第6章 マリアージュ
「お疲れさまです」
「こんにちわ。川崎さん」
「今日、予約が満員で6人もあるよ」
桧垣も今、学生相談室についたばかりだったのか、汗を拭いながら慌しくパソコンを立ち上げていた。カウンセリングは、15時から18時までの間に、30分毎に1件の予約を取っている。それぞれは15分程度だが、その内容を研究のためにまとめる時間も必要だ。こんな日は、桧垣とおしゃべりする余裕なんかないことを、恵美莉は分かっていた。
次々と来る相談者の案内をしながら、飛込みで相談に来る学生の予約を入れるのが恵美莉の仕事だった。しかし、今日は予約がいっぱいなので、次回の水曜日に来てもらうおうとするのだが、悩みを抱える学生はすんなりとは応じてくれない。そんな学生の話し相手になることもある。今日は長い3時間だと感じた。
18時の10分前、最後のカウンセリングを終えて、桧垣が溜息をつきながら、パソコンに入力している。
「次は川崎さんのカウンセリングしようか?」
「え?」
窓の外をボーっと見ていた恵美莉は、驚いて振り返った。
「なんか気になるよ。その表情」
「そりゃ、そうですよね。分かりますよね、先生には」
「別れた彼氏のこと? それとも新しい彼氏のこと?」
「・・・・・・」
「またご飯でも食べに行く?」
恵美莉は、髪を小指で耳にかけながら、がんばって作り笑顔をして頷いた。
桧垣は電話で正門にタクシーを呼んだ。2人はそれに乗り、繁華街へ向かった。桧垣が案内した店は、少し高級そうな個室のあるビストロだった。
「うわー、こんないい店初めてです」
「デートで連れてきてもらうと最高だろうけどね」
「いえ、先生とでも嬉しいです」
「ん?」
「あれ? また今の失礼な言い方でした?」
「ううん。好意的に受け取っておくよ。さあ、何食べようか」
「メニュー複雑ですね」
「大体、コース料理が基本だけど、アラカルトでもOKだし、まず、お肉がいいか、魚がいいか決めて」
「えへへ。お肉が好きなんですけど。こんな店でそれを言うのって、ものすごく恥ずかしい気がします」
「遠慮は要らないよ。まずはリラックスして自然体になろう」
「じゃ。お肉」
「それなら、ステーキもいいし、カツとかでもいいけど、ちょっと珍しいのに挑戦したらどう?」
「そうですね。うーんと、豚バラのカダイフ・・・焼き? なんだそりゃ?」
「ラムチョップなんかどう? 食べられる?」
「え? どれですか?」
「仔羊のグリルってやつ」
「羊はジンギスカンなら食べたことあります。挑戦してみようかな」
「はははは、ラムには絶対赤ワインだと思うけど、ワインはいけるほう?」
「まだ、飲んだことないです」
「19歳か。じゃコーラか何かで」
「はい。まだギリ十代です」
「僕はカジキのステーキを注文するね」
「カジキって、マグロですか?」
「厳密にはマグロじゃないけど、角のはえたもっと淡白な魚」
「トローリングで釣るやつですよね。それも食べたことないです」
「じゃ、お互いに少しずつ交換する?」
恵美莉は、少し恥かしそうに、
「ありがとうございます。分けっこしたいです」
「そうか、川崎さんてそういうところが人懐っこくていいんだろうね」
「ええ? 厚かましいだけですよ」
「遠慮のないとこが自然体だよ。じゃ、それをメインにしてCコースでいいかな? デザートも付いてるし」
「そんな高いほうじゃなくって、Aコースでいいです」
「それ遠慮でしょ。このアルバイトには、食事も付いてるみたいなもんだから」
「え? そんないい仕事ないですよ」
「デザートにお勧めのクリームブリュレを食べてほしいんだけどな」
「おー、それには目が無いんですよね」
コンソメ仕立てのレンコンスープが運ばれてきて、恵美莉はそれをスプーンですくいながら、話を切り出した。
「あたし、気になる男子がいて、その人と付き合っていいのか悩んでるんです」
「先週知り合った彼だね」
