第7話:そんな共通点はいらなかった…
突然立ち上がったギレスベルガー様の迫力に思わず後ずさりそうになった。拳が小刻みに震えているけれど、どういうこと? この驚き方、もしかしてご存じなかった? そんなことがあるの? 待って……私も混乱している。だけど、確かにおかしいわ。侯爵家の令息がこれだけの呪いを受けているのに治療を受けていないなんて……まさか……
「……じゃ、王都に入れなかったのは……」
「その恰好で、王都に入ろうとしたのですか?」
それは、さすがに無理では……
「ああ、だが……上司から、手配しておくと言われたんだ。王都に連絡を入れておくから、すぐに向かえと。その方が早く治療が受けられると。そう、言われて……」
記憶を探るように呟かれた言葉から事情が見えてきたわ。枯れた声からはさっきまであった力が消えていた。
「だが、王都に着いてみれば、いきなり化け物だと叫ばれて……名乗ったが誰も俺の言葉に耳を傾けてくれず……終いには殺されそうになって、逃げてきたんだが……」
力なく腰を下ろして両手で顔を覆った。野営用の小さな椅子が悲鳴を上げる。気まずい沈黙が私たちの周りを包む中、鳥のさえずりが飛び交う。
……こんなことがあり得るの? 呪いにかかった彼を一人で王都に向かわせる? 彼は侯爵令息で、騎士団の副長なのよ。呪いによっては急に悪化して死に至ることもあるのに……背筋がぞくりと冷えた。深い悪意を感じる……
「……知っていることを、話してくれないか」
静かに、顔を覆ったままそう告げられた。こうなっては話さないわけにはいかないわよね。彼は知る権利があるもの。
「私が知っていることは、多くはありませんが……」
「それでも、構わない」
有名人の彼の失踪は騒ぎになったから私でも知っているけれど……気が重いわ。だけど、自室を知らなければこの人も先に進めないわよね。
「私が知っているのは、二か月前にギレスベルガー様が前線を勝手に離れて行方不明になったこと。それで敵前逃亡罪に問われ追放処分が発表されたこと。そして、一月前にギレスベルガー様のご実家が勘当すると公表されたことです」
「ま、待ってくれ……! 実家が、実家が俺を勘当!?」
それはこれまでで一番の悲痛な叫びだった。赤黒い目が真っ直ぐに向けられる。呪いのせいで表情はわからないけれど、悲痛さと必死さは伝わってきた。
「はい、そう公表されたと伺っておりますが……」
「……そう、か……」
再び顔を覆って俯いてしまわれたけれど、気持ちはわかるわ。私も急に首だと、出て行けと言われたから。あの時の衝撃は途轍もないものだった……忘れていた痛みが蘇り胸を突く。彼も私と同じ様に陥れられたのね。いえ、彼の方がより悪意が深いわ。治療のためと言って帰京を勧めたのも彼を陥れるためだったのでしょうね。じゃぁ、呪いはその人たちが? たくさんの疑念が湧いてくるのを飲み込んで、彼が落ち着くのを静かに待った。
「取り乱して、すまなかった……」
絞り出すような声に止まっていた時間が動き出す。長かったように感じたけれど、それは私の中で嫌な過去が繰り返し湧き出していたからかもしれない。
「いえ、驚かれるのも当然かと……」
ありていな言葉しか言えなかった。きっと何を言っても慰めにはならないわ。数日前の私と同じね。だけど私は呪われてもいないし、むしろ解放されたことにホッとしているくらいにはあの環境に疲れていた。比較にならないわ。
彼は将来を期待されていた騎士で人気者だった。日陰にいた私と違って失ったものが大きすぎる。沈黙が重い。そんな中、鍋が煮えて噴き出てしまった。
「ひとまず、食事をなさってください。何も食べていらっしゃらないのでしょう?」
さっき、長くまともな食事をしていなかったと言っていたわ。これだってまともとは言えないけれど、木の実や草ばかりでは身体に悪い。鞄から木の食器と大きなスプーンを取り出した。アマーリエさんにいただいたものが早くも役に立つなんてね。大きなスプーンで鍋の中身を食器に移し、小さなスプーンと共に渡した。
「す、すまない……」
申し訳なさそうに、でもしっかりと食器を受け取った。
「先ずは食べてください。人間、食べて寝て歩けるうちはどうにでもなるそうですから」
女将さんの言葉を誰かに言うなんてね。だけど、その通りね。先ずは食べて寝ないと冷静な判断も出来ないもの。
「はは、そう、だな……」
「心中お察ししますわ。私も、似たような状況ですから」
「…………は?」
口に運びかけていたスプーンが止まった。じっと見られているけれど、先を促されている?
