風来坊と白皙の少女2
「……この辺りまで来れば大丈夫かしらね」
シキを連行してきた少女が足を止めたのは、大通りから随分と離れた頃合いだった。
周囲の街並みも雰囲気が一変し、華やかで活気のあった大通りとはうって変わって、静かで落ち着いた住宅街といった印象となっている。
少女はがっちり掴んでいた左腕を解放すると、今度は額がぶつかり合いそうな至近距離まで顔を寄せてきた。
「色々と訊きたい事はあるのだけれど、最初に大前提を確認させてもらうわね。八徳會を知らないって言っていたし、他所の租界からやって来たばかりだと思って間違いないかしら?」
「お、よく分かったな。それにしても面倒な土地だな、ここは。血の気が多い連中には絡まれるし、おかげで飯は食い損なうし。というか、あんた何者だ? こっちはな、長旅から解放されたばかりで腹ペコなんだぞ」
ぶーぶーと文句を垂れるシキの言い分に、少女は純粋に疑問の瞳で小首をかしげた。
「チンピラ達に喧嘩を売ったのは、君の方からだったと思うのだけど?」
「売ったのは俺だけど、向こうだって買ったんだからお相子だろ。しかも代金踏み倒されたようなもんだし」
「後から延滞料込みで請求してあげなさいな。ともかく自己紹介させてもらうわね。私はリュシーカ、数多の租界を股にかける超一流の情報屋よ」
「そりゃどうもご丁寧に。俺はシキと呼ばれている。旅の……まあ、旅人だ」
口ごもり、かと思えば諦めたように投げやりに名乗る。すっきりしない言葉尻に、リュシーカはピクリと眉を動かした。
「煮え切らないわね。うじうじしている男は陰があって格好良いとか思っているなら、大きな間違いなんだからね」
「そんなつもりはこれっぽっちも無いから安心しやがれ。そっちこそ凄腕の情報屋様が俺に何の用だよ? 言っておくけど、この租界の事情はさっぱりだから、どんな質問にだって答えられない自信があるぞ」
「自慢にもならないことを拳握って主張しないで頂戴。それと安心なさい。私の用事はお仕事……護衛の依頼よ。八徳會の構成員を簡単にあしらってみせた、君の腕前を見込んでね」
ウィンク混じりで明かされたリュシーカの意図に、シキはひとまず納得する。
情報屋という職業は、世の中を白黒の二色に分けたなら確実に黒の側に属する、いわゆる裏稼業というやつだからだ。護衛を必要とするのも、決して珍しい話ではない。
とはいうものの、面識のない相手にいきなり身の安全を委ねるのは、いくらなんでも非常識。
すでに付き合いのある関係ならともかく、初対面なのに仲介屋を挟まないということは、中間マージンを払う余裕がない金欠か、公に出来ない非合法の案件である可能性が高い
どちらにせよ用心の必要があるため、シキは警戒レベルを一段引き上げると、値踏みの視線をリュシーカへと向けた。
金欠の方ならばまだ報酬額で揉める程度で済むが、もう一方の場合、罠にはめられたと気付いた時点で、後戻りできない片道切符を掴まされていることすらありうるからだ。
ところがリュシーカは、シキの内心などお見通しとばかりに、余裕綽々の態度を崩さなかった。
「結論を焦ると損するわよ。仕事の内容を聞いて、じっくり考えてからでも遅くはないでしょ。とりあえず、私のお勧めの店を紹介してあげる。焼きそばデビューを邪魔しちゃったお詫びに、ランチくらいなら奢ってあげるから」
ぐうぅ、というシキの腹の音が、返事代わりに鳴り響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リュシーカが案内したのは、いかにも大衆食堂といった店構えの食事処だった。
年季の入った引き戸をガラリと開ければ、やや薄暗い店内が二人を出迎える。昼休憩の時間ではないはずなのだが、それでも半分以上の席が客で埋まっており、卓ごとの喋り声が共鳴して店内に充満していた。
