第25話:先を考えたら情けない顔になりました
「わ、私に術、ですか?」
まったく心当たりがなくてそうとしか答えられなかった。一体どんな術が? 誰が、何のために? いつの間に? 記憶を掘り返しても何も思い出せない。だったら、眠っている間に掛けられた? その事実に一層の恐怖が募った。
「どんな術、が……」
声が掠れて出なかった。魔術師の端くれとして気付かなかったことも不甲斐ないけれど、知らない間に掛けられていたことの恐怖が勝る。いつの間に? どうやって? 掛けられたのなら魔術院で、ってこと? 鍵はしっかりかけていたわ。物理的にも、魔術的にも……
「魔力を他者に送り込む魔術じゃな。そして……」
そう仰ると先生は徐に私に手を伸ばし、服に付けてあったそれを手に取った。
「先生、それは……!」
魔術師になった時にいただいた、簡単な魔術を跳ね返す結界魔術が込められたブローチ。クビになっても取り上げられなかったし、何かと便利だからとそのまま使っていた。先生ほどの魔術師なら物理と魔術両方の攻撃を防ぐ結界魔術を無意識に纏うことも出来るけれど、魔力量が少ない私にとっては魔力を消費せずに身を守れる貴重なものだけど……それにそんな術が?
「これはどこで手に入れた?」
珍しく先生の厳しい視線に恐怖が増した。
「それは、初めて配属された時に室長からいただいたものです。全員に配布されたものだと聞いていましたが……」
新米は何かと失敗するから、それから身を守るためのものでもあると言われたわ。他の人も同じようなものを持っていたから気にも留めなかったけれど……
「クルーゲか。あ奴が考えそうなことじゃな」
「で、でも、術式はちゃんと……」
いただいた時に興味本位で術式を視たけれど、ちゃんとしたものだったわ。
「これでもか?」
先生がブローチの裏側を見せてくれた。そこにあったのは……
「うそ……どうして……」
私が見たのとは似ても似つかないものだった。気付かなかったわ、いつの間に……
「ローブに付けっ放しじゃっただろう?」
「は、はい……ですが……」
仰る通り、何も気にせず付けたまま放っておいた。それじゃ、魔力量が足りないと苦しんでいたのは、これのせい? いえ、元々少なかったからあまり変わりはなかったかもしれないけれど。でも、魔術を使っていれば魔力量は少しずつでも増えるのに、魔術師になってからは殆ど変わらなかった。それはこれの、室長のせいだった? そんな……何のために? 魔力量が少ないと私を馬鹿にしていた人がこれを? 私の魔力を奪っていたのに?
「こいつを壊せばお前さんの魔力は戻って来るが……どうする?」
「どうって……」
そんなの、返してもらう一択じゃない? これ以上あの人に搾取されるなんて御免だもの。
「このままにして、わしの魔力を少しだけ送ってやろうかのう」
「先生?」
「ふぉっふぉっふぉ。知らぬ間に魔力量が増えたら、あの馬鹿はどうするじゃろうな」
それは……一層調子に乗るでしょうね。野心家だし、そのための根回しには手を抜かなかったから。だけど、急に増えたらばれてしまうのではないかしら?
「少しずつ分けてやろうかのう。図に乗って大きなことをしようとしたところで一気に供給を絶たれたら、どうなるじゃろうな」
先生、さすがに人が悪すぎます……いえ、それはそれでその瞬間を見たいとは思うけれど。
「どっちにしろ、これはわしが預かっておこう。ああ、それから……」
先生が私に指で触れると、一瞬だけ身体に静電気が走ったような感覚があった。術を破ったのね。さすがは先生、詠唱なしで……格の違いを改めて思い知らされた。凄いわ、引退されても少しも衰えてはいらっしゃらないのね。
「さぁ、これで少しは楽になるじゃろう」
少しどころか……凄く楽になったわ。何ていうのかしら、全身に重い膜が被さって押し付けられたような感覚が、消えている。さすが先生……
「ありがとうございます。楽になりました」
「ふむ、じゃったらそれなりに魔力量も増えたんじゃろうな」
そうあってほしいわ。魔力は使えば使うほど増えるというから。もっとも、それは個人差が大きくて、もともと持っている魔力量に比例するから私がいくら頑張っても先生には遠く及ばないけれど。それでも、これからの生活が少しでも楽になるのなら有難いわ。
「さぁ、今日はしっかり休むんじゃな。明日には魔力量も戻っているじゃろう」
