶があることを認識したうえでわたしとの間に線を引いたのだから。
ああいう形でわたしと二人きりで話をした以上、それはエドワード様の明確な意思表明だった。これ以上想い続けても、エドワード様がわたしを受け入れることはない。
「ねえ、マーガレット。わたしきっとエドワード様以外の人を好きになるなんてできないと思うわ。これから先、わたしはどうしたらいいのかしら……」
わたしは貴族の娘だ。いつかは誰かと結婚する。もともとわたしは両親に結婚相手を選んでもらおうと思っていたのだ。当初の予定通り、きっと両親が良い縁談を吟味してわたしの相手を選んでくれるだろう。恋した相手と結婚することなんて想定すらしていなかったのだから、元に戻るだけ。ただ、それだけだ。
それなのに、エドワード様への恋を自覚してしまった今、他の相手との結婚なんて想像すらできなくなってしまった。愛なんてなくても貴族として結婚することはできると思っていたのに。
わたしの頬を新たな涙が伝う。
マーガレットがそっとわたしの手をとった。
「そうね。きっと私もダン様に振られてしまったら他の人なんて好きになることはできないと思うわ。しょうがないじゃない。それくらい好きなんだもの。今はこれからのことなんて考えなくていいと思うの。考えたって苦しくなるだけだわ。今は自分を甘やかしていいんじゃないかしら」
「マーガレット……」
マーガレットはわたしよりも年下なのに、まるで姉のような眼差しで優しくわたしを見つめている。その温かさにつられるようにもう一筋涙がこぼれた。
「……そうね。考えても苦しいだけだわ……」
「そうよ、だから今は自分をたっぷり甘やかして、元気になってから先のことを考えましょう。例えば、最近できたカフェのケーキがとても美味しいと評判なの。今度一緒に食べに行きましょう。その次はアイスクリームを食べに行くのもいいわね。この暑さだもの、きっと最高に美味しいわ」
「ふふっ、食べ物ばかりね」
「あら、美味しい物を食べるって幸せなのよ。心が傷ついているときは美味しい物を食べるのが一番いいんだから」
しとやかな見た目に似合わぬたくましさを滲ませて、マーガレットが強く主張する。つい笑いがこぼれてしまうけれどマーガレットの言う通りかもしれない。
「でも、マーガレットはダン様との予定で忙しいでしょう? お邪魔してしまうわけにはいかないわ」
「大丈夫よ。私ダン様のことはもちろん大好きだけれど、セラフィナのことだって大好きなんだもの。セラフィナとだって一緒にお出かけしたいし、一緒に美味しい物を食べたいわ」
「うれしい。わたしもマーガレットと一緒にお出かけして美味しい物を食べたいわ」
「本当? 約束よ!」
マーガレットがわたしの手をギュッと握って、嬉しそうに笑う。さっきまでの様子とは一転、今度は年下らしい無邪気さだ。
けれどそれがわたしを励ます為のものだということもわかる。その優しさと気遣いが嬉しくて、わたしも自然に微笑むことができた。
失恋の傷が癒えたわけじゃない。そんなに簡単に癒える傷ならば、そもそも前世から恋を引きずったりはしていない。生まれ変わっても消えないほどの恋がそう簡単に消えるわけなんてないのだ。
でも、ほんの少しだけ俯いたままだった気持ちが前を向いた気がした。
たとえこのままこの想いが消えなかったとしても、もう一度その想いを抱えたまま生涯を終えるのもいいかもしれない。きっと両親や兄はそれでもそんなわたしを受け入れてくれるに違いない――そう思えるくらいには、わたしは家族からたくさん愛されている。
すっかり冷えてしまったお茶を新しく淹れなおしてもらって、そのままマーガレットと一緒にケーキを食べに行く予定を立てた。
美味しいと評判のケーキを想像すると、久しぶりに心が弾んだ。




