アムゼル村へ
「矢がもう作れないんだ」
ヨルクは、そう言った。
それは、茹だるような暑い日が終わり過ごしやすい日が増えていた、ある日のことだった。
この年は昨年よりも暑かった。夜もあまり気温が下がらず、フィルは満足に眠れない日が続いた。日照りではなかったので、畑は干からびることはなかったのは幸いだった。
住民たちの間では「暑い」が挨拶代わりになっていた。体の弱い年寄りや子どもたちは涼しい屋内で過ごす時間が増えていた。
鍛冶屋ではポットを作り続けていた。
ポットは一つしか持っていない家庭がほとんどだった。井戸の水は沸かしてからでしか飲めない。しかし、沸かすのも冷めるのも時間がかかる。一つ目のポットの水を飲む間、もう一つのポットで水を沸かし、冷ましていた。
男たちは刺すような日差しの中で汗を流し、女たちは普段以上に畑と家とを往復していた。
そんな中、フィルとデリックは精力的に狩りに出ていた。他の狩人たちの成果が悪く、矢を消費するだけの日が増えていた。女たちから「畑の手伝いはいいから、何か獲ってきて」と懇願され、二人は弓矢を手に森や山へ行った。
森の中で二頭の猪と遭遇し、二人はすかさず矢を放った。フィルは頭部に、デリックは横腹に命中させた。
「誰か呼んで運んでもらおうか」
「賛成。だけど、ここを説明できるのか? ディー兄。森に入ってすぐの所じゃないんだぞ」
「仕方ない。俺たちで森の外まで運ぶとしよう。そうすれば分かるだろう」
二人は太い棒に猪の足を括り付けると、森の外へと運んだ。一頭目を橋の近くへ下ろし、再び森へと入って二頭目を運び出した。そのまま橋を渡り、里へと歩いていると、小麦畑に何人かの男がいるのが見えた。
「おーい。橋にもう一頭あるから運んでくれないか?」
デリックが大声で呼びかけると、男の一人が慌てて里の中へと走っていった。男は太い棒を担いで戻ってくると、他の男たちと急いで橋へと向かった。
二人は、そのまま里の中心にある広場へと猪を運んだ。
広場の側には井戸と小屋がある。小屋といっても草を刈るための大鎌や水撒きに使う桶を入れている物置のような小さくて粗末なものではなく、石造りの立派な建物だ。小さな家ほどの大きさで、中には暖炉と鍋を吊るすためのクレーンが三つずつあり、いくつものまな板や包丁が壁際の棚に置かれている。
そこは祭りなど、大勢の人に料理を振る舞う時に使われており、里の人からは料理小屋と呼ばれている。料理をするだけでなく、猪や鹿を解体するのにも使っていた。
「じゃあフィル、マーサを探して来てくれ」
「分かった」
横たわった猪を前に、デリックは袖を捲りながら言った。フィルは頷くと、近くにあるアントンの家へ向かった。家の外では洗濯物がはためいている。玄関をノックしたものの返事はなく、家を回り込み、窓から中を覗いたが誰もいなかった。
「どこにいるんだ、おばさん」
フィルは、ぼやきながら空を見上げた。昼を過ぎてしばらく経っているものの、太陽はまだ高い所で存在を主張していた。
鳥やウサギのような小さな生き物ならフィルとデリックの好きに出来る。しかし、猪を仕留めたのを何人もが見ていた。
猪のような大きな生き物を仕留めた時には、里の人たちと分け合う決まりとなっている。里の人口は少なくない。そのため、一頭を全部の家庭と分けてしまっては一軒分がだいぶ少なくなってしまう。
どこの家に分けるかを決めるのが里長の妻の役割だ。里の家は班分けられていて、同じ班に配らないよう順番になっていた。
この時間なら、畑だろうか。
フィルは辺りを見回しながら、里の北へと走ったのだった。
マーサは三人の女たちと一緒に幼い子どもたちとボールを転がして遊んでいた。鹿の皮に麦わらを詰めたボールは歪んでいて、まっすぐ転がっていかない。子どもたちはボールを追い回し、捕まえた子が思い思いの方向へと投げ、また追いかける。子どもたちだけで遊び始めると、マーサたちは穏やかな顔で眺めていた。
走ってくる足音に気がついたマーサが顔を向けると、フィルが膝に手をついて荒い息を吐いていた。
「ま、マーサおばさん……やっと見つけた……」
「どうしたんだい、フィル。そんなに息を切らして」
「猪獲ってきたから……探してたんだ……畑かと思って……」
