第32話:再会は空しさすらない無でした
それから三日後、私は何年振りかにお祖父様の別邸の玄関を潜った。あの後フランツ様がすぐに父に連絡を入れたところ、直ぐに訪問を歓迎するとの返事があったという。一刻も早い方がいいだろうと先生が仰ってくださって、直ぐに訪問が実現した。
フィンは先生の護衛として、私とロイは弟子として同行したわ。私とフィンには先生が認識阻害の術を掛けたし、念のためにと揃って茶のかつらを被ったから父が気付く可能性は低いはず。それでも、久々に会う父に何とも言えない思いと緊張感で落ち着かなかった。
「これはこれはザクサー様、よくおいでくださいました。父も喜んでいるでしょう」
これ以上ないというほどに上機嫌な笑顔で出迎えたのは、まさかの父だった。先生はお祖父様とは旧知で別邸には何度も滞在したこともあるため、立会人を寄こしてくれれば十分と伝えていたはずなのに。いえ、見栄っ張りで権威に弱い父のことだもの、元が付くとはいえ筆頭魔術師でザクサー辺境伯家の先生を出迎えないなんてあり得なかったわね。手を取らんばかりの歓迎ぶりに父の浅ましさが見えてげんなりしてしまった。
「フェルザー伯爵自ら出迎えてくれるとはのう。恐縮じゃな」
「いえいえ、ザクサー様は筆頭魔術師経験者でザクサー辺境伯家のご出身、とても部下に任せるなど恐れ多うございます。さぁ、どうぞ中へ」
ぐいぐいと先生に迫る父に先生も苦笑されていたけれど、父が気付く気配はなかった。まぁ、言っても理解出来ないでしょうけれど。
「ザクサー様、この者たちは?」
「わしの護衛と弟子じゃよ。最近は目が思うように見えなくなってのう。わしの目の代わりじゃ」
「左様でございましたか」
そう言われれば否とは言えないけれど、お祖父様の研究とはいえ身分のしれぬ者に見せたくないのでしょうね。でも、文句を言わずにいてくれるだけでいいわ。それに、先生の術は十分効いているようね、私に気付かないなんて。そりゃあ、先生と父ではその力の差は歴然としているから簡単には破れないでしょうけれど。
「さぁ、こちらです」
案内されたのはお祖父様の書斎だったけれど……その様相に思わず息を呑んだ。酷い……
「ああ、申し訳ございません。既に父の部屋は片付けてしまいまして。父が遺した書物はいずれ役に立つかもしれぬと残しておりましたが、如何せん誰も住まない屋敷故、あのように……」
恐縮する父だったけれど、お祖父様の研究を重要視していないことが伺えた。たくさんあったお祖父様の書物は殆どなく、残っているのはお祖父様が書き記したものばかり。それが無造作に紐で縛られて床に積まれていた。雨漏りでもあったのか、水に濡れたものも見えるわ。お祖父様の研究は国にも認められていたのに……悔しさであのみっともない腹を蹴ってやりたくなった。
「いやいや、ロルト殿の残した記録さえ見られれば十分じゃ。手間をかけるな」
「とんでもございません。ザクサー様のお役に立てるとは光栄至極にございます」
慇懃でかえって失礼にも見えるけれど、これで悪気はないのよね。ただ打算は多大に含まれていそうだけど。
「ところでザクサー様、一つお願いがございまして……」
「頼み? こんな老いぼれにか?」
ソファに先生を案内した父が、申し訳なさそうに上目遣いでそう言い出した。その形でそんなことしても気持ち悪いわ……
「とんでもございません。今でもザクサー様は多大な魔力をお持ちでいらっしゃいます」
「ふぉふぉっふっ、伯爵は上手じゃのう。だが、ロルフの研究は貴重なもの、ただでというのはさすがに無粋じゃったな」
先生、笑顔が黒いです……完全に父であそんでいらっしゃるわね。
「何じゃ、出来るかどうかはわからんが、言うてみよ」
「ありがとうございます。実は……」
そこから父は、最近王都近くに出る魔獣のことを語り始めた。陛下から魔獣の調査と討伐を命じられたけれど、思うように成果が出ないという。退治しても暫くすると復活するなど前代未聞で、魔術師内でもその理由については意見が分かれていて、そうしている間にも被害は増え続けているという。そのため、何かしらの助言を賜りたいとのことだった。それって……
「なるほどのう……」
勧められたソファに腰を下ろした先生が顎に手を当てて考え込んだ。私たちはその後ろに立ったけれど、父と向き合う形になってしまった。かといって、従者である以上こうするしかない。バレないわよね? 幸いかつらとフード付きローブで顔ははっきりしないようになっているけれど……
「うむ、話を聞けば聞くほど奇怪な話じゃのう」
「左様でございます。お陰で我らも疲労しておりますれば。お礼は致します。どうか知恵を授けてはいただけないでしょうか?」
