其之十
――中山峠への道すがら――
早春の冷えた空気を切り裂くように、畠山や大内の手勢が、やいのやいのと野卑な笑い声を上げながら山道を歩を進めていた。
「さぁて、間抜け共の首級は如何ほどの値打ちかのぉ!」
「腐っても伊達が家臣、じゃからのぉ。少しは脂の乗った首が取れらぁ!」
槍や刀を無造作に担ぎ、峠の頂上を目指して浮足立った一行。だが、その物騒な気配が漂う中にあって、ふと足を止めた一人の兵が首を傾げた。
「……時に、その伊達が這々の体で逃げ延びたと教えてくれた百姓共は、どこへ行ったんじゃ? 普通、そう言った耳寄りなことを此方へ教えれば、陣借りしてでも褒美を取らせようものじゃというに」
怪訝な呟きに、周囲の兵たちも「んん? あ〜、そうじゃのぉ〜」と曖昧に相槌を打つ。しかし、その程度の疑問など、目前の戦果に目がくらんだ男たちの脳裏からすぐに消え去った。
「考えすぎじゃて! おおかた……麓のかかぁ共から『いつまでぶらついとるんじゃ、はよ火付け草や松葉を拾ってこい!』とケツを叩かれて、どこかへ引っ込んだんじゃろうて!!」
誰かがそう大笑いして片手でそれを払うと、ほかの者たちも「それもそうか」「逃げ足の早い百姓なぞそんなもんよ」と声を合わせて気楽に頷き合う。
楽観視してあっけらかんと言う兵たち。
その誰もが、目の前に迫る峠道の先が自らを呼ぶ死地であるとは、微塵も疑っていなかった。
そうして峠道を上ることしばし後、先頭を歩いていた兵がふと足を止め、呆けた声を漏らした。
「あ? なんじゃあ……? ……【柵】?」
見上げれば、進むべき峠の道筋を塞ぐように、真新しい木柵が幾重にも組み上げられている。
さらに足元に目をやった別の兵が、声を裏返らせた。
「そ、それに道が泥濘んでおるわ……うぉっ!?」
ベチャリ、と足首まで泥に嵌まり込んだ兵がバランスを崩して転倒する。ただの山道だったはずが、水分をたっぷり含んだドロドロの悪路に変貌していたのだ。
突然の異常事態に隊列が乱れ、前へ進もうとする者たちの足が絡まり、蛇行するようにすぼまっていく。
狭まった道に兵たちが密集し、身動きが取りづらくなったその瞬間――。
頭上から、静寂を引き裂く怒声が浴びせられた。
「おうおうおうおう! 種子島も弓も持たずに良く来たなぁてめぇら!!」
「まったくよ! おぬしら、伊達を舐めておるな!!」
坂の上の土嚢の裏から、源四郎と小十郎が猛然と躍り出る!!
「な!? あの前立ては……片倉小十郎!?」
「伊達が重臣、片倉だと!?」
坂の上から姿を現した猛者の威圧感に、畠山・大内の兵たちは文字通り肝を冷やし、一瞬で顔面を青ざめさせた。
奥州に鳴り響く片倉小十郎の名は伊達の恐怖そのもの。
しかし、その恐怖はわずか数秒で、別の感情へと上書きされることになる。
小十郎の隣…土嚢の影から仁王立ちで睨みを利かせる、もう一人の人物。
その異様な装いに気づいた瞬間、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
「って……プッ! なんじゃあの傍らの童は! あっはっは!」
「なんじゃあ! あの【地味】な出で立ちはぁ! だっはっは!」
皆揃いも揃って、源四郎の出で立ちを指さして大笑いする。
彼らの目に映っていたのは、派手な陣羽織や家紋の描かれた具足など一切なし。
草木染めの地味なオリーブドラブ一色で統一された、戦国の常識から完全に外れた【特務隊服】だった。
「…………………………………………………………あ゛?」
耳を劈く敵の爆笑の声。
泥濘と柵で動きを封じたカモどもに向かって威勢よく啖呵を切った手前、まさかの「服装の地味さ」でイロモノ扱いされたことに対して、源四郎の血管が激しく脈打つ。
これには、さすがの源四郎も怒り心頭である。
(あ〜、言こうてしもうたのぉあ奴らめ……わしゃ知らんぞ?)
