13.拒絶と自覚
「やあ、エドワード。やっと君がうちの領地に遊びに来てくれてうれしいよ。泊まっていってくれてもいいんだよ?」
翌日フォード家の馬車でやって来たエドワード様を、兄はそれはそれはにこやかな笑顔で出迎えた。
「……ベイリー子爵夫妻、突然の訪問を受け入れていただき感謝申し上げます。本日中には出発しますので、どうぞお気遣いなく」
兄への返答は省略し、エドワード様は一緒に出迎えていた両親に向けて胸に手を当てた教本通りの礼をする。
ベイリー子爵領の領主である父は、息子の友人である伯爵令息に対し、丁寧な礼を返した。
「歓迎いたします。何もないところだが、自然は豊富です。存分に休息を取っていただきたい。もちろん、泊まっていってくださっても大歓迎ですよ」
「どうぞ、ごゆっくりしていってらしてくださいね」
母も父に並んで微笑む。
「ありがとうございます」
「さあ、堅苦しい挨拶は終わりにして、入ってくれたまえ」
「……ああ、そうしよう」
テンションの高い兄に連れられて邸内に入る瞬間、エドワード様の目がわたしに向けられた気がした。
出迎えを終えた後、両親は居室へと戻り、兄がエドワード様を応接室へと案内した。
場違いかもしれないわたしは自室に戻ろうかと思ったけれど、兄の視線に引き止められて結局二人についてきてしまっている。
「いやあ、まさか本当に来てくれるとは思わなかったよ。珍しいこともあるものだね」
兄はいつも通りの調子でエドワード様に絡んでいる。エドワード様は少し煩わしそうにしながらも、振り払うようなことはしない。
「君が誘ったんだろう」
「でも断ったじゃないか」
「……君の言うことにも一理あると思ったんだ」
そしてヘーゼルの瞳がわたしを捉えた。
「……セラフィナ嬢」
突然呼びかけられてびくりと肩が震える。固まってしまったように動かない喉を頑張って動かして、どうにか返事を絞り出した。
「は、い……」
束の間落ちる、息苦しいほどの沈黙。
「少し、君と話をさせてもらえないだろうか」
紡がれた言葉にわたしはただこくこくと首を縦に振ることしか出来なかった。
二人で話をするならば湖に行こうという兄の提案により、わたしたちはカントリーハウスの裏手にある湖にやってきた。
未婚の男女が二人きりで室内で話をするのは外聞が悪い。外でも誰かに見られたらやはり醜聞になりかねないけれど、ここは人気のないカントリーハウスの裏手だ。二人で話をしていても比較的問題にはならないだろう。念の為少し離れた場所に兄も控えていてくれるらしい。そうすれば、誰かに見られたとしても二人きりではなかったと言い訳をすることができる。兄の気遣いに心から感謝した。
湖の周りには所々に休憩用のベンチが設けられており、わたしたちはその一つに少し距離を置いて腰を下ろした。
エドワード様はベンチに座っても、しばらく口を閉ざしたままだ。
沈黙が重くて、どうしよう、何を話せばいいのだろうと、そわそわと落ち着かない。
もう一度エドワード様と話すことができたら、何を話そうと思っていたんだっけ。聞きたいことがあったはずなのに、何からどう話せば……。
とりあえず目の前のきらきらと輝く湖面を見つめながら、頭の中がパニックになりかけていると、エドワード様が口を開いた。
「私は、親孝行をしたいと常々思っています」
唐突な内容に思わずエドワード様を見て瞬く。エドワード様は前を見つめたままだ。けれどその言葉の内容は、わたしにとっても共感できるものだった。
「そうなんですね。わたしも親孝行はしたいと思っています」
わたしはできるだけ親孝行をしたいと思っている。だってかつての”私”は親孝行をする前に生涯を終えてしまった。むしろ親より先に死ぬというこれ以上ないほどの親不孝をしてしまったのだ。もうかつての両親に親孝行をすることはできないけれど、だからこそ、その分今世の両親にはしっかり親孝行をしたい。