「菅生春樹君ていう3年生です」
「ずうずうしい子だって言ってたと思うけど、どういうところに惹かれたの?」
「話してみると全然普通で、最初すごく構えてたのに、自然に一緒にいられるんですよ」
「今、僕の前にも自然体のままで話してるように見えるよ」
「あ、そうですね。先生も構えなくっても平気です」
「菅生君と付き合うって話は出てるの?」
「一度、LINEでそう言われました」
「どう返したの?」
「考えとくって」
「まだ、その気持ちになってなかったってこと?」
「・・・うーん。付き合っていいのか分からなくって」
「うん・・・・・・」
「あたし次第ですよね」
「そうとすれば、もう付き合いたいんでしょ」
「でも元カレのことが気になって」
「しっかり別れたのに?」
「はい。この前もLINEが久しぶりに来たんですけど、はっきりと言って切っちゃいました」
「もう、けじめはついてるってことか」
「はあ」
恵美莉は、深い溜息をついた。
「なんか、食べづらい雰囲気だね。カジキ少しそっちに分けるよ」
「じゃ、ラムチョップ1本、はい」
互いのプレートに載せあった。
「カジキって何も味しませんね」
「本当だね。塩コショウだけみたいな」
「何かつまらないあたし、みたいな感じ」
「何言ってんの、君はもっと魅力的だよ」
恵美莉は少しニヤついた。
「でも、これは何かソースが欲しいところですね」
「あ、このサラダと一緒に食べたら、意外にドレッシングがバッチリ合うよ」
恵美莉も生ハムのサラダと一緒に食べてみた。
「あ、ホントだ。おいしい」
「でも、ワインは白にするべきだったかな」
桧垣は、ラムチョップのほうに合わせて、赤ワインをハーフボトルで飲んでいた。
「じゃ、お羊さんはどうかな?」
「ははは。お羊さんって。川崎さん」
恵美莉は、ラムチョップをナイフとフォークで捌こうと思ったが、骨が邪魔でうまくいかない。
「ふふふ、手で持っていいよ。フライドチキンみたいに」
「え? ホントですか? こんな店でも手掴みOK?」
「問題ないよ」
「騙してません?」
「女の子騙したりしないよ」
「女の子騙すって、変に聞こえますよ」
「もう、パンだって手で食べてるじゃないか」
「そういえばそうですね。当たり前過ぎて気づかなかった」
「個室だし、気にしないで」
「はい、じゃ」
(がぶり・・・もぐ・もぐ・・・)
「どう?」
「あれ? ちょっとクセありますね」
と言って、動きを止める恵美莉。桧垣は少し慌てて、
「仔羊だからマシなほうだと思うんだけど、無理だった?」
「いえ、無理っていうほどでは無いんですけど」
「カジキと交換しようか?」
「いいえ、全取っ替えは悪いんで。もう一本お願いできます? 二本は自分で頑張ります」
恵美莉がラムチョップのプレートを差し出すと、
「ああ、いいよ。じゃ、カジキももう少しどうぞ」
と言って、恵美莉のお皿に載せてから、ラムをもう一本取り上げた。
恵美莉は口直しにコーラを一口飲んで、
「ええ? 何これ全然合わない。コーラの匂いで余計に臭い」
「そうなの? それは知らなかった。赤ワインみたいにはいかないか」
「先生、ワイン一口ください」
強引にワイングラスに手を伸ばす恵美莉。「ダメ」と言いそうになったけど、桧垣はこの状況の未成年飲酒に、目を瞑ることにした。
グビッと多めの一口を飲んだ恵美莉のほうが、リアルに目を瞑って、初めての赤ワインを味わった。
「おいしい」
「ほらね」
「お肉の臭みに合う気がします。すごーい。ええー? どういうことだろ。ワイン自体はそんなには、おいしくないけど」
と言って桧垣をキラキラした笑顔で見つめると、
「その意外性が、“マリアージュ”というもんだよ」
「マリアージュ?」
「料理とワインの相性のこと」
「結婚式みたい」
「同じようなことじゃない? 二つの相性がぴったり合うことだから」
「そうか、人の相性もそんなものなのかな?」
