第35話:呪いを解いたら、その時は…
それから十日後、私たちはとある伯爵家が治める深い森の中にいた。ここは王都から馬車で三日ほどの位置にあり、領主は第一王子殿下の護衛を務める騎士の実家だった。忠誠心厚く、また領地の場所的に宰相との繋がりがあるのだとフィンが教えてくれた。先生もフランツ様も第二王子派の領地に隠れていると予想していただけに驚きが大きかった。
「どうしてここに……」
見渡す限り木々しか見えない深い森。まだ昼間なのに薄暗くてその深さが窺える。
「ここは死んだ研究者の故郷の隣の領地らしい。地の利があったんじゃろうな。ここの領主一家とも付き合いがあったようじゃ」
「では、フィンに呪いをかけた術者は、あの研究者の身内だったと?」
だけどあの研究者は処刑されたし、身内は甥しかいなかったと聞いたわ。だったら誰が? 彼に弟子がいた? でも、それなら研究者と一緒に処刑されたはず……
「今のところそこまでは不明じゃ。じゃが、この辺りで呪いを受けた獣が多数見つかっておるし、この辺りを第二王子派の者が頻繁に出入りしているとの情報もある。可能性は高そうじゃ」
先生がそう仰るのならそうなのでしょうね。第一王子が動かれたのなら相応の裏付けがあってのことでしょうし。それに第一王子派の領地に第二王子派の者が出入りするのも不自然だもの。
「ここが第一王子派の領地で助かったわ。これだけの騎士と魔術師を動かして難癖をつけられては動けないからのう」
政治のことは疎いしあまり関わりたくないけれど、それはわかるわ。自分の領地に王家の騎士や魔術師が入るのは不名誉なことだと言われるから。
「問題は、この広い森の中をどう探すか、だな」
フィンが森を見渡した。少し離れた場所には野営用のテントが張られ、騎士や魔術師が集まっている。あそこが今回の捜索の拠点になるらしい。私とフィンは茶のかつらを被り、先生が認識阻害の術を掛けてくださったから気付くことはない。先生が来てくださって本当によかったわ。私では騎士は誤魔化せても魔術師には気付かれてしまうから。
「そうね。これだけ広いとなると骨が折れそう……」
歩き回って探すしかないのかしら? でも、これだけ広いと途方もないわね……下手に動き回ると相手に気付かれてしまうかもしれないし。これなら書斎で文献とにらみ合っている方がましだわ。この二月余り、ずっと部屋にこもっていて動いていないから、体力が持つかしら……
「ふぉっふぉっふぉ、心配無用じゃ。明日は朝から動くぞ」
「先生、何か策が?」
「それは明日のお楽しみじゃ」
そう言って先生が片目を瞑った。こうなったら先生は絶対に教えてくれないわね。だったら明日まで待つしかない。
私たちは先生とロイ、私とフィンの四人で同じテントを宛がわれた。有り難いわ。知らない人たちと一緒では気が休まらないし、私とフィンは追放された身、あまり他の人と接触したくないもの。幸いにも先生が前に立って騎士たちと交渉してくださるし。同行すると仰った時は止めたけれど、こうなると来てくださって正解だったわ。
先生がロイを連れて騎士たちの元に向かうと、テントの中は私とフィンだけになった。広くないテントの中で二人きりというだけで鼓動が早くなる。ここで術者を捕らえられればフィンの呪いが解ける。それはずっと切望していたことだから期待に心が急く。一方で別れが近付いているのも事実で……そのことが影を落とす。
「ルカ、大丈夫か? 疲れてないか?」
「ありがとう。大丈夫よ」
彼の気遣いが泣きそうなほど嬉しい。なのに胸が痛くなる。手を伸ばせば届く距離にいるのにすごく遠く感じる。
「あ、ちょっと外に出てくるわね」
「一人で大丈夫か?」
「ええ。大丈夫よ。ありがとう」
耐えきれなくて外へ出た。気持ちが溢れ出てしまいそう。気付かない振りをしていたけれど、本当はもうわかっている。わかっているけれどもう少しだけこのままでいたい。今この気持ちを伝えたらフィンはきっと受け入れてくれると思う。呪いの解呪があるから彼は私を邪険に出来ないもの。だけど、それは私がほしいものじゃない。恩を着せて傍にいてもらっても誰も幸せになれないもの。
「ルカ、どうしたんじゃ?」
左手からこちらに向かってくる先生に名を呼ばれた。後ろにはロイの姿も見えるわ。心配していたけれど、ここでは本名ではなく新しい名を呼んでくださる。
「いえ、ちょっと外の空気を吸いに」
戻ってきたのなら一緒にテントに戻ろうかしら? でも、それだと直ぐ過ぎてフィンが変に思う? 最近はどう思われるかばかり考えている。
「なるほどなるほど」
妙に納得したような物言いだけど何なのかしら?
