第26話:今はまだ口に出来ない想い(フィン視点)◆
コップを手に俯く彼女の表情に胸が痛くなった。実家で冷遇され、魔術院でも正当な評価をされるどころか魔術師にとって命ともいえる魔力を搾取されていた彼女。優秀で真面目で、呪われた俺を拾ってくれる優しさを持つ彼女が、どうしてこうも不遇に扱われなきゃいけないのか。そのすべてに怒りが込み上げてきた。握った手に鉤爪が食い込んで痛むが、そんなものは彼女の痛みに比べたら取るに足らないものだ。
思わず手を伸ばして抱きしめ、その丸い背を撫でてやりたい。俺がいると、望むならずっと傍にいると言いたい。喉元まで出かかった言葉を気合で飲み込む。今はまだその時じゃない。呪われて余命一年あるかないかの俺に、そんなことを言う資格は。それを告げていいのは、最低でも呪いが解けてからだ。死ぬかもしれないのにこの思いを告げるのは彼女にとって何の益にもならない。
優しい彼女のことだ、きっと愛を乞えば応えてくれるだろう。それは同情かもしれないがそれでもいいと、傍にいられるのなら構わないと、どうせ死ぬなら彼女の心に一生消えない俺を刻みつけてやりたいと暴力的な想いが、彼女を守りたいとの想いとせめぎ合う。同じ部屋で過ごす時間は暴力的な欲を産むが、それを踏み止めてくれたのは、意外にもこの獣のような鉤爪だった。この忌まわしい指が彼女を傷つけると思えば触れることも戸惑ってしまう。それは俺にとっても彼女にとっても僥倖だっだだろう。
少しずつ同じ時間を過ごしていけば、彼女への独占欲を持たずにいるのは難しかった。さらさらと手触りのよさそうな淡い金の髪は木陰では一層輝いて俺の目を引いたし、柔らかい新緑を思わせる瞳はいつも生き生きと輝きながら俺を見上げてくる。それだけで胸が高鳴るから顔がにやけそうになるのを引き締めるのにどれほど苦労しているか……顔を隠すためだと髪も髭も伸ばしているが、半分以上は俺のそんな感情を隠すためだ。まったく、彼女が顔や地位で寄ってくる女じゃなくてよかった。いや、それで寄って来てくれたらこんなに思い悩まずに済んだのかもしれないが。いやいや、そんな女だったら惚れることなんかなかったな。
今はこの想いを悟られてはいけない。俺が死なないと、十年二十年先も生きていけるとの確証が持てなければ口にする資格はない。今は我慢だ。厄介な呪いだとルカもクラウス卿も言うから実際にそうなのだろう。だが、そんなものに負ける気はないし負けたくない。その思いが身体を蝕む痛みから、最近感じる心臓への違和感から俺を奮い立たせてくれる。
「フィンは、どうするの?」
躊躇いがちに尋ねられた言葉に彼女の気遣いを感じた。呪いが解けないのに未来の話をすることに躊躇いがあるのだろう。そんな小さな優しさが心を満たす。
「そうだなぁ、こんな風に旅を続けるのも、いいかもな」
「え?」
コップに向けられていた顔がこちらを向いた。淡い緑の瞳が俺を捕らえる。こうしてみるとちょっと幼く見えて胸が高鳴る。反応が素直で擦れていないところも好ましい。濃い香水でけばけばしく着飾った令嬢よりもずっと。
「何だ、変か?」
「い、いえ。てっきり元の職に戻るのかと……」
何だ、そんな風に思っていたのか? そんなつもり、今は微塵もないんだが。このままルカと一緒に旅が出来ればいいし、ルカがクラウス卿の手伝いをすると言うのならここで共に暮らすのもいいな。魔術師だから護衛は不要かもしれないが、あの子供一人しか使用人がいないのなら俺にも出来ることはあるはずだ。うん、それもいいな、生活の基盤が必要ならザクサーの騎士団に入れてもらうのもいいかもしれない。クラウス卿に頼めば何とかなるだろう。
「う~ん、今の生活に馴染んだら貴族としての生き方が面倒に感じたからなぁ。感情を殺して笑うのも、腹の内を探り合う会話も、馬鹿みたいに着飾った生活も、どれも意味がなかったと感じるんだ」
「そ、そう」
これは俺の本音だった。元々社交は好きじゃなかったが、貴族なのだからやって当然だと言われて仕方なくやっていた。解放されてみれば、どれも下らないと思ってしまった。しかもルカに出会ってしまった。彼女が戻らないのなら俺も戻りたいとは思えない。
「意外か?」
「え、ええ。だって、フィンは侯爵家の令息だし、騎士としても優秀で将来を期待されていたのでしょう?」
不思議そうな表情からは媚びが感じられなくて安心する。
「まぁ、三男だからな。自分で自分の居場所を作らなきゃならなかったから」
上の二人は実家という居場所があった。上の兄上は次期当主として、下の兄上はその補佐と万が一の代わりに実家に必要だったが、三男ともなれば居場所はない。騎士か文官として身を立てるか、どこぞに婿入りするしかない。俺は剣が好きだったし、根回しだ何だと裏工作が日常の文官は性に合わないと騎士を選んだ。
「継ぐ爵位はなくても、フィンくらいならいくらでも婿入り先はあるんじゃない?」
