第44話:祈るような気持ちで見守りました
「何だ、この化け物は!!」
「まさか魔獣か!?」
後ろから無数の息を呑む音と叫び声がした。空気が一気に粘りつくような重いものへと変わり、暗さが増した気がした。目の前の異形には夥しい数の術式が纏わりつき、それが出会った頃のフィンを思い出させた。
「おやおや、化け物とは酷い言い草ですね。私の研究の集大成だと言うのに」
不服そうに、だけどどこか楽しそうな声を発したのは件の術者だった。異形の向こうで椅子に座ってこちらを見ていた。だったら、先生の拘束魔術は解いたのかしら?
「甥に術を掛けたか」
誰もが息をするのも忘れたように沈黙する中、先生ののんびりした声が響いた。後ろで息を呑む音が再び上がる。予測は最悪の結果として現れた。自ら望んだのか、それとも……
「ルカ、大丈夫か?」
「ええ」
さりげなく気にかけてくれるフィンに少し冷静になった。落ち着くのよ、今日はフィンの呪いを解くことが最優先なんだから。あの魔石は術者が持っているはず。あれだけ厳重に術を重ね掛けしているのならフィンだけでなく自身の術もあの魔石に頼っている可能性が高い。もしかしたら目の前の異形もそうかもしれない。
「さぁ、ウドルフ、お前の力を見せつけてやりなさい」
そう命じると異形がありったけの声で叫んだ。それはまるで獣の咆哮にも似て、侮れない存在だと示していた。どうしたらいいの? 倒すだけならフィンの剣で斬ればいいけれど、出来れば証人として生かしておきたいでしょうし。やはりあの魔石を手に入れて砕く? そう簡単には手放さないでしょうけれど。
「さぁ、この場にいるものを屠り、お前の糧にするのです」
その言葉を合図に異形がこちらに突進してきた。身体の大きさとその異様な風貌が恐怖を増すけれど……
「お前さんは後じゃ」
そう言うと先生が拘束魔術を放ち、異形の身体に魔力の鎖が絡みついた。それでも異形が向かってくる。
「ほう、あれを受けても動くか」
感心したように先生が感嘆の声をあげたけれど、信じられないわ、先生の術を受けても動けるなんて。事前に何か対策をしていたのかもしれないけれど……
「では、これでどうじゃ」
後ろから更なる拘束魔術が放たれた。さすがに幾重にも掛けられた拘束には勝てなかったようで異形が床に転がる。何とか動こうと足掻くけれど、それでどうにかなるものではなかった。
「まさかあなた様まで来られるとは……」
「久しいな、ヒューゲル。いい加減に悪あがきはよせ」
筆頭魔術師が諭すように語りかけた。知り合いだった? 親し気な口調には先生に対するそれとは違う響きがあった。
「悪あがきなどと。私は魔術の限界に挑戦したまでです」
「それで第二王子殿下に力を貸したと?」
「ええ。かのお方は私の研究を有益だと評価し、そのための便宜を図ってくださった。いずれ私の研究は世界中から求められると仰ったのです」
廊下にざわめきが広がった。第二王子派が絡んでいたと思っていたけれど、殿下ご本人がそんなことを仰ったと? 話はそこまで広がっていたの? だから、筆頭魔術師のこの方がこちらへ?
「だからといって、何の罪もない者たちに術を掛けて殺していい話にはならない。お前には魔術師殺しの容疑がかかっている。この屋敷は既に包囲され、お前の仲間も既に捕縛されている」
いつの間に……いえ、フランツ様は第一王子殿下どころか陛下も動かれたと仰っていたわ。だったら証拠も集まっているってこと? それならフィンの無実も証明されるかしら?
「私は何もしていませんよ。ただ、命の短さを嘆く者に我が研究を紹介し、協力を得ただけです」
ヒューゲルの声は淡々としていて、そこに罪の意識は感じられなかった。彼は……本当に術式にしか興味がないのかもしれない。甥にまで術を掛けて何とも思っていないどころか、恩に着せているようにも見える。
「らしいな。だが、成功の確率が低いことを隠すなど詐欺も同然であろう」
「それは聞かなかった方にも責任があるでしょう? 誰もが術の存在を聞くと今すぐにと望み、詳細を聞こうとしなかったのですから」
「それでも、危険性を説明しなかった罪は重い。せめて大人しく投降するんだ」
「投降? これからも研究をつづける環境を約束していただけるのであれば」
どうやら話し合っても平行線のようね。倫理観がないというか、研究のためなら何をしてもいいと考えていそう。
「そうか、残念だ。だったら力づくで連れて帰るとするか」
「お断りします」
そう言うと立ち上がった。ゆらりと、まるで幽鬼のような動きに肌が粟立った。何? この異様な空気は……フィンが前に立って剣を構えた。何かを仕掛けてくる? 防御の魔術を練ってフィンを包んだ。
次の瞬間、男の身体が一気に膨れ上がり、着ていた服が、ローブが裂けた。腕が、身体の太さが何倍にもなってあちこちで血管が浮かび上がり、フィンよりずっと長く太い爪は魔獣のようだった。その胸元に光るのは……あの魔石だった。私が解呪した鎖は再び夥しい術式が絡みついていた。
「自身にも術を掛けたか」
「ははははは! どうです、素晴らし、いでしょう? 寿命、だけでなく……丈夫、強い身体、もこうして手に入る、のですよ!」
掠れて老人のように聞き取りにくかった声が、今や野太く何倍もの音量となって空気を揺らした。途切れ途切れになるのは、口から覗く牙のようなもののせいかしら?