坂上の土嚢の裏、まさに戦闘の火蓋が切って落とされるその直前。
数歩引いた位置から形勢を見守っていた頼綱は、源四郎の背中から立ち上る殺気を感じ取り、フッと乾いた笑いを漏らしながら大げさに肩をすくめた。
(あっちゃ〜……兄様、キレてるぅ)
そのさらに後ろ、高台での物見を終えて陣地へ戻ってきた源十郎もまた、冷や汗を拭いながら心の中で密かに合掌する。
見た目の地味さを笑われた程度で、ここまで沸点が跳ね上がる男が一体誰の血を引いているのか、それを一番よく知るのは他ならぬこの義弟自身である。
泥濘と柵に足をすくわれ、ただの「間抜けな鴨」のつもりで笑い声を上げていた畠山・大内の兵たち。
しかし彼らは、図らずも死地へ誘い込まれただけでなく、今この瞬間、決して踏んではならない【猛虎の尾】を豪快に踏み抜いたのだった。
「げんじゅうろおおおおおおおおお!【転龍】よぉおおおおおい!このバータレ共に地獄見したんぞぉ!!!」
頭に血が上りきった源四郎の怒号が、中山峠の木霊を切り裂くように響きわたる。
「…………りょうか〜い(はぁ〜、ホントに堪忍袋の緒が切れやすいんだから)」
キレたら誰にも止められない兄の気性を嫌というほど知っている源十郎は、呆れたような、しかしどこか諦めを含んだため息をつきつつも、即座に戦闘態勢へと移行する。その動きに迷いはない。
「【転龍】用意! 導火線は………ひとまずこんくらい!」
懐から引き抜いた短刀で、据え置かれた竹筒製焙烙火矢【転龍】から伸びる導火線をスパッと的確な長さで切り詰めてみせる。
「了解!!」
源十郎の指示を受け、控えていた配下たちも一斉にいそいそと動き出し、それぞれの【転龍】の導火線を次々と手際よく調整していくのだった。
「なんだぁ!? 奴ら何ぞ動き出したぞ!!」
「坂の上に陣取られとる以上こちらが不利じゃ!! 攻めるしかないぞ!!」
「だぁああ! 押すなバカモン!!」
源四郎たちのただならぬ気配を察知し、慌てて攻め入ろうとする畠山・大内の手勢。しかし、そこには計算し尽くされた障害が立ちはだかっていた。源四郎の厳命によって土中深く頑丈に打ち込まれた【柵】はビクともせず、泥濘と狭まった道に阻まれた一行は、押し合いへし合いでもみくちゃになり、一歩たりとも前に進めない。
「はっ! バカがよぉ!! 者共、準備よいかぁ!?」
「準備よし!!」
怒気を含んだ源四郎の問いかけに、配下の精鋭たちが声を揃えて応じる。
「良し! なれば小十郎様、土嚢の裏へ!!」
「うむ! 任せたぞ源四郎!!」
小十郎は瞬時に事態を把握し、源四郎の指示通りに素早く土嚢の物陰へと身を翻す。
それと同時に、【転龍】を抱えた手勢が前線へと飛び出し、源四郎たちも土嚢の裏へと万全の体勢で身を潜めた。
「各員! 【転龍】、着火!」
「着火ぁ!」
ジジジッ、と静かな音を立てて、火種から【転龍】の導火線へと赤い火花が這い上がる。
「全員……投擲ぃ!!」
「とうてきぃいいいいい!」
放たれたのは、戦国の常識を粉砕する死の竹筒。
ゴロゴロと音をたて、地獄の業火を孕んだ【転龍】の群れが、密集する敵の頭上へと一斉に投げ下ろされた!
「なっ!? 竹筒っ!?」
「この期に及んで竹筒じゃと!?」
「ただの竹筒な訳がなかろう! あれは……」
「「「焙烙………っ!!」」」
投げ込まれた異様な代物を目撃し、畠山・大内の兵たちが青ざめ、声を交わした刹那………
ドォオオオオオーンッ!!
