3、神とのすれ違い
聖騎士団本部における会議で、オシアンが提案した作戦は次のようなものだった。
「淫蕩にして暴食なる邪竜アヴァルスは、見目麗しい男と人間の食べ物に強い興味を示す。そこで件の竜が未だ味わったことのない珍味佳肴を提供する店を開き、そこに見目麗しい男たちがいるという評判を立てて、誘き寄せるという策はどうだろうか」
彼の提案に、オーベロンとマナナン・マクリルを含む全員が賛成した。
そこでオシアンは州連合と北部連邦の国境にある海沿いの町ニューシャーウッドに立つ瀟洒な建物を買い取った。
「件の竜も、華夏の茶と料理を口にしたことはあるまい。ここを、菜館を兼ねた茶館にしよう」
店の入り口の「暁嵐茶館」という扁額の文字は、ディエンが毛筆を用いて書いた。彼はかつて大金帝国の科挙(国家公務員試験)に合格して高官となることを期待されていただけに、その扁額は墨痕淋漓たる出来ばえだった。
店内にはテーブルと椅子、ピアノの他に、華夏趣味を演出するため、翡翠の木に桃を模した紅水晶を実らせた盆景(盆栽)や、皇帝にのみ許される五本指の龍が描かれた青花の壺、紫檀の飾り棚が運び込まれた。
「……これは、本物ですよね?」
五本指の龍の壺を紫檀の台に置きながらリューが恐る恐るそう尋ねると、オシアンは平然と頷いた。
「先日、大司命から結婚祝いとして贈られたのだよ。一国の君主であるからには、この程度の品は所有して然るべきだ、とね」
「……華夏の民の運命を定める司命神は、実在するのですね」
「酷いな、阿儀。私は君の父方の祖先でもあるのに」
背後から聞こえた涼やかな声に、リューは思わず振り返った。
そこにいたのは、白雪のような髪と紫色の瞳を持つ白皙の美男子だった。身長はハワード卿とリューの中間くらいだろうか。変わった色合いだが、その顔立ちや骨格から華夏の者だと判断出来る。……正直なところ、リューはその男の顔が好きになれなかった。髪と瞳の色以外は実父に酷似している気がして。
しかし、その白い男は愉しげだった。
「何故、柳家代々の当主に火焔狐が付いていると思う。私が、柳家に嫁ぐ孫娘とその子孫を守護するよう命じたからさ。まぁ、ここ何代かの当主が失敗作だったことは否めない。特に君の父親は小賢しいばかりで徳がなかった。だから、君が火焔狐の主人となって最初に、あの者を死なぬ程度の火炙りに処した時には、心底気が晴れたものだよ」
大司命はリューの内心を慮る様子もなく、リューの頭を優しい手付きで撫でた。
「道を踏み外さない限り、君は私の一番お気に入りの子だ。その証として、少し加護を与えよう。少し動き回ったくらいで熱が出るのは辛いだろうからね」
ひどく気分が悪いのに、相手が神だからか、リューは大司命の手を振り払うことが出来なかった。
とはいえ大司命もリューの気持ちに気付いていない訳ではないらしかった。
「私は君の父親とは違う。だから子猫のように怯えて毛を逆立てるのはおよし。君がどのような態度を取っても可愛いことに変わりはないけれども、反抗心は折角の加護を弱めてしまうからね」
その優しげな言い方が、機嫌の良い時の実父の声を思い出させた。もっとも、実父はリューに対して優しい言葉をかけたことは一度たりとてなかったけれども。
「――大司命。加護を授け終わったのなら、早く彼から離れたまえ。君を呼んだのはあくまでも華夏の最高級茶葉を取り寄せるためであって、彼と引き合わせるつもりではなかったのだ」
オシアンが大司命をリューから引き離した。
「リュー、嫌な思いをさせて済まなかった。シェーン殿を呼ぶので、少し休んでいなさい」
リューは声も出せず、ただ頷いた。
すぐにシェーンがやって来て、リューの部屋まで付き添ってくれた。
「……情けないです。大司命から触れられただけで、ここまで気分が悪くなるとは思ってもみませんでした」
シェーンは寝台に腰掛けたリューの背中を擦っていたが、困惑顔だった。
