14.エドワード・フォード
エドワードが自分に前世の記憶があると認識したのは、三歳か四歳くらいのことだった。
それまでは自我というものが未熟で、抱えた記憶とエドワードとしての自我が混ざり合って、ひどく曖昧だったと言える。そのせいか幼少の頃のエドワードはしばしば高熱を出して寝込んでいたと、両親から何度も聞かされていた。
自我が形成されて自身が前世の記憶を持って生まれ変わったのだと認識すると、やっとエドワードという人格と前世の”俺”の記憶を分けて捉えられるようになった。
前世のエドワードは、こことは別の世界の日本という国に住む少年だった。
平凡に、けれど順調に成長し、中学生になって、恋をして、そして交通事故で死んだ。
事故にあったときのことは、前世のことながら鮮明に記憶に残っていた。中学校での授業が終わって自宅へ帰ろうとして、学校を出てすぐの横断歩道で横からトラックが突っ込んできた。「あ、やばい」と思ったけれどもう間に合わなくて、ただ強い衝撃と共に世界がぐるりと回って。
周りで人がたくさん叫んでいる声は耳に届いていたものの、何を言っているのかは全く聞き取れなかった。そうしているうちにどんどん感覚がなくなっていって、「ああ、俺死ぬのかな」と考えていた。
そしてその時思考を埋め尽くしていたのは、”彼女”のことだけだった。
中学校に入学して一年目の夏休み明けに、席替えで隣の席になった”彼女”。隣の席になったことで授業中や休み時間に話をする機会が増え、恋に落ちるのにそう時間はかからなかった。
互いに憎からず思っていたであろう”彼女”を遊びに誘ったのは、この関係を一歩進めたいと思ったからだ。照れたように、けれど嬉しそうに”彼女”は応じてくれた。いわゆる初めてのデートというやつだ。
当日”彼女”に想いを伝えようと心に決めて、いよいよデートを翌日に控えた放課後のこと。部活中の”彼女”と思いがけず言葉を交わして、なんだか照れくさくて、その照れくささを隠すように足早に帰路に着いた、その瞬間の事故だった。
待ってくれ。明日は”彼女”とデートなんだ。約束してるんだ。今死んだら約束を守れない。好きだと伝えることもできない。嫌だ。まだ”彼女”と一緒にいたい。会いたい。伝えたい。死にたくない。約束を破ってごめん。会いたい。好きだ。
ただただそんな風に”彼女”への想いに飲み込まれながら、前世のエドワードは生涯を終えた。
だからだろうか。エドワードは、いつもどこか心に穴でも開いているように空虚な部分があった。
フォード伯爵の嫡男という立場と整った見た目から令嬢たちにすり寄られることは多かったが、心が動くことは一切なく、いつも「違う」「この人じゃない」と本能が訴えかけていた。
しかしそう思ったところでどうにもならないこともわかっていた。
エドワードは何のいたずらか”生まれ変わり”というものを果たしたが、”彼女”がこの世界に生まれ変わるなんてそんな奇跡みたいなことが起こるわけがないと、冷静な頭で理解していたのだ。
フォード伯爵夫妻にとって、エドワードは遅くに出来た唯一の子だ。その分たくさんの愛情を注がれて生きてきた。まして幼少期は頻繁に高熱を出して寝込んでいたせいでたくさん心配を掛けてしまい、注がれる愛情もその分大きくなったと言ってもいい。たくさんの愛を注いでくれる両親を、エドワードも愛している。
だからこそ、エドワードは今世ではたくさん親孝行をしようと心に誓った。存在するわけない”彼女”の生まれ変わりを求めるなんて不毛なことは諦めて、両親が望むように成長し、両親が選んだ相手と結婚する。それがこの世界で貴族の嫡男として生まれたエドワードにできる最上の親孝行だった。
しかしフォード伯爵は決してエドワードに結婚を強要したことがあるわけではない。貴族の跡取りとしていつかは結婚し子を設ける必要があると考えてはいるものの、できることならエドワード自身が選んだ相手を、と考えてくれている。
というのもフォード伯爵自身は政務の際には非情な采配をとることもあるが、私生活では愛妻家だからだ。
それはエドワードが高齢になってからできた唯一の子であるという点からも察することができるだろう。
なかなか子を授からない夫妻に対し、親族や周辺貴族からは夫人との離縁や愛人を促されることもあったが、フォード伯爵は決してそれを受け入れず、愛する妻に寄り添うことを貫いた。それはひとえにフォード伯爵が夫人を愛しているからだ。
そして息子であるエドワードにも同じように愛する女性と添い遂げて欲しいというのがフォード伯爵の願いであった。
最近社交界で噂されるようになった宰相の孫娘であるミリアリア・マーベル伯爵令嬢との縁談は、決して本当の話ではない。
