第捌話 猫の目のよう ②
作られたものの中に1粒の真実。
引き当てるのは偶然か。それとも必然か。
☆..:*:・゜'★,。・:*:・゜'
(大丈夫みたいだな)
叫ぶ元気のある蓮の姿を見てかさねは内心安堵した。
現在置かれている状況は完全なる未知の領域。今まで培われてきた知識と経験が一切通用しない場所だ。
狸が起こした件で幾らか耐性があるとはいえ、地に足がつかない不安定な状況が長時間続けば何れ錯乱状態を引き起こす。
一度根付いた恐怖は永遠に消えない。
それを知っているからこそ、蓮の心が恐怖に囚われないよう冗談を交えて話すのだ。
決して好んで巫山戯ている訳ではない。
(これからますます面倒な状況になる可能性もある)
視線を蓮から外し、僅かに目を細め虚空を見る姿は目に見えない何かを睨んでいるようにも見える。
蓮より早く意識を浮上させたかさねは、視界に映る景色が異常だと判断すると視界を全体視野に切り替えた。そして脳内に湖水の心象を展開し、周りに危害に加えるものがないか警戒を強める。こうすれば危害を加えるものが生まれた場合、波紋を作りだし瞬時に場所を特定する事が出来るのだ。
視野拡大と気配察知は平和な世を生き続けているかさねにとって長時間使いつづける事は身体的・精神的に負荷がかかる。それは不利に繋がることを意味しているが、今はそれでも情報が欲しかった。
何故ここにいるのか。何故このような場所で生きていられるのか。
そして、宙に浮く戸の開閉に合わせて何れかに飛ばされていく少年少女は何処へ連れて行かれるのか。尽きる事のない疑問や叩きつけられる状況という名の情報に脳が面倒だと判断しはじめたその時、光明を当てたのが蓮の存在だった。
(もしそうなら………巻き込まれた可能性が高いか?)
気づかれないように視線を蓮の手に合わせ、そこに握られている銀の鍵を見る。
蓮の様子から推察するに持っている事を忘れているであろうそれは、一見すると美術的価値の高い鍵に見えた。かさねも最初綺麗な鍵だと思って見ていたくらいだ。だがそこに刻まれている奇妙なアラベスク模様が狸に見せられた魔法陣と幾つもの類似点を発見したことにより、1つの可能性が過る。
架空の物語を事実に基づく物語に代える事実。
狸と出会っていなければ。あの魔法陣を見ていなければ。宇宙にも似た空間に数多の戸が浮かんでいなければ。何処かへ飛ばされている少年少女の姿を見ていなければ。
そして、蓮が銀の鍵を持っていなければ。
目に映る全ての情報がそこに集約され、その事実がかさねに更なる警戒を強要した。
「蓮」
「何っ?!」
昂る感情のままに言う蓮の姿からこれ以上話しの腰を折るつもりはないということを伝えてくる。
かさねは両手が塞がれており、反対に蓮は片手が自由な状態だ。肉体的にお話合いが行われた場合、どちらが有利に事を進める事が出来るかは明らかである。
予測する未来までどれほど残されているのか判らない。そしてそれが現実に起こるのかどうかも判らない。だが、前知識があるとないとでは取るべき対応が違ってくる。
全てを伝える事は恐らく不可能。だからこそ全てを最低限に。それでいて必要な事項を伝えなくてはいけない。
「クトゥルフ神話を知っているか?」
「知らないけどそれがどうかしたの?」
かさねの予想外の切り返しに質問が返ってくる。
蓮の予想通りの回答に伝えるべき言葉を脳内で纏め上げていく。
クトゥルフ神話とは当時を一風した作家たちの夢と創作より生み出された架空の神話だ。
この神話に登場する神々は「旧神」と「旧支配者」の2群に分けられる。太古の時代に巨大な力をもって地球を支配していた異形の神々を「旧支配者」と呼び、「旧支配者」との戦いの末に勝利をおさめ封印を行った宇宙最初の種族を「旧神」と呼ぶ。神話の流れとしては「旧神」によって封印されていたクトゥルフを含む「旧支配者」が現代に蘇るという主題を主体に展開されている。そして神話の名称として使用されているクトゥルフは、最高神と思われていることがあるがあくまで旧支配者の水属性の長に過ぎない。
クトゥルフ神話以外の神話の殆どは地球を舞台にあるいはそれに近い世界観で執筆されている。その為か、神話に登場する神々の姿は人間と殆ど変らない。一方、クトゥルフ神話は宇宙を舞台にしているためか、「旧支配者」の神々は蛸や烏賊に似た頭部を持つ軟体動物を巨人にしたような姿を持つ。このような姿なのは作者の1人が軟体動物を心底嫌う者がいたという諸説があるが、真実か虚実かまでは判らない。
だが、かさねが伝えるべき内容は神話の成り立ちではなかった。
「その神話にヨグ=ソトースと呼ばれる神が登場する。万魔の王アザトースが無名の霧から生み出した外なる神の副王にして、時間と空間の制御を一切受けない最強の神性」
「……かさね?」
突如語りだす神話に表情と声が戸惑っているのが判る。