【転龍】が炸裂する。
それはまるで【死を撒き散らす獣の咆哮】の如き、腹の底を抉るような凄まじい轟音。
爆風と共に視界が赤黒い炎と硝煙で塗りつぶされ、密集していた敵兵たちの断末魔が中山峠の空に幾重にも重なって響き渡る。
「ぎぃやぁあああああああ!」
「どわぁああああああああ!」
「あああああああああああ!」
「おっかぁ! おっかぁあああ!」
命が散る。
泥濘と柵に阻まれ逃げ場を失った肉体が、あまりにも簡単に、無惨に引き裂かれていく。
土嚢の裏からその凄惨な地獄絵図を見据えながら、小十郎は今、改めて背筋を凍らせるほどの戦慄を覚えつつ……同時に、揺るぎない確信を胸に刻み込んでいた。
(この者が……源四郎が! 伊達におる限り、我らに負けはない……!!)
――その頃――
――陸奥国、小高城――
「なに? 【真田】からの使者、だと??」
城内にて、もしもの時に備え武具の手入れや兵糧の確認など、慌ただしく戦支度に勤しんでいた相馬義胤の手がピタリと止まる。
耳に飛び込んできたまさかの名前に、義胤は険しい表情で振り返った。
「はっ! その者【真田信尹】を名乗っており……」
息を切らして駆けつけた門兵からの知らせを、側近たる胤治が緊張を帯びた面持ちで義胤へと告げる。
(この折に【真田】からの使い……十中八九、かの三男坊、源四郎の使いか)
脳裏に浮かんだのは、ただの若造の枠にとどまらず、いまや奥州の勢力図を根底から揺るがしつつある規格外の男の名。
義胤は鋭い眼光を走らせながら、胸中でその存在を静かに噛み締める。
「どうされます殿?……斬りまするか?」
胤治が腰の刀の柄に手をかけ、低い声で問う。
しかし義胤は鋭い視線を投げたまま、ピシャリと首を横に振った。
「………馬鹿をぬかせ。【真田】は【佐竹】とも結んでいると聞く。そんな国衆の使いを斬ったとなれば、向こうに【佐竹】共々この陸奥を攻める口実を与えるようなものぞ? ひとまず通せ」
胤治を制し、義胤は厳かにつぶやく。
無論、真田と佐竹の同盟が主に対北条を視野に入れたものであることくらい、相馬家の当主として見抜いていた。
だが……
(確かに此度の【信尹】なる使者は源四郎から遣わされた者であろうが…その後ろに控えるは海千山千、【武田が謀将】と語られる真田安房守……。下手に藪を突付こうものなら、丸ごと飲み込まれるのはこちら、か)
老獪な真田の謀略家の影を源四郎の背後に見出し、義胤はわずかに奥歯を噛み締める。
虎の尾を踏むような真似はできぬ。
そう自らを戒めながら、使者を迎え入れるべく姿勢を正すのだった。
そしてしばし後…
張り詰めた緊張感が漂う謁見の間。
静まり返った厳かな空気の中、陣羽織姿の威厳を纏った義胤が、重々しい足取りで信尹の前に現れた。
「……相馬長門守義胤である」
低く底冷えのするような義胤の声が、広間に響き渡る。
しかし、相対する信尹は微動だにせず、ただ悠然と深々と頭を垂れた。
「お初にお目にかかりまする、義胤公。手前、信州信濃は小県が国衆、真田安房守が家臣、真田信尹にございまする」
相馬家の当主が放つ圧倒的な威圧感にも一切臆することなく、淀みなく告げられる端正な声音。
武田に真田ありとの誉れ高き真田家にあって、数々の修羅場を渡り歩いてきた百戦錬磨の男。
流石は真田が誇る謀略の外交役、その佇まいには隙すらない。
「して……信濃が国衆の使いが、この陸奥、奥州へ何の用があると?」
値踏みするかのように信尹をじっと見据える義胤。
その瞳の奥底には真田、いや……今や奥州の勢力図を根底からひっくり返そうと暗躍する真田の三男坊・源四郎の影を鋭く捉えようとする、静かな、それでいて冷徹な意思が宿っていた。
相馬の当主が放つ圧を全身で受け止めながら、対する信尹も一歩も引かぬ不敵な笑みを貼り付けたまま答える。
「なれば早速……此度の【会津国衆合議連】、彼奴らへの後ろ盾をやめていただきたく……いや、やめさせるべく馳せ参じた次第にござりまする」
その信尹の言を聞いた途端、ピキッと空気が凍りついた。
そばに控えていた隆胤が、怒りのあまり鬼のような形相で一歩前に踏み出す!
