風来坊と白皙の少女4
腕の中に現れたずしりとした重みを、グエンは滑らかに旋回させた。風切り音を引き連れて縦横無尽に空中を踊り回った得物は、最後には使い手の脇にピタリと添えられ、標的に向けて構えられる。
目を引くのはその長さだ。
グエンの背丈を悠々と上回り、長柄の先に切れ味鋭い片刃を備えた剣呑な形状からは、与えられた殺傷の意志を誤解の余地無く十全に読み取ることができる。
「そいつがあんたのイングレイヴってわけか。槍なのか、それ?」
「薙刀という、似て非なる武器ですよ。まあ、知ったところですぐあの世に行く君にとっては、無駄な知識でしょうがね」
殺意を乗せた切っ先がゆるりと持ち上がる。両者の間には若干の距離があったが、それは素手のシキからすれば間合いのはるか外でも、薙刀を持つグエンの射程にはあと一歩という、図ったかのようなものであった。
であればグエンが先に仕掛けたのも必然か。長柄の有利を存分に活かし、踏み込みと同時に下段からの切り上げを放つ。
先手は譲ったシキだったが、慌てることなく冷静に、半歩下がっただけの最小動作で攻撃圏を脱してみせた。そればかりでなく、長物を振り切った直後に生まれる隙を突くべく、反転するや敵の喉元目掛けて飛び込んでいく。
だが、視界の端におぼろげな影を捉えた瞬間、思考ではなく本能に従い、自らバランスを崩すことでその場に身を投げ出していた。
直後、初手の空振りの分まで加速が乗せられた石突が、間一髪のタイミングでシキの頭があった空間を貫いていく。刃の付いていない箇所とはいえ、頭蓋骨を砕くには十分な威力であったことは、耳元を掠めた風圧に否が応でも理解させられた。
「おや、よく躱したものです。眼か勘か運か、どれか一つくらいは良いものを持っているようだ。ですが、いつまで持ちこたえられるでしょうか」
論評する余裕を見せつけながら、グエンの繰り出す斬撃が徐々に鋭さを増していく。
イングレイヴ頼りの力任せではない、鍛錬で磨き上げられた技巧の数々。少しでも気を抜けば切れ味抜群の白刃にばっさりやられる殺意の雨を、シキは五感を総動員し、紙一重ながらも回避して回避して、そして回避してのけた。
どうやらこと身軽さにおいてならば、軍配はシキに上がるらしい。とはいえ防戦一方では、いつか必ず破局を迎える。ここは多少の手傷を許容してでも、格闘戦の距離に踏み込まねば勝機は無い。
瞬時に決断したシキが実行に移そうとした、まさにその瞬間だった。
「駄目よっ、避けなさい!」
「!!」
無視することのできない切迫した叫びが耳に届き、反射的に大きく跳びすさらせられる。
結果、シキの頬を浅く裂くはずだった一閃は標的を見失い、横手に建てられていた板塀の表面を擦るようにして抉り取るにとどまった。
そして、それこそが引き金であった。
コンマ一秒のタイムラグすら挟むことなく、板塀に刻まれた擦過痕から燃え盛る炎が噴き出したのだ。炎はあっという間に板塀を呑み尽くし、板塀を一握りの灰へと変えてしまう。
「うげっ、何だそりゃ!?」
己の目を疑う光景にシキの声が裏返り、一拍遅れて思い出す。グエンの武器はただの薙刀ではない。特異能力を有するイングレイヴなのだ。常識では計り知れない効果を持っている方が、むしろ自然というものではないか。
