第1章 スペシャルランチ
恵美莉には、女子友が少ない。別れた彼氏中心に生活してきたことで、男友達のほうが多かったぐらい。それに男勝りな性格な上に、高校から始めた小説の執筆活動で、一人でいることも多かったから。でも、もう小説は書く気分じゃなくなってしまった。
「またすぐ新しい男見つけようよ」
日曜日、腕を組んで歩く奈美が、恵美莉を励まそうとして言った。郵便局に勤める彼女とは小学校からの付き合いで、二人でよく買い物に街へ出ることが多い。
「そんな簡単に、気分転換できないわ」
「新しく付き合ってから、気分って変わるもんじゃないの?」
「無理無理」
「それ思い切って、小説のネタにしちゃいなよ」
「そんなに割り切って付き合えないって、あたし」
「やってみるしかないしね。恵美」
「でもねぇ・・・」
「颯ちゃん帰ってきたら、また付き合えるかもしれないけど、それ信じて待つ必要ないと思うよ」
普段は、恵美莉のほうが奈美の相談に乗ってやることがほとんどなのに、この時ばかりは、奈美もがんばった。でも恵美莉の長い髪をなでながら、ありきたりのことしか言えない。それにこの日、恵美莉は何も買っていない。帽子を見ても、靴を見ても、ただただ颯介の好みを考えてしまうから。
その帰りに、二人は『千石』に立ち寄った。そこは彼女らが通っていた高校の近くにある馴染みのお好み焼き屋である。
「私、いつものモダン焼き」
「あたしは二枚食べてやる」
そこで恵美莉は、ネギ焼きとモダン焼きを一人で食べて、ジンジャーハイボールを2杯飲んだ。お酒はあまり経験が無かったけど、やけ食いで無茶したかった。彼女なり、せめてものハメのはずし方だった。でも、付き合ってビールを飲んだ奈美は酔っ払ったのに、恵美莉は全然普段通りで、奈美を自宅まで送り届けてから帰った。
火曜日、恵美莉は一人でさびしく経済学の授業に出席していた。そこは大講堂で、大勢の学生が聴講している。先週まで隣には必ずお決まりの男子が座っていたのだが、ノートの端っこを切り取って、小さな鶴を折りながら、その颯介のことをまた考えていた。
「恵美莉。お願い! 私のカード提出しておいて」
その声にはっと我に返って振り向くと、恵美莉と同じ国際コミュニケーション学科の河辺みのりが、黄色い紙を差し出した。
「ごめん。彼にLINEで呼ばれて、会いに行ってくる」
「わかった」
その紙は、授業の途中に一人一枚配られる“聴講カード”で、授業終わりに学籍番号と氏名を記入して先生に提出すると、出席扱いになるというものだ。それをどこからか手に入れて、二枚重ねて提出してもらうなどして、授業をサボった学生がズルをすることがよくある。
河辺みのりは、姿勢を低くして講堂を抜け出していった。
「それやばいぜ」
後ろの列に座っていた学生が、小声で言うのが聞こえた。恵美莉は振り向いて、
「え? なんで?」
「あの教授のカードには、いつも認印が押されてるはずだ」
その男子学生は他の学部の学生らしい。恵美莉には面識がない。
「今まで、そんなの押されてなかったでしょ」
「いいや。ブラックライトを当てたら、光るインクで押されてるんだ。違うカードで代出(代理で提出)してもバレる」
「ええ! どうしよ」
「配られる時、うまく2枚もらうしかないな」
「でも、机ごとに、人数分数えて配布されるのに?」
「もらった後、こっそり別の席に移動して、またもらうしかないけどな」
「そんなことできないわ」
「じゃ、もう放っておく気? サボるほうが悪いんだしね」
恵美莉は困った。彼女は律儀な性格ゆえ、頼まれたことを放っておけない。
「俺が取ってきてやろうか?」
「いいの?」
「その代わり学食おごってくれたら」
恵美莉はその男子を横目で見ながら、一瞬考えて、
「じゃAランチで」
「スペシャル!」
「うーん・・・」
Aランチは320円、スペシャルセットは530円である。
「仕方ない。それで交渉成立よ」
恵美莉はその後、授業を受けながら腹が立ってきた。なんで河辺みのりのために、530円も出費しないといけないのかと。でもその男子学生は、うまく2枚目の聴講カードを手に入れてくれた。
