10、「茉莉花茶と、甘い物は如何でしょうか?」
残酷な描写がありますので、ご注意ください。
アヴァルスが米料理を堪能していると、鳥の一族と思われる儚げな美貌の男が、珍しい果物と乳の匂いのする氷菓を盛り付けた玻璃の高杯と、新たな水差しを載せた盆を運んで来た。
鳥の一族の男は言った。
「これより歌い手が衣装替えをいたしますので、舞い手である私が参りました」
咀嚼に忙しいアヴァルスに代わり、銀髪の男が鳥の一族の男に指示を出した。
「すぐに盆を置いて、舞台に上がりたまえ」
鳥の舞い手は盆を卓上に置き、舞台に上がった。それと入れ違いに、無垢な歌い手は優雅に一礼して舞台を降りた。
「歌い手はすぐに戻りますので、しばらくは舞踊をお楽しみください」
銀髪の給仕がそう言いながら、鳥の舞い手が持って来た水差しを傾け、ジャスミンの香りのする薬湯を新たな杯に注いでくれた。勿論、それに石蜜を溶かすことも忘れない。
アヴァルスは、そのすっきりとした花の香りと微かな苦味のある熱い薬湯を、一息に飲み干した。薬湯が喉を過ぎる頃には、肉の脂で鈍った舌が、鋭い味覚を取り戻す。
「こちらは、牛の乳と鶏卵の黄身を混ぜたものに石蜜と香草で味付けをした後、かき混ぜながら凍らせた氷菓と、遠い華夏の果物を石蜜とともに煮て、最後に香りの良い酒を加えたものでございます。召し上がりますか?」
アヴァルスが口を開けると、銀髪の給仕は金の匙で氷菓を掬って口に入れてくれた。
冷たい氷菓が滑らかに溶けて、濃厚な甘みと香りが口いっぱいに広がる。かつてアヴァルスが口にした、雪や削った氷に蜂蜜をかけたものなどとは全く違う。
「なるほど、これは何とも……」
先程の薬湯といい、この氷菓といい、此処で口にするものは何と官能的な味わいであることか。
鳥の舞い手が、弦楽器の華やかな音色に合わせて舞い始めた。
そう言えば、この建物に入る前から漏れ聞こえていた、この楽器の音色。誰が何処で弾いているのだろうか、とアヴァルスは思った。
先程までは若い歌い手の声を引き立てるための演奏だったのが、舞い手が舞台に上がると同時に、もう一つの主役となった。
――此処の人間どもは皆、すぐに腹に収めるには惜しい。
華夏の果物を甘く煮たものを口に運ばせながら、アヴァルスの右の頭はそう考えた。
左の頭は、料理や飲み物に大量の魔力が含まれていることに気付いていた。その一杯、その一皿に、これまで捕食してきた魔力持ちよりも遥かに多い魔力を感じるのだ。
これらの料理を作っている者は、絶対に人間や低位の妖精などではない。右の頭が料理に飽きたならば――。
それにしても、とアヴァルスは考えた。あの忌々しい妖精の大軍を率いたマナナン・マクリルとの決戦の前に、魔女どもに勧められるまま、運命の女神の魂を呑み込んでおいたのは、実に正しい選択だった。
おかげで、封印されたまま命が擦り切れる前に、こうして封印を解くことが出来た。そして今、極上の音楽に身を委ね、麗しい舞いに目を楽しませながら、美しい給仕の手で美食を味わうことが出来るのだから。
先程の歌い手が華やかな絹の衣装に着替え、揚げ菓子を山のように盛った器と、濡らした布を巻いたものを載せた盆を運んで来た。
「お待たせいたしました。こちらは、蜜で煮た胡桃や扁桃をすり潰した詰め物を米で作った生地で包み、胡麻をまぶして揚げた菓子と、甘蔗(サトウキビ)を絞って煮詰めたばかりの砂糖と小麦の粉、鶏卵、牛の乳などを混ぜて揚げた菓子でございます。どうぞご賞味ください」
凛々しい声でそう告げた歌い手は、優雅に一礼してひらりと舞台に飛び乗り、また新しい歌を歌い始めた。
舞い手もまた、その歌に合わせて歌い始めた。儚げながら背が高く、その体幹や手の指先、爪先に至るまで、しなやかでありながら勁さが感じられる。