あの父がお礼をすると口にするなんて……それだけ追い詰められているってことかしら? 対処出来なければ無能扱いされるだけに、誇りだけは無駄に高い父には耐えがたいでしょうね。
「ふむ、わしの知り合いが呪われた獣に襲われたと話してくれたことがあったんじゃ。浄化魔術を剣に付与し、倒した後その場に浄化魔術を掛けたところ、二度と現れなくなったそうじゃ」
「何と! 呪いですと?」
大袈裟なくらいに父が声を上げ、目と口を丸くしていた。丸い顔が一層丸く見えるわね。
「うむ。わしも信じ難いと思うておったが、貴殿の話を聞いてふと思い出してな。どうじゃ、一考の余地はあると思うが?」
「な、なるほど……それは、思いもしませんでした……」
父がハンカチで汗を吹きながらも神妙な表情で何度も頷いていた。一応魔術師を拝命しているのだからそれを理解出来る頭はあるわよね。
「さ、さすがはザクサー様! 博識でいらっしゃる。早速その可能性を提案してみます」
すっかり父は舞い上がっていた。その可能性を思いつきもしなかったなんて意外だわ。いえ、父は魔力が視えないから呪われていると気付かなかったのでしょうけれど。そして先生、いいお顔をしていらっしゃいますわね。絶対に父で遊んでいるわよね。
「うむ、試してみる価値はあるじゃろう」
「もちろんにございます。これで私の価値も……ああ、何とお礼を尽くしたらよろしいのか……何なりと仰ってくださいませ。私に出来ることなら何でもいたしましょう」
よほど嬉しいのか、本音が漏れたわね。そしてその一言は言っては行けなかったと思うのだけど……
「なるほどのう。では、このロルトの遺した記録を譲っていただけぬか」
「え? これを、ですか?」
先生の申し出が意外だったらしい。でも父はお祖父様の研究を年寄りの暇つぶしと軽視していたのよね。魔術に直接関係するかどうかわからないから。
「ここでは十分に管理も出来ないようであるし、わしも亡き親友の遺したものが朽ちていくのは忍びなくてのう」
「そ、そのように思っていただけるとは。父も喜びましょう」
父よ、すっかり先生に転がされているわよ。それにお祖父様の研究の価値がわからないなんて、情けないわ……そしてさすが先生、手際が良すぎるわ。最初からそのおつもりだったのね。
「では、早速これらを持ち帰らせてもらってもよろしいかな?」
「ええ、ええ。もちろんにございます。ああ、馬車までお運びしましょう」
そう言うと父は使用人を呼んでお祖父様の形見の書物を馬車へと運ばせてしまった。いえ、ここで調べるよりも辺境伯家に持ち帰った方がずっと助かるのだけど。
「すまんな、伯爵。運ぶのは家の者にと思っていたんじゃが」
「いえいえ、辺境伯家の方々の手を煩わせるほどのことではありません。また何かありましたら仰ってくださいませ」
手を揉みながら父が笑顔を浮かべた。あからさまに媚びた中年男性なんて見苦しいことこの上ないわ。いえ、だからこそお祖父様の書物を手に入れられたのだけど。
「ああ、また何か頼むかもしれんのう。伯爵も、困ったことがあったら言うがいい。貴殿は私の愛弟子の父でもあったからのう」
「あ、そ、それは……」
父が中途半端な笑顔のまま固まった。もしかして私が先生の弟子だったこと、忘れていたのかしら? いえ、私に関心がなかったから勘当した時点で記憶から消してしまっていたのかもしれないわね。だからと言ってもう心にさざ波すら立たなかったけれど。
「残念じゃったのう。アレッサなら獣の呪いに直ぐ気付いたであろうに」
心臓が跳ねて思わず先生を凝視してしまった。先生、一体何を……
「……は? あの出来損ないが、ですか?」
告げられた言葉に胸が痛んだ。導いてくださった先生に失礼過ぎるし、フィンの前でそんな風に言わないで欲しかった。
「わしの弟子を出来損ないとは感心せんのう」
「も、申し訳ございません。決してザクサー様を貶める意味では……」
父が顔を青くして慌てて言い訳を始めた。先生の表情は変わらなかったけれど、お怒りのご様子だわ。先生って弟子には厳しいけれど、理不尽に攻撃されたら率先して庇ってくださる方でもあったから。
「よいよい、伯爵にとってはそうじゃったのだろう。わしにとっては優秀な弟子じゃったがな」
寂しそうに、でもはっきり先生が仰ると、父は言葉に詰まっていた。頭ごなしに主張されるよりも父には効いているように見えたわ。
「あの子は魔力がよく視えていた。あの呪いも一目で気付いたであろうな。ではな、伯爵」
立ち上がった先生に父が縋るような視線を向けたけれど、先生は私たちに視線を送ると父を顧みることなく部屋を出て行った。その後に続いて父の横を通り過ぎる。その視線は既に床に向けられていて表情を窺うことは出来なかったけれど、最後まで私に気付くことはなかった。