実のところ、これはフォード伯爵にとっても無視できない相手である宰相閣下からの軽口程度の申し出で浮上した縁談の打診だった。それほど本格的な話ではない故にフォード伯爵は返事を保留にし、エドワードに判断を委ねてくれている。
エドワードはミリアリアとは何度か顔を合わせたことがある。しかし他の令嬢と同様、特に何も感じることなく、表面上だけの会話をした程度だ。
宰相の孫という立場と、一般的に美しいと言われる容姿を持つミリアリアに対してですら、エドワードの心は動かない。どうせ誰に対しても心が動くことなどないのだから、父であるフォード伯爵にとって有利となるミリアリアと結婚するのも良いのかもしれない。
そんな風に考えていたところに、彼女に出会った。
彼女――セラフィナ・ベイリー。エドワードの友人であるフェリクス・ベイリーの溺愛する妹。
会った瞬間にわかった。セラフィナは”彼女”だと。”彼女”もまたこの世界に生まれ変わっていたのだと、まるで魂が歓喜するように震えるのを感じた。
しかしその衝動をそのまま表すことはできなかった。
ふと思ってしまったのだ。この震える心は本当にエドワード自身のものなのか、と。
エドワードには前世の記憶がある。しかし記憶があるだけで、前世の自分と今の自分が同じ存在であるとは思っていない。
前世の自分が求める”彼女”と、エドワードが抱くセラフィナへの感情。
これは本当に別のもので、エドワード自身がセラフィナに惹かれていると言えるのだろうか。
わからなかった。
だから突き放した。フェリクスが意図的にセラフィナとの距離を縮めさせようとしているとわかっていても、それを拒んで踏み込ませないようにして。セラフィナのもの言いたげな視線を貴族の微笑みの仮面で拒んだ。
自分は親孝行の為に親の選んだ相手と結婚する。それはエドワードが早い段階で決めていたことだ。それを言い訳にして、壁を作った。
セラフィナに”彼女”の記憶があるのかはわからなかった。エドワードを見つめて来る視線には”彼女”の熱がこもっているようにも見えたし、ただの貴族の少女の未熟な恋にも見えた。
前世なんてもの、一体誰が信じるというのか。だからセラフィナに問うことはできなかった。あなたには前世の記憶がありますか、なんてことは。
しかし。セラフィナはやはり”彼女”だった。”彼女”の記憶を持って、エドワードを見つめていたのだ。エドワードの中のかつての”俺”の喜びと、エドワードとしての懐疑。
会いたかった。やっと会えた。
その熱は一体誰のものなんだ? それは本当にあなたの心なのか?
自分たちはただ、前世に囚われているだけなんじゃないか?
衝動のままに動くには、エドワードは大人になりすぎてしまったのかもしれない。行動するより前にまず警戒して疑って、結局動けない。だから諦めることでこれでよかったのだと自身を納得させるのだ。
セラフィナはまだ社交界デビューしたばかりだ。彼女にはこれからたくさんの出会いがあるだろう。その中にはきっとセラフィナが真に恋に落ちる男だっているはずだ。たとえば、先日夜会でセラフィナと踊っていたアイザック・レイハートのような男が。
アイザックに差し伸べられた手を取り初々しく踊っていたセラフィナの姿を見た時、まるで心に燃えるような焦燥感が湧いた。どうしてその手を取ったんだ。どうしてその男と踊っているんだ。どうして隣にいるのが自分じゃないんだ。
そんなことを思う権利は自分にはないことも、エドワードは痛いほど分かっていた。先に壁を築いたのは自分だ。目を背けたのは自分だ。
そもそもこの感情だってエドワード自身のものだと断言なんてできない。ただの終わった過去の名残なのかもしれない。そんな不確かな感情で動くことなんてできない。
そうして、エドワードは再び目を背けた。
エドワードがフェリクスの誘いを受けてベイリー子爵領にやって来たのは、フェリクスの言う通り一度向き合っておくべきだと思ったからだ。
セラフィナから向けられている視線を断ち切る為には必要なことだと思ったのだ。セラフィナの為にも、エドワード自身の為にも。
そうしてセラフィナに”彼女”の記憶があることを知って、その感情がセラフィナ自身のものなのかという疑念が強くなった。
だから、やっぱりこれで良かったのだ。
前世からの縁。物語であれば運命と称されるような、おとぎ話めいたもの。そんなものに囚われ続けても、きっと自分たちは”今”を生きることなんてできない。
残る記憶はエドワードの中にもセラフィナの中にも強く影響を及ぼすかもしれないが、記憶のせいで沸き起こる衝動に身を任せるよりは遥かに建設的だろう。
たとえ見開かれたアンバーの瞳が瞼の裏に焼き付いて離れなかったとしても。




