第10話:優先すべきことは…
四人分は優にあったはずの、一部は明日の朝に食べようと思って買った食事は何も残らなかった。三人分は優に食べたわよね……お腹を壊したりしないかしら? 腹痛用の薬なんて持っていないわよ。自分で治せるのならいいけど。
「はぁ、久しぶりに人間らしいもん食った。ありがとよ」
「どういたしまして。でも、大丈夫なの? あんなに一気に食べて……」
「大丈夫だろ。討伐に出た時は食べられない時もあったから。食べられる時に食うのが普通だったし」
そういうものなの? 騎士って華やかで雅びに見えたけれど結構豪快なのね。そんな感慨に浸っていると足音が近づいてきた。フィンが布を取って顔を隠す。
「騎士様、ご要望通り馬を連れて参りました」
「ああ、すまないな」
やってきたのはさっきの自警団の男性二人だった。月光に毛を黒光りさせて馬がその後ろに続く。大きいわ、街道で見かけた馬よりもずっと立派ね。既に馬具なども付いている。
「ほぉ、なかなかいい馬だな」
「はい、この街で今お渡し出来る中で一番のやつを連れてきました。ただ……」
「なんだ?」
男性がどこか言いづらそうに言葉を切った。どうしたの? 何か不都合が?
「その、どの馬よりも早くて強いのですが、少々気難しい奴でして……」
「ああ、なるほど」
気難しいって、馬にも性格に違いがあるのね。それって大丈夫なの? 周囲の戸惑いをよそにフィンは馬に近づいて鼻筋を撫でた。馬は大人しく撫でられているし怯える様子もない。呪いを感じ取るかと思ったけれど、大丈夫みたいね。
「どれ」
そう言うとフィンが鐙に足をかけてふわりと舞い上がった。大きな身体なのに身のこなしが軽くて重さを感じなかった。馬も暴れずにじっとしていて、自警団の二人が驚きの表情で見上げていた。
「すげぇ……」
「さ、さすが騎士様ですな。こいつが嫌がらないとは」
どうやらフィンはこの子に気に入られたみたいね。男性たちがしきりに褒めているけれど、気に入られるって何で決まるのかしら? 技量? それとも雰囲気? 呪いで萎縮しているわけじゃないわよね?
「いい馬だな。これでどうだ」
馬から降りたフィンが取り出したのは銀貨十枚だった。金貨一枚分だけど、馬って高いのね。
「こ、こんなに?」
「さすがに多すぎます!」
二人が両掌をこちらに向けて固辞した。相場は知らないけれど多すぎるらしい。
「いや、口止め料も入っているからな。重ねて言うが特命の任務中だ。他言無用で頼む。代金が余ったなら貴殿らの装備にでも使ってくれ」
「は、はい! ありがとうございます!」
二人は深く頭を下げて謝意を示していた。凄いわ、こんな交渉の仕方があるなんて。これならよほどのことがない限り、口外しないわよね。
「じゃ、行ってくれ。ああ、ここに来る途中、さっきみたいな破落戸を何人か見た。警戒した方がいい」
「左様ですか、ありがとうございます」
「ああ。気を付けて戻れよ」
フィンが鷹揚にそう告げると二人は恐縮したまま街へと戻っていった。
「さて、急ぐぞ」
「え? ええ。でも……」
馬は一頭しかいないけれど……そんな私の疑問を他所にフィンが再び馬に跨った。相当乗り慣れているのね。いえ、騎士なのだから当然なのでしょうけれど。
「ほら」
「へ?」
手を差し出されたけれど……何?
「何だ? 乗らないのか? 走って付いてくるならそれでも構わねぇが」
「はぁ? 何言っているの? 馬と並走なんて出来るわけないでしょ?」
「だろ? だったら、ほら?」
ほらって……差し出された手を取ると、あっという間に引き上げられた。突然のことに頭が真っ白になって身体に力が入った。急に触れるのはやめてほしい。あの時を思い出すから……
「おい、暴れんなよ。馬が驚く」
驚いているのは私だし、私より馬の心配なの? 信じられない。だけど、動揺したのは悟られなかったようね。
「だって、急に……」
「行くぞ。ほら」
「え?」
フィンが手綱を引いて馬の腹をけると、あっという間に駆けだした。は、早いわ……それに高い。ちょっと! 怖いわ……!
