不穏な村
数日後、二人は馬に乗っていた。
日の出と共に里を出て、北東へと進んだ。
右手にはリベレ川が流れていて、それ以外の一面に膝丈ほどの鮮やかな緑色の草が生えている。
時折、草原の中にぽつんと木が一本だけ生えていた。
何日も里を離れたことがないフィルは、出発する前は不安と期待でいっぱいだった。他からは普段通りに見えるよう心がけてはいたものの、そわそわして落ち着きがなかった。
親しい人たちからは日持ちする食べ物をもらった。
その中でフィルが一番驚いたのがパンだった。
デリックと干し肉を作っている時に、クリスタが家へやって来た。
クリスタはアントンとマーサの娘でザカリーの妹だ。十四歳になるクリスタは絹のように艶やかな緑髪と、大きなハシバミ色の瞳の美少女に成長していた。
「母さんと作ったの。持っていって」
フィルは、ザカリー以外のアントン一家とは仲が良い。仕留めた鳥などをあげ、代わりにパンをもらったりしていた。
クリスタが持ってきたバスケットにはパンが入っていた。フィルは一つ手に持ってみると、ずっしりとした重さが伝わってきた。
「クリスタ、これはパンじゃないのか?」
焼けた小麦色の丸い板のような存在にフィルは首を傾げた。
「パンよ。ただ、日持ちするように普段以上に水分を飛ばしてるけど。あ、食べる時は気をつけてね。とっても硬いから」
そのまま食べると歯が折れてしまいそうなほど硬いパンを、ナイフで少しずつ削りながら食べた。
「ディー兄、塔ってどこにあるんだ?」
フィルは草の生えた地面に座り、足を投げ出した。近くの井戸で水を汲んできたデリックは小さな鍋で沸かし始めた。
今でこそ風の里とアムゼル村の間には集落がないが、昔は小さな集落がいくつもあったらしい。 井戸と、一部残された石を積み上げた壁、朽ちた木の柱が残っていて、そこが集落であったと物語っている。壁もなければ屋根もない住居跡に入ることはなく、井戸の側で休んだ。井戸は枯れていなかったので、飲み水の確保には困らなかった。
里を出て四日目。
時折空を行く鳥たちの姿は見えたが、地上に降りることはなく、そのままどこかへ去って行った。弓は一応持ってきているが、活躍の機会は今のところなさそうだ。
「ずっと似たような景色だからな。飽きたか?」
「南のタウべ山脈の形が同じじゃないから、進んでいるとは思うが……」
デリックは苦笑を漏らした。
「俺も初めてアムゼル村に行った時は、いつまで続くんだって、うんざりしたよ」
「ディー兄でも、そう思う時があるんだ」
フィルの驚いたような表情を見たデリックは眉根を寄せた。
「俺だって、楽しい時は楽しいし、つまらない時はつまらないと思うさ」
「……そうか」
フィルにとってデリックは、兄貴分であり、親代わりだ。
子供たちの面倒を見るのも嫌がることはなく、大工仕事も得意で狩りもできる。大人たちから頼られるデリックは、自慢の家族であると同時に尊敬してもいた。褒めたり怒ったりすることはあっても退屈を感じることはあるのか、と里を出てからフィルはデリックの横顔を見て思っていた。
「ところで塔は? ディー兄行ったことあるんだろう?」
「ああ」
デリックは「うーん」と言いながら空を見上げた。
「話すより見た方が早いな」
「教えてくれてもいいじゃないか」
フィルは残念そうな顔をした。
「そんな顔するな。どれだけ言葉を並べても、きっと想像することはできないだろう。それに、初めて見た時の驚きを減らしてしまうのもな」
「ケチ」
「まあまあ。もう少し進めば見えるはずだ。それに、近くには休憩小屋もある。今日は屋根のある所で寝られるぞ」
二人は馬に乗り、再び進み始めた。
数時間後、前方に草原以外のものが見えた。
最初は薄茶色の細い棒のようだった。
ただ、かなり高い。見慣れたタウべ山脈と同じくらいではないかとフィルは思った。
「ディー兄、あれが?」
「そうだ」
近づくにつれて塔は段々と大きくなっていった。
塔の近くにあった休憩小屋はフィルの家より大きかった。煮炊きするための暖炉とベッド、広いテーブルと椅子があった。ベッドは暖炉と反対側の壁に五つ、並べて置かれていた。
外の馬小屋に馬を繋ぐと、デリックは井戸へと向かった。
フィルは馬小屋に馬を繋いだ後も、しばらく塔を見上げていた。近くで見る塔は、登れば空に届くのではないかと思うほどだった。
「そろそろメシにしよう」
デリックが声を掛けるまで、フィルは呆然と塔を見上げていた。
夕食はパンをお湯でふやかしたものと、炙った干し肉だった。
「ディー兄、精霊とやらに会ったのか?」
「ん?」
「イーヴォじいさん、塔には精霊がいるって言ってたし。会ったのかなと」
「うーん……」
デリックは干し肉を齧りながら僅かに首を傾げた。
「いや……会った覚えはないな」
「それでも風を吹かせることは出来るんだろ?」
