14、八宝茶の夜
「とりあえず、襲撃者の侵入を防げて良かった。ファンズにはまだ安静が必要だからね」
ベッキーはそう言って息をついた。彼女は何処からともなく出したガラスのポットと茶の缶、蜂蜜の瓶を、室内のテーブルの上に置いた。
「お茶を飲もう。ロビンが夕方差し入れてくれた華夏のお茶で、何と言ったかな、棗に山査子、枸杞の実、菊の花と百合の鱗茎、蓮の種子、薔薇の花びら、それから氷砂糖をブレンドした緑茶があるんだよ。……でも、今のファンズにはお茶は刺激が強過ぎるかな?」
ベッキーは少し思案すると、虚空から今度は林檎と小さな鉢、それからおろし金を出し、寝台で休んでいるファンズに微笑みかけた。
「ファンズ。貴女には林檎果汁入りの温かい蜂蜜ドリンクを作るよ。出来上がるまで横になっていて」
「……ありがとう」
かすれた細い声で、ファンズが返事をした。
缶の蓋を開けた途端、独特の香りが広がった。その香りを嗅いだメグが、ふわりと微笑んだ。
「『八宝茶』ですね。リュー君が好きなお茶の一つです」
「華夏はお茶の本場だけあって、色々と面白いのがあるよね」
ベッキーはにやりと笑うと、缶から自分とメグ、ヒルダとロビン用に紙包みを四つ取り出した。
華夏風の絵が描かれた四つの蓋付き茶碗それぞれに包みの中身を入れ、ファンズ用の取っ手付き茶碗には、茶葉の代わりにすりおろした林檎の果汁と森の妖精たちが秘密の場所で集めた上質な蜂蜜を多めに入れた。
そして卓上簡易ストーブで沸かした湯を全ての茶碗に注いだ後、蓋付き茶碗には蓋をかぶせた。
ベッキーが蜂蜜ドリンクの入った茶碗と陶磁器の匙を載せた銀の盆を寝台まで運ぶと、ファンズはゆっくりと身体を起こした。
ファンズが蜂蜜ドリンクを匙で掬い、喉を湿らせるように少しずつ口にし始めたのを見たベッキーは、少し安心した。
「ファンズ。貴女も随分と無理をしていたんだね。これまで、まともに飲食することはおろか、眠ることさえ出来ずに、自分の神力を海の王にずっと注ぎ込み続けていたんだろう?」
そう問いかけると、ファンズがこくりと頷いた。
ベッキーは溜め息をついた。ファンズが神力を与えなければ幾ら海の王でも保たなかっただろう。だが妃が倒れてはいけない、と。
「遅くとも朝までに決着はつくはずだよ。だから、それを飲んだらゆっくり眠って。貴女の最愛の王が迎えに来るまで」
ファンズがベッキーの「貴女の最愛の王」という言葉を聞いて、初めて柔らかく笑った。
「……彼は、きっとすぐに帰って来るわ。だから、それほどゆっくり眠る時間はないかもしれないわね」
ベッキーはくつくつと声を上げて笑った。
「確かにそうだ。だけど、その時は貴女が眠り足りて自然に目覚めるまで、海の王に待っててもらうよ」
* *
窓一つない、黒一色の壁に囲まれた無機質な部屋。そこに四十人ほどの人間が閉じ込められ、転がされていた。
全員が男だが、体格や年齢はそれぞれ違う。共通点があるとすれば、どの男も目が濁っているということだ。とてもまともな生業の人間とは思われない。
その部屋に、少しばかり緊張感に欠けた、麗しい男の声が響いた。
「さてと。今夜襲撃してきた総勢四十名のうち、半分は華夏人で、もう半分は皇国人か。……A班が捕らえたのが皇国人のグループ、B班が捕らえた方は、華夏人のグループだね」
窓などないはずの室内で、何故か風がぶわりと渦巻いた。
「一応、連携はしていたのか。裏で色々と手を組んでいるという噂は本当だったようだね、皇国の工作員諸君、並びに華夏の租界の売国奴諸君」
捕らえられ、この部屋に集められた黒髪黒目の集団は正確に自分たちの正体を言い当てられて戦慄した。
北部連邦の者たちには華夏人と皇国人の区別さえ付くまいと、たかをくくっていたからだ。
