第2章 妹の初恋
チャールド王子は生まれたときから妹ラブだった。
「こんなに愛らしくて可愛い生き物がこの世に存在していたなんて!」
とばかりに溺愛していたらしい。妹は姉ラブで、兄二人のことは眼中にはなかったのだが。
その妹がなんと恋をした。
そしてその相手が、自分の永遠のライバルであり、目の上のたんこぶであった伯爵令息のマーシャル=コルトンだった。
同じ年であり近衛騎士団長の息子。いわゆる幼なじみのような関係で、幼いころから側にいた。
しかし、マーシャルは無口で無表情な子供だったので、会話を楽しむような親しい間柄ではなかった。まさに主従関係だった。
とはいえ、彼はチャールド王子の言う事なら何でも従う犬ではなかった。
悪いことは悪い。してはいけないこと、危険な行為は有無を言わせずに止めた。
マーシャルは本物の王子以上にきらびやかな容姿をしているのに、本当に真面目で誠実な性格をしていた。
当然モテた。しかし、女性には完全無視を貫いていて、それがまたクールで格好が良いと黄色い声を上げられていた。
とはいえ当時チャールド王子はそんなマーシャルに対して、特に思うことはなかった。
いくら容姿端麗で優秀だろうと、あんな面白味のないやつだと分かったら、すぐに女性から相手にされなくなるだろう、と高をくくっていたからだ。
ところが、そんなマーシャルに愛しい妹であるリシェルが恋をした。
王城の廊下や庭園で兄の姿を見つけると、妹はすぐに満面の笑みを浮かべて駆け寄って来る。可愛い。可愛過ぎる。
しかし、その妹は兄に会えたから喜んでいたわけではなかった。その愛らしい笑顔は彼の側にいる護衛役の友人に向けていたのだから。
それを間近で見せられていたチャールド王子の気持ち、胸中はいかばかりか。
しかも妹がマーシャルを好きになった原因は、自分の不甲斐なさから来ていたので、なおさら彼は複雑だったのだ。
それは第一王子が十五、妹が十歳だった年に起こった、ある大きな事件がきっかけだった。
王城の園庭で子供向けのパーティーが催されていたときに、突如上空に魔物の鳥が現れたと思ったら、急降下して子供達に襲い掛ってきたのだ。
その時チャールドは、隣にいたリシェルをそのまま置き去りにして、自分一人だけ逃げ出してしまったのだ。
そして彼女の頭の赤いリボンをめがけて襲いかかってきたその魔物を、剣で突き刺して仕留めたのがマーシャルだったのだ。
しかも、恐怖で震えて立ちすくんでいたリシェルの体を、片腕でしっかりと抱き締めたままで。
彼は剣を上空に構えたその瞬間に叫んだ。
「殿下、目を閉じてください!」
その際二人は頭から魔物の血を浴びた。
もし、あのときリシェルが目を開けたままでいたら、その後彼女は大好きな赤色を身に着けることができなくなっていたことだろう。
マーシャルは魔物を倒した後、すぐさまリシェルを抱き上げて近くの噴水へと運び、二人して水の中に体を浸した。
そしてオブジェのスワンの口から勢いよく流れ落ちる水で頭から全身まで血を洗い流した。
赤く染まった水が排水口から流れ落ちて透明になったのを確認してから、彼は「もう大丈夫ですよ」と王女に声をかけた。
その間リシェルはずっと固く目を閉じていた。怖かったのもあったが、恥ずかしくもあったのだ。
そして、大丈夫だという優しい声で目を開けると、噴水の水が太陽の光に反射して、眩しいくらいに輝き揺らめいていた。
しかしそれよりも、金色に輝く髪を水浸しにしながらも、ほっとした顔をして微笑んでいたマーシャルのその顔は、もっとキラキラと輝いて美しかった。
こんな美しい人を見たことがないと王女は思った。実際は三年前から当たり前のように兄の側にいたために、ずっと見てきたはずなのに。
このとき、リシェルは恋をした。
彼女にとってマーシャルはまさしく命の恩人で、英雄だった。そして初恋の相手となったのだ。
その後彼女はマーシャルを追いかけ回した。
指に針を刺しつつ、一生懸命ハンカチに刺繍したり、クッキーを焼いたり、剣や乗馬の訓練場に差し入れを届けたり……
そんな彼女に対して、彼はそのクールな表情を一切変えることはなく、淡々と対応をするのみだった。
そんな状態のまま三年が経ち、マーシャルは学年を首席で卒業して近衛騎士団に配属された。
これまでよりずっとマーシャルに会えるようになると、リシェルは入団するのを心待ちにしていた。
しかし、彼女は王城内にある近衛騎士達の訓練を見学しに行ったとき、偶然騎士達の会話を耳にしてしまった。
「うちの近衛に団長のご子息が入団されるそうだぞ」
「ああ、二番目のご令息であるマーシャル卿だろう? 親の七光りじゃなくて、断トツ一位の成績だったんだろう? すごいよな。
顔だけじゃなく身体能力や頭もいいのだから」
「女なんてよりどりみどりだろ。羨ましいな」
「そうでもないみたいだぞ。第二王女殿下が彼に夢中で追いかけ回していらっしゃるだろう?