「【鋭利なる焔刃】。能力は見ての通り単純明快で、切り裂いた物を強制的に燃焼させる。ただそれだけよ」
「それだけ……って十分だろ! 俺との相性、最悪なんてもんじゃねえぞ!」
リュシーカの解説につい怒鳴り返してしまう。
真実ならば、かすめただけで板塀が燃え尽きたことにも納得がいく。それは同時に、肉を切らせて骨を断つ戦術が封じられたことを意味していた。
それどころか毛筋一本の傷からでも人間を松明に変えられるのであれば、長物対素手という組み合わせと併せると、文字通り手も足も出ない可能性すら考慮せねばなるまい。
「くそっ、面倒な能力してやがる」
「大丈夫、シキ君?」
いつでも逃げられるようにツクモを抱え上げ、リュシーカが後方から尋ねてくる。苦戦する少年を心配しての質問のはずだが、どういうわけかシキにはまったく異なる意味に聞こえた。
すなわち「この程度なのか?」という落胆に。
用心棒にと見込んでいた人物が終始押され気味となれば、不安を感じてしまうのも仕方のない話なのかもしれない。
もっとも、勝手に期待された挙句、勝手に失望されたことに腹が立つかどうかは、完全に別の問題だったが。
「はっ、このくらい余裕だっての。あんたはツクモが怪我しないようにだけ注意しといてくれ。ついでに、この放火魔をぶちのめすところを見届けてくれてもいいけどな」
「威勢の良さだけは一級品ですね。しかし、意気込んだところで打つ手がありますか?」
「望みとあれば今から見せてやるよ。目ん玉見開いとけ」
シキは吠えると、真正面から突撃した。
フェイントや駆け引きといった戦術を投げ捨てた真っ向勝負。あれだけ大口を叩いておいて、まさかのバンザイ突撃かと意表を突かれかけたグエンだったが、予想外の手で迎撃を遅らせることこそが狙いだと看破するや、即座に動揺を殺して相手の首筋目掛けて横薙ぎを放った。
すでにシキは間合いの内側。無傷での回避は望めない。ならば一体どうするのか?
少年が迷うことなく選び取った回答は、右腕を盾にして致命傷を避ける、であった。
想定しうる中での最悪手に、実力伯仲の戦闘がもたらしていた高揚感が急速に冷めていく。
【鋭利なる焔刃】の能力は傷付けた物体の強制発火だ。下手な防御は無意味どころか有害と理解しているはずなのに、何を考えてつまらない死に様をさらそうと――
ガギンッ!!
憐れみさえ混ざりかけていた感傷が、ちかちか瞬く激痛と共に彼方へと吹き飛んでいく。
拳の届く距離まで接近してきたシキの左フックを鼻先に食らい、踏ん張ることもできずに殴り倒されてしまったのだ。
「!?」
一体何が起きたのか。驚愕と疑問が瞬時にグエンの脳裏を埋め尽くす。
斬撃が躱されたわけではない。斬りつけた瞬間、重く固い手応えが間違いなくあった。
そう、まだ東亜租界で跳ね返り者達を従えて調子に乗っていた頃に、物は試しと隔絶の壁へ斬りつけてみた時のような手応えが――。
「否、それこそありえない」
人体を斬ったはずなのに、【鋭利なる焔刃】ですら傷一つ付けられなかったあの壁と同等の手応えがあるなど、それこそ異常ではないか。
いや、待て、傷一つ付けられなかっただと……?
