暗躍する者達1
「“翻訳機”捜索の定時報告が途絶えた? 確か、グエン君に任せていたはずですが」
こぢんまりとした執務室の最奥。一面ガラス張りの窓を背に書類を山と積み上げた恰幅のよい男が、走らせていたペンを止めると、部下から告げられた報告を繰り返した。
「はい。昨日2000に予定されていた定時報告が行われず、以降十二時間が経過した現在でも連絡が取れておりません。作戦中未帰還の判断にはまだ尚早ではありますが、生死に関わる事態になっていることも想定されるため、念のためケイロン相談役殿にはご報告させて頂きました」
「ありがとう。的確な判断です」
敬礼を崩さぬままの隊員を労うと、対イングレイヴ特殊部隊クレイドルの第七楼都カナドメ支部において、権力はあるが権威はないと陰で揶揄されているケイロンは、おもむろに両目を閉じると己の思考に没頭した。
二、三分の沈思黙考を経て、報告を持ってきた隊員に詳細を確かめる。
「グエン君の派遣地域において、監視員から常とは異なる報告が上がってきてはいませんか? 任務とは直接関係の無い内容でも構いません」
「いえ、特には……あ、通報レベルで真偽不明のものならば、一件上がっておりますが……」
「それで結構です、教えてください」
裏取りされていない噂は、誤報と表裏一体の関係にある。あやふやな報告をするなど決して褒められた行為でないため、上官の前でつい口ごもってしまった隊員であったが、ケイロンは穏やかに先を促した。
隊員は命令を復唱すると、咳払いを挟んでから声を張り上げる。
「グエン特務隊員が接触していた現地組織の勢力範囲内において、一時的な火災の目撃情報が寄せられています。周辺の建築物よりも高い火柱が上がったとのことなのですが、火元が確認できず、想定される火災の規模と比べて明らかに不自然と考えます。そのため、本当にそのような火災が発生していたか信憑性が薄く、現地の警察機構は誤報として処理するつもりのようです」
「なるほど。そしてグエン君は定時報告が途切れている、と。これらの情報を統合して、君ならばどんな仮説を立てますか?」
「え、あ、その、それは……」
唐突に意見を求められ、しどろもどろになってしまう隊員。
一方、質問を振った側であるケイロンはというと、回答に詰まる部下を置き去りに、確信を込めて断定してみせた。
「グエン君は昨日、イングレイヴ戦で敗北した。そう考えるべきでしょう。件の火災が彼の能力に起因しているのならば、火元不明となるのも道理ですからね。クレイドルの精鋭が租界ごときで後れを取ったなど、とても信じられないという気持ちは理解できますが、定時連絡がない以上は敗北もしくはそれに準ずる状態にあると仮定して、今後の対応にあたるべきです」
「……仰る通りです。ご指導ありがとうございます」
危機管理の基本、それは最悪を想定することだ。
とはいえ、言うは易く行うは難しで、実践できている者は意外と少ない。それを軽々とやってのける上官に尊敬の眼差しを向けていると、視線に気付いたケイロンが怪訝な顔を返した。
「どうしました? 矛盾する報告でもありましたか?」
「い、いえ、そのような訳では! 相談役殿の含蓄あるお言葉に感服しておりました」
「ありがとう、しかしお世辞は結構ですよ」
「いえ、世辞などではっ」
隊員は即座に否定するも、当のケイロンが額面通りに受け取ろうとはしなかった。歳のせいか皺の本数が増えてきた顔を、自嘲めいてシニカルに歪める。
とはいえそれも一瞬の出来事。うずたかく積まれた書類を脇にどかし、両手を組んで口元を隠す。
「グエン君の安否も気掛かりですが、現状での最優先課題は、彼に遂行してもらっていた特別任務の継続です」
「“翻訳機”の捜索ですね。租界常駐の監視員達に引き継がせましょうか?」
「いえ、そういう訳にもいかないでしょう」
部下の提案に、ケイロンはゆっくりと首を横に振った。