ざっと見渡し、店員に案内されるより先に一番奥のテーブルに陣取ると、リュシーカは備え付けの品書きを手に取りもせず注文する。
「いつものやつで」
「常連なのかよ……まあ、あんたが連れて来た店なんだから当然か」
「一カ月くらい前から、ほぼ毎日来てくれているわよ。一週間、三食全部うちで食べていたこともあったわよね」
おしぼりを渡しに来た店員が気安く個人情報を暴露し、リュシーカはそこはかとなく自慢げに胸を張った。
「気に入ったお店は徹底的に食べ尽くす主義なの、私って」
「ああそうかい」
呆れ半分、無関心半分に返事をする。シキはメニューの適当なページを開くと、店員に向けて指し示すようになぞってみせた。
「ここに載っている料理、上から下まで一通り持ってきてくれ」
「随分と豪快な頼み方をするわね。大食いチャレンジならやっていないわよ」
「こちとら空腹なもんでな。折角ただ飯にありつける機会なんだ。胃袋に詰められるだけ詰め込ませてもらうぜ」
「お好きにどうぞ。それじゃあご飯を待つ間、仕事の話をさせてもらってもいいかしら?」
シキが軽く頷くのを確かめると、リュシーカは顎に手を当て少し考え込む仕種を見せた後、おもむろに切り込んできた。
「まずは基礎知識の確認だけれど、楼都については知っているわよね?」
「でかい壁にぐるっと囲われていて、いけ好かない連中が住んでる街だろ。さすがに壁の向こうに何があるかくらいは、俺でも知ってるさ」
シキの回答は好感度が下限値であったが、これは彼だけに限った話ではない。
租界における絶対的な閉塞と抑圧の象徴。それこそが楼都だからだ。
その体現とでも呼ぶべきは、一分の隙もなく楼都の周囲に張り巡らされ、行政府から発行された許可証を持つ一部の人間しか出入りを許されない巨大な壁。通称、隔絶の壁だろう。
単に壁と言えば隔絶の壁を指すほどに、その存在は租界の住民達の間にも浸透している。
理由は単純。あまりに長大過ぎて、租界のどこに居ても必ず目に入るため。
そしてその役目は、隣り合っているのに水と油のように混じり合うことのない、租界と楼都という二つの街を区切ることにあった。
正確には楼都を守護する不可侵の要塞が隔絶の壁であり、壁にへばりつくように生活し、楼都のおこぼれにありつこうとする人々が集まった集落こそが、租界の出発点とされている。
邪魔にならなければ放っておくという楼都側のスタンスもあり、今では安価な労働力の調達や表沙汰にしづらい汚れ仕事を押し付ける先として、歪ではあるが共生のような関係が成り立っていた。
当然、様々な面で優遇され生活を保障された楼都人と、境遇によっては明日の食料さえ手に入るかどうかも怪しい租界人の間には、隔絶の壁よりも高く分厚い心理的な隔たりがある。
そんな事情もあってか、大多数の租界人から見た楼都人のイメージは、自分達を見下す傲慢で気に食わない連中で概ね一致しているのであった。
この歪んだ関係は世界中のどこに行っても変わることはなく、ここ東亜租界と第七楼都カナドメも例外ではない。
「その楼都で、不穏な動きがあるらしいのよ」
「具体的には?」
「それを調べるのが私のお仕事よ。依頼主は楼都の有力者で、楼都の平穏を乱す企みを見逃すわけにはいかないから、噂の真偽を調査せよという指示ね。私としては飯の種でもあるし、依頼自体には含むところは無いのだけど……」
運ばれてきた料理を次から次へとかき込んでいくシキを眺めやり、ちびちびと水で喉を潤していたリュシーカは、小さく溜めを作った後、ようやく本題に踏み込んだ。
「調査の過程で、ある施設への潜入が必要になったのよ。質・量ともに並外れた警備に加えて、クレイドル所属のイングレイヴ使いまで常駐している施設にね。もちろん簡単に捕まるつもりはないけれど、万が一に備えて腕利きの護衛が欲しいと考えても不思議はないでしょう?」