「フィ、フィン!」
「しっかり掴まっていろよ!」
「つ、掴まるって……どこに?」
「あ? ああ、なかったな。すまない。だったら、これでどうだ?」
いきなり後ろから抱きしめられた。ま、待って……今度こそ身体が強張って背筋が冷えた。だ、大丈夫よ、フィンだもの。だけど……
「フィン、ちょっと……!」
「喋ると舌噛むぞ」
そんなこと言われたら何も言えなかった。心臓が跳ねて居心地が悪い。それが馬のせいなのか、フィンの体温なのかわからないまま揺られ続けた。
どれくらい駆けたかしら? すっかり風景が変わってさっきは東にあった月が真ん中を過ぎて西に傾いていた。馬が速度を落とす。
「ああ、疲れたみたいだな」
どうやら馬がこれ以上走るのを拒否しているらしい。確かにずっと駆けていたから疲れたわよね。フィンは街道の端に寄って馬を下り、そのまま私も下ろされた。ずっと背にあった温もりが消えて春の夜風に肌が粟立つ。まだ朝晩は冷え込むわね。
「どうするの?」
「まずは馬に水を飲ませてやらないとな。ああ、ここで合っていたな」
フィンの視線の先には私でも飛び越えられそうな小さな川があった。手綱を引いて傍によると馬が水を飲み始める。豪快に飲むのね。
「さて、今夜はこの辺で野営するか」
「移動しないの?」
どこまで行く気なのかは聞いていなかったけれど、次の町まで行くのかと思ったわ。
「それでもいいんだが、俺があの街に現れたとなったら探しに来るかもしれないだろう? 暫くは街に寄らずザクサーに向かう」
「それはそうかもしれないけど……呪いを見てからの方がいいわ。こんな呪い、普通じゃないもの」
こうしている間にも呪いが進行しているかもしれない。
「そうは言うが、安全第一だろう?」
「フィンの命の方が大事だわ! 手遅れになったらどうするの? 命に関わるものだってあるのに」
ここは譲れないわ。出会ったばかりだけど仲間なのよ。こんな形で失うなんて耐えられないわ。
「……わかった」
にらみ合いの末、白旗を上げたのはフィンの方だった。よかったわ、わかってくれて。
「そうは言ってもなぁ……その、呪いを見るって、どうすりゃいいんだ?」
「呪いの全貌を解析したいけれど……これだけ複雑だと一日では無理かもしれない。フィンは寝ていてくれても構わないわ。勝手に見るから」
別に対象者が起きている必要なんかないし、動き回らないでいてくれればそれでいいのだけど。
「そういうもんか? よくわからんが、一、二日かぁ……森の中で野営するのはどうだ?」
「野営? でも、見つかったりしない?」
「まぁ、可能性はあるが、旅の者だと言えば大丈夫だろ? 実際、そうやって旅している連中は少なくないし」
なるほど、確かに街道の脇で野営している姿はよく見かけるわ。そこじゃ見つかる可能性もあるし……だったら森に入っても問題ないかしら?
方向性が決まったらフィンと森を歩き回り、崖下の窪地を見つけてそこを寝床にすると決めた。入口は人の背の半分くらいの高さだけど、奥はフィンが立つことも出来る程度には高く、二人が並んで寝られるだけの広さがあった。馬は入らないわね。魔獣除けの結界を張れば襲われることはないかしら? こんな王都の近くに出るとは思わないけれど。
「火は付けずにおくぞ。盗賊が寄ってくるかもしれないからな」
「え、ええ。そこは任せるわ」
こういうことはさっぱりわからないから、夜盗討伐などにも出たことがある彼に任せた方が早いわよね。先に着替えたいというのでさっき買った着替えを渡して洞穴の外で待った。馬がいてくれるから安心だわ。私よりも耳がいいし気配にも敏感だから。
フィンに背を向け、入り口近くの石に腰かけてぼんやりと森を眺めた。真っ暗だけど月が出ているおかげで何となくだけど様子は見えるわ。風に揺られて木の葉が音を立て、時々鳥か何かの鳴き声が響く。怖いとは感じなかった。結界もあるし、フィンも一緒にいるせいかしら。
「よぉ、待たせたな」
「いえ」
後ろからかけられた声に振り返って……目を見張ったわ。そこにいたのはいかにも冒険者風の青年だったから。髪は黒いし手袋もしたままだけど、あの真っ黒な騎士服を脱いだだけで随分と印象が変わるものなのね。
「サ、サイズはどう?」
「あ? ああ、問題ないな」
「ふふ、そうね。よかったわ、これで小さかったら探すのが大変そうだもの」
あのローグの町で一番大きかったのだからこれ以上のものは特注するしかないもの。
「これ、いくらしたんだ?」
「えっと……銀貨五枚?」
「はぁ? 銀貨五枚だと!? ぼったくりじゃねぇか!」
「やっぱり……」
そうだと思ったのよ。足下を見られたのは感じていたわ。
「やっぱりじゃねぇよ。なんでそこで値切らなかった?」
「だって、嫌なら他所に行けって言われて。時間もないし、他の店も開いていなさそうだったから」
「馬鹿か! だったら断れよ」
そうは言うけれど、服がなかったらこれから難儀するじゃない。第一……
「いいじゃない。必要だと思ったのだから。私のお金なのだからどう使おうと怒鳴られる謂れはないわ」




