1、「海の王」と「妖精王」
北部連邦の南隣りに位置する大国、四十八州連合。通称「州連合」と呼ばれる、その広大な国家全域の治安を守るために組織された警察機関を連合捜査局という。
六月のある日の午後。
連合捜査局次長の地位にあるアーセン・ルブランは、氷の花とも雪豹とも評される美しい顔を、思い切り顰めているところだった。現在三十一歳で非常に有能な彼だが、気を許した相手の前では、時折非常に子どもっぽいところを見せる。
とはいえ、彼が顰めっ面をするのも無理はない。何故なら、この一週間のうちに州連合の東部沿岸地域で立て続けに行方不明者が出ているからだ。既にその数は数十名に及ぶ。
「成人した男が失踪したとしても、家出だと片付けられることもあるからね、これは氷山の一角かもしれないよ」
最初の行方不明者が出たのが州連合南東部。翌日にはそれよりも少し北の州の東部沿岸で行方不明者が出て、そのまた次の日には更に北の地域で行方不明者が出て……となれば、何者かの関与があると考えた方が自然だし、その何者かは、結構な速さで北上していると見て間違いないだろう。
アーセンが報告書の束を指で弾くと、彼の側で茶を淹れていた典が苦笑した。四十代前半、苦み走った二枚目の彼は、そういう表情をしてもなかなか絵になる。
「しかし、何者かが関与していたとして、如何なる理由があって、十八歳から六十五歳までの男ばかりを狙うのでしょうか」
「それなんだよね。よりによって眉目秀麗な魔力持ちの男ばかりをさ。私と君だって充分狙われそうじゃないか」
何故、行方不明者が眉目秀麗な魔力持ちの男性だと分かるかと言えば、その報告書を上げたのが、アーセンが各地に配置した、魔力を感知出来る捜査員たちだからだ。
「さて、いずれその何者かは北部連邦に辿り着きそうだし、これはすぐに聖騎士団本部に赴いて、ハワード卿や伯父上に相談すべき案件だね。ディエン、君もついて来たまえ」
「承知いたしました」
ディエンは一度、次長室の外に出ると、「外出中」の札をかけ、小さな使い魔たちを廊下に放して戻って来た。こうしておけば、使い魔たちは彼らが留守の間も、彼らの耳目の代わりを果たしてくれる。
アーセンは手を虚空に差し出し、聖騎士団長ハワード・キャンベル卿の使い魔である、銀色のコマドリを呼び出した。
「銀のロビン殿。済まないが、ハワード卿と私の伯父に連絡してくれないか。『アーセンが、これから急ぎお二人にご相談したいことがあって聖騎士団本部に参ります』と」
――ほい、了解。
銀のロビンは、本体であるハワード卿付きのコマドリ型の使い魔のロビンと、自分と同じ分身であるオシアン付きの黒いロビンに連絡をした。
それから十五分後。聖騎士団本部の対策室には、ハワード卿をはじめ、顧問と各部長たち、それからアーケイディア単科大学教官のヒルダ・マクユーアンと、その夫でアーケイディア単科大学特任教授のオシアンが集合して、アーセンの報告を聴いていた。
「見目麗しい男性を好んで餌食にする魔物ですか。まず思い付くのは上半身が人間の女性で下半身が蛇の魔物ラミアですが、それとは考えられないほど、長い距離を速く移動していますよね」
資料室長のモニカ・フィッシャーが首を傾げた。
その時、ハワード卿の肩に止まっていたコマドリ型の妖精ロビンが、部屋に響く声で言った。
「ウチの親父が、今からマナナン・マクリル王とその妃を連れてここに来るって!」
それを聞いて、猫型妖精の王たるオシアンとその女王であるヒルダを除く、全員が固まった。
愛らしいロビンの正体は、妖精の王子ロビン・グッドフェローで、その父親は「妖精王」オーベロンだからだ。しかも、オーベロンが連れて来るというマナナン・マクリルは、海の何処かにある常若の国を治め、漁師と船乗りを守護し、海で死した者たちの魂を導く「海の王」だった。
「やあ、オシアン、ヒルダ、ハワード。それから聖騎士団の諸君」
洒脱なスーツに身を包んだ男が突然対策室に現れ、次いで全身を包帯で巻いた人物が、見た者を震わせるほどの美女に付き添われて現れた。
「我が友オーベロン。せめて来訪の一時間前には先触れを出すべきだ。皆が萎縮しているではないか」
オシアンがスーツ姿の男を穏やかに窘めると、男は眉を上げて軽く笑った。
「皆の顔色が少し良くないと思ったら、我々に対して萎縮しているのか。妖精の王なんて、そこのオシアンで慣れてるだろうに。それに、俺の息子もいつも皆の側にいるだろう。むしろこちらがこう言うべきだろうな。――どうも、俺は妖精王オーベロンだ。皆にはいつもうちの息子が世話になってるね。それから、こちらは『海の王』マナナン・マクリルと、その妃のファンズだよ」
