第2章 カウンセラー
その晩、恵美莉は奈美に電話して、菅生春樹のことを話した。
「へえ、そいつカッコいいの?」
「まあまあかな。3人とも」
「彼女はいるか訊いた?」
「まだ、そんな話できるわけないでしょ」
「何言ってんの。恵美は、3倍速ぐらいで行動しないと置いてかれるよ」
「でも、すかした奴なんだ」
「どういうタイプ?」
「キッドみたいな感じ」(キッドとは、二人の中学時代からの知り合い。)
「ああ、いいじゃない。キッド君みたいなら。クラスの友達誘って合コンでもしたら?」
「恥ずかしいし、どうやっていいか分からない」
「今度はおごってとか言えば、変に思われないんじゃない?」
「なるほど」
恵美莉は正直、乗り気ではない。目の前に訪れたチャンスかもしれないと思ったが、颯介と別れたばかりで、他の男にそれほど興味など持てるはずはなかった。
翌日、恵美莉は河辺みのりに会って、
「大変だったのよ! 今度おごってよね。スペシャルランチ!」
「どうしたの?」
昨日の出来事を説明した。
「そうだったの。ごめんごめん。じゃ、今日お返しにおごるから許してね」
みのりは調子よく、恵美莉の腕を抱き寄せながら言った。
その日の食堂で、みのりとスペシャルランチのトレーをテーブルに置いて座ろうとすると、
「今日は、ハンバーグとエビフライか」
後ろから聞き覚えのある声。
「え?」
恵美莉は振り向いた。そこには笑顔で、カレーのトレーを運ぶ菅生春樹がいた。
「二日連続でスペシャルてことは、昨日のお返しにおごってもらってるな」
恵美莉は赤面した。
「菅生さんは、カレーに味噌汁ですか?」
「無料だから、ライスも大盛り」
「水も飲みまくれば? もう、あっち行ってください」
「二日連続で、俺と食うのはイヤ?」
「そういう意味じゃないですけど」
「はいはい。でも二日連続でノッポの彼氏もいないね」
そう言って、春樹は、立ち去った。
「なによ、恵美莉。彼、背低いけどカッコいいじゃない」
「どこがよ」
恵美莉は髪をかき上げ、春樹を眼で追って、友人のいる窓際の席に着くのを見届けた。
「あ、小峠先輩」
みのりが小声で言った。恵美莉は振り向いて、みのりが見ている方向をもう一度見ると、春樹の前の窓際には、昨日と同じ二人が座っている。
「あの友達知ってるの?」
「うん、一人は剣道の先輩」
みのりは剣道部だった。
「じゃ、菅生君は何部か知ってる?」
「彼は知らない。 先輩に紹介してもらおうかな」
「あんた彼氏いるでしょ」
「昨日ケンカしたのー。別れよっかな?」
「ええー。そんな簡単に」
「恵美莉と颯介君ほど、深い付き合いじゃないし。もういいかと思うわ」
「声、でか」
恵美莉は周囲を気にして、
「じゃ、先輩に合コンでも誘ってみてくれる?」
「あれ? 乗り気じゃん。二人とも菅生君狙いになっちゃ、まずいでしょ」
「じゃ、もう一人余ってるよ」
小峠先輩の隣に座る男子を見た。
「あれも、いいかもね」
みのりは、ニヤついてそう言った。
午後の3時限目を聴講した後、恵美莉は学生相談室に入った。その部屋の奥には、カウンセリングルームがあり、学生生活に悩む生徒がよく相談に訪れる。
「こんにちは、お疲れさまです」
「あ、川崎さんこんにちは。今日は予約ないから、暇だよ」
この日カウンセラー当番の桧垣が、漫画を読みながら言った。
カウンセリングは、午後3時から6時まで受付がされている。恵美莉は4月からここで週2~3回、受付のアルバイトをしていた。
「ちょっと暑くなってきたよね。もう6月か。エアコン入れようか?」
「髪がうっとうしいけど、大丈夫です」
42歳の桧垣は、青年心理学の助教授で、恵美莉も1年生の時、その講義を受けていたのだが、その授業中にアルバイト募集の話が出て、真っ先に手を上げたのが彼女だった。
「月曜日はすごく暗かったけど、その後、連絡取ってないの?」
「・・・ふう、颯介とは、もうきっぱりと別れたんで」
「でも最近じゃ、ネットを通じて連絡簡単なのに、やっぱり許せないのかい?」
「はい。もっと通じてると思っていましたから」
「彼、出発してそろそろ1週間だろ。ヤケな行動取りたくなる時期かも知れないから、気をつけてよ」
「あたしがですか?」
「うん。君の場合、他の子と違って、長い付き合いの末のことだからさ」
この日、二人の学生が相談に訪れた。もちろん相談内容は、恵美莉には知らされていない。一人に付き15分ずつぐらいのカウンセリングだが、毎回、彼氏の愚痴だけ言いに来る常連もいることは知っている。
6時になると、桧垣と恵美莉は、相談室に鍵をかけて出る。そこで桧垣は毎回、
「晩飯食べて行かないか?」
と訊いてくる。最初2回はご馳走になったけど、毎回は悪いので、最近は遠慮して断っていた。
桧垣の誘い方は上手だった。押しつけずさらりと誘う。
「今日は、ご一緒してもいいですか?」
「あ、OKなの?」
「先生がOKなら」