「私は親の選んだ相手と結婚することも親孝行の一つだと考えているんです」
静かに、けれど強く続けられる言葉。それもまた、わたしにも理解できないものではなかった。それはわたしも以前考えていたことだから。
けれど今は、できることなら自分の慕う相手と結婚できたら……という気持ちも持ってしまっている。
気になる人がいる状態で親の決めた相手と結婚することを受け入れるのは、今のわたしには難しい。
けれど、エドワード様はそうではないということなのだろう。親が決めた相手と結婚することになんの抵抗もない――気になる人がいようと、いまいと。それが良いことなのか悪いことなのか、わたしにはわからない。
「私は、以前から父が決めた相手と結婚すると決めています。そこに感情は必要ありません。貴族の結婚というのはそういうものだと受け止めています」
淡々と言葉が続けられる。周囲の空気が薄くなっていくかのように少しずつ息が苦しくなってくる。
「もちろんこれは私の個人的な考えなので、フェリクスやあなたにも同様の価値観を強要するつもりはありません。実際、フェリクスは想う相手と婚約してとても幸せそうですし、ベイリー子爵もそれを好ましく思っているでしょうから。ですから、あなたもきっといつか良い相手に出会えると、私はそう思っています」
待って。その言葉はまるで、その相手は決して自分ではないと言っているようで……それ以上聞きたくない。
「あ、あの!」
エドワード様の言葉を続けさせたくなくて、勢いのままに声を上げた。けれど当然続ける言葉なんて考えていなくて、ええと、その、と意味のない言葉を重ねてしまう。
駄目だ、少し落ち着かなくては。
もう一度エドワード様と話ができるなら、聞きたいことがあったんだ。確かめたいこと――あなたには、以前の記憶があるのか、ということが。
ああ、でもどう訊ねたらいいんだろう。突然「あなたには前世の記憶がありますか?」と訊ねる? それとも、「わたしはあなたと前世で会ったことがあるんです」と伝える?
いや、どっちも駄目だ。そんなのただの頭のおかしい人だ。
何か他に確認する方法は。
膝の上でスカートをギュッと握りしめながら必死に思考を巡らせる。何気ないただの会話のように、けれどエドワード様に記憶があるかどうか確かめる方法……。
「あ……!」
ふとひらめいた方法に目を見開く。そうだ、この話題なら。
「セラフィナ嬢?」
さすがに様子のおかしいわたしを不審に思ったのか、エドワード様が伺うように呼びかけてきた。
わたしは勢いよくエドワード様に上体ごと顔を向け、少し乗り出すように口を開いた。
「あ、あの、エドワード様は運動が得意だと兄から伺っております!」
「え、ああ、そうですね。運動は比較的得意な方かと」
脈絡のない話題にエドワード様はぱちくりと瞬きながらも律儀に答えてくれる。
「どういった運動が得意なのですか?」
「寄宿学校時代には運動の授業もありまして、そこで剣術や馬術、弓術など、一通りやりました。今も剣や馬は趣味として時々嗜んでいます。時間があれば他の運動もしたいところではありますが」
「そうなのですね……では」
喉が小さくこくりと音を鳴らす。手のひらにじわりと汗がにじんだ。
「数人ずつ二つのチームに別れて、ボールを蹴り合って相手の守るゴールにボールを蹴り入れて点数を取り合う競技をご存じですか?」
「――!」
エドワード様が大きく目を瞠った。その表情が固まる。
この国に”サッカー”のようにボールを蹴るスポーツは存在しない。この国における運動は、馬術や剣術のように戦う為の技術の一つに連なるものの他には、前世に存在したクリケットのように道具を使った球技しかないのだ。だから”サッカー”を知っている人なんているはずがない。いるとしたら、それは――。
落ちる沈黙に心臓が早鐘を打つ。エドワード様のこの反応は、もしかして……。
エドワード様には前世の記憶がある……?