「“翻訳機”の存在は最重要機密です。コードネーム以上の情報に触れる人員は、可能な限り絞らなくてはなりません。その観点からすると、監視員達では人数が多過ぎる。それに敵対者の存在も不安要素です」
「敵対者、ですか?」
おうむ返しに訊いてしまう。
ケイロンは小さく頷くと、人差し指でリズミカルに机を打った。コツコツという軽い音が、二人しかいない執務室に反響する。
「先程も言った通り、おそらくグエン君はイングレイヴ戦で敗北しました。つまりグエン君を上回るイングレイヴ使いが、すでに“翻訳機”を確保している可能性が高い。アレの正しい価値を把握しているとは考えづらいですが、奪還の難易度は非常に高いと予測できます。監視員達では発見はできても、確保は不可能でしょう」
「なるほど、理解できました。しかし、それではいかが致しましょうか。通常の任務であれば、人員を増やしてローラー作戦を行うところですが……」
「それでは機密性の保持に問題がありますね」
言い淀んだ隊員の後を引き取り、ケイロンはばっさりと切り捨てる。
増員するということは、それだけ作戦の内容を知る人数が増えるということだ。租界中を虱潰しにするローラー作戦ともなれば、頭の回転が鈍い租界人達の中にも勘付く者が出て来よう。世間の口に戸は立てられないとの伝承が示す通り、一定以上の人間が共有した秘密は加速度的に拡散し、あっという間に秘密ではなくなってしまう。
要するに、真実を知る者は限りなく少なく、が基本なのだ。
人手を増やせば機密が洩れ、絞れば正体不明の敵への対処に不安が残る。
典型的な板挟みに直面し、ケイロンが下した結論は切り札の投入であった。
「こうなっては仕方がありませんね。双子に頼むとしましょうか」
「まさか、ローシィとウージゥをお使いになるのですか!?」
「そう驚くこともないでしょう。あの子達の潜在能力はグエン君を凌駕する。敵がどれほどのイングレイヴ使いであっても、そうそう後れを取ることはありませんよ。適任です」
「それはそうかもしれませんが…………正直、彼等の言動はクレイドルとしての自覚に欠けているかと……」
苦虫を噛み潰したような声音で隊員が諫言する。ところがケイロンは、一瞬たりとも吟味することなく、その進言を一蹴してのけた。
「任務達成が最優先です。それに彼等の歳を考えれば、多少の悪戯には目をつぶってあげるべきでしょう」
「……かしこまりました。それでは【双つ守護者】を特務隊員に任命し、本件に関する機密事項へのアクセスを許可。任務内容を通達致します」
納得はいかないながらも、判断自体は合理的なものだと理解できる。
個人的な好き嫌いよりも組織の規律を優先すべしと自身に言い聞かせ、隊員は速やかに手続きを進めるべく執務室を辞そうとした。
が、踵を返すよりも早く待ったがかけられた。引き止めたのは無論、ケイロンだ。
「言い忘れていました。双子には私から追加で指示を出したいので、任務の準備が整ったら連絡を寄越すように伝えておいてください。それから並行して、グエン君を破ったイングレイヴ使いの捜索を。こちらは通常任務の範囲ですので、監視員達に任せても結構です」
「承知致しました。しかし、対象が能力を使わなければイングレイヴ使いであるかを識別することはできません。指針に欠けた捜索は難航が予想されますが」
「なあに、手掛かりならありますよ。そうですね、ごく最近……ここ数日以内に東亜租界を訪れた者に限定してください。これなら鋼殻キャリッジの乗員名簿を調べれば、すぐに目星がつけられるはずです」
その条件なら、多くても百人に届かない。火柱が目撃された時刻のアリバイを確認していけば、絞り込みもできるだろう。
だが、どうして租界外の人間の仕業と断定できるのか。質問したい隊員の内心を察したらしく、ケイロンは小さく微笑んでみせた。
