暗躍する者達2
暗闇の中、身を隠していたシキが庭木の陰から目を凝らしてみると、もう深夜だというのに平屋造りの豪邸のそこかしこで灯りが点き、多くの人間が忙しそうに行き来していた。
もしも迂闊に近づいた日には、あっという間に見つかって蜂の巣をつついたような騒ぎになると、確信を持って断言できる。
何故ならば彼等があそこまでてんてこ舞いになっている理由の大半は、間違いなくシキにあるのだから。
お勤めご苦労さんと、誠意に欠けた労いを胸中で呟き、再び周囲の気配を探る。
薄雲越しの淡い月明かりに照らされた空間は、時刻もあってかシキ以外の人影はない。
手入れの行き届いた東亜租界様式の庭園であり、見事な枝ぶりの草木には事欠かないため、よほどの下手を打たなければ見つかる心配も無いだろう。
「さてと、問題はここからだ。どうにかあの屋敷に潜入……はあ、何を間違えて、泥棒の真似事なんてやる羽目になったんだっけかなぁ……」
恨みというほどには凝り固まってはおらず、どちらかというと現実逃避に近しい感情を言の葉に乗せ、冷えた夜気に発散する。
つい吐露してしまった自問の答えを求めて、シキはここに来た理由を思い返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
切り裂いた物体を発火させるイングレイヴ使い、【鋭利なる焔刃】のグエンを倒した後、シキは東亜租界の中でも特に治安の悪い、俗にスラムと呼ばれるエリアへと足を踏み入れていた。ちなみにツクモも同伴している。
正確には、安全な場所にツクモを匿いたいとリュシーカが言い出し、ついでとばかりに首を突っ込んだからにはシキにも力を貸してもらうと主張して、強引に連れて来たというのが実情であった。
場所が場所だけに、見慣れない顔であるシキ達へ向け、露骨な値踏みの視線が次々と向けられてくる。隙あらばしゃぶり尽くそうというギラついた欲望が絶え間なく肌を刺すため、異様な雰囲気に怯えたツクモはシキの手を強く握り、絶対に放そうとしなかった。
シキとて一人で来ていたなら、不快感からとうの昔に回れ右をしていたところだ。どうにか我慢しているのは、ひとえにツクモのために他ならない。
ツクモを回収するなどと戯けたことを抜かしていたグエンは、恰好からして楼都の人間だった。しかもイングレイヴ使いである。そんな輩がただの迷子探しで租界までやって来たと考えるほど、リュシーカはもちろん、シキの頭もお花畑ではない。
つまりツクモには、楼都のイングレイヴ使いに狙われるだけの事情があるということになる。その可能性に思い至るのは、赤子の手をひねるよりも簡単であった。
それよりもここで問題となるのは記憶喪失だ。狙われる理由をツクモ自身が忘却しているとなると、的確な対処に動くことは難しい。
しばらくは水面下で、互いの意図と出方を探り合う情報戦となるのは必定。
「というわけで、ここがしばらくの間だけど住んでもらうセーフハウスよ」
とりとめのない事を考えている間にも、目的地に到着していたらしい。
胸を張るリュシーカが指し示した物件を見上げれば、寂れた路地のどん詰まりにひっそりと佇む、倉庫兼住居といった外見の建物であった。
一階はガレージとなっており、機械部品や工具がそこかしこに転がっている。
ギィギィ軋む階段を登っていくと、殺風景ではあるものの整理整頓の行き届いた居住スペースが一行を出迎えた。
「へえ、意外と片付いてるじゃん。急な話だったはずなのに、随分と準備が良いんだな」
「微妙に上から目線なのが気に入らないけど、ひとまず褒め言葉として受け取ってあげるわ。情報屋という仕事はね、いざという時の準備ができているかどうかで、仕事の成否どころか生き死にまで変わってくるものなのよ」