「きっさまぁ! たかだか信濃の国衆の使い風情が、この奥州の采配に口を出すかぁ!」
「頭が高い! 殿、やはり此奴、その場で首を刎ねてくれましょうぞ!!」
さらに胤治も隆胤に続けとばかりに腰の刀へ手をかけ、殺気をみなぎらせる。
相馬の重臣たちの猛る怒号が謁見の間に木霊した。
「落ち着かぬか、隆胤! 胤治!」
だが、義胤は微動だにせず、鋭い一喝で二人の家臣を冷静に諌める。
「申し訳ないな、信尹殿。だが……」
信尹に軽く詫びの意を示しながらも、義胤はさらに鋭い眼光をその顔に突きつける。
「それほどの言葉を吐くと言うのであれば……そちらに、いや【真田】には何ぞ【策】の一つでもあるのか?」
続けざまに投げかけられる、当主からの容赦ない問い。
だが、信尹は臆するどころか、むしろあっけらかんとした涼しい顔で言い放った。
「【策】? これはこれは奇妙なことを聞かれますな、義胤公。………そんなものは、ございませぬ」
「「「なっ……!?」」」
途端に驚愕の声を漏らす義胤、隆胤、胤治の三人。
よもや、一国一城の主であり奥州に覇を唱える名門・相馬家を相手取り、無策で交渉に訪れる不届き者があろうとは。
絶句する彼らの反応をよそに、信尹は口元に不敵な笑みを深く刻み込んで続ける。
「ですが……。それがしは、世に言う【策】など足元にも及ばぬほどの大物を……我が兄・昌幸の【策】すらをも軽く超える【傑物】を知っておりまする」
言葉を区切り、信尹は悠然と見得を切る。
「それも……【真田の身内】に」
その信尹の不敵な物言いと、その裏に隠されたただならぬ気配に、義胤は思わず背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
一瞬の静寂ののち、義胤は引き締まった声で鋭く問い返す。
「それは……その【傑物】とは、今や会津は向羽黒山界隈を騒がせ、奥州の均衡を揺るがす……あの伊達の新たな家臣たる貴殿の甥のことか?」
「如何にも。我が甥、真田源四郎にございまする」
信尹は微動だにせず、まるで天気の話しでもするかのような涼しい顔で頷いてみせる。
その瞬間、相馬家の中枢である謁見の間は、さらなる重苦しい緊張感に包まれた。
策に頼らずとも、ただ一人の圧倒的な存在……
それだけで天下を揺るがすと豪語する、真田の血を引く規格外の化生。
こうして、奥州の名門・相馬家を舞台に、信尹による【源四郎】という名の核弾頭のプレゼンテーションが、静かに、そして強烈に幕を開けたのだった。
――話は戻って――
――中山峠近郊――
「かぁ〜! 口ほどにもねぇなぁ、畠山と大内の連合軍てなぁよぉ! 見ろよじーちゃん、小十郎様! あっと言う間に死屍累々だぞ!!」
眼下に広がる下り坂。
爆発の煙が未だ立ち込める中、【転龍】の直撃を受けて無残に山となった敵兵たちの亡骸を指差しながら、源四郎は頼綱と小十郎に向けて快哉を叫ぶ。
「言うてやるな、源四郎。伊達を……いや、お主をみくびった輩の、当然の報いじゃて」
頼綱がフンと鼻を鳴らして肩をすくめれば、小十郎は手綱を締め直しながら、鋭い眼光を前方へと向けた。
「うむ、頼綱老の言うとおりぞ。さて、源四郎。いつも通り亡骸の回収と行きたいところだろうが……此度はそのような暇はないぞ?」
小十郎のその言葉に、源四郎は表情を引き締める。
源四郎の戦が常法。
すなわち、敵の骸を回収し、古土法を用いて硝石を取り出すという、あの禁呪とも言える手法。
それを言い出さないかと、小十郎が先回りして釘を刺したのだ。
「分かっております、小十郎様。今はひとまず安子島城を我が手に収めるのが最優先! 者共、足元の亡骸を踏み越えてゆくぞぉ!!」
「「「「おおおおおおおおっ!!」」」」