「川崎さんは中学の時からずっと、同じ彼氏に慣れてしまってて、意外性のある交際をしたことがなかったんじゃない?」
「絶対そうだぁ」
「きっと心の奥底じゃ、刺激の無い毎日が安心だと思ってたけど、安心が無くなったとたんに刺激を求めてるんだよ」
「でも、相手と一対一なら安心して接することができるのに、大勢の中じゃ安心できないっていうか、思うように行動できないんです」
「それはよくあることで、自分中心に物事を進めたい人に多い傾向だよ」
「自己中ってこと?」
「そうかもね。でも皆にも気を使ってるから、思うように行動できない。今までは元カレがうまくやってくれてたんだと思うよ」
「はあ。ワインもっと飲んでいいですか?」
「ああ、いいよ。グラスそれでいい?」
「先生のグラスを新しいのもらいましょうか?」
「僕はカジキに合わなかったから、ビールにするよ。で、普段から男に接することには、何の抵抗も感じない?」
「はい。あまり緊張したり、変に意識するのは変かなって思うので、普通に接せます」
「そうか、じゃ、きっと元カレの友達に囲まれて男には慣れてるんだろうけど、一対一の場合は、元カレといるような感覚になってしまって、そこから抜け出せないんだね」
「あー、多分そうだと思います」
「今も結構、自然というか、自分を飾らないよね」
「だから、厚かましいだけだって言ってるじゃないですか」
「僕と二人でいても、元カレといる時の感覚のままそこに座ってるんじゃない?」
「!・・・そうかもしれません。菅生君と二人だった時も、そうでした」
「だから現実的な交際の話になると、元カレとの違いを無意識に感じてブレーキがかかる」
「ブレーキか。じゃ。どうしたら、素直に菅生君と付き合えると思いますか?」
「簡単じゃないか。ものすごく好きになるしかないよ」
「結構好きなはずなんだけどな」
「そんなに好きになってたの?」
「へへへ、まだ足りないってことかな」
「若しくは、思い切って付き合ってから、もっともっと好きになるってのは?」
「そっちにしようとして、できなくて困ってるんですよ」
恵美莉は、ラムチョップを二本食べ終えた。都度、赤ワインで流し込む感じで。
「ぷーふぅー。食べ終わってみたら、結構おいしかったかもしれません」
「それはよかった。僕が変に勧めたから心配だったよ」
「ワインも好きになるかも」
「酔っ払ってない? ビールよりキツいからね」
「結構大丈夫な感じです。それよりクリームブリュレ」
「これもおいしーい」
「やっぱり、女の子だね」
「クリームブリュレだけは、絶対にハズレがない」
「それだけ洗練されてるスイーツってことかな」
「そんな女になりたいです。昨日までの私から変わりたい」
「自分を変えてみる。そうしないと、先に進めないんだね」
「そのとおりです」
「過去を断ち切るには、何か新しいことにチャレンジするしかないね」
桧垣が腕時計を見た。
「先生もう帰っちゃうんですか? 飲みに連れてってくださいよ」
「未成年だからこれくらいにしておかないと」
「じゃあ、ホテルに行きませんか?」
「!」
「あたし、颯介しか知らないから、怖いんです。だから、あたしを変えさせてください」
「よっ酔っぱらってる?」
「お酒は強いほうなんで、平気です。でも、飲んだ時じゃないと、こんなことお願いできないし」
「だから酔ってるって」
「ワインを知らないと、ラムチョップのおいしさが分からないんでしょ。今までコーラだけしか知らなかったみたいに。だからもっと教えてください」
「抱いてほしいと言ってるんだよね」
「先生、抱いてください。今の自分を捨てれば、違う自分になれる気がします」
桧垣は、少し顔を近づけて、
「前に言ってた“覚悟”ができたってことだね」
恵美莉も前のめりになって、笑みを浮かべ小声で言った。
「はい、小説だったら、絶対こんな展開になるはずですから」




