第20話:先を急ぐ理由がまた増えました
一瞬の間、暗闇の中に白い閃光が走った。次に篝火が照らしたのは眉間に深々と剣を突き立てられて横たわる牛だった。誰もが息を呑んでその様子を凝視する。
「い、一撃で……」
誰かの震えた声が暗闇に吸い込まれていった。もしかして一刀で仕留めてしまったの? その鋭さに誰もが声を失っていた。強いだろうとは思っていたけれど、これほどだったなんて……
「すげぇ……」
その一言で我に返った。
「フィン!」
柵で姿が見えなかったから慌てて駆け付けた。大丈夫なの? 剣は確実に牛を捉えていたけれど怪我は? あの牛から傷を受けたら呪いまで受けてしまうかもしれない。今のフィンには危険だったのに。
「ああ、無事だ」
少し離れた場所で手を軽く振るフィンがいた。怪我は……なさそうね。その姿にようやく息が出来た。よかった……
「ま、魔獣が……」
安堵も束の間、怯え切った声に今度は別の意味で息を呑んだ。呪われた牛に視線を向けると、そこには剣が刺さったところから解けるように身体が崩れていくのが見えた。浄化の剣が術式を破って呪いも牛自身もその存在を失っていったようね。気持ち悪いけれど、私の予想は当たっていたらしい。なんて醜悪な呪い……村人たちが集まってきて息を殺しながらその消滅を見つめていた。液体化したように見えた身体は土へと吸い込まれていく。最後にフィンの剣だけが残った。
「ルカ、これ、大丈夫なのか?」
「ええ、多分。剣に掛けた術で浄化出来たみたい。でも、この場所も浄化した方がよさそうね。滅多なことはないと思うけれど後味が悪いから」
村人たちも気に病むでしょうから。呪いの実態を知らない人は必要以上に怯えて変な解釈をしてしまうこともある。特に田舎に行けばその傾向が顕著になるから侮れないわ。それに、フィンの剣も。剣自体は浄化の術がかかっているけれど、呪いが触れた剣を彼に触らせたくないわ。浄化の術を掛けてからフィンの剣を拾った。よかった、剣は浸食されていないわ。
「な、何が、起きて……」
フィンとの会話が途切れたと感じたのか、ダンがおずおずと話しかけてきた。どうやら目の前で起きたことがまだ信じられないようで、目が驚いたままだわ。
「ルカ、あれは何だったんだ?」
「牛です。呪いのせいで異形と化していたのでしょう」
「牛? 呪いって……」
フィンの問いに答える形でダンたちの疑問に答えたけれど、余計に疑問を増やしてしまったらしい。説明が必要だけど、今は浄化が先だわ。
「後で村長さんの家で説明します。その前に、ここを浄化しましょう。呪いの痕跡が残ってはいけませんから」
そう言うとダンも他の村人もわかってくれたらしく頷いてくれた。牛が消えた場所に浄化の魔術を掛ける。牛が消えた場所がさっきと同じように一瞬白く光って消えた。
「こ、これで大丈夫なのか?」
「ええ。少し強めに掛けましたから。もう大丈夫です」
そうは言っても信じられないでしょうね。でも、放っておけば草木も生えるしそのうち忘れられていくわ。今はそれを待つしかないわね。
その後、村長の家へと戻った。まだ安心出来ないと篝火は焚かれたままだし男たちも様子を見ている。それでも、村長やダン、村の発言権があるらしい男性たちが集まっていた。一室で円になって座り、村長の奥さんが軽い食事を出してくれた。毎晩番をする男たちにこうして食事を出しているのだというので遠慮なくいただいた。
「それで、あの魔獣は何だったんだ。さっき牛だと言っていたが……」
ようやく驚きから覚めたダンが尋ねてきた。
「ええ。呪いを掛けられて彷徨っていたのでしょう。既に死んでいたかと。呪いによって原型を保っていたのでしょう。身体が解けていったのはそのせいでしょう」
呪われた時に生きていたのか死んでいたのか、それはわからないわ。術式をじっくり見ている余裕はなかったから。しまったわ、もう少し視てから浄化すべきだった? いえ、無理ね。あの剣に浄化をかけておかなかったらフィンが危なかったもの。
「そんなことが出来るのか?」
「出来るのでしょうね。実際に出来ていたので、そうとしか言いようがありません」
「そ、そうか……」
ダンが複雑な表情で自分に言い聞かせるように頷いたけれど、私だってまだちょっと信じられないわ。だけど、この眼で見たら否定も出来ない。
「魔獣じゃなかったのか……」
「まさか呪いだったなんて……」
困惑した呟きがあちこちから上がった。私ですら驚いているのだから、彼らは尚更よね。一般の人が呪いに出会うことすら稀だもの。