「ふーん、そんなもんなのか。まあいいや、これならツクモを預けても安全そうだな。じゃ、俺はこれで」
「待ちなさい」
ごく自然に立ち去ろうとした少年を、予期していた動きでインターセプトする。
なぜ引き止められたのか心当たりが無いと、目で口ほどに訴えてくるシキの額を、リュシーカは迷わずデコピンで打ち抜いてのけた。
「やり遂げた顔をして立ち去ろうとしないで頂戴。そういう無責任な男は、月の出ていない夜に人気の無い曲がり角で出合い頭に刺されるわよ」
「妙に具体的な脅迫をするな。そもそも無責任じゃねえだろ。ここまで付き合ったわけだし」
「しばらくの間と言ったでしょう。隠蔽工作にはそれなりに力を入れてあるけど、人間のやることに完璧なんてないわ。向こうが人海戦術を取ると仮定したら、長く見積もっても発覚まで一週間が限度ね」
「人海戦術?」
思ってもみなかった単語の出現に疑問符を浮かべてしまう。
グエンの取り巻きは柄の悪そうな連中が五人だけだった。あれっぽっちで人海戦術とは、片腹痛いどころかへそが茶を沸かすというものだ。
正直にそう告げると、リュシーカは残念な生き物を見る眼差しを向け、腰に手を当て噛んで含めるように言って聞かせてきた。
「あれは氷山の一角よ。八徳會が本気になったら、動員できる人数は二百人を下らないわ」
「二百!? おいおい、冗談にしても盛り過ぎじゃないのか」
「冗談なら良かったのだけれど……ああ、シキ君は東亜租界に来たばかりだったのよね。なるほど、それなら八徳會を知らなくても仕方ないか」
一人で完結して納得するリュシーカ。逆に得心のいかないシキは、苛つきを隠そうともせず眉を吊り上げる。
「勝手に納得してんなよ。大体、八徳會ってのは一体何なんだ? この街に来てから、やたらとその名前を聞かされるんだが」
「端的に説明するならマフィアよ。東亜租界で最大勢力の、という但し書きが付くけど」
租界の住民にとっては一般常識、だが租界外の者にとっては非常識。
こういった情報格差は、実のところかなり頻繁に発生する。
租界と租界の間に人類の往来を阻む荒野が存在する以上、人々が見聞きする情報は基本的に己の住む租界内の出来事に限られるからだ。
初めて訪れる租界について事前知識を持ち合わせていないのも、さして珍しい話ではない。
「ここじゃ渡世人とも呼ばれたりするけど、まあ概ね同じ意味合いね。元々はソウカクという流れ者の侠客を慕って集まった小規模な組で、団結力と武力から裏社会でも一目置かれてはいたけれど、組織の規模としてはせいぜい中の下だったわ」
「それが今じゃ最大勢力だと。わざわざ勿体ぶった前置きをするってことは、八徳會がのし上がった裏にカラクリでもありそうな口ぶりだな」
「あら、いい勘をしているじゃない。まさしくその通りよ」
シキが叩いた軽口を、リュシーカは事も無げに肯定した。
「遡れば転機は五年前ね。隠居したソウカクの息子で跡目を継いだ二代目が、他の組との抗争で死亡したの。その後に若頭に就いた人物が、二代目が亡くなったのは八徳會に戦力が足りなかったからだと主張して、拡大路線に舵を切ったのよ」
聞いている限りではさほど違和感の無い展開に、逆にシキは疑問をおぼえる。この話のどこにカラクリとやらがあるのだろうか。
「おかしくなるのはここからよ。ちょうど時期を同じくして、喪に服すとかでソウカクが人前に姿を見せなくなったの。結果、八徳會の方針転換に否を唱える者は現れず、それまでは手を出していなかった後ろ暗いシノギにもどんどん進出していき、わずか数年で組織は大きく躍進したというわけ」
「それだけか? それじゃどう聞いても、若頭の成り上がり記だぜ。ケチをつけようにも、陰謀論がいいとこだろ」
「裏に租界外の勢力が絡んでいるとしても?」