源四郎の号令に合わせ、源四郎と伊達の手勢が凄まじい気魄の鬨の声を上げる。
躊躇なく畠山、大内の手勢が亡骸を踏みしだき、あるいはその脇を駆け抜けて、次なる目標…安子島城へと向けて、源四郎一行は怒涛の進撃を開始するのであった。
――再び小高城――
「「ば、馬鹿を申すな! この騙り者めが!!」」
「…………」
静まり返っていたはずの謁見の間に、隆胤と胤治、二人の重臣による怒号が激しくこだまする。
「そなたが甥、源四郎は、かの【島津】と懇意!? その島津から譲り受けた硝石を用いて、要害・向羽黒山城を落としただと!? 嘘も休み休み言わぬか、このうつけがぁ!!」
床板を叩かんばかりの勢いで激昂する隆胤。
無理もない。
東国の片隅にある信濃の国衆たる真田から見ても、九州の猛威たる島津家は遥か遠方の異界。
しかもただ交渉しただけでなく、あの「薩摩の鬼」たちと親交を結び、さらには彼らの硝石を仕入れて近代兵器の如き火薬の源にしているなどと言われて、すんなり信じられる者がいるはずもなかった。
一国一城の主とその重臣を前に、どこまでも不敵な顔を崩さない信尹。
だが、相馬家の怒りと困惑が最高潮に達したその時、義胤だけは静かに目を細め、信尹の言葉の真意を探るようにじっと見据えていた。
そして、静まり返った広間に、重々しい義胤の声が響く。
「隆胤、胤治。そのくらいにせぬか」
「「殿!?」」
(ほぅ……)
主君の意外な一言に驚愕する二人の重臣と、対照的に余裕の笑みを崩さない信尹。
「殿! この者の戯言をそのまま信じると申されますか!?」
「そうですぞ殿、こんな荒唐無稽な話……!」
「落ち着かぬか、お主ら」
家臣たちの制止を片手で軽く退ける義胤。
「……九州の事は、ここ陸奥の地まで届いておる。無論、島津家の破竹の勢いもな。……! なるほど。信尹殿?」
何かに感づいたように、義胤は信尹の目を射抜くように見やった。
「なんでしょう、義胤公?」
「もしや源四郎めは、島津に対して何らかの【術】をもたらしたのか? そう……【火薬、硝石を湯水の如く使える術】を、な。そうでなくては、あの島津の異常なまでの軍勢の勢いも、他家にまで硝石を融通できるという奇妙な事実も、一切の説明がつかぬ」
流言飛語が飛び交う戦乱の奥州で、一国の国主として数多の修羅場をくぐり抜けてきただけのことはある。圧倒的な洞察力で、義胤は事の真相の核心へと肉薄した。
的確すぎるその推論。
だが、真田の外交官――信尹は少しも動じない。むしろ不敵にほくそ笑み、静かに、しかし力強く一言を落とした。
「……いかにも」
「「なっ!? 【火薬や硝石を湯水のごとく使う術】とな……!?」」
隆胤と胤治の二人は、もはや息を飲むことすら忘れ、驚愕と共にその場へ凍りついた。
鉄砲の生命線でありながら、国内ではごく一部の地域でしか採れず、基本的には海外からの莫大な輸入頼みであった「硝石」。
その常識を完全に覆し、自ら調達(産出)する。
しかもそれに飽き足らず、遠く離れた島津にも同じように、事もなげに実践させ足りない分は融通させるなど……
戦国の世においてどれほどの圧倒的アドバンテージ(優位性)を持つか。
一国の武将であれば、その意味するところの恐ろしさは痛いほど理解できた。
義胤は冷や汗を一筋流しながらも、真っ直ぐに信尹を見据えて確信を込めた低い声を絞り出す。
「なれば信尹殿……。われら相馬が、かの【会津国衆合議連】への後ろ盾をやめねば……その源四郎の作り出す恐るべき火薬が、この陸奥の地にて我らに向かって炸裂すると、そう脅すか?」
「いやはや、話が早くて実に助かりまする、義胤公」
信尹はどこまでも不敵に、余裕の笑みを深めて言い放つ。
その表情には、すでにこの大一番の交渉を完全に掌握し、勝利を確信した光が宿っていた!!
