第15話:久々に人間らしく過ごしました
「そうだけど?」
呪いのせいでフィンの顔は浅黒くなった上に緑や黒、紫の文様が入り、白目は赤くなっているのもあって、はっきり言って表情が殆どわからない。いえ、じっくり見ればわかるのでしょうけれど、さすがにまじまじと見るのは失礼だし、そこまでの関係でもないから控えているのだけど、今はその反応の意味が分からなくてじっと見てしまった。うん、やっぱりわからないわね……
「え? あ、いや、けど、髪が……」
その言葉で何となく言いたいことが分かった。確かに王都を出てから湯浴みなんて出来なかったからかなり汚れていた自覚はあるわ。馬車から飛び降りた時は水溜りもあって一層汚れたし。
「ああ、かなり汚れていたものね。だけど、これが地毛よ」
「そ、そうか……それに……」
「それに?」
まだ何か言いたそうにしていたけれど、その先が続かなかった。
「何? 女に見えなかった、とか?」
「ばっ! そ、そんな失礼なこと言うか! ただ……」
「ただ?」
何なのよ、言いたいことがあるならはっきり言ってくれていいのに。別にそう思われていても仕方ないと思うし。
「……な、何でもない。風呂入ってくる!」
そう言うとフィンは徐に立ち上がって湯浴みの部屋に行ってしまったわ。何だったのかしら? 変な人ね。
暫くするとフィンも湯浴みを終えて出てきた。彼も随分と汚れていたようで、髪も肌もさっきよりも艶が戻ってきていたけれど、髭は伸ばしっぱなしだった。
「髭、剃らなかったの?」
剃刀が必要だったかしら? 私は使わないから気付かなかったわ。
「ああ、髭があれば隠せるだろ、呪い」
「それは、確かに」
それは思い至らなかったわ。だけど、髭だったら誰も気にしないわよね。髭を伸ばしている冒険者も見かけるし、寒い時期は暖かいと言っているのを聞いたことがあるわ。それにしても……
「手、痛そうね。これだけでも解呪してみる?」
鉤状になった黒々しい爪の先は無理に切ったせいで瘡蓋のようになっていて痛々しい。手の肌も顔のように浅黒い文様が走る。
「出来ればそうしてくれると助かる。ものを持つにも便が悪くて」
剣どころかスプーンを持つのも難儀しているように見えた。馬の手綱も。夕食までにまだ時間があるわよね。だったら少しだけでも見たいわ。ベッドで私に背を向けて寝そべってもらい、全身の様子を視た。目に魔力を込めると呪いの術式が視えて来た。手の、爪の形状を変える術式を探す。こんな呪いは見たことがないだけど、どれがそうなのか、判断に悩むわ……
「お二人さん、夕食はどうする?」
廊下から声がかかり、慌てて目に込めた魔力を散らした。
「フィン、どうする?」
「う~ん……この手じゃ、下で食べるのもなぁ……」
「じゃ、ここに運んでもらう?」
「出来れば」
そういうことならと、店主の娘さんにお願いして部屋に運んでもらった。呪いのせいで手が上手く使えないと言えば同情してくれて、お安い御用だと快く引き受けてくれた。有り難いわ。程なくして料理が運ばれてきた。シチューは肉や野菜が煮込まれていて、柔らかそうな白パンが仄かに湯気を上げ、焼いた肉やチーズが並ぶ。
「肉は鳥の塩焼きだよ。我が家の一番の人気メニューだったんだ。あと猪肉の香草焼きに茹で卵、ハムも付けておいたよ。お替りたくさんあるからね」
小さいテーブルに乗り切らないほどの料理が圧巻だわ。こんなまともな食事、いつ以来かしら……悲しいかな、お腹が早く食べろとさっきから煩いわ……
「ははっ、すげぇな! 温かいうちにいただこうぜ!」
たくさんの料理を前にフィンはすっかり上機嫌だった。彼の方こそずっとろくなものを食べていなかったものね。ぎこちなくフォークを持って肉を頬張った。
「うわ、美味い!」
それからのフィンは「美味い!」を連発して肉を口に運んでいた。表情はわからないけれど嬉しそうに見えた。やっぱり顔の文様も消したいわね。表情がわからないと会話をするにもどう感じているのか分かりづらくて難しいわ。
「ほら、ルカもしっかり食べろよ」
「あ、ありがとう。でも、ちゃんと食べているわよ」
「何言っているんだ? しっかり食べないと旅も続けられないぞ」
そう言いながら切り分けた肉を私の皿へと盛って行く。有り難いけれど……
「そんなこと言われたら真に受けて本当に食べちゃうわよ」