経済学の授業は一般教養の選択科目で、全学部から学生が一度に聴講するので、講堂を出たら300人ほどでごった返す。その学生のほとんどが食堂を目指すので、流れに任せればいい。でも恵美莉は少し焦っていた。聴講カードを手に入れてくれた彼と、はぐれないようにしなければいけなかったから。
「ちょっと待ってください」
「何してんの。早く学食行こうよ」
彼は、振り返ったものの、歩みを止めずに歩き続けた。
「っあたし、あなたのことよく知らないから」
「俺、見たことない?」
「あんまり見たことない」
「俺、オタクのこと去年から知ってる」
「え? なんでですか?」
「背の高い彼氏いるだろ」
「あ。アイツは目立ちますからね」
「今日は彼氏いないの?」
「え? えぇ、まあ」
「あれあれ? ケンカ中とか?」
「そうじゃないです!」
「そうなの? オタクが一人でいるとこ、ほとんど見たことないけどね」
「なんでそんなこと知ってるんですか? あたしはあんたに興味ないですよ」
「あれ? もうフッテル?」
「いえ、そういう意味ではありません!」
「雨」
「え?」
「雨降ってきた」
「…あ」
(なんだ雨のことか、恥ずかし)思わずうつむいた。
その時、彼は走り出した。周囲の学生も一斉に早足になったので、恵美莉は一瞬、取り残された。急いで彼の後を追ったけど、階段で人ごみに阻まれ見失ってしまった。
食堂に着いて周囲を見渡すと、トレーを持って並ぶ列の中に彼がいた。
「こっちこっち」
手招きする彼。戸惑いながら、恵美莉もトレーを持って、先に並ぶ学生に頭を下げて追い越し、彼の後ろに入った。
「スペシャルなんて、食べたことないんじゃないの?」
「どうしてそう思うの?」
「講堂から一目散じゃないですか。めちゃくちゃ早く走ってたし」
「へへ、そんなことないよ、結構食べる」
「本当ですか? 顔ニヤけてますよ」
「ヒヒヒ、今日のメニューは、和牛ビーフカツか」
「うわっ、おいしそうですね」
「オタクもスペシャル食べる?」
「ランチが1000円オーバーになってしまう」
「やめとく?」
「200円カレーにしようかな」
「じゃ、かわいそうだから、味噌汁おごってやるよ」
「味噌汁はタダです」
「ライスも大盛りにしていいよ」
「大盛りもタダ!」
「水は飲みほうだぃ…」
「スペシャル食べます!」
二人はトレーに料理を載せた後、恵美莉がプリペイドカードを2回通して、溜息をついた。
「サンキュな」
彼はそう言って歩き出した。恵美莉は何も言わず、その後をついていった。
彼は混雑する周囲を見渡しながら、窓際の空席を目指して歩いた。二席の空席の右側に彼は座ったので、恵美莉は(隣同士に座るのは変かな?)と思いながらも、そこしか空いていないので仕方なく座りかけた時、
「オッス。彼女だれ?」
向かいの席の男子が隣の彼に言った。更に恵美莉の左側の学生も、
「紹介しろよ」
と右隣の彼に言った。
スペシャルランチをおごってもらった彼は、席に着いた恵美莉のほうを向いて、
「あれ? オタクも一緒に食うの?」
「え? あ?(赤面)」
「彼女、川崎さん」
「いっ! なんで名前知ってるんですか?」
「“川崎恵美莉”って、聴講カードに書いてただろ」
「見てたんですか」
「名前も知らない他人に、おごってもらうわけにはいかないからな」
「それ、順序が違う気が」
恵美莉は思いがけず、彼の友人達と同席してしまった。
「おごってもらってんのかよ。スペシャルじゃん」
「何か弱みでも握られたの?」
「いえ、ほんのお礼です」
「そうそう」
「何のお礼?」
「大したことでは」
「川崎さん、何学部?」
「国コミュの2回生です」
「へえ。スゲーじゃん。高偏差値」
「そんな、別に・・・、皆さんは?」
「国文の3回。でも、俺ら全員一浪組だから、2歳上かな」
右隣の彼が答えた。
その後は恵美莉は話をせず、なるべく髪の毛で顔を隠しながら、彼らの話を聞き流して食事を終えた。
「じゃ、あたしそろそろ行きます」
「ああ、ご馳走様」
恵美莉は立ち上がり、トレーを抱えながら、
「あの、名前は、何ていうんですか?」
「やっと、訊いてくれた」
「すみません。タイミングが掴めなくって」
「菅生春樹、俺に興味持った?」
「いいえ、名前を知ったんで、今度おごってもらいます」
恵美莉は髪をかき上げ、そそくさと立ち去った。




