花降る中で伝えられた言葉は…
食後、フィンに誘われて庭に出た。本邸の周りは人工的で貴族的な庭が広がっているけれど、別邸の周りは自然の森のようになっている。これはこの別邸が隠居した前当主やその夫人が余生を過ごすために建てられたもので、ザクサーの自然に近付けてあるという。雑多に植えられたように見える木々の足元には素朴な花々が咲き、緩い風に揺られていた。
「ああ、やっと自由になれたって気がする」
フィンが右手を空に掲げていた。その指先には淡い色の爪があって、解呪が完全に成されたことを示していた。
「不便だったものね。直ぐに伸びたし」
苦労しているのをずっと見てきたから本当によかったと思う。先生のもとで過ごすようになってからは治癒魔術を先生が掛けてくださったお陰で随分楽になったけれど、切る時の痛みを消すことは出来なかった。
「心臓にあった変な痛みもなくなった。これもルカのお陰だ」
そう言って爽やかな笑顔を向けられて心臓が跳ねた。そんな表情、反則だわ。いえ、最後に素敵な笑顔が見られてよかったというべきかしら。これは私にだけ向けられたものだと思えば宝物よね。胸の痛みが急に強くなった気がした。
「なぁ、ルカはこれからどうするんだ?」
これからのことを尋ねるフィンに胸の痛みが増した。こうして一緒にいられるのもあと僅か。それは以前から覚悟していたことなのに未だに覚悟が出来ていないとたった今思い知ってしまったわ。そんな自分が情けない……
「まだはっきり決めてはいないけれど……お祖父様の研究を、引き継げたらと思っているわ」
幼い頃、お祖父様にもそう言ったら喜んでくださった。実家を追い出された時は無理だと思ったけれど、先生がお祖父様の研究結果を父から譲り受けてくださったからその未来への道が繋がったわ。きっと先生は反対なさらないし、そう勧めてくださると思う。
「そうか」
帰ってきた言葉はそれだけで、短い返しに何故か落胆した。話の流れからして「フィンはどうするの?」と尋ねるところなのだろうけれど、喉まで出かかっているのに言葉にならない。それを聞いてしまったら、別れが確実だとわかってしまう、それが怖い……何か言わなきゃと思うのに言葉が見つからない。沈黙が、気まずい……二人揃って無言で当てもなく庭を進んだ。
居心地の悪さを感じながらも、こうして肩を並べて歩くのも残り少ないと思うとますます胸がいっぱいになった。このまま時間が止まってほしい。フィンに言う? 今? まだ暫くは一緒に過ごすからもう少し後がいい? 勇気が出なくて先送りしてしまう。一刻でも長く傍にいたいから、気まずいまま終わりたくないから。
「うわ、よく咲いているな」
フィンが足を止めたのは、サベリスの木の前だった。今の季節は暑いから花が少ないけれど、この木は夏の最中に花をつける。小さく白い花からは仄かな甘い香りが漂い、風が吹くと小さな花弁が雪のように舞い降りる。凄く、綺麗……フィンとこの景色を見られたこと、ずっと忘れられないわ。何も言えなくてただ花が降るのを眺めていた。
「すげぇ……この木、こんなにデカくなるんだな」
木を見上げるフィンの銀髪に白い花が降り注ぐ。花が似合う男の人もいるのね。フィンならどんな花でも似合いそう。このフィンをずっと記憶に残しておきたい……
「ルカ、この木の花言葉、知っているか?」
「花言葉?」
突然出て来た言葉に寂しさややるせなさが飛んだ。フィンが花言葉? そんなことを気にする人だとは思わなかったわ。だけど、この木って……
「こいつの花言葉は『感謝』、そして『色褪せぬ愛』だそうだ」
「そ、そう……」
急にそんなことを言われて、どう受け取っていいのかわからなかった。花言葉を知っていたのも意外だったけど……感謝……お礼を、言いたいのかしら? 意図がわからなくて、なんて言っていいのかわからない。暫く木を見上げていたフィンが振り向いてじっとこちらを見た。それだけのことなのに胸が跳ねた。
「ルカ」
「……何?」
出ていたのはその一言だけだった。たくさん喋ったら泣いてしまいそうだったから。胸の痛みと戦っていると、突然フィンが跪いた。何をしているの? 何をするつもりなの? 答えがわからないまま立ち尽くしているとフィンに手を取られた。びっくりして咄嗟に手を引いたけれど、逃がしてくれなかった。少し高い体温に心臓が跳ねる。
「ルカ、これからの人生、俺を傍に置いてくれ」
紫色の瞳とぶつかって息を呑んだ。言われた言葉を頭の中で繰り返す。何を言っているの? これからの人生って……傍に、置く? どうして、そんなこと……だって、フィンは……
「騎士に、家に、戻るんじゃ……」
ずっとそうするのだと思っていた。だって、フィンは優秀な騎士で、侯爵家の出で、今回のことだって被害者だったとはっきりしたわ。
「騎士団にも、家にも戻らない」
「でも、今先生たちがフィンの冤罪を……」
晴らすべく陛下に掛け合ってくださっているわ……今回の件でフィンの上司が彼を陥れたこともはっきりしたとも……
「冤罪は晴らしてもらう。これからのためにも罪人のままでは何かと都合が悪いから。だが、それでも家にも騎士団にも戻らない。ルカと共に生きたい」
「わ、わたし、と……?」
言葉だけなら歓喜に震えるところなのかもしれないけれど、困惑しかなかった。そんなことをしてもフィンには何の利もないのに、どうしてそんなことを言うの? 職も実家もないままの私とじゃ、生きていく世界が違うのに……やめて、これ以上何も言わないで。でないと……目の奥が熱くなって今にも溢れ出しそうになるのを止めるのに必死だった。なのに……
「ああ、ルカと。死ぬまで傍にいたい」
フィンがそうする理由がわからなかった。私といても何も得られないのに……頭の中がぐちゃぐちゃになって考えがまとまらない。
「ど、どう、して……」
「愛している」
その言葉に、真っ直ぐに告げられた言葉に心臓が止まるかと思った。言葉はわかるのに、意味も知っているのに、どこか知らない国の言葉の様にすら感じられて、頭の中に入って行かない……あ、愛してって……フィンが? 私を?
