2、国色天香、或いは誰かの面影
後書きに用語解説と登場人物紹介があります。
「リュー。ハワードが呼んでる」
早朝。聖騎士団本部に着いたばかりの二級守護者イー・リューは、肩に止まったロビンの分身にそう言われ、聖騎士団長ハワード・キャンベル卿の執務室に向かった。
重厚感のあるドアをノックする時、彼は不意に、彼が七歳まで住んでいた、そして全焼したために今は残っていない生家のドアを思い出した。
(嫌なものを思い出してしまったな……)
懐かしいとは少しも思わなかった。レグザゴーヌ風の瀟洒な屋敷。大金帝国が列強諸国に圧力をかけられて本土から切り離した租界の一等地にあったその屋敷には、忌まわしい記憶しかないのだから。
「二級守護者儀・柳、お呼びと伺い参りました」
リューがハワード卿の執務室に足を踏み入れると、ハワード卿は深刻な面持ちでこう言った。
「すまないが、今度のニューシャーウッドでの討伐作戦に君も参加してもらいたいんだ」
ハワード卿は、「海の王」マナナン・マクリルの現状と、封印の解けた邪竜アヴァルスについて説明した。
「メグとベッキーには、この聖騎士団本部で『海の王』マナナン・マクリルの治療にあたってもらうことになる。君と私は、邪竜アヴァルスの討伐だ。参加するのは君と私とシェーン殿、オシアン公とその弟君のカイ殿、そしてアーセン殿とその部下の思恵・典殿だ。アーセン殿が、この機会に君とディエン殿を引き合わせたいと言っている」
先日の任務の際にアーセンと協力してくれた人だな、とリューは思った。大金帝国の遺民だという、黒髪黒目の苦み走った四十代の男性だ。
その人が、故国を懐かしんで自分と話したがっているのだろうかとリューは思った。華夏は広大過ぎて、北と南では食べ物も言葉も違うと言われる。だが、ディエンと直接話したことのあるトミーによれば、どうやらディエンはリューの母やリューと同じ言葉を話しているらしく、港町に集まっている華夏人を相手にするよりも話しやすかったと聞いていた。
その時のリューは、ちらりと顔を合わせた限り嫌な感じのする男性ではなかったし、それならまぁ、というほどにしか思っていなかった。
* *
ニューシャーウッドに着いたリューは、アーセンによってディエンと引き合わされ、作戦のためにオシアンが買い取ったという茶館の一部屋で、話をすることになった。
ディエンはリューに「自分の本来の姓名は許恩であり、許家は呉の名家、父は大金帝国の宰相であった」と打ち明けてくれた。
リューは自らも「呉の柳家の当主、柳儀です」と名乗ったのだが、何故かディエンは浮かない顔だった。
「君は、御母堂については何も聞かされていないのだろうか?」
「……母からは、私たちが長沙桓王と陸丞相の末裔としか」
初対面の相手に自分が妾腹の子だとは言いにくい。だが、ディエンはリューの言葉で察したようだった。
彼はポケットから小さなノートを出すと、そこに万年筆でさらさらと華夏語で文章を書いた。
「これを読んで、同じ文言を書いてくれるかね?」
有名な古典詩の一節だったので、リューは難なく読み書き出来た。
ディエンは一つ頷くと、その詩の続きを書き、また同じことをしてくれるように頼んだ。
だが、リューは困ってしまった。それは決して難解な文ではなかった。ただ、その中に読むことも書くことも許されない字が入っていたのだ。
リューはその字の部分だけをごまかして読んだが、その字を書く段になって手が止まってしまった。
意味の近い字か同音の字に書き換えようかと考えていると、ディエンの手が、万年筆を持つリューの手の上に置かれた。
リューが思わず睨むと、ディエンは悲しげな顔をした。
「このような真似をしてすまない。だが今ので確信した。君が、私の妹の子だと」
リューは混乱した。
「そんなはずはありません。ディエン殿は仰いましたよね、御父君は大金帝国の宰相だったと。そのような高位にあった方の令嬢が、嗣子を産ませるためだけに妾として買われて虐げられる道理がない……」
「私の妹は二十年前、ある寺院へ参詣に出掛けたまま二度と見つからなかった。きっと行き帰りのいずれかで誘拐されて、柳家に売られたのではないかと思う。その証拠に君の字には妹と同じ癖があるし、君が読みたがらなかったこの字は、妹の名だ」
リューが妹の子か確かめるために試させてもらったのだ、とディエンは言った。華夏では、相手の名を直接口にすることが非礼にあたるのと同じ理由で、自分の親の名を書いたり声に出したりすることも禁忌とされているから。
彼は続けて言った。
「それに、君は長沙桓王と陸丞相の末裔だと言っただろう。私もそうなのだよ、母方の祖先ではあるがね」
ディエンはリューから手を話すと、懐かしげにリューの顔を見た。