「そうそう、最初に言っておくけど、君たち全員の使い魔契約の鎖は切ってしまったから、呼んでも無駄だよ。武器も全て取り上げておいたし、この部屋では、自害や口封じも出来ない。試してみれば分かるけれど、今、君たちは自分の意思で随意筋を動かすことすら絶対に出来ないからね」
男の声が一旦止み、たっぷりと五十を数え終わるほどの時間が経った。その頃には室内の男たち全員の目に絶望の表情が浮かんでいた。
「ね、本当だったろう。それじゃ、君たちの持っている情報を全部洗いざらい、吐いてもらおうか」
* *
聖騎士団本部の一室で、皆が茶を飲み終わった頃。ロビンが、今夜の襲撃者たちについて分かったことを知らせてくれた。
今夜の襲撃者たちは、エズメ教授の使い魔たる風精霊のパットの精神操作魔法にかかり、すぐに全てを白状した。襲撃者たちの内訳は、二十名が華夏の租界を拠点にする犯罪組織の構成員で、残り二十名が皇国の工作員だった。
華夏の租界の犯罪組織は元々、柳家の前当主が築いたものだ。柳家の前当主が火傷の後遺症で動けなくなると、前当主の第一夫人の甥が、その組織の首領の座に就いた。しかしながら、その男は人望もなければ能力も低かったようだ。そのため犯罪組織の構成員たちは、柳家の現在の正統な当主であるリューを首領に祭り上げようと考えたらしい。
彼らは、新たな首領には後ろ盾が必要だと、地元の有力軍閥や素封家の娘たちをリューの妻に宛てがう算段までつけていたそうだ。
一方、皇国の工作員の狙いはいつもと同じ。メグの命を奪うことだった。
「毎度のことだけど、彼奴ら一体何を考えているんだろうな。メグが本当は皇女で本物の女神だって知っている癖にさ」
ロビンがそう言うと、メグは酷く情けなさそうな表情を浮かべた。
「彼らの上にいる者たちが、今上陛下に権威を集中させたいと望んでいるのです」
「だとしても普通、神を手にかけようだなんて思わないがな」
ヒルダが眉間に皺を寄せると、メグは俯いた。
「彼らの背後には、主神たる日の女神すら畏れぬ古き神がついています。故に未熟な私に対する畏敬の念などないのでしょう」
人間の国家において幼帝が臣下たちから侮られ、実権を奪われることは歴史上よくあることだが、それは神々の世界でも変わりないのだ。
「……古き神には、古き神ならではの弱点が、必ずあるものよ」
寝台のファンズが、目を閉じたまま、ぽつりとそう言った。
「それから、聖騎士団内部の情報を皇国の工作員に漏らした奴らも分かったよ。騎士見習いの二人だ」
ロビンからそう聞いて、ヒルダが首を振った。
「わかってる。エマ・ヴァンスとクレア・シュタインだろう?」
「すごいな、ヒルダ様。大当たりだよ」
ロビンが口笛代わりに高い声でさえずり、ヒルダは肩を竦めた。
「……エズメがここ何日か、あの二人をどういう形で不名誉除団に追い込むのが見せしめとして効果的か、ずっと考えていたからさ」
* *
暁嵐茶館のホールでは、依然として戦闘が続いていた。
アヴァルスの左右の頭は毒に苦しみながらも、時折、耳を澄ます様子を見せたり、首を捻ったりした。
召喚したはずの嵐が来ないことに気付き、不審に思ったのだろう。
その隙を突き、ハワード卿が二本あるアヴァルスの尾のうち、一本を切り落とした。続いてカイが二丁の斧を振るい、アヴァルスの左の頭の両眼を潰した。
更にアヴァルスの側面に素早く回り込んだオシアンが、再び人間形態に変化し、二本目の短剣――正確にはスティレットという、十二インチほどの長さの、細くて非常に鋭い三角錘の武器だ――を突き刺した。
二度目の毒雷が、アヴァルスの身体に落ちた。
〈登場人物紹介〉
パット:エズメ・ロイド教授の使い魔で、種族は風精霊。見た目は四十代前後の美男子。猫型妖精の王オシアンとは千年来の義兄弟でもある。