「わ、私……」
「呪いに負けそうになって、死を覚悟した時、女神に会ったんだ」
「女神?」
急に何を……女神って……
「薄暗くて顔はわからなかったけれど、金色に光る瞳が凄く綺麗で、ああ、迎えが来たんだなと思ったんだ」
金色って、まさか……じゃ、あの時、見られていた?
「目が覚めて、ルカを見た時、あの時の女神かと思ったけど、色が違ったから夢だったんだろうと思っていたんだ」
そこでフィンがゆっくりと立ち上がった。視線を逸らすなと言われているような気がして、目が離せない。
「けど、ザクサーで確信したんだ」
「な、何を……」
「あの時の女神は、ルカだったって」
そう言った瞬間手を引かれ、気が付けばフィンの腕の中にいた。頬に伝わる体温に気付くと頭に一気に血が上った。心臓の音が頭の中に響く。なに、が起きているの?
「呪いが解けるかわからなかったからずっと言えなかった。だから、その時が来たらすぐに伝えようと、そう決めていたんだ」
信じられなかった。フィンがそんな風に思っていたなんて……そんな素振りなんかなかったもの……
「出会ったあの日からずっと、ルカは俺のことを支えてくれた。ルカがいなかったら、俺はとっくに絶望して呪いに負けていたかもしれない」
「あ、あれは……だって、私が言い出したことだし……」
「それでも、ルカが励ましてくれたから、俺は希望を捨てずに済んだんだ」
フィンがそんな風に思っていてくれたなんて……
「なぁ、ルカ。俺をお前の家族にしてくれ。これから先、何があっても俺が盾になって守り続けるから」
夢を見ているのかと、思った。自分に都合のいい話過ぎるから、夢なんだと……動けないから人差し指の爪を親指に突き立ててみたら……痛かった……だったら、夢じゃない?
「ルカ?」
頭上で名を呼ばれたけれど……どうしたらいいの? なんて言うべき?
「じょ、冗談……」
「俺がそんな悪趣味な冗談を言う奴だと思っていたのか?」
「め、滅相もありません……」
そ、そうですよね。フィンは、そんなこと言ったりしないわ。だったら……
「ど、同情? 私のことなら気にしなくていいのよ。これからも先生のところで……」
「却下」
「え?」
きゃ、却下って……そんな……そう言いたかったけれど、どこか剣呑な雰囲気が全身から感じられて何も言えなかった。
「どうしてそこで他の男を頼るんだ? 言っただろう、これからは俺がルカを守りたいと。頼るなら俺だけにしてくれ」
肩を掴まれて顔を覗き込まれた。お、俺だけって……強い視線に今まで見たことのない熱が見えて、頬が熱くなったのは、きっと頬に添えられたフィンの手のせい、よね……紫の瞳に自分の呆けた顔が見えた。
「ルカ、愛している。俺はお前だけのものだ。だから俺の一生、お前が貰ってくれ」
ゆっくりと、言い聞かせるように告げられた。さっきまでは何を言われても障壁でもあったかのように頭に入ってこなかったのに、今の言葉は不思議なほどに頭にしみ込んで来て、腑に落ちた。その途端、目の奥が熱くなったわけじゃないのに、涙がぼろぼろと落ちてきた。
「……い。いい、の? わ、私。なに、も……」
「何も持たないのはお互い様だ。俺はルカさえいてくれれば、それでいい」
一層強く抱きしめられた。その腕の力強さに彼の想いの深さが感じられた。フィンの言葉なら信じられる。だったら……
「わ、私も、好き……」
いつ言おうかと、ずっとその機会を求めながら言えずにいた言葉が、信じられないほど自然と口から出ていた。
「ル、ルカ……」
「フィンが好き。大好きなの。だから一人にしないで」
「ああ。これからは絶対一人にしない」
頬に添えられた手が顎に添えられる。フィンの顔がゆっくりと降りてくるのが見えて、目を閉じた。柔らかい何かが唇に触れる。初めての口づけは、涙の味がした。




