第17話:今夜は眠れそうにありません
(う、うそ……か、かっこいい……)
呆然としたままでも絵になるフィンに目が釘付けになった。眉と鼻筋がすっと通って涼やかで、少し下がり気味の目元は顎の線からくる鋭い印象を弱めている。暗くてはっきりしないけれど、あの赤くなっていた白目も元の色に戻ったようね。髪と瞳は黒かこげ茶かしら? 伸ばした髭が精悍な顔立ちに似合っている……これまでに見た誰よりも素敵に見えた。嫌だわ、鼓動が激しくなって落ち着かない……
「ルカ?」
名を呼ばれてようやく我に返った。わ、私ったら何を……
「な、何?」
「い、いや、じっと見ているから、そんなに変わったのかと……」
フィンが控え目にそう告げた。は、恥ずかしい……それに失礼だったわよね。マナー違反だもの。だけど……
「か、変わったわ。は、肌の色が元に戻ったし、あの文様も消えて……め、目の白目も戻ったんじゃないかしら? 暗いからはっきりしないけりょ」
早口で捲し立てたせいで最後は噛んでしまったわ。痛い……嫌だわ、私ったら何やっているの? まだ肝心の呪いは残っているから浮かれている場合じゃないのに……
「俺の見間違いじゃ、ないんだよな」
「ええ。顔と手の文様はちゃんと消えているわ。身体、調べてみる?」
「……い、いいのか?」
「え? もちろんよ。だって見なきゃちゃんと解呪出来たかわからないもの」
魔術院では解呪した後はきちんと確かめるようにと教えられたわ。質の悪い呪いだとどこかに残ってそこからまた広がるものもあったから。待って! 私ったらすっかり失念していたわ。そうよ、最初に全身を目視で確認する必要があったのに失念していたわ。あまりにもたくさんの呪いに掛かっていたから……
「フィン、ごめんなさい。最初に全身を確かめなきゃいけなかった。私ったら、すっかり失念していたわ」
「そ、そうなのか?」
「呪いの中には解析じゃわからないものもあるの。だから最初に全身を確かめるのだけど、フィンは呪いがたくさんかかっていたから……」
迂闊だったわ、彼の異相に気を取られていた。これまで私の妖精眼を使って見過ごすことはなかったけれど、彼の呪いはこれまで見てきたものと量も質も比べ物にならないほど違う。大丈夫との確信が持てない……なのに、フィンの表情が何とも言いようのないものになった。何?
「もしかして、何か違和感が? 残っている呪いに異変が?」
だったら尚更早く確かめないと。
「中途半端に残っていたら面倒なことになるかもしれないわ。フィン、服を脱いで。ちゃんと確かめましょう」
立ち上がってフィンに近づいたら後ずさりされてしまった。どうして?
「フィン、確かめなくていいの? もし呪いが変な風に残っていたら……」
「いやいやいや、じ、自分で見るから!」
「でも、背中は見えないでしょう?」
ここには残念ながら鏡もないから自分で確かめるのは無理よ。
「そ、それは……」
「だったら。ほら」
「待て待て待て! 未婚の君にそんなことをさせるわけにはいかない!」
その言葉に、フィンが言わんとしていることを理解した。そ、そういえば……そうよね。
「ご、ごめんなさい。治療院では解呪の後は必ず見ていたから……そ、その、治療の一環として……」
貴族家出の、それも未婚の令嬢は男性の裸なんか見ないわよね。私だって最初は抵抗があったし……
「い、いや。ルカは純粋に治療のために行ってくれているのはわかる。わかるが、さすがに全身は……」
「でも……」
「だ、だったら背中! 背中だけ見てくれないか? あとは自分で見るから」
「でも、フィンは魔力が見えないのでしょう?
