其之九
――旧砲迫陣地での密談よりしばし後――
――向羽黒山城、郭内――
向羽黒山城の一角に、源四郎の呼びかけで主要な面々が集められていた。
傍らには、信尹、小十郎、頼綱といった猛者たちに加え、源十郎にしの、そしてみおも好奇心を抑えきれない様子で控えている。
「源四郎様? 今度は一体どんな武具を?」
キョトンとして問いかけるみおに、源四郎は手元に用意させた何本かの青竹を見せながら、悪戯っぽく笑った。
「ん? なぁに……ただの【爆ぜる竹筒】だよ、みお」
周囲の空気がわずかにざわつく。
信尹は「ほう」と目を細め、頼綱は「また竹筒か!」と毒づきながら、源四郎の意図を測ろうと鋭い眼光を注ぐ。
源四郎の足元には、中身をくり抜き、工夫を凝らした火薬と鉄片(鉄錆や釘の類)を詰めた「筒」が並んでいた。
ただの竹ではない。
それは、戦場の常識を塗り替えるための、源四郎が新たに設計した戦術兵器の雛形。
「いいか、これは戦のあり方を変える。……では皆様少しお騒がせしますよ、っと!」
源四郎は周囲の緊張をよそに、至極当然のことのように、その【爆ぜる竹筒】の導火線に火を灯した。
静まり返る郭内。
その先に待ち受ける破壊の光景を、誰もが息を呑んで見つめていた。
「さぁ各々方!土嚢の裏手へ!!」
源四郎が予め積んでおいた土嚢の裏手、退避所へ皆を促す。
そして着火からいくらか経つと…
ドォーーーン!!
乾いた破裂音とともに、凄まじい衝撃波が城内を駆け抜けた。
土嚢を積んだ待避所が微かに揺れ、土煙が舞う。
砂煙が収まり、皆が恐る恐る顔を出すと、そこには目標としていたかかしが無残な姿で転がっていた。
木偶の胸板は破砕され、無数の鉄礫が貫通し、原型をとどめていない。
「ほぅ……竹筒に縦の切れ込みを入れ、中に鉄礫と火薬を詰め込み、反対側の節を漆喰で強固に固め…竹の外殻を荒縄でギチギチに締め上げたのはこの為、か」
信尹が興味深そうに近づき、吹き飛んだ竹の破片を拾い上げて感嘆の声を漏らす。
単なる爆発ではない。
縄の締め付けが、爆風の逃げ場を制限し、鉄礫を四方八方へ散弾のように撒き散らす「飛散兵器」へと昇華させていた。
「えぇ叔父上! これを中山峠から下って郡山まで続く下りの途上、【合議連】の奴らがこの向羽黒山城への睨みを利かせるべく籠っているであろう…安子島の城を落とすのに使うのです! 郡山までは緩やかな下り坂が続きます故、これを転がすもよし、あるいは敵の陣列に向けて投げつけるもよし……坂の勢いとこの爆発力が合わされば、畠山・大内の兵など赤子も同然!」
源四郎は郡山の険峻な地形と、そこに築かれた防衛網の弱点を指し示し、胸を張って言い切る。
「下り坂を活かした火薬の散布、か。……こやつめ、戦場の高低差をこうも殺意に転換するとはな」
小十郎は呆れを通り越し、感心したように源四郎の肩を叩いた。
その目は、この【竹筒】がこれから郡山の地で引き起こすであろう「惨劇」を、既に冷徹に見据えている。
「なれば源四郎、この【筒】の名は?」
小十郎の問いに源四郎は指を突き立てて宣言した。
「転がる龍……【転龍】でありまする、小十郎様!!」
その脳内では…
かの猛々しい入場曲が、サ●ダース●ームが鳴り響く。
黒いリングシューズで大地を踏みしめ、リングへと向かうあの滑舌の悪い名レスラーの姿を重ね合わせ、目を輝かせる源四郎。
その源四郎の姿に、小十郎はふっと笑みをこぼす。
「転龍、か。……良い名だ。ただの竹の筒が、郡山の坂を駆け下り、敵陣を焼き払う龍となるか」
源四郎はニヤリと笑うと、再びその破壊的な兵器を手に取った。
その表情は、冷徹なる指揮官そのもの。
郡山の地を、自身の思い描く盤面に変えてみせるという決意が、その瞳に宿っている。
「小十郎様、これの量産を急ぎましょう。安子島の敵兵を殲滅するのは勿論、政宗様と足並みを合わせ郡山を叩かねばなりませぬゆえ!!」
源四郎の言葉に、小十郎が不敵に頷く。