「クレイドル……楼都の誇る対イングレイヴ特殊部隊だったか。そいつは厄介そうだ」
リュシーカは別段スリルを求めて情報屋をしているわけではない。避けられる危険であれば避けるし、避けられないならば次善の策として備えを用意する。
そして今回用意する備えこそが、腕の立つ護衛を雇うという対策であり、シキはそのお眼鏡に適ったらしい。
「どうかしらシキ君、私に雇われてみない? 報酬なら弾むわよ」
「そいつを答える前に、俺に声をかける気になった理由を教えてくれ」
話を聞けば聞くほど確信する。この依頼は、初対面で実力未知数な相手に持ち込むようなものでは決してない。
自分の命を預けるのだから適当な人選をするとは考え難く、もしもリュシーカが護衛選びで手を抜くような人間ならば、そもそも護衛を雇うという発想に至ったこと自体が不審となる。
それにも関わらず、出会ったばかりのシキに頼むとはどういうわけか。
筋道立てて考えてみれば必ずぶつかる疑問であり、案の定というべきか、リュシーカはその質問を待っていたとばかりに、食い気味で即答した。
「最初に言ったわよ。君の腕前を見込んだからって」
「チンピラをあしらった程度で見極められる腕前じゃ、とてもクレイドルの相手なんざ務まらないと思うがな」
楼都の権力者がわざわざ調査を依頼してくるほどのヤマなのだ。言うまでもなく並外れた危険が予測される。対してリュシーカがシキの戦いを見たのは、命のやり取りとは程遠い小競り合いだけ。
あの喧嘩でシキの実力を測ったというならば、リュシーカは一目見ただけで潜在能力までをも見抜く超絶的な眼力の持ち主か、さもなければ稀代の節穴のいずれかとなる。現状、オッズは9:1で節穴が圧倒的優勢といったところか。
ところがリュシーカは、苦笑を添えて首を横に振ってみせた。
「あんなのはおまけよ。私が掴んだ情報では、三日前に悪名高いドルトン・ギャングが壊滅したわ。頭目にしてイングレイヴ使いであるドルトンが、偶然居合わせた少年との一騎打ちで撃破されたってね。やったのはシキ君なんでしょ?」
「さすが情報屋だけあって耳が早いな。ああ、俺がやった」
単刀直入な確認に、自慢するわけでもなくあっさりと頷く。
言質を取ったリュシーカは、ここぞとばかりに身を乗り出してきた。
「シキ君は知らなかったみたいだけれど、荒野を渡る者達の間では有名な賞金首だったのよ。被害の大きさを考慮して、クレイドル部隊の派遣が検討されるくらいには。それを一対一で破ったのならば、実力の裏付けには十分だと思わない?」
「なるほどな……ん? そういやそもそも、どうして俺の仕業だって知ったんだ? ついさっきこの租界に着いたばかりだってのに」
「あらあら、一流の情報屋を甘く見てもらっては困るわね。鋼殻キャリッジの短距離無線を傍受するなんて嗜みよ。容姿の特徴が一致する上に、ドルトン・ギャングを知っているみたいな口振りだったからピンと来たの。君が件のイングレイヴ使いだ、ってね」
「は? イングレイヴ使い? 俺が?」
情報が筒抜けになっていたことではなく、イングレイヴ使いと呼ばれたことに対してシキが疑問の声を漏らす。下手な誤魔化しをとがめるように、リュシーカは少年の鼻先へとスイーツを突いていたフォークを勢いよく突きつけた。
「もちろんよ。イングレイヴ使いはイングレイヴ使いでなければ倒せない。常識でしょ」
「同じくらいに常識だと思うんだが、イングレイヴってのは使い手が自身の血から作り出すものなんだろ? 言っとくけど、俺はそんなけったいな真似をした記憶は無いぞ」
勘違いを正すべくはっきりと宣言する。ここまで主張すればさすがに通じたのか、リュシーカは納得した面持ちで声のトーンを一段下げた。
「……なるほどね。能力を秘匿しているなら、話題に持ち出すこと自体が無粋だと指摘したいのね。確かに君の言う通りよ、気が回らなくてごめんなさい」
