第21話:恩師の元を訪れましたが…
険しい山々の頂にはまだ雪が残り、吹き下りてくる風はまだ冬の気配を残していた。呪われた牛を退治したあの日から半月余り、私がすべてを失ったあの日から一月を迎えたこの日、私たちはザクサー辺境伯領に辿り着いた。
ここまでの道のりは決して平たんではなかった。二人での騎乗は馬に負担がかかるため歩みが遅くなって時間がかかるけれど、追放された身であるだけに馬車を頼むのも憚られた。騎士の姿のある町を避け、時には野宿をしながらの行程は厳しかったけれど、フィンの呪いの方が心配で気が急いていた。
フィンの呪いは死の呪い、しかも期限は一年あるかないか。その術式には古代文字が使われているらしく、私では解呪出来なかった。だからこそ私の魔術の師匠で先の筆頭魔術師だった恩師を、古代文字の研究をしている先生を頼るべくザクサーまで来たのだけど……
「ここが……その恩師の?」
フィンが戸惑いを隠しながら尋ねた。目の前にあるのは実家の馬小屋のような建物だった。決して前が付くとはいえ筆頭魔術師だった方が、辺境伯家の次男だった方が住む家じゃない。本当にここに先生が? 信じられないわ。
「やっぱり騙されたんじゃ……」
「い、言わないで……」
さすがに辺境伯家を訪ねたのに本名を名乗らないわけにもいかず、実家の姓を名乗った。平民では門前払いされるのは目に見えていたから。幸いにも門前払いを受けることはなく、家令が出てきて対応してくれて、そこで先生は領邸のある街から少し離れた森の別邸に住んでいると聞いてやってきたのだけど……森の中にひっそりと佇むそれは別邸というにはあまりにも質素で心許ない。怪しい者だと見られて物置小屋を教えられた? 勘当された事実が心に重く圧し掛かる……
「どうする? もう一度辺境伯家に戻るか?」
「……そうね。でも……」
先生の為人を思うと絶対にないとは言い切れなかった。ちょっと変わったというか、困ったところのある方でもあったから。それに、先生なら結界を張っているはず。すんなりここまで来られたのなら拒否されてはいないと思うのだけど。
「ごめんください! こちらにクラウス=ザクサー様はいらっしゃいますか?」
万が一に掛けて一歩を踏み出し、玄関と思われる扉を叩いて先生の名を呼んだ。どうかご本人がいらっしゃいますようにと祈りながら耳を澄ませた。
「……不在か?」
どうなのかしら、答えられないわ……中から人の気配は感じられない。いえ、もしかしたら眠っているのかもしれないけれど。先生って昼夜逆転の生活をされることが多かったから。いえ、それも違うわね。気になることがあったら気が済むまで食事も睡眠も忘れて没頭される方だった……
「おーい、誰かいませんか! クラウス卿、御在宅ですか!? 愛弟子のアレッサ、アレッサ=フェルザーです。呪いのことでお尋ねしたいことがあるんです!」
フィンが大きな声で叫んだ。び、びっくりしたわ……いきなり大きな声を出さないでほしい。鳥が一斉に飛び立ったじゃない。いえ、フィンは私の代わりに呼びかけてくれたのだけど。程なくして軋む音を立てて扉が動いた。出てきたのは……茶の髪と目をしたまだ十歳くらいの少年だった。えっと……
「よう、ここにザクサー辺境伯家のクラウス卿がいらっしゃると本邸で伺ったんだが?」
フィンが少年に視線を合わせて尋ねたけれど、少年の視線は厳しいものだった。警戒されているようね。まぁ、いきなりやってきたら怪しまれても仕方がないわね。少年はじっとフィンを見ていた。その視線が引っ掛かる。この子、もしかして……
「なんじゃ、騒がしいな。ロイ、何事じゃ」
奥から現れた人物に胸が高まった。最後にお会いしてから一年半ほど経つけれど、その頃と少しも変わりない。着古したローブ、綺麗に剃られた頭に反して目立つ無精髭、そして柔らかく細められた目とその下にある青い瞳。記憶に残る姿とほとんど変わりない先生の姿に懐かしさが込み上げてきた。
「なんじゃぁ、アレッサではないか」
「先生、ご無沙汰しております」
昔と変わらないちょっと癖のある、ザクサー風の抑揚。一気に時があの頃に戻った気がした。先生の前に立ち、その温かくも皺だらけの手を取った。懐かしさとお元気そうな姿に胸が熱くなる。