真田の軍略と、伊達の武力が一つに重なり、転がる龍の伝説が、今この地から始まろうとしていた。
――翌朝――
――向羽黒山城、城門下広場――
夜明けと共に向羽黒山城の広場には1200の将兵が集結していた。
源四郎の率いる留守居を除いた700の兵と、小十郎配下の500。
源四郎は馬上に跨り、整列した兵たちを見渡す。
「みんな! かつての主家……かも分からん会津の国衆に弓引くのは気が引けよう! だが……」
言いかけた時だった。
源四郎の言葉を遮るように、隊列のあちこちから野太い声が上がった。
「源四郎様ぁ! それは今更、いいっこなしですぜ!」
「おぅさ! 俺たちゃあ一度真田の土になった命、骨まで埋める覚悟はとっくに出来てますぜ!!」
「そうよ! 奥州で細々と畑を耕し、わずかな米や粟、稗に縋って年貢を納めてた頃に比べりゃあ……ここ(真田)は天国だぜ! 畑耕す以外にも仕事があって、それやってりゃ賃金だってくれるしよぉ!」
「住むところまで面倒みてくれて、おまけに女房たちにも手仕事を与えてくれる……こんな恩義、命張らなきゃ罰が当たるってもんですぜ!!」
元・蘆名兵たちの口から溢れ出たのは、偽らざる本音だった。
貧困と不条理に喘いでいた彼らにとって、真田の統治はまさに生きる希望そのものだったのだ。
その光景に、源四郎の傍らで頼綱と信尹が深く頷き、目を細める。
二人にとって、民がこれほどまでに忠誠を誓う姿は、何よりの誉れであった。
そして源十郎は、瞳を輝かせて兄の顔を覗き込んだ。
「兄様!……兄様のやってきたこと、間違いじゃなかったんだね!!」
嬉々として問いかける弟に、源四郎はふっと顔を綻ばせ、力強く頷く。
「そうだな! こうやって皆が笑って……戦なんてなく、楽しくやれる世を、俺たちの手でとっとと作りてぇもんだな!!したら………出陣前にいっちょ【鬨上げ】だぁ!声出せぇえ!!」
源四郎の言葉は、1200の兵の胸に深く刺さった。
それは単なる指令ではなく、彼らが目指すべき「新しい明日」への羅針盤だった。
そして【鬨上げ】の号令に応える兵たち。
「「「応おおおおおおおおおおおおおッ!!」」」
大地を揺るがすほどの雄叫びが、向羽黒山城の空に響き渡る。
【田村家救出】。
その戦いの火蓋が、確かな熱量を持って切って落とされる。
そんな微笑ましくも勇ましいやり取りの最中、みおが源四郎の馬に歩み寄り、静かに声をかけた。
「源四郎様」
「おぅみお。此度の戦は、これまで以上に激しいものとなるだろうけど……必ず無事に戻ってくる。留守は任せた!」
源四郎はいつもの自信に満ちた笑みを浮かべ、馬上で軽く手綱を叩く。
みおは深く一礼し、その凛とした眼差しをまっすぐ源四郎に向けた。
「はい。……御武運を、無事のお戻りを心よりお待ちしております」
多くを語らずとも、互いの心には確かな信頼と絆が通い合っている。
その様子を少し離れた場所から眺めていた信尹が、ふと口元を緩め、二人の元へと歩み寄ってきた。
「ふっ、幼き頃より見てきたが……やはりお主ら二人は仲睦まじいな、源四郎、みお」
その眼差しは、冷徹な外交役としてのそれではなく、戦場へと赴く甥と、それを見送る妻を温かく見守る、一人の家族としての優しいものであった。
「ははっ、叔父上にそう言われると照れますな」
「ふふっ、信尹様ったら。……源四郎様は、私たちが帰りを待っている場所があるからこそ、決して無茶はなさいませんよね?」
みおの控えめながらも確信に満ちた言葉に、源四郎は少し気恥ずかしそうに鼻をかく。
「へいへい、心得てるよ。……いつの間にか守るべきものが増えちまったからな」
戦の足音が近づく緊迫した陣中において、そこだけがまるで春のような柔らかな空気に包まれていた。
だが、再び正面を向いた源四郎の顔からは先ほどまでの穏やかさが消え去り、敵を狩るための冷徹な【指揮官】の表情となっていた。
「ふっ、その意気や良し。なればそれがしは急ぎ【相馬】が元へ急ぐとしよう」
信尹は源四郎の面構えに【必勝の念】を確かに見た。