銀髪の給仕が、アヴァルスの手を濡れた布で拭いてくれた。熱い湯に浸して絞った、その柔らかな布の感触が心地良く、脂を拭い落としていく。
幾つも嵌めた指輪と指の間の脂もすっかり清められたのは、布にさり気なく洗浄魔法が仕込んであるのだろう。
その清められた手で、アヴァルスは揚げ立ての菓子を掴み、頬張った。
香ばしい胡麻の風味、むっちりとした生地の食感、蜜で煮た胡桃と扁桃の濃厚な甘み、そして上質な豚脂のコク。
ジャスミンの香りを付けた薬湯を飲んで、次は小麦の揚げ菓子に手を伸ばす。甘蔗を絞って煮詰めたばかりの糖の、僅かな渋みと苦味と旨味を含んだ複雑な甘味は、彼にとって慣れ親しんだ味だった。
「これもまた、旨いな」
アヴァルスは、二種類の揚げ菓子を交互に口に放り込み、ジャスミンの香りのする薬湯を銀髪の給仕に注がせて飲み干した。
「銀髪のお前。あの黒髪の若い男は、咲き初めた薔薇のように麗しく、この世に生きるどの小鳥よりも良い声だな」
「お褒めに預かり、光栄にございます」
銀髪の給仕が、恭しく一礼した。
「気の利くお前も非常に気に入った。あの若い男とお前は、俺の宮殿に連れ帰り、末永く側近として仕えさせてやろう」
アヴァルスの右の頭は、これまでになく良い気分で、そう言葉を紡いだ。
「――だが、あの鳥の舞い手は不快だ。不遜にも俺たちを魅了しようとはな!」
あの鳥の舞い手の、長い睫毛に縁取られた目が、幾度も自分を魅了しようとしていることに、アヴァルスは気付いていたのだ。
「左の頭よ、今度はお前が糧を貪る番だ!」
アヴァルスは外形を大きな双頭の竜に変え、舞台に飛びかかった。
左の頭が、舞台上に立ち竦む鳥の舞い手をひと呑みにした。
「今夜の食事は、実に申し分ないものだった」
左の頭が陶然とそう言い放った。今呑み込んだ鳥の舞い手は、久しく口にすることの出来なかった、豊富な魔力の持ち主だったからだ。
右の頭は高笑いした。人間の姿のままだったら、腹も抱えていたかもしれない。
「あの海の底に封じられて以来、これほど愉快な夜は久しぶりだ。……いや、生まれて初めてかもしれん」
さて、銀髪の給仕と若い黒髪の男はどういう顔をしているだろうと見ると、二人は怯えもしなければ怒りも悲しみもしていなかった。
銀髪の給仕は冷笑を浮かべていた。
「言った通りだったろう。こういう奴は堪え性がないんだよ」
それに対し、若い歌い手は笑って頷いた。
「ええ、本当に貴方の仰る通りでした。尊大に振る舞う者ほど、堪え性がない。だから分かりやすい罠にも気付かずに飛びつくのですね」
二人の美男が、どうやら自分たちを嘲笑っているらしいと気付くのには、たっぷり三十を数えるほどの時間が必要だった。
何故なら、歌い手が、生半可な美男や美女では真似することも出来まいと思われるほど妖艶な笑みを浮かべていたからだ。
左右の頭は思わず息を飲み、その右の前肢を歌い手に伸ばした。
だが歌い手は心底嫌そうな顔で、その前肢をすっと躱した。
「もう我慢しなくても良いのですよね?」
歌い手が愛らしく首を傾げ、銀髪の給仕は満足げに返事をした。
「勿論だとも。私たちの最初の役目は済んだからね、一旦引くよ」
逃がすものか、とアヴァルスは駆け去る二人を引き留めようとした。……しかし何故か腹が異様に重くて身動きが取れなかった。
飲み物か料理、或いは両方に毒を盛られていたのだろうか、と左の頭は考えた。
しかし、「毒」が盛られていたのはどちらでもなかったのだ。
* *
ハワード卿は、腰に下げた真紅の剣に手をかけた。
リューとアーセンは、首尾よく邪竜に疑似餌を呑み込ませた。
次は、自分たちの番だった。
本日のお料理は、ジャスミンティーに、アイスクリーム、華夏の果物各種のコンポート、芝麻球、黒糖で甘味を付けた開口笑でした。