「無傷……!!」
ぼたぼたと鼻血を垂らしながらも、震える足を叱咤して立ち上がったグエンは、ある意味で想像通りである想定外の光景を見せつけられ、不覚にも言葉を失ってしまった。
ほんの数メートル離れたところで相対するシキの右腕。【鋭利なる焔刃】によって切り裂かれ燃え尽きたボロ布の下から顔を覗かせていたのは、まるで見たことのない代物だったのだ。
金属にも似た漆黒の光沢。その形状は普通の腕と寸分違わない。しかし義手にしては有機的に過ぎ、滑らかに拳を握ったり開いたりしてみせる動作からは、人工物特有の画一的な機械性が欠如していた。信じがたいことだが、どうやら生身であるらしい。
地平線へ沈みゆく斜陽に照らされた黒一色の肌には、【鋭利なる焔刃】との打ち合いによる損傷は認められない。であるならば、シキが燃え滓となっていない理由は明白だ。
傷付けた物を強制的に発火させる【鋭利なる焔刃】の能力。それは転じて言えば、傷付けられない物は燃やせないという制約でもあるのだから。
「な、何なのですか、その腕は!?」
「さてね、俺も知らないんだわ。ついでに言えば、この腕があんたのイングレイヴより頑丈かは運任せだったんだが、どうやら賭けは俺の勝ちだったみたいだな」
ここにきて相性は根底からひっくり返った。
【鋭利なる焔刃】を防ぎうる盾がある以上、間合いの外から削り燃やす必勝パターンは通用しない。かといって懐に入られては長物の有利は激減する。
おまけに先の一撃がいい具合にグエンの脳を揺さぶっており、平衡感覚は風前の灯。どうにか立ってこそいるが、まともに薙刀を振るうことは難しいだろう。
「行くぜ」
降伏勧告などという逃げ場を用意するつもりは微塵もないらしく、グエンが考えをまとめるより先に、再度シキが突っ込んできた。
それは先程の交錯の焼き直し。迎撃してくる【鋭利なる焔刃】を右腕で防ぎ、その間に間合いを詰めて、今度こそグエンを仕留めるつもりに違いない。
「舐めないで、もらいたいっ!」
同じやり方では食い破られる。ならばどうするか?
考えるまでもない。答えは、違うやり方をする、だ。
グエンは残された力を振り絞ると、イングレイヴを横一線に薙ぎ払った。しかし、シキはまだ間合いの外。ならば彼は、果たして何を斬ったのか。
その答えが、地面から吹き上がる火柱として顕現する。
道幅いっぱいに燃え盛る業火には、通り抜けられそうな隙間はどこにも見当たらない。
高さも優に五メートルを超えており、さながら炎による防壁だ。
そして防壁を成す炎は、地面に深く刻まれた一本の斬撃痕から噴出していた。
目端の利く者ならばすぐに理解しただろう。グエンが斬ったのは地面そのものだったのだと。
確かにシキの漆黒の腕は、【鋭利なる焔刃】に対する回答として十二分に機能する。だが、行く手を遮る焦熱の領域を突破するには心許ない。
腕自体は炙られても焦げ目一つ付くまいが、本体であるシキが丸焼けとなってしまうからだ。
「これで……少しは時間が稼げるでしょうか……」
これだけ後先考えずに勢いよく燃やしていれば、地中の可燃物はあっという間に枯渇する。それよりも早く、今はこの場を離脱し、入手した情報を報告しなければ。
捜索目標を発見したという事実、しかし回収できなかったという屈辱。そして何より、予想だにしていなかった妨害者について。
だが、グエンがその役目を果たすことはかなわなかった。
ズドン、という爆発音にも似た、腹の底まで届く重低音が後方から聞こえてきたからだ。
何事かと振り返るが、炎の壁は揺るぎなく健在であり、シキがこれを突破した気配はない。
その代わり、頭上を仰ぎ見れば、獣に似た影が宙を舞っていた。
影の正体は夕陽を背負った少年だ。獣と見間違えかけた奇妙な体勢は、右腕を真下に突き出し、残る手足でバランスを取ることで成立している。
直前に聞こえた音と組み合わせれば、シキが何をしたかという疑問に答えるのは簡単なことだった。
右腕で地面を殴りつけ、その反動で飛び上がったのである。炎の壁を上回る高さ、五メートルを超える上空まで。
グエンは知る由もないが、敵のイングレイヴごと大岩すら砕いてみせた威力をもってすれば、この程度の跳躍など驚くには値しない。
「くっ、出鱈目な……」
「おいおい逃げるなよ。ってか、逃がさないけどな!」
空中と地上、二人の視線が交差した。シキの瞳は爛々と輝き、グエンは万策尽きた諦観の色を宿して。
次の瞬間、空中で身をひねったシキが、重力を味方に一直線に降下する。真っ直ぐに振り抜かれた右腕は、防御に差し込まれた【鋭利なる焔刃】を真っ二つに圧し折ると、雷鳴のごとき轟音と共に、満身創痍のグエンに突き刺さったのだった。