「おう、どんどん食ってくれ! 俺の分も食っていいぞ!」
言ったわね、だったら遠慮しないわよ。だって、私は……
「……嘘だろ……俺より食っただろ? いや、絶対に食ったよな?」
「だから言ったじゃない。本当に食べるわよって」
あれから店主の好意でお替りをお願いしたのだけど、最終的にはフィンよりも私の方がたくさん食べたわ。私、こう見えて大食漢なのよね。しかも太らないという。特に呪いの解呪をしている時はお腹が減っていつも以上にお腹が空いてしまう。最近は思いがけないことの連続で食欲が落ちていたのだけど……フィンが美味しそうに食べるのに釣られて食べてしまったわ。ふぅ、お腹がいっぱいで幸せ……これでまた解呪を頑張れるわ。
「ところでフィン、これからどうする?」
「そうだなぁ……ルカはどうしたい?」
「せっかく安心して泊まれる宿が見つかったから、出来ればここで解呪の解析を一気に進めてしまいたいわ」
野宿でも出来ないことはないけれど、外が気になって気が散るのはここ数日でよくわかった。宿の方がずっと集中出来る。魔術院なら資料を見ることも出来るけれど、ここでは私の知識が頼り。出来るだけ集中できる環境がほしい。
「わかった。二、三日でいいか?」
どうかしら……でも、すべてを解析するのは難しい気がする。術式の始まりと終わりが見えないものがいくつかあるから。それは多分、死の呪いに関係しているように思う……それをフィンに話すべきかどうかもまだ決められないでいる。彼がどう受け止めるのかまったく予想出来ないから。平気そうに見えたのに酷くショックを受けて食事も喉を通らなくなった人もいたわ。フィンがそうとは思わないけれど……
「多分……でも、確約は出来ないわ」
「そう、か。簡単じゃないんだな」
「ええ。これだけの呪いは私も初めてだから……」
さっきまでの明るかったはずの空気が一気に重くなる。申し訳ないわ、もっと知識があったら何とか出来たのかもしれない。せめてもう数年、経験を積んでいたら……いえ、今更だし、まだ見えるだけましなのだけど。
「まぁ、気を揉んでも仕方ないな。その、ザクサーにいる恩師を頼るんだろ?」
「ええ、さすがに私一人では……」
「だったら、出来るところまでやって、さっさとザクサーに向かおう」
疑うことなく前向きにそういうフィンに罪悪感が湧いた。呪いの全貌を話していない後ろめたさが重く圧し掛かってくる。だけど、まだ確定したわけじゃないから話すのも憚られるわ。
「どうした?」
「え?」
「いや、暗い顔をしているから。かなり負担がかかるのか? だったら……」
大変なのはフィンなのに、呪いで苦しんでいるのに、私を気遣ってくれる姿に心が重くなる。だけど、弱音を吐いている場合じゃないわね。呪いを解くと約束したのは私なのよ。だったらどんな手を使ってでも約束は果たさなきゃ。しっかりしなさい、私!
「大丈夫よ。ただ初めてのことばかりが続いてちょっと戸惑ってしまっただけ。負担なんかじゃないわ」
「けど、魔力を使うんだろ?」
「解析だけなら大したことはないし、解呪だってものを動かしたりするよりはずっと楽なのよ。だから魔力量が少なくても魔術院に置いてもらえたのだから」
本来なら所属することも出来なかった。ただ、父の力と、解呪の能力があったからあの場に置いてもらえたわ。それを有り難いと思っていたけれど、実際はいいように使われていただけだったのだけど……
「そうか? でも無理するなよ」
「ありがとう」
そんな風に言ってくれる人なんかいなかった。女将さんやアマーリエさん、そしてフィン。私に優しくしてくれた人のために頑張るわ。
それから二日、宿に泊まらせてもらって呪いの解析に集中した。フィンもかなり無茶な移動をしていたらしく、宿に泊まって安心したのか一気に疲れを感じたとかで、殆どの時間を寝て過ごしていた。それも呪いの影響かもしれないけれど、ザクサーまでは馬車も使えないから今のうちにしっかり休んでほしい。
二日で三十ほどの小さな呪いを解いた。一つ呪いを解くと次の呪いが解けるようになっているから、根気はいるけれど魔力も使わなくて済んでいる。そして……
「この術式って、もしかして……」
二日目の夕方、三十幾つ目かの呪いを解くと、それは現れた。この術式を解けば、あるいは……希望と不安が同時に押し寄せてきて、思わず息を呑んだ。