この男ならば田村家の窮地を救うだけに留まらず、東北の勢力図そのものを塗り替えかねない。
信尹は短く頷くと、翻る陣羽織と共に相馬への使者として、そして調略の要として馬を駆った。
「はい! お任せ致しましたぞ叔父上! では……全軍、前進せよ!!」
源四郎の声が戦場にこだまする。
1200の精鋭たちは、源四郎の背中を追って一斉に踏み出した。
大地を鳴らす蹄の音、錆びついた鎧の擦れる音、そして高揚する兵たちの吐息。
「おおおおおおおおお!!」
その鬨の声は、安子島城の方角へと突き抜けていく。
向羽黒山城を背に、源四郎は手綱を握り直す。
その馬の背には、あの【転龍】の予備がいくつもくくりつけられていた。
「(まずは安子島。畠山、大内の連中が顔面蒼白になるまで、地獄の坂道を楽しませてやる……)」
真田の三男坊が仕掛ける最初の一手。
その行軍は、ただの移動ではない。
郡山の要衝を攻略し、愛姫様の実家を守り抜くための、歴史を歪める「修羅の進撃」であった。
こうして、源四郎率いる向羽黒山城の手勢は、最初の目標たる安子島城への前進を開始したのであった。
――その頃――
――陸奥国、小高城――
重厚な空気が漂う広間にて、相馬義胤はその鋭い眼光を眼前の二人の重臣へと向けていた。
「隆胤、胤治」
「「はっ」」
義胤の呼びかけに、弟の隆胤と側近の江井胤治が即座に平伏す。
「三春攻めはどうなっておる?」
胤治が手慣れた手つきで三春周辺の地図を広げ、声を張り上げる。
「はっ! 畠山、大内の兵により三春城は完全に包囲、退路は遮断されておりまする。田村の家中は動揺を隠せず、もはや籠城の体裁を整えるのが精一杯。盤石でございます!」
「ふむ……」
義胤は低く頷き、次に隆胤へと視線を移す。
「隆胤、政宗めの動きは?」
「はっ! 伊達本隊を率いて二本松近郊へ南下。早ければ明日にも当地へ圧力をかけてくる算段かと。物見より確かな一報が入っておりまする!」
隆胤の回答は淀みなく、現状の情勢判断も極めて正確であった。
三春城を喉元まで追い詰め、政宗の動きさえも掌の上で掌握している。
一介の領主であれば、この現状に勝利の美酒を予感し、頬を綻ばせるところだろう。
しかし、義胤の表情には微かな曇りがあった。
海千山千の戦場を生き抜いてきた彼にとって、今のこの盤石な情勢ほど不気味なものはない。
義胤の目は、三春でも二本松でもなく、遥か西…向羽黒山城の方角へと向けられていた。
「……畠山と大内。そして【会津国衆合議連】。彼奴らも盤石と言うておるが、何か胸騒ぎがしてならぬのだ」
義胤は地図をなぞる指先を止め、呟くように言った。
「真田の三男坊……源四郎とかいう童。元服もまだだと言う小倅が見たこともない火薬術で蘆名を葬ったと聞くが……その話が本当ならば大人しく黙っているはずがない」
そんな主君、兄義胤の様子を見た隆胤が言う。
「はっはっは! 殿、もしや向羽黒山の【真田が小倅】が気になりまするか?」
隆胤は腹を抱えて笑い、膝をポンと叩く。
「聞けばその小倅、元服前とのこと! 如何に【武田が謀将】と恐れられた真田安房守の三男と言えど……向羽黒山城を落とせたのは伊達の力あっての事でありましょう! あまり心配なされずとも、我ら相馬の軍勢を前にすれば、ただの『火薬遊び』など何の役にも立ちませぬ!!」
「そうですぞ殿! 今や武田の威光など廃れて久しい。所詮は伊達にすり寄る小童、恐るるに足りませぬ!」
胤治までもが隆胤の尻馬に乗り、鼻で笑う。
広間に響く二人の笑い声は、どこまでも自信に満ちていた。
「………だと良いがな」
義胤はそう短く返すのが精一杯だった。二人の言うことは理屈の上では正しい。
しかし、戦場で幾度も死線を越えてきた義胤の背筋には、冷たい氷柱のような【予感】が突き刺さっていた。
それは、敵の策を知るという次元を超えた、理屈抜きの「将としての直感」。