「私もつい先日、上司の失敗を押し付けられて首になり、実家に帰ったら恥晒しだと言われて勘当されたんです」
自分の言葉に胸がじくりと痛んだ。もう平気だと、吹っ切ったと思っていたのに、どうして……あんな人たち、こっちから捨てたはずなのに。
「ど、どういう、ことだ?」
「失礼しました。私はアレッサ。フェルザー伯爵家の長女で、王宮魔術院の解呪師でした。十日前までは」
ギレスベルガー様のスプーンが音もたてずに落下したけれど、彼はそのまま硬直していた。スプーンが汚れてしまったわ。拾おうと手を伸ばすとようやく我に返って拾い上げ、そのまま食器の中身を口に流し込んだ。丸呑みして、大丈夫なのかしら?
「……美味い……」
噛みしめるような呟きに力はなく、途方に暮れているように見えた。
「まだたくさんありますから、好きなだけ食べてください。あ、でも、一気に食べるのはよくないかしら?」
おかわりをよそおうと手を伸ばすと、遠慮がちに食器を差し出した。こうしてみると背が高いしアマーリエさんよりもずっといい体格をしている。だったらこれだけでは足りないわよね。幸い話し込んでいたせいかしっかり煮込まれているから噛まなくても大丈夫だとは思うけれど。
「しっかり噛んで食べてください。話は後にしましょう」
そう告げながらスープでいっぱいになった食器を手渡した。どうせ消化にいい話ではないでしょうから。だったら後にした方がいい。
「熱いからゆっくり食べてください。火傷を治すのは簡単ではありませんから」
「あ、ああ。重ね重ねすまない……」
大きな身体が小さく見えた。高圧的な人でなくて良かったわ。自分の器にもスープをよそった。まだ食欲が戻ってこないから汁だけに留めた。ゆっくり汁をスプーンですくって口に運ぶ。思ったより味がないものなのね、味付け用の塩なども買っておけばよかったかしら。でも、女将さんに止められたのよね、高いからと。
鍋の中身は殆どが目の前の人物のお腹へと消えていった。量、足りたのかしら? 男性ってどれくらい食べるのか見当もつかないわね。
「久しぶりに人間らしい食事が出来た。感謝する」
「いえ、気が済まれましたか?」
「ああ。あなたの言う通りだな。しっかり食べたら気力が湧いてきた」
口の端が上がったから多分笑っているのでしょうけれど、正直言って怖さが増しただけ。でも、雰囲気から感情はなんとなくわかる気がするわ。
「アレッサ殿、あなたはザクサーに行くのだな? そこに行くまでの間、俺に護衛を頼みたいと」
そういえば最初にそんなことを言ったわね。だけど……
「そのことは忘れてください。あの時はまさかギレスベルガー様だとは思わなかったから……」
「いや、既にギレスベルガー家から勘当されているのだろう? だったら共にザクサーに行こうと思う」
意外だわ、そんな風に仰るとは思わなかった。それこそ王都に行ってご自身の潔白を証明するのかと……
「ですが……よろしいのですか? このままでは名誉が……」
「こうなっては俺の味方をする者はいないだろう。共犯として断罪される可能性もある」
「それは、そうですが……」
悲しいかな否定出来ないわ。多分、最初から仕組まれていたのでしょうね。だったらギレスベルガー様が身の潔白を証明しようとするところまで考えているはず。だからこそ王都で殺されそうになったのでしょうし。
「それよりも、あなたこそいいのか?」
「何がですか?」
「俺と同行すればあなたも酷い目に遭うかもしれない。如何せん今の俺は化け物だからな」
自嘲めいた言い方だけど、さっきよりは声に力を感じた。
「そこは構いませんわ。それに、見た目だけならどうにでも出来ます。顔に火傷を負ったことにして、仮面を被ることも出来ますから」
実際魔術師や騎士の中には魔術の失敗や魔獣により顔に怪我を負う人も少なくない。そういう人は仮面を被って生活している。
「まぁ、確かに」
「呪いの方はかなりの量の呪いを重ね掛けされています。少し時間をいただくことになるかと」
「それこそ、手間をかけて申し訳ない。あなたのいいようにやってくれていい」
せっかちな方でなくてよかったわ。だけどゆっくりしていると呪いに侵食されて命の危機に繋がるかもしれない。先ずはどこかで腰を据えて、ある程度の呪いは解いた方がいいかしら?
「では、交渉成立だな」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
こうして私たちは共に旅をすることになった。この先どうなるかわからないけれど、お互いに似た境遇の者同士、上手くやっていけるといいのだけど。