「殿! ここはこやつめをひっ捕らえ、真田、ひいては件の源四郎なる小童めを奥州から引かせましょうぞ!」
「そうですぞ殿! 隆胤の言う通り!! このまま源四郎、ひいては伊達めの好きにさせては……下手をすれば、この陸奥の地は一木一草も残らず焼き尽くされましょうぞ!!」
焦りに焦り、恐怖と怒りに駆られた隆胤と胤治が前のめりに詰め寄る。
だが、そんな二人の剣幕を、信尹は微塵も動じぬ笑みで受け流した。
「ほぅ、それがしを捕らえられるか? どうぞ、好きにされるがいい。だが……」
信尹はゆっくりと周囲を見渡し、凄みの効いた低い声を響かせる。
「それがしが幾日も経っても向羽黒山、もしくは源四郎や政宗殿がその窮地を救うであろう三春城に戻らぬ時は……その時はあらかじめ、源四郎めに『小高城を根こそぎ攻め潰せ』と申し付けてある。それでも……それがしを捕らえまするか?」
「「なっ……!?」」
「……………………」
あまりの不敵さに、隆胤と胤治の息がピタリと止まる。
義胤もまた、信尹の放つ底知れないプレッシャーに圧倒され、険しい表情のまま押し黙った。
もちろん、これは信尹が仕掛けたハッタリに過ぎない。
冷静に考えれば、自身が捕らわれた敵城を味方が攻め立てるなど、文字通り「人質を自ら殺してくれ」と懇願しているようなものだ。源四郎がそんな無茶な攻城戦をするはずもない。
しかし、信尹の纏う雰囲気には、そんな裏の裏まで読み切らせぬほどの狂気と確信があった。
まるで【すべての覚悟はすでに決まっている】と言わんばかりの毅然とした風体が、相馬の中枢を完全に沈黙へと追い込んでいくのだった。
「……………………相分かった。【相馬】は【合議連】への後ろ盾をやめよう」
「「殿っ……!?」」
隆胤と胤治が血相を変えて制止しようとするが、重い沈黙を破って口を開いた義胤の眼光は、一切の迷いを断ち切った当主のそれだった。
「元より此度の【合議連のうしろ盾】なぞ、我らに特段の利などない。それよりも、この陸奥の地と一族の安堵を守り抜く道を選ぶのが必定よ」
目先の意地や損得に囚われず、一国の主として冷徹に大局を見極める決断力。それが相馬義胤の器量であった。
ふぅ、と息を吐いた義胤は、まっすぐに信尹を見据えて条件を突きつける。
「なれば信尹殿、源四郎伝いに政宗めに伝えよ。【相馬】は【合議連】の背中を押すのをやめ、静観を決め込もう。だが一度は後ろ盾となったゆえの義理立てとして、各出城は【合議連】の者どもに貸し与えることとする。そして…………万が一にも伊達が相馬を直接狙いし時は、いかに真田の、島津の硝石があろうとも、全力で迎え撃つ! とな」
「…………承りました。義胤公のその御言葉、しかと政宗殿、および源四郎へと伝えましょう」
信尹は深く、そして完璧な作法で一礼する。
表向きは相馬の意地を通し、裏では見事に敵の包囲網の一角を崩してみせた外交の妙。
謁見の間を辞した信尹は一人、腹の底で痛快な笑みを噛み殺していた。
(さぁ、源四郎……。我が外交の調略は、見事に成ったぞ。お前が仕掛けるその泥臭くも狂った戦術で……三春の畠山、大内を一網打尽に打ち負かしてみせるがいい!)