婿入りか……いくつかそんな話もあったが、支えたいと思えた令嬢はいなかった。ルカだったら……婿入りも願ったんだが。
「婿入りか。まぁ、話はあったけど肩身が狭いからなぁ」
「それも、そうね」
「ああ。一生婚家の顔色を見て生きるくらいなら騎士で身を立てる方が楽だと思ったんだ」
実際婿入りしても、妻が他の男と子を作って追い出された……なんて話もあるし、実際そうなった奴を見ているから気乗りしなかった。分家に婿入りしてもよかったが、次兄との関係がいまいちだったからそれも遠慮したかったし。
「そっか。フィンって何でもこなしちゃうから貴族社会でも上手くやっていけると思ったけど、簡単じゃないのね」
「まぁな」
「でも、先生が口添えしてくださったら戻れるんじゃない? 実家だって……」
何でそっちに話がいく? 俺が望むのはルカとのこれからなのに。
「そうだな、クラウス卿が手を貸してくださったら親父も折れるだろうな」
「だったら……」
俺に戻れと言ってくれるのか。優しいルカならそう言ってくれるんだろうな。確かにあの立場を羨む者は多かった。だが俺が望むのはその隣だ。まだ言えないけれど。
「いいんだ、今の方が気楽で性に合っているから」
だから、呪いが解けたら一緒にいてくれ。そう乞い願う。そう言うと表情が少し緩んだ。だったら期待してもいいか? いや、今は決定的な言葉はいらない。もしダメだったら、頑張る理由がなくなってしまうから。この痛みや不快感に負けてしまいそうになるから。
「それよりも、呪いは解けそうなのか?」
どうしても聞きたかったこと。まだクラウス卿の解析を受けていないからわからないかもしれないが、やっぱり気になって仕方ない。
「先生がいらっしゃるわ。きっと大丈夫よ」
そうか、だったらいい。ルカが信じるなら俺も信じるだけだ。仮にダメだったとしてもルカの傍にいられるのならそれでいい。ああでも、情けない姿を晒すくらいなら離れたい。ルカの中に残るなら出来る限りかっこいい姿を残したい。いい男だったと、亡くして惜しい奴だったと忘れずにいてほしい。いや、ダメだな、ルカには幸せになってほしい。俺の事なんてさっさと忘れてくれればいい。そんなのは嫌だから絶対に呪いなんぞに負けないが。ああ、矛盾しているな。こんな相反する想いを持つなんて、自分でも信じられない……
「そうだな、ルカは優秀だし、クラウス卿もただ者じゃなさそうだし」
「ふふっ、先生は未だに想像を超えてくる方だわ」
「そうか。だったら大丈夫だな」
「ええ、私も最善を尽くすわ」
強い意志を秘めた笑顔が返ってきた。笑うと花が咲いたように部屋が明るくなる。ああ、ルカのためにも、何よりも俺自身のためにもそうなってほしいと強く願う。こんなところで終わりたくない。まだやりたいことがあるし、やりたいと思うことがたくさん出来たんだから。
茶を飲み終えた頃合いでルカを部屋に戻した。いつまでも傍にいると言ってはいけないことを口にしてしまいそうだったから。それに……手袋を外した。人前では絶対に見せないそれが露になる。
「ちっ、また伸びてやがる……」
さっき食い込んだ爪がまた伸びていた。いい加減に切らなきゃいけないが、痛いし血も出る。せめてこいつだけでもと思うが、簡単じゃないと言われてしまった。クラウス卿に期待するしかない。この指じゃルカを抱きしめることもままならないから。いや、こいつのお陰で理性を保てているんだが。
小型の鉈で爪を叩き折る。痛みが一瞬で済むから今はこれが最善だ。治癒魔術を掛けながらの作業は身体の痛みを伴うが、ルカにやらせたくないし見せたくない。優しい彼女はきっと心を痛めるから。
全部の指を終えると、途方もない疲れを感じた。そのまま寝台に転がる。治癒魔術を使う度に心臓に痛みが走り、暫く息が出来ない。これも呪いのせいなんだろう。俺の寿命を削るために。まったく質の悪い呪いだ。まぁ、呪いだからと言われてしまえばそれまでだが。視界に入ると気が滅入るのでさっさと手袋で隠した。
しかし、ザックス隊長の身内にあんな厄介者がいたとは知らなかった。訳あり人物で第二王子派だから気を付けてみてほしいとは言われたが、だったら先にそれを教えろと今なら思う。そんな厄介な裏を抱えているとわかっていたら、その言葉を真に受けはしなかったのに。
「だが、そうでなかったらルカと出会わなかったんだろうな」
魔術院と仕事の繋がりはあったが、ルカの存在は知らなかった。いや、フェルザー伯爵は知っていたが、あの業突く張りにあんな純真な娘がいるなんて誰が想像する? やっぱり平民のままがいい。あんな男を義父だと呼びたくないし、あの男に婚姻の許しを得に行きたくもないから。
「はぁ、早く解けてくれよな……」
歪んだ手を見ながら切に願う。この手じゃ傷つけてしまうかもしれないから。早く元の手に戻って、それから……その先の未来が幸せであることを願って目を閉じた。