それでは意味がないわ。そもそも質の悪い呪いは見えるところに跡を残さないし。
「し、しかし……女性に裸を見せるのは、さすがに……」
フィンがそっぽを向いてしまった。えっと、もしかして、照れている? で、でも……こ、これは治療で……やだ、意識しちゃったら私まで恥ずかしくなってきたじゃない……頬が熱を持った気がした。赤くなっていない? 思わず両手で頬を覆った。沈黙が、気まずい……
「あ、あ~治療、なんだよな?」
沈黙を破って意を決したように念を押してきたのは、フィンだった。
「え、ええ……」
「だったら、頼んでいいか?」
「いいの?」
嫌だったんじゃないの? いえ、フィンのことだから私の気持ちを汲んでくれたんでしょうけれど。
「ルカの懸念もわかるし、俺も不安ではあるんだ。だから申し出はありがたいんだ。だから、悪いけどちょっとだけ向こうを向いてもらってもいいか?」
「そ、それ構わないけれど……」
言われた通り背を向けた。嫌だわ、意識しちゃったら心臓がうるさくて落ち着かない。「これは治療だ」と心の中で繰り返して待った。忘れちゃだめよ、彼の一番危険な呪いはまだ解けていないことを。こんなことで動揺している場合じゃないのだから。
「いいぞ」
そう言われて振り返ると、フィンは下の下着以外は脱いでベッドに腰かけていた。別に男性の裸を見るなんて初めてじゃないのに恥ずかしい……しかも鍛えられた身体はこれまでに見た誰よりも筋肉が凄い……いえ、解呪を頼む人は鍛える元気もないから貧弱なのは仕方ないのだけど。落ち着け、私の心臓……!
「し、失礼、します……」
何度も繰り返してきたことなのに……どうしてこんなに緊張しているのかしら。恥ずかしい……でも仕事なのよ! しっかりしろ、私!
頭のてっぺんから順番に見ていく。今見るのは呪いの痕跡だから妖精眼はいらないのが有り難いわ。耳の後ろや脇の下、背中など目につきにくいところを見ていく。問題は……
「さ、さすがにここはいい!」
どうしようかと悩みながら背中を見ていたらフィンから待ったがかかった。そのことにホッとしてしまったわ。さすがに仕事とはいえ、そこを見るのはちょっと……後で先生に視てもらえばいいわよね。妖精眼では何もなかったから多分大丈夫なはず……その後、膝の裏や足の裏なども確かめたけれど、気になるところはなかった。ホッとしたのはそのことなのか、それとも……
「ど、どうだった?」
「き、気になるところはなかったわ。文様も消えていたし」
それにしても……背中や足も筋肉が凄かった……やだ、思い出したらまた動悸が……頭を振って浮かんだフィンの筋肉を追い出した。思い出すな、私!
「でも、ごめんなさい。その爪は戻せなかったの。そっちは古代文字を使った呪いに関係しているみたいで……」
死の呪いを話していいのかまだ決心が付いていない。自暴自棄になることはないと思うけれど、勇猛な騎士で呪いなんか笑い飛ばしそうな人が酷く落ち込んで、あっという間に呪いに飲み込まれてしまったこともあると聞いたことがある。人は見かけによらないし、フィンのことだって知っていることよりも知らないことの方がずっと多いから。
「いや、ルカが謝ることなんかない。肌を元に戻してくれただけでも有り難い。これで人前に出られるからな」
そう言うと屈託のない笑顔を浮かべた。うっ、薄闇なのに笑顔が眩しい! 目の毒だわ……フィンって、絶対女性にもてたわよね。
「全身にあった疼くような痛みも消えて滅茶苦茶快適だ。いや、これが普通だったんだな。感動するよ」
「痛みが消えた?」
「ああ。まぁ、全部じゃないけど。そうだなぁ……体感的に七割、いや、八割は減ったかな。これでやっと気持ちよく眠れそうだ」
嬉しそうな笑顔が私の疲れた目に痛い……でも、役に立てた達成感が、この笑顔を自分が引き出したのだとの思いが、胸の中の何かを凄く満たしていく気がした。って、何を言っているのかしら、私ったら。一番肝心の呪いはまだ残っているし、そもそもこれは仕事なのよ。浮かれている場合じゃないわ。って、別に浮かれてなんかいないし……
「ルカ、よくやってくれた。今日はもう休んでくれ。夜中も過ぎているだろ」
労わってくれる優しい視線が面映ゆい……
「そ、そうね。ちょっと疲れたわ。だから、朝食の約束、忘れないでね」
このもやもやした何かに落ち着かなくて、誤魔化すように、振り払うようにそう言ってベッドに転がった。
「ああ。けど食い過ぎないでくれよ」
「大丈夫よ。こう見えてお腹は丈夫なんだから」
掛け布を引っ張って頭まで被った。フィンがろうそくの灯を消してベッドの転がる気配を感じた。さっき見たフィンの笑顔が、あの素晴らしい筋肉が蘇って頬を熱くする。もう、疲れているのにこれじゃ眠れないじゃない……だけど、あんなにかっこいいのよ。やっぱり顔は隠しておいた方がいいかもしれないわ。