その言葉に心が躍った。足りないと、貧弱な量だと散々言われてきたからほんの少し増えただけでも嬉しい。いえ、術が消えたことで身体も軽くなった気がするわ。ずっと怠さが消えなかったのは長年の不摂生のせいだと思っていたけれど、室長のせいだったのね。魔力量が戻ればフィンの解呪でも出来ることは増えるはず。弾む心に足取りまで軽くなった気がしていたら、部屋の前にフィンが立っていた。私を見るとこちらに向かってくる。それだけで心拍数が上がった。
「フィン、どうかした?」
「いや……何の話だったのかと、気になって……」
躊躇いがちに尋ねられた。表情がはっきりしないけれど、呪いがはっきりしてきて不安になったのかもしれない。当然よね、まだわからないことがたくさんあり過ぎるし、新しい事実も出て来たから。
「少し、話さないか?」
断る理由がないからフィンの部屋にお邪魔した。私の部屋とほぼ同じの内装と間取りなのね。直ぐに部屋に備え付けてあった魔道具でお茶を淹れてくれた。室内に優しい香りが広がる。移動中は滅多に飲めなかったから嬉しい。先生はお茶にうるさかったけれど、客間に用意してくれるのはありがたいわ。
「何の話だったのか、聞いてもいいか?」
遠慮がちに尋ねる声に躊躇いを感じた。不用意に踏み込んでいいのかと気遣ってくれたのね。そんな優しさに胸が弾むのに最近はそこにもやもやが加わる。
「私に、術が掛けられていたんですって」
「術を? まさか呪いが?」
焦る様子に今度は嬉しさが加わった。何故かしら、最近はフィンの言葉に落ち着かなくなる。
「魔力を奪う術だったわ」
「魔力を、奪う? そんなことが可能なのか?」
「そうみたい。室長の仕業だろうって、先生は仰っていたわ」
そう言うとフィンを囲む空気がひやっとした気がした。もしかして、怒ってる?
「あの男……よくも、そんなことを……」
歯噛みするのが聞こえそうな呟きは剣呑で拳が握られているのが見えた。私のことで怒ってくれているの?
「もう大丈夫なのか?」
「ええ、先生が解呪してくださったの」
「そ、そうか。それで問題ないのか?」
頷くとほっとしている様子が見えた。そんな様子に嬉しさがまた増す。
「心配してくれてありがとう」
なんだか泣きたくなりそうで努めて明るい声でお礼を言った。今だけでもフィンを独り占めしてもいいわよね。
「い、いや、相棒なんだから当然だろ? けど、すまなかった。ルカがそんなことになっていたのに気付けなくて……」
相棒という言葉に何故か気落ちしていた。嫌だわ、私ったら何を期待しているのかしら。フィンはいずれ貴族に戻る人なのに……
「フィンが謝ることなんかないわ。私だって気付かなかったのだから」
「そうかもしれないけど、俺だって少しは魔術も使えるのに……」
「そうだったわね。だけど、ブローチに精巧に隠されていたのよ。先生クラスでもなきゃ気付けなかったと思うわ」
そう言ったけれど納得している風に見えなかった。表情が見えないのは不便ね。いえ、フィンの顔を他の人に見られるのも嬉しくないのだけど。
「なぁ、ルカ。一つ聞いてもいいか?」
「何?」
「この呪いを解いたら、その後どうする気だ?」
思いがけない問いに思わずフィンをまじまじと見てしまった。この後のこと? フィンの呪いを解いたら……フィンは冤罪を晴らして元の地位に戻るのでしょうね。先生の口添えがあれば呪われたことは証明されるし、そこから彼の無実だって明らかに出来るはず。フィンは侯爵家の令息で実家は第一王子派だから、第一王子殿下にお願いすれば調査もしてもらえるはず。実家だって息子が冤罪だったとなれば喜んで迎えてくれるはず。そうなったら、私は……王都の女将さんやアマーリエさんの顔が浮かんだ。
「そう、ね。解呪師をしながら国中をまわってみようかしら。先生の研究のお手伝いをするのもいいわね。ふふ、これは先生がお許しくださったら、の話だけど」
「そう、か。家には、帰らないのか?」
「帰らないわ。あそこに私の居場所はないもの」
そこは躊躇するところがなかった。先生にお願いすれば口添えしてくださると思うけれど戻りたいとは思わない。魔術院に戻ったところで魔力量の少なさは変わらないし、実家に戻れば貴族令嬢として父が命じる相手に嫁がされるだけでしょうし。そこに私の意思なんか考慮されない。だったら、このまま平民として生きた方がずっと楽に息が出来るわ。
「そ、そうか」
フィンも反対しなかった。彼もわかっているわよね、私に戻る場所がないってことは。よかったわ、反対されなくて。一緒に戻ろうと言われたら、そこに私の幸せがないとわかっていても心が揺らいでしまいそうだから。胸の奥に鋭い痛みが走る。コップの中の自分が情けない顔をしていた。