「魔獣の力でも取り込んだか……」
「さす、がはザクサー……の魔人、察し、がよろしい」
まさか自ら魔獣を取り込むなんて……露になった顔は髪が獣のたてがみの様に逆立ち、肌はどす黒く、目は白目までもが真っ黒に見えた。ところどころに文様が浮かび上がり、以前のフィンのよう。それでも禍々しさはその比ではないわ。こんな見た目で行き倒れていたら、さすがに助けようとは思わなかったと断言出来るほどに恐ろしいものだった。
「何とも醜悪なことよな。自ら人間をやめたか」
「酷い、仰りよ、うだ。醜い、など、と……わた、しは、人間、を超え、たのですよ」
「物は言いようじゃな。だったら手加減は無用のようじゃな」
先生が拘束魔術を放った。術式は空を飛んで術者に真っ直ぐに向かって絡みつく。術者が暴れて膝を付きそうになったけれど、魔力が溢れたと思ったら先生の術が霧散した。力技? 拘束魔術にかかっても抵抗して無効化するなんて、なんて無茶なことを……
「なるほど、事前に対策済みか」
「同、じ手に、はかかりま、せんよ」
獣のように聞こえる音が人語を話しているよう。さすがというべきなのかしら? 先生の拘束魔術を解いた上で対策をするなんて。優秀なだけに敵となれば厄介だわ。どうしたらいいの? せめて動きを止めたいわ。あの魔石さえ砕くことが出来れば……
「それはどうかのう。何度も防げるわけでもあるまい」
「そうじゃな」
先生が再び拘束魔術を放ち、それに筆頭魔術師が続く。後ろに控えていた魔術師がそれに続いた。幾重にも拘束魔術を掛けられた術者はさすがに立っていられなくなったらしく、藻掻きながらも床に崩れた。
「彼の者を床に押さえつけろ!」
「はっ!」
騎士が後ろから現れて数人がかりで取り押さえる。拘束魔術の重ね掛けは効いているようだけど、あの様子ではいつまで続くかわからないわ。
「フィン殿、今じゃ!」
「はっ!」
フィンが剣を手にしたまま先生と共に術者の前に立った。私もその後を追う。先生がしゃがみこんで術者の身体の下になっていた魔石を引っ張り出した。
「ははっ、なん、ど、やっても、この石、はわれ、ん……」
「それはやってみないとわからんじゃろ」
魔術と騎士に拘束されても男の余裕は消えなかった。この前は傷一つ付けられなかったから安心しきっているらしい。いえ、自分の魔術への自信かしら? だけど……今度はそうはいかないわ。魔石や鎖に掛けられている術式を視る。かなりの量の術式が絡まり合っているわね。だけど……
「ルカ、どうじゃ?」
「問題なさそうです」
「ロイは?」
先生が視線を向けた先には筆頭魔術師の傍で佇むロイがいた。仲がいいのかローブの中に囲うように佇む姿には祖父への信頼と敬愛が見えた。先生の問いに静かに、でも確かに頷いた。ここに来てから術者の心を読むようにお願いしてあったのだけど、これ以上の仕掛けはないとみていいってことね。
「フィン殿」
フィンが力強く頷き、剣を構えて魔石に狙いを定めた。これですべてが終わる。これまでのあれこれやいろんな思いが胸を駆け巡る。痛みを感じながらも今度こそと強く祈った。
「ま、まさ、か……それ、は・・・・・・・」
「これで終わりだ」
「や、やめ、やめろぉおおお――!!」
獣の怒号のような声が室内に響く。その大きさが窓のガラスを震わせたけれど、術者は動けない。
次の瞬間、フィンが魔石目掛けて剣を振り下ろした。