全然通じていなかった。そこはかとない脱力感に苛まれながらも、シキは訂正を試みる。
「いや、だから、裏とか読まずに素直に聞けよ。なんも隠しちゃいねえんだよ」
「白を切る時も顔色一つ変えないその演技力。やはり私が見込んだ人材だけのことはあるわ。イングレイヴ戦において、能力の情報が漏洩することは命取りになりかねないもの。その用意周到ぶり、嫌いじゃないわよ」
どこまでも人の話を聞こうとしない。むきになって否定するのも馬鹿らしく、シキは早々に説得を諦めた。諦めついでに、リュシーカの説明を聞きながらも口に運んでいた料理の最後の一皿を、ぺろりと平らげて席を立つ。
「あら、お手洗いかしら?」
「違えよ。飯を食わせてもらったのに悪いが、この話は聞かなかったことにさせてもらう」
「そう、残念ね。後学のために、どうして断るのか教えてもらっても?」
あっさり袖にされたというのに、悔しがる気配を欠片も表に出すことなく、のほほんと食後の一服を楽しみながらリュシーカが訊いた。
シキは背中越しに軽く肩をすくめてみせる。
「ただの損得勘定ってやつだ。クレイドルに喧嘩を売るなんざ、どう考えても割に合わないからな」
「ふーん、長い物には巻かれるタイプということかしら。でもそれなら、クレイドルの名前が出た時点ですぐに断らなかったのは何故?」
「さっきはまだ飯を食い終わってなかったからな。あと、もしかすると俺じゃなきゃならない理由でもあるのかと思ったんだ。だけどあんたの話を聞いて、腕の立つ奴なら誰でも良いって分かった。それなら別に、俺である必要はないだろ」
すらすら答えを並べると、店内の喧騒に紛れるようにして立ち去りかけ、その直前でふと立ち止まる。
「そうそう、昼飯を奢ってくれたのには礼を言っておくよ。次の機会があったら、もうちょいマシな依頼を持って来てくれよな」
それだけ言って、返事を待つことなく今度こそ店を出て行ってしまう。
最後に取っておいた果物を頬張りながら少年の背中を見送ると、リュシーカは頬杖をついて独りごちた。
「勧誘は失敗、と。ここまでは想定通りね」
そう、想定通りだ。会ったばかりの相手から胡散臭い話を持ちかけられ、無条件に引き受けてもらえると考えるほど、リュシーカという人間は楽観論に支配されてはいない。
今回はあくまで顔つなぎと、シキという人物を見定めるための探りを入れることが最大の目的であった。
ではその成果はといえば、一応はあったというのが結論だろうか。
特に引っ掛かったのは、シキが依頼を蹴った理由である。
シキの思考回路が理解できなかったわけではない。クレイドルという巨大組織と敵対するリスクを考慮した、良くも悪くも常識的な判断といえるだろう。
ゆえに異常なのだ。
リュシーカの経験に照らせば、イングレイヴ使いには変人……いや、独特の価値基準を持つ者が多かった。強力なイングレイヴを操る者ほどその傾向が強く、彼等は往々にしてリスクとリターンの境界など軽々と踏み越えていく。
そういった者達との交渉に際しては、彼等独自の行動原理を理解することが何よりも肝要であった。
それがシキに関しては、模範回答過ぎて彼独自の姿が茫として掴みきれなかったのだ。
まるでシキという人物の色を意図的に塗り潰そうとしているかのような感覚だが、一方でドルトン・ギャングを壊滅させた事実は隠そうともしない。どうにもチグハグな印象が拭えないのである。
「ふふっ、面白いじゃない」
シキが出て行った方をなんとはなしに眺めながら、リュシーカは唇を妖しく歪めた。
未知なるものをより深く知りたいという際限のない好奇心。それこそがリュシーカを動かす情報屋としての衝動である。
その衝動の赴くままに、少女はこの日この時、新たな獲物を見定めた。