「おお、久しく会わんうちにまた別嬪さんになったのう。息災で何よりじゃ」
「先生こそ、お元気そうでよかったです」
お立場や身分など気になさらない気さくなところもちっともお変わりないのね。
「それにしても……まぁた面白いもんを連れて来たなぁ」
「クラウス様、あの者は危険です。お気を付けください」
楽しそうにフィンを眺める先生に、少年が尖った声を上げた。
「よいよい、アリッサが連れているのなら危険はない」
「ですが、普通じゃありません。あんな、呪いでぐるぐる巻きだなんて……」
「ほぅほぅ、お主には見えておるか。さすがじゃのう」
やっぱりこの子には見えていたのね、フィンの呪いが。さっきから焦点が術式のある場所にあったから、もしかしてと思ったのだけど。
「まぁ、ここで立ち話もなんじゃ。ロイ、茶の用意を頼む」
「先生、しかし!」
「こちらに害が出る類のものではないから大丈夫じゃ」
先生がのんびりした口調でそう告げると、少年が渋々ながらも私たちを中に案内してくれた。
案内されたのは入ってすぐの居間らしき部屋だった。外見は小屋だったけれど中は思ったよりも広く、先日泊めてもらった村長さんの家のような感じだった。それでも、先生ほどの方が住むにはあまりにも質素すぎるわ。もっとも、見かけは古びた家だったけれど、出されたお茶は一級品だった。そういえば先生はお茶にはうるさかったわね。いつもザクサー産のお茶でなければ嫌だと仰っていたわ。
「それにしても、ドルフがのう……」
お茶の入ったコップを手に、先生が声に呆れを乗せて父の名を呼んだ。先生が現役だった頃は先生の下にいたこともあった父。私への扱いが目に余ると何度か苦言を呈してくださったけれど、父が聞き入れることはなかった。
「こんなことになって申し訳ございません。先生には色々お世話になりましたのに」
先生の教えを守って立派な解呪師になるつもりだったのに、不肖の弟子になってしまったわ。不甲斐ない……
「いやいや、お前さんが失敗などあり得んじゃろが。クレーゲとでは比べるのもばかばかしい程お前さんの解呪は秀逸じゃったんだからな。どうせあいつのことじゃ、気負って実力以上のものに手を出して失敗したんじゃろ」
さすが先生、よくわかっていらっしゃるわね。上司のクレーゲ室長は自分を大きく見せることに熱心だったけれど、気が短くて根気がないからよく失敗していた。だから私が代わりに解呪をさせられていたわ。今どうなっているのかしら? 室長たちがどうなっていようと知ったことではないわ。ただ、患者に影響が出ていないといいのだけど……
「それで、今はルカと名乗っておるのか」
「はい、本名では何かと不安で……」
さすがに連れ戻されることはないと思うけれど、首になった上に勘当された身だと知られたらどんな難癖をつけられるか分かったものじゃない。平民の貴族への反感は思った以上に強いのだとこの旅で思い知ったもの。
「いい名じゃな。そなたにぴったりじゃ」
にこにこと緊張感のない笑顔でそう言われると、ふっと肩の力が抜けて楽になった。
「そして、そちらは何ともまぁ……」
「ギレスベルガー侯爵家のエドゥアルドですが、今は仕事も家も失ったただの平民です。フィンとお呼びください」
フィンが立ち上がると背筋を正して名乗りを上げ、頭を下げた。切れのある所作はさすが騎士のものね。騎士服だったら凄く見応えがありそう。
「フィン殿か」
まじまじとフィンを見ていた。先生は妖精眼をお持ちではないけれど魔力をかなり視ることがお出来になる。きっとフィンの術式も見えているはず。
「随分と厄介なものを押し付けられたようじゃな」
先生が厄介と言うのなら相当なものなのでしょうね。
「先生、彼の呪いを解きたいのです。でも私では読めない術式があってこれ以上進められなくて。どうかお力をお貸しください」
そのためにここまで来たのだから何とかお願いしたい。私の見立てが必ずしも正しいとは言い切れないし、何か見落としがあるかもしれないから先生の意見もお聞きしたい。
「なるほど、確かにこのままでは一年持つかどうかじゃからのう」
のんびりとした先生の言葉に息を呑んだ私を、フィンが弾かれたように見た。