「でも、どうして呪いが? 誰かが呪ったんだよな? 誰が一体……」
「それは、わかりません。自然に生まれるものではありませんから、誰かがやったのでしょうね」
そう答えると室内が重い沈黙に沈んだ。術者を特定するのは簡単ではないわ。魔力や術式でわかることもあるけれど、あの牛からは手掛かりになるようなものは得られなかった。術を掛けられてから時間が経っていたようだし……
「そう、か。詳しいことはわからないがあいつを退治してくれただけでもありがたい。これで安心して眠れそうだ。礼を言う」
ダンの言葉に村人の表情が僅かに緩み、皆が彼に倣って頭を下げた。やっぱり眠れないのは辛いわよね。だからと言って昼真寝ているわけにはいかないのだから。
「しかし、兄ちゃん、すげぇな。あんな巨体を一撃で……」
奥にいた壮年の男性の呟きに一同が頷いた。確かにフィンは凄かったわ。一撃であの巨体を……最強の騎士との噂を聞いたことがあったけれど、誇張されていたわけじゃなかったようね。
「さぁ、夜も遅い。今日はもう休んでくれ」
「俺は念のため番をする」
村長がそう呼びかけるとダンと何人かが番をすると言って出て行った。やっぱり不安よね。私もあれだけなのかとの不安は残る。流石にあんな呪われた獣が何匹もいたら騒ぎになるとは思うけれど。
私もフィンと共に部屋に戻った。さすがに眠いわ。部屋に入って腰を下ろすとどっと疲れが出てきた。
「大丈夫か?」
「ええ。ちょっとね。それよりも眠いわ」
昨夜はあまり眠れなかったし、馬の上じゃ眠ることも出来なかったから。
「今日はもう大丈夫だろう。さっさと寝るか」
「ええ」
もう限界だわ。寝袋に包まったらすぐに眠気が襲ってきて、そのまま意識を失った。
鳥のさえずりに目が覚めた。周囲はまだ薄暗いから夜が明けたわけではなさそうね。よく眠ったわ、夢も見ないくらいに。おかげで頭もすっきりしていた。
周囲を見渡すとフィンはまだ眠っていた。無事な姿にホッとする。昨夜は危ないかと思ったけれど一撃で屠っていたわ。だけど、この先も大丈夫かはわからない。呪いが進行すればどこかで影響が出るかもしれないから。それに……
あの牛の呪いが気になるわ。異形の姿にフィンの爪を思い出した。もしかして同じような系統の術なのかもしれない。あの牛はいつ呪いに掛かった? 生きている間に? それとも死んでから? まさか……あの牛はフィンと同じような呪いに掛かって、その呪いが進行した成れの果て、なんてことはないわよね……その可能性に思い至って背筋が凍った。死んでも呪いが解けないなんて、そんな話、聞いたことないわ。だったら心配いらない?
わからないわ、あの術式は何て書かれているのかしら。古代文字が読めたら何か手掛かりが得られたかもしれないのに……自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。早く先生の元に行きたいわ。
外が明るくなるとフィンが目を覚ました。あれからダンたちが来ることはなかったからあの牛だけだったと思っていいのかしら。それならもう安心かしら? 朝食の前にフィンが様子を見に行くというので一緒に向かった。
「フィンさん、ルカさんも!」
昨夜は警戒を露にしていたダンが私たちをさん付けで呼んだ。その変化にちょっと驚く。都合がいいと思わなくもないけれど彼らの立場もわかる。警戒心を持たなければ村を守れないから。
「あ~呼び捨てでいいって」
「いえいえ、恩人なのですからそんな失礼なこと出来ません。本当に、昨日は失礼しました」
困ったような眉を下げて謝罪する姿に敵意は感じられなかった。わかってくれたのならいいわ。敵意を持たれたままはちょっと悲しいから。ダンの話ではあれから同じような魔獣が現れることもなかったと言った。だったら大丈夫かしら? それなら先に進めるわね。
「フィン、先を急ぎましょう。早くザクサーに行きたいわ」
「……あの牛の呪い、気になるのか?」
「ええ、姿が変わるのが……」
それだけでフィンには伝わったようで、自分の手に視線を向けた。獣のようになってしまった鉤爪があの牛の異形に重なる。フィンも何か思うところがあったようで、その日のうちに村を発った。村長やダンは歓迎の宴をともう一泊するよう勧めてくれたけれど、フィンの方がずっと大事だから固辞したわ。今度こちらに戻ってくる時には必ず寄ると約束して馬首をザクサーに向けた。早く先生にお会いしたい。どうか手掛かりがそこで見つかりますようにと、心から祈った。




