4、妖精王のご所望は
サージカルテープとキャッシュレジスターのある時代で良かったです……。
首を傾げたリューに、耳を寝かせたままアーセンが言った。
「……『奥方』って」
リューは、ようやくアーセンが耳を寝かせた理由に気付いて赤面した。彼は思わず早口で弁明した。
「すみません、そういうつもりではなく。ほら、夏に涼を取るための竹を編んだ抱き枕も『竹夫人』と呼ぶくらいですから。……その、文化の違いだと思って頂ければありがたいです」
アーセンはふいっと横を向いた。
「了解、そういうことにしておくよ」
ひとまずリューは胸を撫で下ろし、話題を変えた。
「それにしても、私が思っていたよりも、世の中に神々の末裔は多いのですね。確か、……アルもそうでしたよね?」
アーセンが耳を動かした。
「うん、フレイヤの子が猫型妖精と結婚して生まれた子が私たちユーアンの血統だと聞いている。神々もつい千年前までは妖精や魔物と同じように人間の近くで暮らしていたんだからさ、神の末裔なんて、珍しくはあっても、それほど特別な存在じゃないよね」
ややあって、彼はその三角の耳をピンと立てた。
「リュー、もしかして今、私のことをアルと呼んでくれたのかい?」
その声は、これまでになく弾んでいた。
* *
暁嵐茶館は短期間で、特に富裕層の婦人方の間で評判となった。
まず店内が清潔で、茶と料理は絶品。しかも、見目麗しく上品な男性たちが丁寧に接客してくれるのだから。その上、注文出来るのは茶と料理だけではなかった。
「銀髪の貴方、お歌を歌ってくださらない?」
「承知いたしました、マダム」
客は、気に入った従業員に、歌や舞、或いは楽器の演奏を注文することも出来たのだ。
* *
時はさかのぼり、茶館が開店する数日前。客に披露する演目を決めるにあたり、リューはあることを心配していた。
「敵は人間に紛れて、客としてここにやって来る可能性が高いわけですよね。迂闊に舞を披露すると、敵に戦闘時の動きを見切られる危険も高まるのではないかと」
ハワード卿が思案顔になった。
「その可能性は、確かに否定出来ないな。この中で舞踊の心得があるのは、オシアン公とシェーン殿、そしてリューの三人だが……」
シェーンが言った。
「私には舞踊と歌だけでなく、ピアノの心得もあります」
それを聞いたハワード卿が、自分のこめかみを右手の指で抑え、考えながら答えた。
「……そうですね、シェーン殿には舞踊と歌唱とピアノ、全てを受け持って頂けるとありがたいです。ただその場合、シェーン殿が今回の戦闘時に、私の剣になってくださることが前提となりますが」
「喜んで」
シェーンが微かな笑みを見せた。
今は人の姿をしているが、その正体は不死鳥であるシェーンは、剣や槍に変身することも出来る。武器に変じた彼を使いこなせるのはハワード卿だけで、シェーンにとって、そういう形でハワード卿と共闘するのは満更ではないらしかった。
カイが言った。
「兄上は料理長だ。そう何度も厨房から抜けられるのはきつい。厨房から客に向けて微笑むだけでも良いのではないかと思うんだが」
ハワード卿もアーセンもその言葉に頷いたが、シェーンは首を傾げ、リューは懸念をはっきりと口にした。
「もしオシアン公が微笑みをお向けになったお客様が、本気で恋に落ちてしまったら、どうします?」
全員が、その可能性を否定出来なかった。オシアンは人間で言えば五十代後半相当ながら、愛する女性と結婚して以来、その美貌にますます磨きがかかっていたので。
「オシアン公には、料理長としての仕事に専念して頂きましょう」
ハワード卿の決定に、オシアンが苦笑した。彼としても、妻以外の婦人たちに愛想を振りまかずに済むのはありがたいのだろう。
「カイ叔父さんはギターを弾きながら歌えるよね。私は楽器はさっぱりだけれど、歌には自信がある。それから、ディエンは昔、箏を嗜んでいたんだろう?」
アーセンが自身の部下であるディエンを見ると、ディエンは、はにかむように微笑んだ。
「若い頃には。しかし今はどうでしょうか。長いこと弾いていませんでしたから……」