義胤の脳裏には、安子島の城が炎に包まれ、山を崩して流れるような爆音と共に、畠山・大内の陣が「何か」に踏み荒らされる禍々しい光景が幻視されていた。
その悪寒交じりの【予感】が、ただの杞憂であればどれほど良かったか。
しかし、こののち歴史を揺るがすことになる「真田源四郎」という【化生】が仕掛ける策が、もはや相馬の軍門にまで迫りつつあることを、今の館にいる誰も知る由はなかった。
義胤は再び地図を睨みつける。
その胸中には、やがて来る嵐の足音が、確かに響いていた。
――郡山への街道――
軍馬の蹄の音が規則正しく響く。
源四郎は隣を並走する頼綱に、ふと声をかけた。
「じーちゃん、安子島城を落としたら、そこを留守居として任せていいか?」
頼綱は豪快に笑い、自慢の髭を揺らす。
「うむ! 城の守りなればわしの出番よ! 大船に乗ったつもりで任せるがよい! ネズミ一匹たりとも通さんぞ!!」
その心強い言葉に、源四郎は安堵の表情を見せる。
「ははっ! 相変わらず頼りになるな! じーちゃんがいれば百人力だ」
和やかな会話に混じるように、源四郎のすぐそばを走っていた小十郎が、鋭い眼光を向けて問うてくる。
「さすれば源四郎。その頼もしい守りに繋げるため……安子島に籠る敵兵を、どうやって城から炙り出すつもりだ? 畠山・大内の連中も、ただ城に閉じこもるほど愚かではあるまい」
「そうだよ兄様? またこの前みたいに城ごと豪快に焼いちゃうの??」
源四郎の後ろに同乗していた源十郎も、期待と不安の入り混じった顔で問いかける。
源四郎は手綱を握り直し、不敵な笑みを浮かべた。
「いや? そこは……力技でぶっ壊したり焼いたりするよりも、俺お得意の【流言】で内側から出てくるように仕向けるのが一番早い」
源四郎の目が、獲物を狙う獣のごとく冷酷に光る。
「ま、また【流言】とな……蘆名を滅ぼした時もおぬしは流言を用いたと聞く。此度はいったい、どんな流言を用いる気だ、源四郎?」
小十郎はわずかに身震いしながらも、呆れと興味が入り混じった表情で問いかけた。
あの蘆名家を崩壊させた源四郎の謀略の恐ろしさを、誰よりも理解しているからこその反応だった。
源四郎はふふんと鼻を鳴らし、楽しげに語り出す。
「なぁに、簡単です! 安子島が見えてくる辺りで農民を装った我が特務隊を放ち、こう吹聴させるのです。『向羽黒山城から伊達の兵が郡山に向かって進軍中らしいが……大半が雪解けでぬかるんだ峠道で足をもつれさせ、這々の体で這いずり回っているらしいぞ』……とね♫」
あまりにも締まりのない、お間抜け極まりない筋書き。
それを聞いた瞬間、先ほどまで「大船に乗ったつもりで任せよ」と豪語していた頼綱の顔が真っ赤に染まった。
「なんじゃその間抜け極まりない筋書きは! 武士たる者が泥濘に足を取られて這々の体などと、そんな情けない話を誰が信じるかっ!」
頼綱が髭を逆立てて憤慨する。しかし、源四郎は全く動じず、すっと目を細めて隣の大叔父を見据えた。
「……でもさ、じっちゃま(一徳斎)だって、昔の戦で泥濘に足をとられて盛大に落馬しかけたって、父上言ってたじゃん?それを助けようとして源十郎のとと様、清永殿は腰やっちゃったってさ」
「………………」
ジトッとした冷ややかな目で自分を見つめる源四郎の視線に、頼綱はピクッと眉をひきつらせ、言葉を詰まらせた。
「なっ、それはだな……! あれは不慮の事故というか、足場が悪すぎたというか……!」
必死に言い訳しようと慌てる頼綱の姿に、周囲の兵たちや源十郎からも思わずクスクスと笑い声が漏れる。
しかし、小十郎だけは冷や汗を拭いながら、その流言の恐ろしさを再確認していた。
「……なるほどな。あまりに威風堂々とした強者の話であれば警戒されるが、そのような『気の抜けた失態話』であれば、城内の敵は油断と慢心を抱く。……そして、その油断こそが城に籠る敵兵を誘い出す毒となる、か」
「さすが小十郎様、話が早い!」
源四郎はニィッと不敵な笑みを浮かべ、再び馬腹を蹴る。
安子島の城がすぐそこに迫っていた。