脈絡なく放り込まれた爆弾に、虚を突かれたシキは目を丸くしてしまう。リュシーカは獲物の口に釣り針をかけた漁師の心境で、薄い笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「若頭が就任した前後から、何者かが八徳會に接触して、資金や武器を供与していたみたいなの。こっちはまだ確証が掴めていないけれど、二代目が亡くなった五年前の抗争自体、敵対関係にあった組が焚きつけられていた節もあるし」
それが事実だとすれば、謀略の筋書きと目的は明白だ。抗争を誘発させて、八徳會の首のすげ替えを図ったのである。あるいは抗争と見せかけて、実際は二代目の殺害にまで手を回していた可能性も考慮せねばなるまい。
そうして野良犬の首に縄を付けた後は、たらふく食わせて肥え太らせたというわけだ。
もちろん、第三勢力暗躍説が真実ならば、ではあるが。
「本当に租界外……回りくどい言い方だな、要するに楼都の連中が首を突っ込んでいるっていう証拠はあるのかよ?」
「物証は無いわ。でも状況証拠ならいくらでも。特に露骨なのはイングレイヴ使いね。さっきシキ君が戦った相手がまさに当てはまるのだけれど、八徳會はこの五年の間に複数人のイングレイヴ使いを用心棒として雇い入れているの」
「マフィアがイングレイヴ使いを抱え込むのは、それほど珍しい話でもないんじゃねえのか? 確かに複数人となると、ちと多い気もするが」
常識的には肯定するしかない指摘に、しかしリュシーカは更なる不審点を挙げてみせる。
「複数人といっても同時に在籍するわけではなく、必ず一人ずつなのよ。まるで持ち回りの当番制みたいにね。彼等は前任者がいなくなると、すぐにどこからともなく八徳會を訪ねて来る。そして雇われてある程度の期間が経つと、今度は何処ともなく立ち去ってしまうの。加えて、その誰もが他組織のお抱えイングレイヴ使いより頭一つ飛び抜けていたものだから、どこも迂闊に手を出せなくなってしまい、かくて八徳會はこの世の春を謳歌するのでした」
めでたしめでたし、とふざけた調子で結ぶリュシーカに、聞き終えたシキはどうしても気になった点を問い詰めてみた。
「怪しいのは分かった。確かにイングレイヴ使いを継続的に派遣するとしたら、楼都の奴等が一番疑わしいってのも理解できる。けど、いくら最大勢力とはいっても、そこまでして租界のマフィアに執着するものなのか? 手駒にするならもっと強力で使い勝手のいい戦力を、楼都の連中なら山ほど抱えてるだろ」
「さあ?」
「さあって、おいおい……」
懇切丁寧に説明していたかと思いきや、一転して適当極まる投げやりっぷりに、思わずがくりと脱力してしまう。肩を落とすシキに対して、リュシーカは原稿でも読んでいるかのように淡々と補足してのけた。
「一口に楼都とは言うけれど、全住民の意志が統一されているわけじゃないもの。八徳會を通じて租界に手を伸ばしてきているのは、楼都の中でもごく一部に過ぎないわ。そして連中が何を企んでいるのかは、まだ調べがついていないというだけの話よ。むしろその調査こそが、私のお仕事なのだけどね」
すらすらと語って聞かせるリュシーカの言葉に、食事処で聞かされた話が甦る。
そういえば、楼都の不穏な動きを調査する依頼がどうのと言っていたかもしれない。
そこまで考えが及んだところで、ようやく点と点が繋がった。
「なるほどな。あんたが調べているヤマに、八徳會を裏で操っている奴が関わってるのか」
「そう睨んでいるわ。でも、現状では後回しね。最優先はツクモちゃんの安全の確保だから」
「ちょい待った。八徳會の裏に正体不明の奴がいて、色々と悪巧みしていそうってのは理解できた。けど、ツクモを攫おうとしている連中が八徳會だってのは、本当に間違いないのか?」