フィルが小さな頃、一度だけ見せてほしいとせがんだことがある。デリックは、仕方ないなと言う顔をして、そよ風を吹かせて見せた。
「塔の中は部屋がなく、壁に沿って階段があるだけだった。塔に入りはしたものの、具体的に何をやれと言われたわけじゃない。俺の他にも十二人いたが、みんな何をすれば良いのか分からなかった。とりあえず階段を上がっていると、風を吹かせられると、突然思ったんだ」
「それで、やってみたらできた、と?」
「ああ」
「塔の天辺まで行ったのか?」
「いや途中までだ。時間もなかったし」
「時間がない?」
「俺たちを連れてきた大人が、昼までに戻って来るように言ってたからな。前日はここに泊まって、早朝から塔に入ったんだよ。水も食べ物も武器になるような物も取り上げられてたんだ。本当は屋上まで行ってみたかったんだが……」
武器はともかく、食べ物も取り上げたと言うのがフィルは引っ掛かった。
「長居させたくなかったってことか?」
「かもな」
デリックは追加のパンをナイフで削ると鍋の中に放り込んだ。
二人は夕食を終えると、すぐにベッドで横になった。ベッドといっても、その形に木が組まれているだけで、マットレスは無い。寝る部分には板が敷き詰められていて、その上に薄い布がかけられていた。
フィルは硬くて寝られないんじゃ無いかと思ったが、荷袋を枕がわりに寝転がると、不思議とすぐに眠りに落ち、朝まで目覚めることはなかった。
それから数日かけてアムゼル村に着いた。
二人がないかもしれないと心配した羽根は、すぐに用意された。
湿地で狩りをする必要がなかったことに安堵したデリックは、木札を村長を渡した。村長というので、アントンのような人を想像していたフィルだが、名乗ったのはデリックと同じくらいの歳の若者だった。
夕食は村長宅に招かれた。
焼いたガチョウは美味しかったのか、フィルは貪るように食べた。
その日は案内された家で泊まった。村外れにある小さな家で、暖炉とベッド、椅子があるだけだった。椅子は丸太を輪切りにしただけの円筒形で、背もたれはない。ベッドは隙間を開けず、きっちりと並べて置かれていた。
「夕食をご馳走になるとは思わなかったよ」
「確かに」
ベッドに寝転がったデリックの呟くと、フィルは頷いた。
「人数が少なかったからか、お前の髪色が珍しかったからか……」
大人たちはフィルを見ても表情を変えなかったが、村長の家にいた子供たちは、好奇心を隠すことはなかった。何かを言われることはなかったものの、食事中も終わった後もジロジロ見られ、フィルは居心地の悪さを感じた。
「あんな風に見られるとは思わなかった」
「それにしては、しっかり食べてたな」
「ガチョウ、美味かったし。それに里に戻るまで干し肉とパンしかないんだ。食べられる時に食べておかないと」
デリックは「そりゃそうだ」と言って笑った。
二人がぐっすりと眠っている頃、夜の闇に紛れるように人が動いていた。向かったのは空き家とは正反対にある小さな家だった。玄関を軽くノックすると、静かに扉が開いた。そのまま滑り込むように中へと入ると、数人の男と椅子に座った老人がいた。
「すまん、遅れた」
今し方来た男が他の男たちの間を抜け、老人の前に立った。老人の近くにある小さなテーブルの上に置かれたランプが照らしたのは、フィルたちに村長と名乗った男だった。
「ロルフよ。皆から聞いたが、その者の髪はワシらとは違ったのか?」
前置きは煩わしいと言わんばかりに、老人は本題を切り出した。
「ああ」
ロルフが頷くと、男の一人が腰のナイフに手を伸ばした。
「長老、今なら……」
「やめるのじゃ」
「しかし、予言の通りなら」
「皆、落ち着け。今彼らを手に掛けてどうする。アントンは二人がここに向かっていると知ってるんだぞ」
「盗賊とか獣に襲われたことにすれば良いじゃないか」
焦りを見せる男たちに、老人は「早まってはいかん」と静かに言った。
「予言は確かなものではない。起きるかどうかも分からないもののために、お前たちの手を汚させるわけにはいかん」
「だけど長老。起きてからでは遅いということもある」
「銀髪の若者が災厄を連れて来る、か」
ロルフは腕を組み、何かを考えるように天井を見上げた。
「この辺りでは確かに珍しい色ではあるが、他の地域にもいるんじゃないのか? それに、名前がない以上、彼のことを指しているとは言えんだろう」
「ロルフの言うとおりじゃ。もし、彼を殺めたとして違っていたら、どう詫びるのじゃ?」
老人の諭すような声に「あんな珍しい髪色、そうはいないんじゃないか?」と一人が絞り出すように言った。
「かつて王家から各地に嫁いだ姫様方は皆同じ銀の髪をしていたそうじゃ」
「それなら、他の奴かもしれない、と?」
「警戒はしておくに越したことはないじゃろう。ただ、早まってはいかんぞ」