「いやはや、揃いも揃って不器用じゃのう」
「え? 何がですか?」
「それは自分で考えるんじゃな」
どういうこと? 揃いも揃ってって、私と誰かってこと? そりゃあ自分が器用ではないのは自覚しているけれど……それに誰かって誰のことを……浮かんだ顔は一人だったけれど、彼は不器用どころかとても器用だから別の人ってこと? こうなると先生は教えてくれないのよね。
「明日朝から捜索を始めるそうじゃ」
「早速ですね」
「そのために来たんじゃからな。さぁ、続きは中で話そう。フィン殿も交えてな」
出て来た名前に一々反応してしまうこの心を何とかしてほしい……平常心になれる魔術があったらいいのに……フィンの解呪が終わったら作ってみようかしら……そのまま先生に促されてテントに戻った。
「ルカ、お帰り。クラウス卿とルイも」
「うむ、明日から捜索が始まるそうじゃ」
直ぐに戻って変に思われないかと心配したけれど、先生の言葉でフィンの関心はそちらに移ってくれた。
「明日、夜明けと共に捜索を始めるそうじゃ」
「いよいよですか」
フィンの目に光が増した。呪いをかけた術者を取り押さえられれば解決するはずだもの、
気合も入るわよね。
「うむ。先ずは魔術師が探査魔術で森を調べる。おそらくは認識障害を使っているじゃろうから、これにはわしも協力する」
「クラウス卿が?」
「相手は相当の術者じゃろう。並の魔術師では負けてしまうからのう」
のんびりした口調と気負いのない佇まいだけど、先生は筆頭魔術師だったし、力が衰えて引退されたわけでもない。今回だって同行すると仰って心配したけれど、ご自身に身体強化の術を掛けていらっしゃるから誰よりもお元気なのよね。魔力量が甚大だから掛け続けても苦にはならないらしい。羨ましいし、狡いわ……
「場所を突き止めたら一気に押さえる、と言いたいところじゃが、相手も罠を仕掛けているじゃろう。踏み込むにしても魔術師が罠を解除してからになるじゃろうな」
面倒な相手だわ。だけど、油断して罠にかかったらどうなるかわからない。禁忌の呪いを扱うような人だから倫理観なんかなさそうだし、これ幸いにフィンのような呪いは無理でも獣に掛けたような呪いを放ってくる可能性はあるわよね。気を引き締めて行かなきゃ。そして今度こそ、フィンの呪いを解いてみせるわ。
翌朝、まだ森が白い靄で覆われている中、先生たち魔術師による探査が始まった。私には魔力量がなさ過ぎて何の力にもなれないのが悔しいけれど、解呪のためにも魔力は残しておきたいからよかったのかもしれない。
「いよいよだな」
「ええ」
下りてくる聞き馴染んだ声に寂しさを感じながらも、今度こそとの決意を込めた。あと少し、あと一歩で呪いが解ける。そうなったら……その時にはこの胸の内を伝えるくらいしてもいいかしら? ううん、そんなことをしたらきっとフィンを困らせてしまう。恩を感じて戻るべき場所へ戻らないなんてダメだわ。伝えるのなら別れ際ね。その時に軽く、さりげなく「好きだった」と伝えるくらいならいいわよね。
「森の中の数か所に認識阻害の形跡を発見!」
誰かの声が目的地を捉えたと告げる。そこに呪いをかけた人物がいるのだと思うと身体の底から怒りにも似た力が湧いてくるのを感じて知らない間に両手を握り締めていた。今度こそ解呪するわ。そしてフィンが失ったものを取り戻すのだから。
そこからはいくつかの班に分かれて見つけた認識阻害の形跡がある場所に向かうことになった。私たちは正規の騎士でも魔術師でもないため、探索班に加わることは出来なかった。がっかりしたけれど仕方がないわ、先生も今は魔術師として登録はあっても今回は助言者として参加されていると聞いている。それに高齢だからとの配慮もあるかもしれない。実際は身体能力強化で物凄く強くなっているのだけど。
その後、騎士と魔術師はいくつかの班に分かれて森の中へと進んでいった。
「さぁて、わしらも向かうかのう」
「先生?」
「せっかくここまで来たんじゃ。こんなところで待っているのもつまらんじゃろう」
にこにこと人好きのする笑顔にここで待つ気はないと悟ったわ。
「先生、さすがに危険です。おやめください」
「クラウス卿、さすがにそれは……」
ロイが慌てて止めに入ったけれど、こんな時の先生を止めても無駄なのは経験から知っている。
「アレッサは止めんじゃろ?」
「……先生、無茶はしないでくださいね」
「ルカ?」
フィンが驚きを、ロイが微かな怒りを込めてこちらを見たけれど……
「こんな笑顔の先生を止められたことなんかなかったもの。最初からその術者にお会いするおつもりだったのでしょう?」
「さすがは愛弟子、わしのことをよくわかっておる」
絶対に確信犯よね。だけど……
「フィン、先生の探求心を甘く見てはいけないわ」
「だが……」
「先生はこうとお決めになったら絶対にそうなさるわ。だけど大丈夫よ。危険な遺跡に何度も連れて行かれたけど無事に戻ってこられたから。先生なりに勝算がおありのはずよ」
そう言うと先生はとても嬉しそうな笑みを浮かべたけれど……本当に勝算があるのかどうかに関しては、正直なところ心許なかった。