殿下のご機嫌を損ねたら大変だからって、ご令嬢方は近付きたくても近付けられないでいるらしいからな」
「そうそう。王子殿下方のお守りだけでも大変だっていうのにさ。
いくらなんでも彼に頼り過ぎじゃないか。気の毒だよな。なまじ一位だったから近衛に配属されてしまったし」
「こうなることは分かっていたのだろうが、クソ真面目なやつだから、わざと成績を下げるなんてことはできなかったのだろうな」
「あいつ、結婚できるのかな?」
「第二王女殿下が嫁がれれば、できるんじゃないか。さすがに愛人になれとは言わないだろう。団長だってそんな要求は呑まないだろうし」
そんな会話を聞いてしまい、リシェルはショックを受けて寝込んでしまった。
(自分のせいでマーシャルが困っている。迷惑している。
自分が追いかけ回しているから恋人も作れない。
それにお兄様だけでなく私の面倒まで見させられて、大きな負担になっている。
なぜそのことにこれまで気付けなかったのだろう。愚かだったわ。
せっかくの楽しい学園生活も超多忙過ぎて、全く楽しめなかったに違いない。
道理で近ごろはすっかり笑顔も見せなくなっていたはずだわ。昔は私にだけは時々優しい笑顔を見せてくれていたのに。
近衛騎士になったら、ますます忙しくなる。そんな彼にもう迷惑をかけてはいけないわ)
そう頭の中で考えながらも、これからは距離を取らなければならないと思うと、リシェルの胸はひどく痛んだ。
(彼を諦めなくてはいけないのかしら。
三年前、隣国へ嫁ぐ大好きなお姉様に
「私は政略結婚で嫁ぐけれど、貴女は末っ子だし、きちんと釣り合う相手ならば、ある程度相手は選べるでしょう。
だから、好きなお相手がいるなら簡単に諦めないで、結ばれるように努力なさい」
と言われたわ。
だから、マーシャル様と結婚したくてずっと頑張ってきた。それなのに、私が彼を愛人にしようとしている。そんな風に周りから思われていたなんて)
リシェルは五日間ずっと泣き続けて、食事もろくに喉を通らなかった。両親や兄達は心配して何があったのかと訊ねた。
しかし彼女は口を閉ざして何も語らなかったので、皆途方に暮れてしまった。
そこで第一王子のチャールドが、リシェル付きの侍女やメイドから情報を集めた結果、近衛騎士団の訓練場へ行った後から様子が変になったことがわかった。
「マーシャルに迷惑をかけたなんて思う必要はない。むしろ、女避けになってあいつはお前に感謝していると思うぞ。
だから気にする必要はない。そんなに悲しむな」
「チャールドお兄様、女避けになったとおっしゃいますが、私がまとわりついて迷惑をおかけしたことに間違いはありませんわ。
私がいなければ素敵なご令嬢と親しくなれたかもしれないというのに」
「あいつはお前を妹のように可愛いと思っているから面倒だとか、迷惑だなんて思っていないと思うぞ」
チャールドはそう言ったが、その半分は嘘だった。
リシェルのことを迷惑には思っていないが、妹のようだとは思ったことはない。以前マーシャルからそう言われたことがあったからだ。
「本当に気にする必要はない。これは他言無用だが、あいつは子供のころに女性に襲われて女性嫌いになったんだ。
今は同性しか愛せなくなったらしい。まあ今のところ、好きな相手はいないようだが。
だから、お前のおかげでご令嬢が近寄らなくなって助かっていると思う」
「……」
妹のように可愛い。
同性しか愛せない。
この日、リシェルの初恋は木っ端微塵に粉砕したのだった。
彼の役に少しは立つのかもしれない。けれど、さすがにこれまでのようにお気楽に彼の側にいる気にはなれなかった。
わざと避けるような真似はしなかったが。
とはいえ、マーシャルへの思いが完全に消えたわけではなかったので、とても辛かった。
それゆえに彼女は無理やりに思い込もうとした。自分は王族なのだから、国のためになる結婚をするのが義務。父である国王に命じられたらそれに従おうと。