それはそうだろう。かさね自身、神話に対する知識は豊富にあるものの好ましく思っていない。何故なら殆どの神話に登場する神々は、神が起こした事件を最終的には試練だと言い切って人間が罰を受けることが多いからだ。あまりに神々の欺瞞と傲慢と……そしてどこまでも非道極まりない終末は憤りしか感じないこと蓮は知っている。
だが、同時に気づく。
このような異常事態に置かれた状態で全く関係のない雑談をかさねが始めるはずがない、ということに。
「全ての時と共に存在し、あらゆる空間に接していることから『過去・現在・未来』すらもその存在の一部。このことから現存する全ての神々は彼の神性の前に無力であるとさえ言われている」
現存する神話の中に、時や空間を司る神は数多く登場している。その中でも有名なのは神統記に登場する時間の神クロノス。ギリシア神話に登場する時刻の神カイロス。そして北欧神話に登場するノルンの三姉妹だろう。どの神も膨大な力と高い地位を持つ存在だが、ヨグ=ソトースの前では無力に等しい。
その理由は、ヨグ=ソトースが「アカシャ年代記」そのものだといわれているからだ。
アカシャ年代記。
サンスクリット語ではアカシックレコード。日本語では生命の書と呼ばれるもの。
そこに記されているのは人間だけではなく、神々の魂の活動記録と業すら含まれているという。つまり生きとし生ける全ての魂の端をヨグ=ソトースは握っている。
故に彼の神は最強の名を冠し続けるのだ。
「彼の神に謁見願うには、最極の虚空へ到達しウムル・アト=タウィルの裁定を受けなくてはいけない。ウムル・アト=タウィルは、ヨグ=ソトースより『窮極の門』と『多次元の戸口』を守護することを任命されている筆頭配下とも彼の神の化身とも言われている存在だ」
「ウムル・アト=タウィル………」
淡々と語られるのは神話の一部。
その内容は蓮が知る神話とは一線を引いていた。だからだろうか。それとも別の理由からだろうか。蓮の心がざわめき始める。
「彼の神に謁見するための条件。それは『銀の鍵』の持ち主であること」
「それって……」
「現状は今話した神話と酷似している点が多数あると思わないか?」
かさねの視線の先を追うように蓮は己自身の手を見た。そこにあったのは全長13センチ程の奇妙なアラベスク模様が表面に描かれた「銀の鍵」。
それが呼び水となり蓮の脳裏に1つの過去を再生させた。老若男女。どれとも取る事が出来る明るく陽気なボーイソプラノの警戒心を与えない不思議な声と言葉。
「これがそうだとか言わないよね?」
「それが本物か偽物かについては心底どうでも良い」
「重要な事じゃないの?!」
「一番重要な事はこれからどうするか。それだけだ」
冷静に下される正論に反論すべき言葉が浮かばない。
「全てが実話に繋がり、これが現実だと仮定した場合1つの仮説が浮かぶ」
膨大な知識と様々な経験を持つかさねが導き出した仮説。
知らず知らずのうちに手に力が入った。
「世はまさに異世界召喚という名を借りた人材搾取の時代を迎えている」
「誰が上手い事言えって言った?!」
期待した分だけ聞いた内容があんまりすぎる。
思わず突っ込みを入れた連は悪くない。
「多次元の戸口……つまり異世界へ繋がる扉と思われるものが一切の制限なく開閉されている。そこへ飛ばされていく少年少女達。つまりはそういうことだろ?」
「銀の鍵が重要視されていたんじゃないのっ?!後さっきの男性の存在を無視してない!?」
「意図的に外しただけだ」
「それを無視っていう以外に何て言うの?!」
「不使用。あるいは度外視」
「悪化してる!それ更に悪化しているからね!!」
「ふふふふふふ……。とても面白い推理をする子がいたものね」
第三者の声に蓮とかさねは反応し、瞬時にその方向へ視線を向ける。
そこに浮かんでいたのは、低学年児童の平均身長におぼめく色の織物で作られたローブを纏った存在がいた。深くフードを被っているため体格の輪郭がはっきりせず声もボーイズソプラノの為、外見から年齢や性別を判断することは難しい。
(思考を加速させろ。何が最善か導き出せ)
強制的に動かした脳が悲鳴を上げ、頭痛を生み出す。その痛みを無理矢理切り離し、乾き始めた唇を自然な動作で舐め上げかさねはその場で優雅に一礼した。
「初めてお目もじ仕ります。暁家長子、かさねと申します」
蓮が「銀の鍵」を所持したことにより、予測されていた未来の1つ。
それが本物であれば必ず現れると記されていたが、正直これは可能性に過ぎなかった。だが、それが現実になった今取るべき行動は限られてくる。
賭け金は己自身。
最終目的は、己の存在と意志を保ったまま元の場所・時間に戻る事。それを再度確認し、ゆるりと軽く閉じていた目を開く。そこには純粋な生命力を感じさせるかさねがいた。
「多次元の守護者ウムル・アト=タウィル様」
視界の先で蓮が瞠目しているのが見える。
引く事も敗退も許されない大一番。
さぁ己を賭けた交渉開始といこうか。
ようやっと物語の核となる人物の1人を登場させることができました。
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