12.カントリーハウスにて
約半年ぶりに訪れたカントリーハウスは、以前と変わらず細部まできちんと手入れされていた。
それもそのはずで、わたしは学院がある時期は王都で過ごしている為カントリーハウスに滞在するのは休暇中の短い期間だけだけれど、両親は王都のタウンハウスとカントリーハウスを行き来する生活を送っている。当然カントリーハウスでも常時使用人が住み込みで働いてくれており、日頃からきちんと管理されているのだ。
例年、わたしは休暇中の半分ほどをカントリーハウスで家族と共に過ごしている。しばしば兄の友人や両親の知人が遊びにやって来て数日滞在することもあった。今年は来春には正式に義姉になる予定のナターシャお義姉様が一週間滞在する予定になっている。兄の友人がやって来るかどうかは、残念ながらわたしは把握していない。
そういえば過去に兄の友人を数名紹介されたのもこのカントリーハウスでのことだった、と久しぶりのカントリーハウス内を満喫していたわたしはふと思い出した。
詳細まで明確には覚えていないけれど、たとえばアイザック・レイハート侯爵令息。先日夜会でダンスに誘ってくれた、あの人。アイザック様を紹介されたのは、確か兄が寄宿学校に入学して二年目か三年目のことだった。
その頃のアイザック様はまだ少年らしさを残していて、先日会った社交慣れした青年とはだいぶ違っていたように思う。とはいえ侯爵家の令息ということもあって、その頃もすでに洗練された身ごなしだった気もする。
他にもうろ覚えだけれど、イサークという名前の伯爵令息やアイゼンという名前の男爵令息を紹介された記憶がある。イサーク様とアイゼン様はまた別の年の休暇中に紹介されたのだったと思うけれど、どの人も髪色が暗めだったので印象に残っている。
先日会ったアイザック・レイハート様はブルネットの髪だった。イサーク様は確か少し暗めの茶色だったし、アイゼン様はダークブラウンだったはずだ。決して暗い髪色が多くないこの国で、兄の友人は髪色が暗めの人が多いのだなと驚いた覚えがあるのでそれは間違いないと思う。
以前は暗い髪色――特に黒に近い色には自然と目がいっていたし、その色を見ると郷愁と切なさを感じていた。けれど今はそうでもない。わずかな郷愁はあるけれど、切なさはそれほど感じなくなった。
以前感じていたのは、きっと会いたくても二度と会えない”彼”への切なさだったのだと思う。
わたしは今、”彼”に会うことができた。確かめたわけではないけれど……そもそも確かめる手段なんてないのだけれど、わたしはそう思っている。何よりわたしの中の”私”が強くそう訴えている。だからきっと、エドワード様は”彼”で間違いないのだ。
”彼”に会えない切なさは消えたけれど、今度は別の切なさが生まれてしまったことも自覚している。
もっと会いたい。もっと話してみたい。もっとわたしを見てほしい。もっとたくさん、あなたのことが知りたい。
それらの願いは、今となっては叶わないものになってしまった。エドワード様には縁談が進んでいる相手がいる。だったら今からわたしにできることなんてない。これ以上に関係が変わることなんて、ない。そう思えば思うほど、切なさは募る。まるで恋のように。
できれば休暇中に少しでもこの気持ちを整理して晴れやかな気分で休暇を楽しみたいと考え、わたしは一人カントリーハウスの庭の木陰で溜息をこぼした。
◇ ◇ ◇
わたしたちがカントリーハウスに到着した翌日にナターシャお義姉様がやってきた。これまで少しだけカントリーハウスに立ち寄ったことはあったけれど、宿泊して一週間という期間を滞在するのは初めてのことだ。エドワード様のことを考えると気持ちは落ちるけれど、これまでと違う特別感にはわくわくした。
現在カントリーハウスに滞在中の両親を含めて全員で食事をしたりナターシャお義姉様と母とわたしの三人でお茶をしたりと、家族間の交流は順調だ。もともとナターシャお義姉様と両親の関係は良好で、嫁姑問題も発生する気配はない。来春に兄と結婚してナターシャお義姉様が本当の義姉になるのが楽しみだ。
もちろん、兄とナターシャお義姉様二人でゆったりと過ごす時間も大切だ。二人で湖に行ったり庭の木陰で涼んだりする姿を見かける度に、わたしも微笑ましい気持ちになる。そういう時はわたしも気を遣って二人には近づかないようにし、部屋で一人読書をしたり刺繍をしたりしてゆっくりと過ごしている。
「一週間なんてあっという間に終わってしまいそうだわ」
「もっと滞在してくださってもいいんですよ、ナターシャお義姉様」
そんな中でも、ナターシャお義姉様はわたしとの時間もきちんと作ってくれる。今もこうしてわたしと二人でお茶をしながらおしゃべりに付き合ってくれていた。
「できることならそうしたいけれど、王都に戻らないといけないの。残念だわ」
本当に心の底から残念そうに言うナターシャお義姉様がなんだか可愛らしく思えて、わたしの口元も緩む。
結婚式を控えているナターシャお義姉様は王都でもいろいろとやることがあるらしく、多忙だ。今回の休暇は本当に久しぶりにゆっくりできる時間だったらしく、一息つけたのならわたしとしても嬉しい。