「そうなの? そりゃあ悪かった」
マーサは申し訳なさそうな顔をした。
「また獲ったのかい? すごいねぇ」
「行ってきてマーサ。ここは私たちだけで大丈夫だから」
一緒にいた女たちは喜色を浮かべた。自分たちの家が今回配られなくても、フィルとデリックが狩りに行くのなら、すぐに順番が回ってくる。
女たちはマーサに、フィルと行くように手振りで示した。
「じゃあ、お願い。行こうか、フィル」
「ああ」
フィルはマーサを連れて料理小屋へと向かっていると、小屋の入り口が開け放たれているのが見えた。頭に布を巻いた背の高い細身の男がそこに立っていた。
「ヨルクじゃないか。どうしたんだい? こんな所に突っ立って」
「ああ、マーサ。それにフィルも」
振り返ったヨルクは火傷の跡のある大きな手で、困ったように頭を掻いた。
「デリックにも今言ったんだが、矢羽にする羽根がもう無いんだよ」
「羽根が?」
鍛冶屋ではナイフやポットなどの金属製品だけでなく、弓矢も作っていた。見習いであるヨルクはハンマーで鉄を叩くこともあるが、あと一歩足りないらしい。師匠であるモーリッツが手直しをしているので、フィルはヨルクが一人で作ったものを未だ手にできていない。親友が得意げな顔をして持ってくるのが、密かな楽しみだった。
ヨルクは鍛冶場でハンマーを握り、火に向かう以外の時間は、切れ味の悪くなったナイフを研いだり、矢に使うシャフトを木から削り出したりしていた。フィルもやってみたことがあるが、ヨルクほど上手く削ることができなかった。
「アムゼル村から来てないの?」
「暑かったせいで飼っているガチョウがたくさん死んでしまったと聞いたが……」
「おそらく、そのせいだろう」
フィルたちが使っている矢の羽根はガチョウのものだ。
風の里ではガチョウを飼っていない。そのため、ガチョウを多く飼育しているアムゼル村と時折交換していた。風の里からは小麦や玉ねぎなどの野菜と、アムゼル村からは矢羽や蜂蜜、蜜蝋を交換していた。ちなみに銅貨や銀貨はあるが、使うことはほとんどない。
「シャフトと鏃はあるんだが」
「ヨルク、この辺りで獲れる鳥でもいいのか?」
「すぐダメになるぞ」
フィルは背中の矢筒を外し、残っている本数を確かめた。
「ディー兄、五本しかないんだが」
「五本かぁ」
デリックは猪を捌く手を止め、マーサへ顔を向けた。
「なぁマーサ。フィルを連れてアムゼル村に行ってきてもいいか?」
「そうねぇ……」
「もしかしたら少しくらい分けてくれるかもしれない。駄目だったら村の近くにあるクラーニヒ湿原で何か捕まえるさ」
「行ってきなさい」
マーサが答える前に、アントンの声がした。いつの間にかフィルたちの背後に立っていた。
「あら、あなた。いつの間に?」
「お前たちが全く動こうとしないから、何かあったのかと気になってな」
「アントンおじさん。本当にいいのか?」
フィルは確かめるような目を向けた。日没までには帰るようにマーサたちから散々言われていたので、何日も里を離れていいと言われても、実感が湧かず、疑った。アントンは日に焼けた大きな手をフィルの頭に置いた。
「ああ。お前には他の場所を見せたいと、前から思っていたんだ。矢が無いのなら狩りにも行けないし、みんなも納得するだろう。なぁ、マーサ」
「そうね。フィルもデリックも優しいから本当は行ってほしくないのだけど……仕方ないわね」
マーサは諦めたように、ため息を吐いた。
「成人してないから行くなって意味かと思ってたんだが……」
フィルは困惑したような表情を浮かべた。
「そうじゃないんだ。それに、お前と同い年の子たちはもう何度もアムゼル村や他の村にも行っている。行くのは馬車を使うし、他の男たちもいる。お前が行ってはいけないと思っていたのは、きっとマーサや他の女たちが里にいて欲しくて、あれこれ言ったせいだろう」
「なら、本当に?」
「ああ」
アントンが頷いたのを見たデリックは、手を一回叩いた。
「さてフィル。さっさと猪を捌いてしまおう。アムゼル村は遠いから準備しないと」
程なくしてもう一頭の猪が小屋へ運び込まれた。フィルとデリックは手早く捌き、マーサが呼んできた女たちに一塊ずつ配った。
それが終わると家へ戻り、旅の準備を始めるのだった。




