第33話:突破口のはずがまだ進めずにいます
別邸を出た馬車がゆっくりとザクサー邸に向かう。この馬車には私とフィン、そしてお祖父様の書物。先生とロイは別の馬車で前を走っている。王都を出た時はまだ風が冷たくてコートかマントがなければ辛かったけれど、日差しがあると汗ばむほどになっていた。王都も活気が増して人や馬車の往来が増しているわね。大通りには店や露店が並んで賑わっていた。
そんな街を眺めながら父との再会を思い返した。予想通り何一つ得ることはなかったわ。最後まで私に気付かなかったのも予想外だけど、ある意味想定内だったかしら? いくら魔力量が少なくても私の魔力を覚えていたら認識阻害など無くても気付いたでしょうに。どれだけ私に関心がなかったのかが伺えて笑ってしまいそうだったわ。
それでも、今は父に感謝している。お祖父様の残した研究結果をあっさり譲ってくれたから。先生になら託しても安心だし、お祖父様もきっと喜んでくださるわ。この度が終わったら私も先生にお願いして研究を引き継ぐのもいいかもしれないわ、だってそう約束したもの。出来ればあの部屋にあった書物も欲しかったけれど、さすがにそこまで望むのは欲張り過ぎよね。
「ルカ、大丈夫か?」
ふと視線を感じて振り返るとフィンがこちらを見ていたけれど、大丈夫って……何が?
「え?」
「いや、伯爵のことだ。最後まで気付かなかっただろう?」
ああ、父とのことを心配してくれたのね。気遣ってくれる言葉に胸が温かくも落ち着かなくなった。嫌だわ、最近はささやかなことでも意識してしまう……
「大丈夫よ。もうとっくに諦めが付いていたんだなって、再認識したくらい」
「そうか。でも……寂しくないか? 仮にも親父さんだし」
フィンのお父様は勘当したとはいっても、会えば気にかけてくださる方なのね。
「寂しいといえば寂しいけれど、それって世間一般とかけ離れていることへの寂しさ、かしら? 父に対しては無だったのよね」
「無?」
「ええ。 他人と同じなのよ。何の感情も浮かんでこないの」
これは本当のことで、何なら先生の手のひらで転がされていた父を滑稽だとすら思っていた。
「あの屋敷で今も勤めていた古参の使用人を懐かしく感じたわ。でも、父にはそんな感情すら湧かなかったの」
「そう、か」
気を遣わせてしまったわね。だけどこれが真実だしこんな家族もあるのよ。
「その、俺がこんなこと言っても意味ないかもしれないけれど、俺がいるから」
「え?」
「俺が一緒だから。その、辛かったら愚痴くらいは聞くし、傍にいるから」
急に何を言い出すの? そんなこと言われたら期待してしまうのに……だけど、少しでも気にかけてくれたことが嬉しい。嬉しすぎる……
「あ、ありがとう。そんな風に言ってくれて、すごく嬉しいわ」
嫌だわ、顔が赤くなっていないかしら? 蓋をして閉じこめようとしていた想いが吹き出してしまいそう。
「あ、当たり前だろ。相棒なんだから」
その言葉に、一気に冷や水が浴びせられた気がした。相棒……そ、そうよね、フィンは優しいから気にかけてくれたけれど、それは……晴れ上がった空が急に陰った気がした。馬鹿ね、私ったら、何を期待していたのよ……
「ありがとう、フィン。フィンや先生がいてくれるおかげよ」
笑顔で返したらなんだか戸惑っているように感じた。なにか間違えたかしら? 顔が強張っていた? ちゃんと笑えるようになりたいのに難しいわね。こんな時、早く離れたいと思ってしまう。失態を晒さないうちに、この気持ちを悟られる前に……
その後は無言のまま馬車はザクサー邸へと到着した。沈黙が重かったわ。ダメね、気持ちが顔に出てしまったのかもしれない。フィンは聡いから既に私の気持ちに気付いている、とか? そんな素振りを見せたつもりはないけれど、知らない間に顔に出ていたのかもしれない。あの寝台で目覚めた時から益々平静を繕うのが難しくなっている気がする。
別邸に戻ると使用人がお祖父様の書物を先生の書斎に運んでくれた。一部は水に濡れたりして字が消えかけているけれど、思ったよりは酷くなかったわ。よかった、さっさと引き取れて。
「懐かしいのう」
先生が一冊を手に取って中を広げてしみじみと眺めていた。お祖父様らしい硬さのある筆跡と真っ直ぐな文字列は先生とは対照的ね。
「全部譲ってくれるとはのう。おかげで貴重な資料が失われずに済んだわ」
「父が申し訳ありません」
「いやいや、アレッサが謝ることではない。ふぉっふぉっ、今頃は手放したのが金の卵だったと気付いたかもしれんな」
「まさか……」
あの父が私を認める? それは天地がひっくり返ってもあり得ないわ。それに、今更戻って来いと言われても困るし。
「よいよい、アレッサが戻りたくなければ戻らんでいい。わしが後見じゃ」
「え? よ、よろしいのですか?」
「当たり前じゃ。弟子とはそういうものじゃからな」