「……初めて君を見た時、素知らぬ振りをするのに苦労した。あまりに、君が生き別れた私の妹に似ていたからだ。その昔、私の父が『この娘こそ国色天香、皇帝の寵を独占し、必ずや我が家を繁栄させるに違いない』と後宮に上げることを決めていた、美しい妹に。それほどの美貌の持ち主は、滅多にいるものではない」
リューは、トミーとミッキーが以前「リューの母上は、元は高貴な家の女性なのではないかと思う。あの教養の高さと気品は並みの人とは思われない」と感嘆していたことを思い出した。
「……貴方は、私の伯父なのですか?」
「おそらく。もはや君の御母堂と私の妹が全くの他人である可能性の方が低いと思う。君が御母堂から伝授されたという『竜殺しの舞い』は、私の母が妹に伝授したものだ。私の母も私の祖母、つまり自分の母から伝授されたという。その舞いは陸丞相が若い頃に会得した剣技が元になっている。男系では絶えてしまった陸丞相の血統を、女系で継いできた証なのだよ」
それでもまだディエンの話が信じられなかったリューは、ディエンを連れて、オシアンに鑑定してもらうことにした。確か、オシアンは厨房で用意を始めているはずだから、と。
そこで厨房に行くと、オシアンの姿が見えない代わりに、大きな耳と精悍な顔立ちが印象的な、やはり四十代くらいの美丈夫が、大量のホワイトアスパラガスの入った籠を抱えて立っていた。
「おや、君たちも家族で作戦に参加するのか。俺も兄上と甥と三人で参加するんだ。よろしくな」
気さくな笑顔を見せる彼は、見た目は人間でもその気配から猫型妖精だとすぐに分かった。
「初めまして、どうぞリューとお呼びください。貴方はカイ殿ですか、アーセンの叔父上の」
「そうだ。俺はカイ、『王の左目』だ。それじゃ君たちが、俺の甥っ子のアルの数少ない友達のリューとディエンなんだな」
「カイ叔父さん、『数少ない』は余計だよ」
ジャガイモが大量に入った籠を抱えて厨房に入ってきたアーセンが、不満そうな顔でカイにそう言った。
その様子を見て、アーセンのカイに対する態度は、オシアンに対する態度よりももう少し気安い感じなのだな、とリューは思った。
「それで、そっちも伯父と甥の感動の対面が済んだなら、手伝ってくれないか」
アーセンのその言葉に、リューは噛みつかずにはいられなかった。
「アーセン。わかっていたなら、何故教えてくれなかったんですか!」
アーセンがにやりと笑った。
「その方がドラマティックで面白いじゃないか。それと意趣返しだよ。『アル』と呼んでくれって言ってるのに、そう呼んでくれないからさ」
「敬愛する年上の友人に、そんな失礼なことは出来ませんよ」
リューは頭を抱えた。
〈用語〉
大金帝国︰旧大陸の東端、現在の華夏共和国の領域を支配していた専制国家。列強による軍事的圧力や阿片の蔓延に苦しみ、十五年前に革命によって滅びた。
租界︰大金帝国が列強に圧力をかけられて本土から切り離した外国人居留地。列強出身者による行政自治権と治外法権が認められ、旧大陸西側諸国のような街並みが広がる。
連合帝国︰旧大陸北西部の半島と周辺の島々を中心とする国家。数百年前、初代皇帝がオシアンに公爵位と領地を授けた。
聖騎士団本部のある北部連邦の宗主国であり、列強と呼ばれる国の一国。
レグザゴーヌ︰旧大陸の西側、炎龍湾を挟んで連合帝国の東隣にある大国。列強と呼ばれる国の一国で、華やかな文化を誇る。
長沙桓王︰千七百年前、群雄割拠の時代を迎えた華夏において、南部一帯に勢力を拡げた覇者。閉月羞花と称えられた美女との間に娘を儲けるも、志半ばで卒去。同母弟が彼の志を継ぎ、大帝となった。
陸丞相︰長沙桓王の跡を継いだ大帝に仕えた智者だが、若い頃は竜退治で名を馳せた文武両道の白皙の美丈夫。長沙桓王の娘を娶った。リューの先祖。
王の左目︰猫型妖精の国では、当代の王の側近二人を「王の右目」「王の左目」と呼んでいる。
〈登場人物紹介〉
メグ︰久我愛子。リューと同い年の一級守護者。元は華夏の東隣りに位置する皇国で最も高貴な姫君だが、訳あって北部連邦に亡命した。彼女の歌には呪詛や魔法による状態異常を解除し、神々を治癒する効果がある。リューと婚約したばかり。
ベッキー・マール︰見た目は十二歳の少女だが、その正体は、千年以上生きた森の貴婦人。百五十年前に聖騎士団を発足させた「黒き森の大聖女」であり、エズメやハワード卿など、九十七人の人間の名付け親でもある。
トミー︰本名、富田次郎。元は一級守護者・久我愛子の守り役。トミー小隊の隊長で、ハワード卿から最も信頼されている。彼とハワード卿の二人は、リューとリューの母を、燃え盛る生家から救い出してくれた恩人でもある。
ミッキー︰本名、三木五助。元は一級守護者・久我愛子の学問指南役で、現在は聖騎士団の技術開発部長。数々の発明で聖騎士団を支えている。今でも護衛として久我愛子の側に付いていることがある。