ナターシャお義姉様が兄と婚約したのは二年前。十六歳の時だったはずだ。つまり今のわたしと同じ年齢の時。その時ナターシャお義姉様はどんな気持ちだったのだろうかとふと気になった。
「ナターシャお義姉様は兄と出会ってすぐに婚約してらっしゃいましたよね?」
「そうね。出会ってから一週間後には縁談の申し入れがあって、すぐにお受けしたわね」
ナターシャお義姉様はその頃を思い出したのか、ふふっと花のように微笑んだ。
「お兄様は出会った瞬間に恋に落ちたと常々言ってますが……ナターシャお義姉様もそうなのですか?」
「まあ! なんだか恥ずかしいわね。でも、そうね、恋だと自覚したのは縁談の申し入れがあってからだけれど、出会った時からフェリクス様のことがとても気になっていたのは確かね」
ナターシャお義姉様は頬を染めて恥ずかしそうに言う。
切れ長の瞳でどちらかというとクール系の美人であるナターシャお義姉様だけれど、今はとても可愛らしい。
いつもと違う可愛らしいナターシャお義姉様をもっと満喫したい気持ちもあるけれど、お義姉様の言葉が胸に引っかかって訊ねた。
「気になっていた、ですか?」
「ええ。最初から恋だとわかっていたわけではなかったの。でも初めて会った時からフェリクス様のことが気になって仕方なかったのよ。なぜか目が行ってしまうし、近くにいるとそわそわするし、フェリクス様がいない場所でも『フェリクス』という言葉に反応してしまったりして。今ならそれが恋のせいだと分かるけれど、その時はどうしてこんなに気になるのか分からなくてとても戸惑ったわ」
私ったら鈍感なのかもしれないわ、と頬に手を当てるナターシャお義姉様。
だけどわたしはそれに同意することなんてできない。
気がつけば目で追ってしまっていて、近くにいるとそわそわしてしまって、関係ないお茶会でもエドワード様の話題が出るとどんな騒音の中でもその言葉を拾ってしまう。それはまるで今ナターシャお義姉様が話してくれたのと全く一緒じゃないだろうか。
「……気になるということは、やっぱり恋をしているということなのでしょうか……」
独り言のように口からこぼれる。何かを感じとったのか、ナターシャお義姉様は優しく微笑んだ。
「必ずしもそうとは言い切れないと思うけれど、私の場合はそうだったわ」
「……」
わたしの場合、気になるのは”私”の記憶があるから。だからそわそわするし、名前にも反応してしまう。
だから、気になるからといって恋をしているとは言い切れない。
だけどエドワード様が他の令嬢と婚約するかもしれないという噂を聞けば、胸はとても苦しくなった。拒絶されている気配を感じても胸が痛んだ。話をしたくても上手に言葉が出てこなくて、もどかしく感じた。
――これは、この気持ちは恋と呼んでいいものなんだろうか。
◇ ◇ ◇
ナターシャお義姉様が王都へ戻る前夜も前日までと同様、両親と兄とわたし、そしてナターシャお義姉様全員揃っての夕食となった。
相変わらずよく食べよく喋りよく笑う兄が盛り上げて、和やかな時間はあっという間に過ぎていく。
翌日も晴天で、ナターシャお義姉様は早朝に馬車に乗り名残惜しそうに王都へと戻っていった。見送る兄は少し寂しそうだったけれど、ナターシャお義姉様が馬車に乗り込む前に一度しっかり抱きしめていたので、そっと目は逸らしておいた。
ナターシャお義姉様が去ると、わたしのカントリーハウス滞在も残すところあと六日ほどだ。残りの時間も、わたしは木陰で読書したり刺繍をしたりお菓子作りをしたりしながら過ごす予定だ。
そうして予定通りにのんびりと趣味に時間を費やし、カントリーハウスのキッチンで久しぶりにクッキーを焼いた午後のこと。居間で家令から受け取ったらしい手紙を呼んでいた兄に遭遇した。
わたしの足音に気づいたのか、兄が手元の手紙から目を上げた。
「ああ、セラフィナ。キッチンから良い匂いがしていたね。クッキーかい? もちろん私の分もあるのだろうね」
目敏い……いや、鼻敏いことこの上ない兄である。期待の眼差しを向けて来る兄に、焼きあがったクッキーを詰めた籠を掲げて見せる。
「たくさん焼きましたので、お茶のお供にどうぞ」
「さすがセラフィナだね。セラフィナのクッキーは久しぶりだ」
さっそくいそいそと近寄ってきて、わたしが持つ籠からひょいと一つクッキーをつまみ上げ、兄は素早く口に運んだ。
「あ、お兄様! つまみ食いは駄目ですよ!」
「うん、いつも通り、セラフィナのクッキーは最高だね」
兄はわたしの抗議はさらりと聞き流し、呼び鈴で使用人を呼ぶとお茶の用意を申しつけた。どうやらこのままお茶の時間にするようだ。
革張りのソファにゆったりと座った兄に反対側のソファを示され、わたしも腰を下ろす。
兄は再び手紙に目を落とし、文字を追うように目を動かしたかと思ったら口の端を持ち上げた。
「セラフィナ、明日私の友人がここにやって来るそうだよ」
「ご友人ですか?」
「ああ、領地の帰りに少し寄っていくそうだ」
にやりと音がしそうな顔がわたしに向けられて、
「エドワードが、ね」
続けられた言葉に、わたしの頭は束の間真っ白になった。