先生の言葉に冷えていた心がじんわりと温かくなった。大丈夫、フィンと別れても私には先生がいてくれるわ。それに、王都の女将さんやアマーリエさんのような知り合いを増やしていけばいい。
「先生、ありがとうございました。おかげでスカッとしましたわ」
「ふぉふぉふぉ、伯爵にはいい薬になればよいがのう」
まさか私のことを口にされるとは思わなかったけれど、思っていた以上に溜飲は下がったわ。さすがは先生、これで父は先生に図々しく頼み事を口にすることも出来なくなったわ。
それからは先生と手分けしてお祖父様の遺した書物に目を通していった。残されていたのは二十三冊の本と、たくさんの紐でまとめられていた紙の束。紙の束は適当に集めたらしく紙やインクの色からも時系列がバラバラでまとまりのないものだった。これはすべてに目を通してから順番を揃えて行かなきゃいけないわね。いえ、もしかしたら本の補足の可能性もあるし……これはすべて目を通さないとわからないかもしれない。
「これは、思った以上に骨が折れそうじゃのう」
「申し訳ありません。父がちゃんと管理していれば……」
腹立たしいわ、フィンの命がかかっているのに。だけど弱音を吐いている暇なんかないわ。何としてでもあの二十ほどの文字列を解明しなきゃいけないのだから。
懐かしいお祖父様の文字を追い、気になったところは別の紙に記して本に挟んでいった。私が読んだ後で先生が目を通し、そこに先生なりの解釈が書き足されていく。同じ古代文字でも先生とお祖父様では時代が違うらしく、文字の形や意味が微妙に違ってくるらしい。なんて難しいの、その違いが術式にも影響していくかもしれないのよね。その解釈の違いで解呪が失敗するかもしれないと、下手をしたら罠が発動してフィンの命が脅かされるかもしれないと思うと適当なことも出来なかった。
「これで最後か……」
最後の一冊の末尾に目を通し終えた先生がそう呟いて書物を閉じた。あれから一月あまりをかけて私は先生とお祖父様の書物を読み解いた。先生がいてくださらなかったらまだ終わっていなかったのは明らかで、その先生ですら次代の違う文字の解析は難しかった。幸なのはあの紙の束もちゃんと理解し終えたこと。だけど……
「これだけやっても、あの文字の謎は解明出来んかったか……」
悔しいことにあの文字列が解呪に繋がる情報は得られなかった。あれだけでは足りないのはわかるのだけど、何が足りないのかがわからない。
「この文字列、本当に意味があるのでしょうか……」
該当する文字はあるのだけど、この綴りでは意味のある言葉にならない。
「もしかして、暗号の可能性はありませんか? それとも特別な何かの名前とか……」
「うむ、その可能性も捨てきれんな。後は……そうじゃな、何か長ったらしい名前を省略したものか……」
省略……それは思いつかなかったわ。だけど、それなら意味が分からないのも納得かもしれない。今の言葉でも省略した言葉はあるわ。もしくは……方言? でも、その可能性を追っていくのは至難の業だわ。方言なんて地方に行けばいくらでもあるもの。それでなくても年代によって意味や言い回りが違っているのに。
「もう一度見直してみるか。何か取りこぼしがあるやもしれん」
「そうですね」
そうよ、ここで諦めるわけにはいかないわ。それに、二周目、三周目で気付けることもあるかもしれない。弱音を吐いたところでフィンの命の期限が待ってくれるわけではないのだから。
「クラウス卿、ルカも。少し休んでください」
「でも、時間が……」
「そうです、フィン様の仰る通りです。お二人とも休んでください。それに食事もです」
いつの間にかフィンとロイが仲良くなっていて、その後は二人からお説教を貰ってしまったわ。ずっと没頭していてフィンやロイに言われない限り食べなかったし寝なかったし、湯あみすら忘れていた。さすがに今日はちゃんと食事をして湯浴みをして寝ることを約束させられてしまい、早々に書斎を追い出されて鍵を掛けられてしまった。
部屋に戻ると湯浴みの準備が出来ていたのでありがたく入らせてもらった。湯浴みをさぼったのは失敗だったかしら。フィンに不潔な女だと思われてしまったかもしれない。旅をしている時は湯浴みなんてほとんど出来なかったのにと思うけれど、出来ないのと出来るのにしないのでは大違いよね。
お湯に浸かると思った以上に身体が冷えているのを感じた。熱い湯が気持ちいいわ。目や首、肩や腰の痛みが解れていく……
それにしても、あの文字列は何なのかしら? 今度こそはと思っていただけに失望が大きくて焦燥感にいてもたってもいられなくなる。早くしないとフィンが死んでしまうのに……こうなったら術を掛けた当人を捕まえるしかないのかしら? それが一番手っ取り早いけれど、素直に教えてくれるとは思えないけれど、それしかないのかもしれない……