この言葉に勢い込んだのはリューだった。
「伯父上、私の箏を持って来ていますから、少しお試しになりませんか?」
ディエンが嬉しそうな顔をしたので、リューは自室から箏と義甲(付け爪)、それから義甲を指に固定するためのサージカルテープを持って来た。
「このテープがあれば、どれほど激しく演奏しても義甲がずれることはありませんからね」
リューは得意顔でディエンにそう言うと、ディエンの前で、義甲を手早く付けて見せた。とはいえ、問題がない訳ではない。
シェーンが眉を顰めた。
「演奏前に、小指以外の全ての指に爪を付ける必要があるのですね。それでは流石に料理をしながらの演奏は難しいのではないでしょうか」
装着に手間がかかる上、サージカルテープの粘着力は肌に油脂が付いていると弱くなってしまう。ところが華夏の料理は油脂を使うことが多く、石鹸を使ってもなかなかすぐには落ちないのだ。
「我も今回はリューとカイの料理の腕を大いに頼みにしているのだよ。故に、出来ればリューには箏の演奏よりも料理を優先してもらいたいと思う」
オシアンの言葉に、ハワード卿は即決した。
「わかりました。リューは歌のみとしましょう。実のところ、私も今回の戦闘では、リューの守護者としての能力だけでなく、騎士としての能力にも期待しているのです」
そう言われて、リューは胸が躍るのを感じた。恐ろしい敵を相手にすることも彼にとっては非常に楽しみなことだったが、何よりオシアンとハワード卿からの頼みにしているという言葉が嬉しかったのだ。
ハワード卿はディエンにも目を向けた。
「それから、ディエン殿には事務と、箏の演奏をお願いしたいのですが、練習も必要でしょう。リュー、伯父君の練習の時には君が付き添うと良い。……そうだな、折角義甲を付けたのだから、この後すぐにでも始めてほしい」
ハワード卿がそう付け加えたのは、リューの手を見たからだろう。
最後に、ハワード卿が少し難しい顔をした。彼は、五本の指先でテーブルの上を軽く叩きながら言った。
「私の役割も決めねばならないが、客に披露出来る特技もなければ、料理に関する技術も身に付けていない……」
リューはハワード卿の指先を見て閃いた。
「ハワード卿は執務中に最新型のタイプライターを使いこなしていらっしゃいますし、キャッシュレジスターの使い方もすぐに会得なさるのではないでしょうか?」
ハワード卿は、はっとしたように店の入り口近くに置かれたキャッシュレジスターを見た。鈍く輝く真鍮製のそれは、前日にふらりとやって来た妖精王オーベロンが、開店の祝いだと置いて行ったものだった。
オシアンがまずキャッシュレジスターを、それからハワード卿を見た。
「あのキャッシュレジスターは、オーベロンが『愛し子のために用意した』と言っていた。確かに見たところ、ハワード卿にのみ従うように魔法がかけられているようだ。『どうせなら単なる罠ではなく、店として利益を出せ』というオーベロンの意思が感じられる」
リューは思った。茶館は所詮囮だ。営業するのは邪竜を誘き寄せるまでの短期間だけなのに、何故そこまで本気で、と。そしてどうやらアーセンも同じことを思ったらしかった。
「この茶館は、アヴァルス討伐のための罠ですよね。どうして利益を出さねばならないのでしょうか?」
甥からの質問にオシアンは答えた。
「アル、我から言えることは一つだけだ。オーベロンという王は、人間が一つの喜劇を至って本気で演じる姿を大いに嘉する王なのだよ」
私たちの世界で古箏の義甲を粘着力のあるテープで固定するようになったのは一九七〇年代かららしいのですが、一応、こちらは異世界ですのでお目こぼしを。
リューは自分の箏はいつも大切に手入れしていますし、丁寧に扱っていますが、時々激しい演奏をすることもあるので、聖騎士団技術開発部特製のサージカルテープは手放せません。もし彼がロックを聞いたら大いに気に入ることでしょうね。
以前、箏の練習中に髪紐が切れた時、メグが「結ってあげましょうか」と申し出たのは、しっかり固定した義甲を一度外して髪を結うのが大変そうだと思ったからでもあります。