――その頃――
――安子島城――
瞬く間に制圧を完了させた安子島城の城内。
「皆、搬入急げよ! 政宗様と藤五郎様たちは今頃二本松を突破して、【郡山】に迫っててもおかしくねぇぞ!! なるべく身軽にしとけぇ! 【郡山】の連中の横っ腹、ぶち抜くことだけに注力すっぞ!!」
城内を駆け抜けながら、気炎を吐く源四郎の大きな声が響きわたる。
「「「「「分かりました、源四郎様ぁっ!!」」」」」
その檄に応える伊達の精鋭たちの声には、直前の勝利の勢いと、次なる戦場への尋常ならざる殺気が満ち満ちていた。
合議連のうしろ盾たる相馬が信尹の交渉によって崩れ去ろうとは知る由もない。
だが、そんな外野の思惑などどこ吹く風とばかりに、源四郎は自らが持ち込んだ近代の理と狂気を武器に、次なる標的……
郡山へと牙を剥くべく、爆速で進軍の支度を整えていく。
そんな折、中山峠方面の街道から、砂塵を巻き上げながら響き渡る必死の声が木霊した。
「お頼みもぉおす! 伊達の皆様方、お頼みもぉおおす!」
「んぁ?」
「おぉ? 源四郎〜、なんぞ【上杉】の旗を掲げた荷車引いた者共が、こっちに向かってきよるぞ?」
城内の慌ただしい空気を切り裂くように飛んできたその報せに、いち早く気づいた頼綱が指差した先を、源四郎は鋭い視線で見据える。
「【上杉】……まさか!?」
脳裏をよぎるのは、春日山にて啖呵を切った相手たる景勝か、あるいは山城守か………
いや、それ以上に…
「まさか、兄様からの……っ!?」
そうして、砂塵を上げて近づいてきた一団を前に、源四郎はスッと一歩前に出て手を挙げた。
「伊達家家臣、真田源四郎にありまする。見たところ……皆様方は上杉家の御用商人とお見受けするが?」
警戒の色をわずかに含みつつ問いかける源四郎に、先頭の商人は深々と頭を下げ、顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「はっ! 此度はあなた様の兄君、源次郎様たっての強いご要望により、越後の兵糧……上質の米に干し飯、塩引鮭に山盛りの味噌樽を取り揃えてお届けにあがりました! どうぞお納めくだされ!!」
「おおおおお……!」
商人の言葉に、源四郎はガッと荷車へと歩み寄る。
幌が捲られ、そこに積まれていたのは、今の補給線が伸びきった陣営にとって喉から手が出るほど欲しい山積みの兵糧の山。
「……っ! 離れていても、流石は兄様、痒いところに手が届くな! ありがてぇぜ!!」
軍の維持には欠かせない一級品の物資の数々に、源四郎は心底嬉しそうな笑みを浮かべ、大きく頷いた。
が!
その喜びの絶頂から、次の瞬間。
商人の放った一言によって、源四郎の表情は完璧に凍りついた。
「あ、それとお代のほうは、『全額、上田の実家(真田本家)の帳面にツケておけ』と仰せ使っておりまする」
「え゛」
乾いた声が源四郎の喉から漏れる。
途端、源四郎の脳裏にフラッシュバックしたのは、故郷信濃の山よりも高く、越後の海よりも深い恐怖の光景。
そこには、恐ろしいほどの鬼の形相で仁王立ちし、赤々と湯気を立てながら血管を浮き上がらせる長兄・源三郎の姿があった。
『げんしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 貴様ぁあああああ!! また勝手に帳簿の辻合わせを私に押し付けたなぁあああああああ!!!』
脳内で完全に響き渡る、長兄のブチ切れ絶叫。
戦場の殺気とはまた違う、理不尽なまでの実務の絶望が、歴戦の猛者・源四郎の背筋を凍らせるのだった。
「あ〜あ、また上田に帰った時の兄上のカミナリのタネが増えちゃったよ。もぅ! 源次郎兄様ったら!」
源四郎の後ろで、同じく長兄の怒りと言うとばっちりを喰らう羽目になる源十郎が、頬を膨らませて不貞腐れ気味にぼやく。
「ははは、そう言ってやるな源十郎。源次郎殿も、遠く離れた地で暴れ回るおぬしら末弟たちが心配でならんのよ。手段は少々荒いがな」
苦笑しながら源十郎をたしなめる小十郎。
その言葉に「は〜い」と気のない返事をしつつ、源十郎はまだ頭を抱えている源四郎の元へと小走りで駆け寄っていく。
その兄弟のやり取りを背に、小十郎は一人、感慨深げに目を細めてごちる。
「いやはや……真田の兄弟の【絆】、実に良きかな、良きかな。……政宗様、我ら伊達家はとてつもない【宝】を得たかもしれませんな。そう、【真田家との縁】という、天下を揺るがす最高の宝を!」
戦火のまっただ中でありながら、どこか軽妙で、それでいて底知れぬ実力を秘めた真田の血筋。
伊達の躍進を支える最強のピースが、ここに完全に噛み合った。
かくして戦局は次なる舞台、三春を包囲する敵本陣。
その最大の防衛ラインを粉砕する…
【郡山突破戦】へと雪崩れ込んでいく!!!
久々の更新となりましてすみません!
さて、次なる戦場は郡山!
源四郎の大暴れは続きます!!
次回を刮目して待て!!