オーベロンは、やや頬骨の張った彫りの深い顔で、黒い瞳とダークブラウンの巻き毛の持ち主だ。口髭と顎髭を流行のスタイルに整え、纏うスーツは旧大陸の南部リモネドーロで仕立てたと分かる品だった。一見、陽気で親しみやすそうでありながら、油断ならない気配を漂わせた王だ。
一方のマナナン・マクリルは全身に包帯を巻いた姿をしており、頭部に巻いた包帯から除く黄金の髪が元の美しさを思わせて痛々しかった。本来ならば、永遠の若さと美貌を誇る王だというのに。
そして、その彼を肩で支える美貌の女神は、酷く打ち沈んだ顔をしていた。
「さて、諸君も承知していると思うが、先の大戦争で『海の王』マナナン・マクリルが毒ガスに傷付けられて以来、北の海の治安はよろしくない」
高貴な来訪者のためにと運び込まれた上等の椅子の一脚に腰掛けたオーベロンが、そう言って首を竦めた。
「勿論、この俺と、『嵐の王』アーサーが、マナナン・マクリルの代わりに定期的に交替で海を巡回しているし、海に出られないオシアンでさえ、増え過ぎて陸にまで上がって来るレビアタンを駆除してくれている。だが、俺たちにもそれぞれの役目がある上、深い海の底の魔物を抑えるのは難しい。そういう状況で、とうとう先週、これまでマナナン・マクリルが管理していた、邪竜アヴァルスの封印が解けてしまったのさ」
博識なモニカ・フィッシャー資料室長が首を傾げ、エズメ・ロイド教授も、その邪竜の名には聞き覚えがないと言った。そこでオシアンが説明した。
「アヴァルスとは、二つの頭と二本の尾を持ち、その性質は淫蕩にして暴食を好む、極めて残忍な竜だ。火を吹かぬ代わりに、華夏の龍のように天候を操る能力を持ち、南亜大陸のナーガのように毒を吐く。太古の魔女どもが長い時をかけ、ありとあらゆるドラゴンの血を混ぜて作り上げた怪物なのだよ」
アヴァルスならば見目麗しい魔力持ちの男性ばかり狙うのも納得がいく、とオシアンは言った。
「あれは自らの大きさを自在に変えることが出来るのだが、姿を変えることは出来ない。そこで魔力を持つ見目麗しい男を殺め、その肉体を器にするのだ」
「……よく、そんな厄介な奴を封印出来たな?」
ヒルダがそう呟くと、オーベロンが答えた。
「千年以上前、極北の神々とマナナン・マクリル、俺たち妖精の軍、それからキャスパリーグ率いる猫型妖精の軍が共同で封印したんだよ。オシアンの実の親父さんが亡くなったのも、義理の親父さんが隻眼になったのも、その時の話だ」
それでもとどめを刺すには至らず、封印するしかなかったほど、アヴァルスは強力だった。封印の結果、現在は弱体化しているが、このまま魔力持ちの人間を食い殺し続ければ、百年ほどで元の強さに戻るだろう。
そのようにオーベロンが見解を述べ、マナナン・マクリルは苦しげにこう言った。
「どうか、北海の平穏のために、力を貸してほしい」
〈用語〉
大戦争︰今から約十年ほど前に勃発し、五年前に収束した、旧大陸の列強国を中心に、その植民地や属国も巻きこんだ大規模な戦争。
毒ガスや戦車、銃が用いられ、甚大な被害をもたらした。
〈登場人物〉
スゥフイ・ディエン︰アーセンの部下。元は十五年前に滅亡した大金帝国の遺臣。四十代前半の苦み走った好男子。
ロビン︰聖騎士団長ハワード卿の使い魔。普段はコマドリの姿で多くの分身がおり、聖騎士団関係者同士の連絡を担っている。その正体はロビン・グッドフェロー。
ハワード・キャンベル卿︰聖騎士団の団長。三十代前半で、ブラウンの髪に翠玉の瞳、端正な顔立ちの凛々しい男性。引き締まった細身の身体からは想像もつかないほどの魔力と膂力に恵まれている。
ヒルダ・マクユーアン︰元聖騎士団第三隊隊長で、現在は聖騎士団員養成機関であるアーケイディア単科大学の実技教官。男性的な口調で話す。五十代だが溌剌たる美女。ハワード卿の恩師であり、義理の伯母でもある。オシアンの妻。
モニカ・フィッシャー︰聖騎士団本部資料室長。古大陸にルーツを持つ、四十代後半の穏やかで感じの良い女性。聖騎士団で最も博識な女性であり、新たな知識の獲得にも余念がない。
エズメ・ロイド︰聖騎士団の次席顧問にして、アーケイディア単科大学の教授。その高い教養と容赦のない指導で、多くの候補生から畏敬の念を抱かれている。栗色の髪が特徴的な五十代の美女。ハワード卿の恩師で、ヒルダの親友。
オーベロン︰妖精の王たちの筆頭格。妖精女王タイタニアの夫で、ロビン・グッドフェローの父。
マナナン・マクリル︰北の海と常若の国を治める神で「海の王」とも称される。本来は永遠の若さと輝くばかりの美貌の持ち主。大戦争に巻きこまれた愛し子たちを守ろうとして戦場に顕現した際、毒ガス攻撃にさらされたため、ひどく衰弱している。
ファンズ︰マナナン・マクリルの妃。見る者を震えさせるほどの美しい女神。