「簡単な推測ですよ。現地住民との余計な摩擦を避けるため、グエン君は東亜租界での最大勢力……確か、八徳會でしたか。彼等と行動を共にしていると、以前の報告にありました。租界人であれば、八徳會を敵に回すとは考え難い。つまり東亜租界の勢力図に無知な、外部の者の犯行と考えられます。付け加えるならば、東亜租界在住のイングレイヴ使いはリストアップが済んでおり、その中にグエン君を倒せるほどの実力者はいません。数を頼りに攻め寄せたという可能性は残りますが、それほど大規模な抗争となれば、監視員達のアンテナに引っ掛からない方が不自然ですからね」
立て板に水のごとく根拠を並べていく。いちいちもっともな理屈に、隊員はなるほどと頷かされた。
その時ふと、彼は重要な手続きを思い出した。
「本件について、隊長への報告はどう致しましょうか? 規定では、隊員が死亡した際は可及的速やかに報告すべし、とありますが」
「ああ、現状ではまだ不要でしょう」
悩みながら打ち明けた質問だったのだが、ケイロンの判断は淡泊だった。
「まだグエン君が死亡したと決まったわけではありませんし、そもそも隊長の現在位置が分かりませんからね」
「それはまあ、盗賊……反社会勢力撃滅の遠征中ですので」
「ええ、ドルトン・ギャングが壊滅したというのは喜ばしいニュースでした。だからこそ、この機に東亜租界周辺の盗賊共を一斉摘発し、一層の治安回復を図る。理念は素晴らしいのですが、一週間以上もトップ不在となるような遠征を、まさか思いつきで実行に移すとは……行動力があり過ぎるというのも、下の者からすれば困りものです。そうは思いませんか?」
「いえ、その、何と申し上げたら良いか……」
うっかり頷くと上官侮辱と取られかねない問い掛けに対して、隊員ができたのは冷や汗を垂らして言葉を濁すことだけだった。
くるくると顔色を変える部下の様子を面白そうに眺めていたケイロンであったが、やがて小さく吹き出す。
「ははは、すみません、冗談ですよ。ともかく、伝えた通りに対処を進めてください。ああ、そうだ。もしも敵対するイングレイヴ使いを発見しても、決して不用意に接触しないように。相手が“翻訳機”を確保している可能性が濃厚であるため、対処は特務隊員に担当させます」
「了解しました。それでは失礼致します」
再び見本のような敬礼をすると、隊員は足早に部屋から去って行った。
一人残ったケイロンは、しばらく書類の山を黙々と片付けていたが、やがて一段落ついたらしく、凝り固まった肩をほぐしながら立ち上がる。
窓辺に歩み寄り、眼下に広がる繁栄を謳歌している街並みと、世界を区切っている巨大な壁を視界に収める。
全てを見下ろし、全てを手中に収めたような気分になれるこの光景を、ケイロンは世界中の誰よりも愛している自信があった。
だが、ふと視線を切ると足元に意識を向ける。正確には、はるか地の底で眠り続ける埒外の存在へと。
どこの誰かは知らないが、余計な真似をしてくれたものだ。折角の好機で計画に遅延は許されないというのに、次から次へと問題が持ち上がってくる。
「いや、これもオロチに手を届かせるための試練と思えば、どうということはない、か」
あえて口に出し、自分自身を鼓舞する。
かつて一度は夢想し、歯牙にもかけられず蹴落とされた頂きまで、あとわずかの所まで来たのだ。だからこそ焦りは禁物。一歩一歩、足場を踏み固めていくことこそ肝要となる。
手始めは“翻訳機”の燻り出しだ。時間がケイロンの敵である以上、このまま潜伏されるのが最も痛手となる。“翻訳機”の機能に影響が出る可能性が微小ながら存在するため、これまで干渉を手控えていたが、少々強引な手段を用いてでも早急に居場所を特定し、奪還せねばなるまい。このまま手をこまねいて行方を眩まされるのに比べれば、そちらの方が百倍はマシというものだ。
素早く思考を走らせて青写真を描き直しながら、彼は眼下に広がる街並みを改めて見渡した。
地上五十階という最高のロケーションから眺める楼都は、やはり何度見ても素晴らしいものだ。いずれこれら全てが名実ともに己の物となる光景を夢想し、ケイロンは恍惚で頬を緩めながら、再び書類仕事に身を投じるのだった。