「やっぱり、そろそろそんな気分の時期かなって、思ったよ」
「はぁ。やっぱりそんな気分です」
二人は、大学の近くの目立たない駅裏で賑わう、今年オープンした焼き鳥屋に入った。
「ここ来たことある?」
「はい、クラスの女子と来ました」
「そうか、よかった。そういう店のほうが安心だろ」
桧垣はさすがに心理学者。彼女の心を読んで行動している。
二人はまず、生ビールと焼き物のお勧めセットを注文した。それと恵美莉は冷奴も。
「先生は、ご結婚されてますよね」
「あ、指輪で分る?」
「はい。奥様も上手に扱われているんですか?」
「え?」
「あ、すみません。変な言い方してしまって」
「妻の気持ちを心理学的に読んで、接してるってこと?」
「はい、そういう意味です」
恵美莉は長い髪を束ねて巻き上げて、ヘアクリップで留めた。
桧垣は苦笑いしながら、
「家じゃ、そんな風にしたくはないけど、ついつい専門的な見方をしてるって、嫌がられてるよ」
「嫌って、どういうとこがですか?」
「普通に接してるつもりなんだけど、相手が見透かされてるように感じてるんだと思うけど」
「そうか、あたし思うんですけど、男の人って最初知り合った時は、『お前の考えてることは何でもお見通し』みたいに接してきません?」
「ははは、確かに自分に自信がない時なんか、そんな虚勢を張る人もいるね」
「そうですよね。でも、打ち解けてくると逆に、優柔不断を演じてみたり、甘えようとする」
「その通り。そういう人と知り合ったの?」
「いいえ、ぜんぜん逆なんです。ずうずうしいところから知り合って、その後放ったらかしみたいな。逆にあたしが気を使ってるのに」
「へぇ? 川崎さん、意外と次に行っちゃってるんだね」
「え? 別にそういう意味じゃないですよ。男友達は多いほうだけど、その人はなんか違うんです」
「でも、いいことだよ。新しい恋をする前に、現実が進んでいくのはよくあることで、後になって考えると、そのほうがいい思い出だったりするんだよ」
「はあ、そんなものでしょうか」
恵美莉はビールをググーと飲んだ。
「ぷはー、ビールって恋する前の現実と似てますね」
「どういうところが?」
「こんな苦いのに、飲んでるうちに好きになっていく感じが」
「うまいこと言うね。お得意の小説的表現。でも、飲み過ぎて深みにはまんないようにね」
「好き過ぎて深みにはまったままと、突っ走ってはまるのと、どっちがいいのかな」
「また小説みたいに考えてるんじゃない? それは現実で経験すれば、分るようになるよ」
「まだ分んないです。あたしまだ19歳ですよ」
「じゃ、飲んじゃダメじゃん」
恵美莉は桧垣を信頼している。歳は離れているが、頼れるお兄ちゃんという気がしていた。
「恋愛相談乗ってもらっていいですか?」
「うん。喜んで」
「男の人の行動って見てたら、子供っぽいなって思うことよくあるんですけど、男の人から見ても、女子の行動って子供っぽく見えてるんですか?」
「面白い切り口で訊いてくるねえ。そんな研究したこと無かったなぁ」
桧垣は焼鳥の串を、新しい割箸で抜いて、恵美莉が食べやすいようにした。恵美莉は、
「ありがとうございます」
と言って、焼鳥を自分のお箸で摘まんだ。
「女はできる限り、自分を隠そうとしてるって思うんですけど、それが逆に変に思われるのかな?」
「川崎さんは、本心が見え難い性格ですよ」
「それってやっぱり、とっつきにくいですか」
お箸に摘まんだ焼鳥を持ったまま固まった。
「それがね、見た目と性格がマッチしてるから、カッコいいと思うけどな。男でも見た目どおりなら、変に思わないでしょ?」
「うーん。でも見た目がよければすべていいっていうのも、違うって思うんです」
ようやく焼鳥を口に放り込んだ。
「それじゃあ、今気になってる人のこと教えてよ」
「気になってるっていうか、まだ昨日知り合ったばっかりなんで、あたしもよく分らないんですけど、小学校の時からの親友が、その彼のこと、いっちゃえって言うんです」
「その友達は勢いで言ってるだけでしょ。自分はどう考えて悩んでるの?」
恵美莉は背もたれのない椅子の上で、少し後ろに伸びをして、桧垣から距離を取った。
「その人に彼女がいるかも分らないんで、ましてや好きでもないんですけど、付き合っていったら好きになるのかなって」
「そういうことってよくあるって、さっき言ったばかりだよね」
「その親友も前に同じこと言ってたんで」
「気にせず突き進めば、少なくとも子供っぽくは見えないと思うよ」
「そうですよね。あたしきっと幼稚なこと悩んでるのに、そう思われたくないだけなんですね」
「要するにそういうこと。後で悩んだり、涙を流す“覚悟”があれば、何でもできる」
恵美莉は、再び前のめりになりながら、
「あ、そうか“覚悟”かぁ、なんか分った気がします」
「ふふん。それが分るようになったら、僕ももっと誘惑したくなるよ」
「ちょっと先生。飲んでるからってやめてください」




