願い事、星に届け/夏、気づけば青春
七月に入った途端、学校の空気が少しだけ重たくなった。
湿気。
熱気。
教室の扇風機が、意味あるのかわからないくらい弱く回っている。
「暑……」
ミオが机に突っ伏したまま溶けていた。
「まだ夏始まってないよ」
「うそだ」
窓の外では、雲がゆっくり流れている。
体育帰りのクラスが廊下を通って、
笑い声だけが遠く聞こえた。
⸻
昼休み。
昇降口の近くに、七夕の笹が置かれていた。
短冊がたくさん揺れている。
『テストなくなりますように』
『推しのライブ当たりますように』
『世界平和』
「温度差すご」
ミオが笑う。
私は短冊の海をぼんやり眺める。
願いごとって、
書くと少し現実になる気がする。
逆に、
書かなかったことは、
どこにも届かない気もした。
「書く?」
ミオが言う。
「ミオは?」
「私は決まってる」
「なに」
「内緒」
絶対ふざけてる顔だった。
⸻
結局、私たちも短冊を書くことになった。
ミオは迷いなくペンを走らせている。
私は少し考える。
願いごと。
そんな大層なもの、
今の自分にあるだろうか。
成績とか。
進路とか。
そういうのを書くべきなのかもしれない。
でも、なんとなく違う気がした。
私は少し悩んでから、
短冊に小さく書く。
『来年もちゃんと笑えますように』
書いたあと、
少しだけ恥ずかしくなった。
「書けた?」
「うん」
「見せて」
「やだ」
「えー」
ミオが覗き込もうとしてくる。
私は慌てて短冊を隠した。
⸻
笹に結びながら、
私は逆にミオの短冊を見つける。
そこには、
『卒業しても遊べますように』
とだけ書かれていた。
私は少し黙る。
その文字が、
思ったより真面目だったから。
「……なに」
ミオが気まずそうに言う。
「いや別に」
「その顔やめて」
「どんな顔」
「なんか優しい顔」
私は少し笑う。
風が吹いて、
短冊が一斉に揺れた。
色とりどりの願いごとが、
夏の匂いの中で重なる。
その時ふと、
来年の今を想像しようとして、
うまくできなかった。
高校二年の夏は、
まだ終わらない気がしていた。
⸻
夏休み前日
終業式前日の教室は、ずっと騒がしかった。
机を運ぶ音。
プリントを回す音。
誰かの笑い声。
冷房はついているのに、
人の熱で空気がぬるい。
「あと一日〜!」
ミオが後ろで騒いでいる。
「元気だね」
「夏休みだよ?」
窓の外では、
真っ白な日差しがグラウンドを照らしていた。
蝉の声が、
開いた窓から流れ込んでくる。
⸻
ホームルーム中。
担任の話を聞いているふりをしながら、
私はぼんやり教室を見渡していた。
前の席。
カーテン。
黒板の端の落書き。
積み上がったプリント。
毎日見てる景色なのに、
今日は少しだけ違って見える。
「……というわけで、羽目外しすぎないように」
先生の声で、
教室が小さく笑った。
その空気が、
なんだか夏っぽかった。
⸻
放課後。
みんな一気に帰っていく。
遊びの予定を話す声。
部活の集合。
廊下を走る足音。
学校全体が浮ついている。
でも、
教室にはまだ私とミオだけが残っていた。
「帰んないの?」
「ちょっと涼んでく」
ぬるい風でカーテンがゆっくり揺れる。
ミオは机に突っ伏したまま、
アイスの話をしていた。
「最近さ、ソーダのやつハマってる」
「また?」
「夏は氷菓でしょ」
「お腹壊すよ」
「内海ってすぐ保護者みたいなこと言う」
「誰のせいだと思ってるの」
ミオが笑う。
「高校の夏休みって、多分すぐ終わるよね」
私は答えなかった。
たぶん本当にそうだから。
気づいたら終わっていて、
あとから写真を見返して、
“あの時、楽しかったな”って思うんだろう。
まだ始まってもいないのに。
そんなことを考えてしまうくらい、
夕方の教室は少し寂しかった。
「帰る?」
「帰ろっか」
教室を出る直前、
ミオが振り返る。
空っぽの机。
揺れるカーテン。
夕方の光。
「なんか映画みたい」
「なにが?」
「いや、今」
私は少しだけ笑った。
たぶん、
こういう瞬間を、
あとから青春って呼ぶんだと思う。