「今、こうしていると、リューが少しだけ丈夫になったことが分かります。あの白い神からはリューに対する悪意は感じられませんでしたが、何か嫌なことをされたのですか?」
リューは首を振った。
「……あの御方は、私の父方の祖先なのだそうです。そのためでしょうか、父を思い出してしまって……」
リューは、シェーンにぽつりぽつりと打ち明けた。大司命はこう言った。「リューが道を踏み外さない限りは、一番お気に入りの子だ」と。その言葉が、リューの父を失敗作だと切り捨てたことの裏返しとしか感じられなくて怖い。病弱だった頃の幼いリューを失敗作だと判断し、「他に子があれば、すぐにも着の身着のまま貧民窟に放逐するものを」と言い放った父を思い出して、震えが止まらない。
シェーンはリューの両手を取り、首を振って見せた。
「リュー。幼い頃に実の親から受けた心の傷は癒え難いのですから、それは仕方のないことです。それでも貴方は、とても強くてまっすぐな若者ですよ」
やがてディエンも駆けつけて来た。
「王爺(オシアン)から話を伺った。……大丈夫か?」
リューが子どものように、こくりと頷くと、ディエンはリューに目を合わせるように腰を屈め、それからリューを抱きしめた。
「……良かった」
「伯父上、私がこのように情けないので、がっかりなさったのではありませんか?」
それを聞いたディエンはリューを抱きしめる腕に力を込め、花夏語でこう言い聞かせた。
「君が病弱なことも、辛い幼少期を送ったために繊細なことも知っている。何が情けないものか。むしろ、よく生き延びて、ここまで立派な若者に育ってくれた。君が生きていてくれただけで、私はとても嬉しい」
幼い頃から耳に馴染んだ、母と同じ呉の訛りに、リューの身体の強張りが解けた。
――ここは、何処だろう。
リューは馴染みのない部屋で目を覚まし、ついでに腕の中に何か温かくてずっしり重くてふわふわした物がいることに気付いた。銀灰色の鯖トラ柄で、長く美しい毛並みを持つ猫だ。
「…あ、アーセン?」
猫型妖精と人間との混血であることに由来する独特の魔力の気配で、その猫が年上の親友だとわかったものの、何故、という言葉がリューの脳裏で渦巻いた。
アーセンはリューの腕から抜け出して大きく伸びをすると、人間の姿の時と同じ灰色の瞳でリューの顔を覗き込んだ。
思わずリューは少し身を引いた。
猫の姿のアーセンは、鼻の高い精悍な顔立ちと、オシアンよりも大きな体格の持ち主で、猫というよりもヒョウかピューマのようだったからだ。
「……逃げなくても、取って食いやしないよ」
「すみません。この姿の貴方を見るのは初めてですから……。そもそも何故、貴方が私と同衾していたのですか?」
アーセンは答えた。
「君の身体が冷えきっていたから、伯父上が私にこの姿を取らせて、君の布団の中に入れたんだ。この姿の方が体温が高くて温かいからってさ。ディエンも、華夏では仲の良い同性の友人同士が同じ寝台で眠ることなど珍しくないと言うし」
リューはようやく了解した。
「なるほど、湯婆代わりですか」
「タンポ?」
首を傾げるアーセンに、リューは笑って説明した。
「就寝中に暖を取るための道具ですよ。金属製か磁器製の密封容器の中に湯を注いで使います。湯を表す『湯』に、抱いて寝るから『妻』を表す『婆』という言葉がついて『湯婆』と――」
アーセンが耳を真横に寝かせたので、リューは言葉を切った。
「どうかしましたか?」
「時々、君って子が分からなくなるんだよね。慎ましいんだか、大胆なんだか」
同じ発想で、夏に涼を取るために使われる、竹を籠のように編んで作った抱き枕を「竹夫人」と言いますよね。
アーセンのイメージはメインクーンです。
〈登場人物紹介〉
大司命︰華夏の人々の運命を定める神。オシアンとは旧知の仲。麗しく聡明で茶葉にも造詣が深いが、他者と関わるための基礎能力に難がある。リューの先祖。