時が止まったような沈黙を動かすように、エドワード様の表情が動く。一度ゆっくり瞬いて、そして、貴族らしい完璧な微笑みの仮面に変わっていく。
「……いえ、残念ながら私は知りません。そういった競技もあるんですね」
「……え、っと、以前呼んだ本に書いてあって……どこかの国にそういった競技があると……」
「それはとても興味深いですね」
「……ええ、とても……面白そうだな、と思って……」
全身の血が落ちていく――そんな錯覚に見舞われた。
だって、わかってしまった。エドワード様は――。
「先ほどの話に少し戻りますが」
エドワード様から逸らせなくなった視線を跳ね返すように、交差したままの瞳が刺すような鋭さを帯びる。
「うぬぼれかもしれませんが……セラフィナ嬢は私のことを気にかけてらっしゃる。そして、そうですね……私も少なからずあなたのことを気にかけていると言っていいと思います。けれどそれは本当にあなた自身の心がもたらすものでしょうか?」
「それは……どういう意味でしょうか……」
「もっと他の……”何か”にもたらされたものを、まるで本当の自分の心のように勘違いしているだけなのではありませんか?」
心臓がうるさく音を立てる。指先がひどく冷たい。
「きっといつか、あなたが、あなた自身の心からの気持ちで、想いを寄せられる相手に出会うと思います。そしてその人と共に生きる方が、あなたにとっては幸せなのではないでしょうか」
――ああ、わたしは何を勘違いしていたんだろう。
わたしに前世の記憶があって、そしてもしもエドワード様にも同じように前世の記憶があったら。そうすれば全てうまくいくなんて、無意識にそんな風に思っていた。
わたしが過去の”私”であることを告げて会いたかったと伝えたら、”彼”もまた同じように「会いたかった」と言ってくれるなんて、そんな夢のようなことを思い描いていた。
だけどそんなわけはなかったのだ。
わたしが”サッカー”の話題を出した時の反応。そこで確信した。エドワード様には前世の記憶があり、やっぱり”彼”の生まれ変わりなのだと。
それと同時にエドワード様にもわかったはずだ。わたしに前世の記憶があるということが。
けれどエドワード様はそのことに触れるどころか、社交用の仮面をかぶって素知らぬふりをした。
つまり、そういうことなのだ。
エドワード様にとっては、仮に互いに前世の記憶を持っていたとしても、それと今世のわたしたちには何の関係もないのだ。
それどころか、前世の記憶があるからそのせいで互いに気になってしまっているだけなのだと遠まわしにくぎを刺してきた。今のわたしが抱くものは所詮ただのまやかしなのだと。
わたしは決してわたし自身を前世の延長だなんて思っていない。わたしと”私”は別の人間で、別の感情を持っている。けれどエドワード様のことは、一目会った時からまるで魂が引かれるように気になっていて、だからこそこの気持ちがどういう類のものなのか自分自身でもよくわかっていなくて。それを知る為にももっとエドワード様のことを知りたいと思っていたのに。
理屈なんかじゃなかった。
ただ”私”を内包するわたし自身が全霊で感じることが唯一で、真実だった。
”彼”と同じ魂を持つこの人を、好きにならないはずなんてなかったんだ。
否定されて気づくなんて、なんて滑稽なんだろう。気づいたところでそれは否定されるだけなのに。
だけどエドワード様がどんなに否定しても拒絶しても、わたしはエドワード様が好きだ。
”私”もわたしも、きっと何度だって”彼”の魂を持つエドワード様に恋をしてしまうんだ。
たとえそれが叶わないとしても。
――ああ、やっぱり。
打ち砕かれる心の片隅で、どこか冷静な自分がふと呟く。
――初恋は実らないものなのなんだな、と。