敵を見誤っていては元も子もない。具体的に疑いがあるわけではないのだが、念押しのつもりで確かめてみれば、リュシーカは本日一番の力強さで断定してのける。
「十中八九、間違いないわ。焼きそば屋でシキ君に蹴散らされたチンピラ達が、八徳會の構成員名簿に載っていたもの。それに彼等が雇っているイングレイヴ使いについて事前に調べていたからこそ、シキ君が【鋭利なる焔刃】で消し炭になる前に忠告できたんじゃない」
理路整然とした説明に、シキが口を挟む余地は与えられない。
ちなみにリュシーカの言を認めるということは、東亜租界最大のマフィアに喧嘩を売ったと認めるのと同義でもあった。
「……くそ、気付けば詰んでるパターンかよ。本当に厄介な租界だな、ここは」
「焼きそば屋の件にしろ、ツクモちゃんの件にしろ、首を突っ込みに行ったのはシキ君の方からだけどね」
こっそりと漏らした愚痴すら見逃さない的確なツッコミ。
不機嫌そうに睨んでみるが、リュシーカに動じた様子はない。
シキの都合など斟酌するつもりはないと言わんばかりのすまし顔にカチンときて、つい不用意な一言を放ってしまう。
「言っておくが、俺は偶々巻き込まれただけだからな。こんな街のいざこざなんか放り出して、とっとと別の租界に行っちまっても構わないんだぜ」
「ご自由にどうぞ。ツクモちゃんを見捨てて逃げ出す程度の人間なら、こちらから願い下げよ」
「あ、う……」
迷いなく放たれた返しが鋭く急所を抉り、かすれた呻きが喉からこぼれ落ちる。
所詮は売り言葉に買い言葉であり、無視することは容易い。偶然行き遭っただけなのも嘘や誇張ではなく、シキがツクモに対して負っている責任が本来皆無なのも事実だ。
だが、他の誰が許そうとも自分自身が許容できない選択というものは、厳然として存在する。シキにとっては、この事件から尻尾を巻いて逃げ出すという未来が、まさにそれだった。
「……ちっ、ツクモの安全が確保されるまでは手を組んでやる。ったく、お前は絶対、地獄に落ちるぜ」
「あら、協力してくれるなら、リュシーカと名前で呼んでもらいたいところね。それとお生憎様、私は天国にリザーブを入れてあるの。それはともかく、情報源が向こうからやって来てくれたのだから、ご相伴に預からせてもらいましょうか。シキ君、これから八徳會の本拠地に忍び込んできて頂戴」
「うえおっ!?」
初手、無茶振り。想像以上の人使いの荒さに、思わず奇声を発してしまう。
ソファで眠りかけていたツクモは、裏返った声に寝入りばなを邪魔され、更には曰く言い難い渋面を張り付けたシキを見て、寝ぼけ眼を擦りながらキョトンとした表情を浮かべたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「リュシーカの奴め。帰ったら絶対に待遇改善を要求してやる」
一応、リュシーカ自身も事件の情報を集めると言ってセーフハウスを出て行ったので、何でもかんでも丸投げにされたわけではないようだが、いきなり敵の本拠地に突っ込ませるというのは、どう考えても鉄砲玉に対する扱いである。
再度の溜息を喉の手前で飲み込み、別角度から侵入経路を探すべく、シキは移動を開始した。
茂みから茂みへ身を隠したまま渡っていく。と、不意に木々が途切れ、年季の入った小規模な邸宅が目の前に現れた。
随分と薄汚れたそれは、どうやら離れであるらしい。
本邸から距離があるため、こちらまでは喧噪も届いてはいない。本邸潜入の足掛かりとするには、近くて静かで好都合な立地といえるだろう。
そんな皮算用を立てていた時だった。
「ほう。珍しく客でも来たのかと出迎えてみれば、随分とでかいネズミが迷い込んだようじゃのう」
しわがれているのに不思議と人を惹きつける声が、夜の帳の奥から響いてきた。




