12話 夕暮れの道と指輪
二人で領都の通りを歩く。
王都とは違い、領都には職人の工房や小さな商店が多かった。
店先には木工品や陶器、刺繍、革細工といった、職人の手仕事が感じられる品々が並んでいた。どれも華美ではないが、丁寧に作られているのが分かる。
「こういう街も素敵ですわね」
「君はこういうものが好きなのか?」
「ええ。見ているだけでも楽しいですもの」
そんな会話をしながら歩いていると、小さな装飾品店が目に入った。店先には、職人が一つずつ作ったらしい指輪や髪飾りが並んでいる。
アニエスは足を止めた。
「……可愛い」
その視線の先にあったのは、細い銀色の指輪だった。白い小さな花を一輪あしらい、その周りを細い緑の葉と蔓が飾っている。
派手ではない。けれど、繊細で可愛らしい。普段使いにもちょうどよさそうだ。せっかく領都まで来たのだもの。この土地を訪れた記念に、一つくらい買って帰ってもいいかもしれない。
それに、これなら自分のお小遣いでも十分に手が届く。高価すぎるものなら少し考えてしまうけれど、このくらいのお値段なら気兼ねなく買える。
アニエスは指輪を見つめたまま、少し思案した。
その横顔を、アルヴィンが静かに見つめていた。
「気に入ったのか?」
「ええ。とても」
アニエスは素直に答えた。
「買ってしまおうかしら」
「そうか」
アルヴィンはそれだけ言って、店主へ声をかけた。
「これを」
店主から指輪を受け取ると、アニエスへ差し出した。
「君へ」
「……え?」
アニエスは目を瞬いた。
「でも……」
「気に入ったんだろう?」
「それは、そうですけれど……」
アルヴィンは答えず、指輪を持ったままアニエスを見つめた。やがて、わずかに目元を和らげる。
「今日、君とここへ来られてよかったと思っている」
「アルヴィン様……?」
「君がいてくれたから、視察もいつもとは違うものになった。ものごとの新しい見方を教えてもらえたことにも、感謝している」
そう言って、アルヴィンは指輪を彼女の手元へそっと近づけた。
「それに……公爵領まで来てくれて、ありがとう」
穏やかな声に、アニエスの胸の奥が小さく揺れた。
アルヴィンは彼女の手をそっと取った。
細い指に、指輪が通される。
白い花がアニエスの紫の瞳によく映え、緑の葉が灰緑色の瞳を持つ彼をどこか思わせる指輪だった。
「……君に似合う」
アルヴィンは、指輪をつけたアニエスの手を見つめ、それから彼女の顔へ視線を上げた。
その目は、いつもの冷静なものとは少し違う。
静かで、柔らかい。
アニエスの頬が、みるみるうちに熱くなる。
「ありがとうございます……」
私は自分の指を見つめた。
(――いや、待って)
前世では普通に仕事をして、帰りにコンビニに寄ってお弁当とおつまみを買い、ビールで晩酌をしながらお笑い番組でゲラゲラ笑っていた私が……。
今、こんな美形の公爵令息に手を取られて、指輪を贈られている……!?
わあ。なんだか、すごい。まるで恋愛小説の一場面みたいだ。
(……いや、これ、私がその主人公なんですけれど)
思わず、少しだけ口元が緩む。こういうの、悪くないかもしれない。
むしろ――かなり、嬉しい。
前世の自分なら、きっと少し離れたところからこの光景を眺めて、
『わあ~、素敵過ぎるけどハズい~!』
などと、完全に第三者の気分で楽しんでいたことだろう。けれど今は、その「素敵な場面」の中に自分がいる。そう思うと、胸の奥がくすぐったくなった。
「……大切にしますわ」
「ああ」
アルヴィン様が笑った。
「……ありがとうございます」
ようやくそれだけ言うと、アルヴィン様も優しく微笑んだ。
「どういたしまして」
それ以上、何も言わない。
けれど、握られた手だけは、しばらく離れなかった。
私は自分の指に光る小さな花を見つめた。領都へ来た記念に、自分で買おうと思っていた指輪。
それが今は、アルヴィン様から贈られたものになっている。
行きの馬車では、ただ仕事の視察に来ただけだと思っていた。けれど帰り道には、隣を歩く人の存在が、いつもより少しだけ近く感じられた。
そっと指輪に触れる。
国外へ出て、新しい人生を始める。
そう決めていたはずだった。
けれど今は――。
この人となら、違う人生を考えてみてもいいのかもしれない。そんな思いが、以前よりずっと自然に胸の中へ入り込んでいた。
* * *
夕暮れの街を二人で手をつなぎ歩き出す。
「君と一緒にいると、俺自身も前向きになれる気がするんだ。今までは問題をどう処理するかばかり考えていた。でも、君と話しているとその先に何ができるのかまで考えてみたくなる。公爵家のこれからも、もっと先まで」
真面目一徹だった男の口から出た、あまりにも純粋な評価。
前世でもそんな真っ直ぐな言葉を上司や同僚から言われたことはなかった。胸の奥が、気恥ずかしいほど温かくなる。
「それは……私としても、コンサルティング冥利に尽きますわ」
「はは、何だそれは」
アルヴィン様が笑った。そして、繋いだ手に、わずかに力がこもる。
「だから、もっと君のことを知りたい。君が何を考え、何を望んでいるのか。これから、どんな人生を歩みたいのか。……俺は、君をもっと知りたい」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
以前の彼なら、こんなことは言わなかっただろう。私を家のための婚約者として見ていた頃には、決して。
「……それは、告白ですの?」
少し冗談めかして尋ねると、アルヴィン様が困ったように笑った。
「そうだな。そう受け取ってもらっても構わない」
「まあ」
「ただ……」
彼は少しだけ息を吐いた。
「君を失いたくないと思った。それだけは、もう誤魔化せない」
その言葉からは、以前のような焦りが消えていた。私を無理にそばへ置こうとするのではなく、私の望みや進みたい道を知ろうとしている。婚姻を急かすこともなく、私自身の気持ちを尊重しようとしてくれているのだと伝わってきた。
「君は、自分で自分の人生を選ぼうとしているだろう。ただ……できることなら、その人生の中に俺もいられたらと思っている」
胸が、とくんと鳴った。
「それが、今の俺の正直な気持ちだ」
アルヴィン様は、少し照れたように笑った。
「だから、急いで答えを出さなくていい。君がどうしたいのか、俺も待つよ」
私はしばらく、何も言えなかった。
「……では」
私は小さく笑った。
「私も、もう少し考えてみますわ」
「ありがとう」
アルヴィン様が笑う。
その眩しい笑顔を見つめながら、私は心の中で、はぁと大きなため息をついた。
逃げるために用意した未来と、この人と一緒にいる未来。そんなものを簡単に天秤にかけられるわけがない。
……ずるい男だ、本当に。
だが、仕様変更やスケジュールの見直しは元社畜にとって日常茶飯事である。
はめてもらった指輪の白い花をそっと撫でながら、私はもう少しだけ、この困った婚約者様の隣にいる未来をシミュレーションしてみることにした。