泥臭く、しかし確実に敵の心をへし折る「真田流の毒」が、いま静かに城内へと放たれようとしている…
――二日後――
――安子島城、郭内――
冷たい風が吹き抜ける城内の一角で、留守居を任された大内・畠山の兵たちが槍を突き立て、焚き火を囲みながら退屈そうに雑談に花を咲かせていた。
「おい、向羽黒山城におる伊達の手勢、本当にここまで攻めて来るんかのぉ」
「どうじゃろうなぁ〜……。そもそも、あの城に詰めたのは伊達本隊ではなく【真田】って連中じゃと聞くぞ?」
「【真田】ぁ? おいおい、武田の遺臣にして『武田が謀将』と恐れられた真田安房守の三男坊が、伊達に厄介になってるって話は本当だったのかよ」
「ああ、なんでも元服もまだの小童だとか。そんなガキが率いる寄せ集めの軍勢が、我が軍の備えを抜けるわけがねぇよ」
話題の中心にあるのは、やはり源四郎たち向羽黒山城勢のことであった。
彼らの耳にも、蘆名を滅ぼしたという噂は届いていたが、どこかで「伊達の威光を笠に着た小童の幸運に過ぎまい」と侮る空気が漂っている。
……だが、その城内の気の緩みこそが、まさに源四郎の狙い通りであった。
そんな中、物見に出ていた一団が帰ってくる。
「おうおう、お主ら! 笑ってしまうぞ、はっは!」
「お?」
「なんじゃなんじゃ、何か面白いことでもあったのか?」
城内の兵たちが次々と焚き火の周りから集まってくる。
物見を率いていた一人が吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、大袈裟に両手を広げてみせた。
「いやな! 帰る道中、近隣の村から焚き付けの松葉拾いに出てきたと言う百姓が教えてくれたんだが……何と、向羽黒山城からこちらへ向かって進軍中って噂の伊達の連中……あろうことか雪解けの峠道で泥濘に足をとられて、見事に這々の体で這いずり回ってるらしいぞ……! ……ププッ!」
男が耐えきれずに吹き出すと、広間にいた兵たちからも「なんだそりゃ!」「武士が泥遊びかよ!」とどっと笑い声が湧き起こった。
「伊達の精鋭だの、武田の遺臣たる真田の三男坊だの言うから、どれほどのものかと思えば……」
「最初からこれかよ。これじゃあ攻めて来るどころか、自分たちで勝手に自滅してやがるな!」
「おいおい、そんな様子じゃあ、この安子島に着く頃には全員の足が腐っちまうんじゃないか?」
城内を覆っていたわずかな緊張感は、その「間抜けな噂話」によって完全に溶かされ、くだらない嘲笑と慢心へと変わっていく。
誰もが、それが敵の用意した巧妙な罠であるとは夢にも思っていなかった。
物見の男が得意げに笑うその背後で、城の運命を狂わせる「毒」………源四郎の【流言策】は、着実に彼らの心の隙間へと浸透していたのである。
「なれば、こちらから打って出るか!」
一人の兵が面白そうに腰の太刀を叩くと、それに呼応するように周囲から次々と賛同の声が上がった。
「ほうじゃほうじゃ! 如何に間抜けな醜態を晒していようと、相手は伊達の兵、それにあの武田の血を引く真田の首だ! そんな連中が泥まみれでもがいているのなら、今こそが好機!」
「そうだ! その首級をひっ捕らえて陣に持ち帰れば、我が方の武功として一気に出世の道が開けるぞあ!!」
「「おお――っ!!」」
「這々の体」で動けない敵など、もはや恐るべき軍勢ではなく、転がっている手柄の山でしかない。
城代の兵たちはすっかり慢心と功名心に目をくらませ、我先にと武器を手に取り、打って出る気満々で城門を開け……中山峠へ向かうのであった。
――安子島城を見下ろせる街道筋――
――陣地展開地点――
中山峠を越え、安子島城を丸ごとしみじみと見下ろせる高所。
冷涼な風が吹き抜けるその場所に源四郎たちは素早く陣を張り、虎視眈々と迎撃の準備を整えていた。
そんな最中、さらに上方の険しい岩の上に陣取って安子島城の様子を凝視していた源十郎が、驚きと呆れが入り混じった声を張り上げる。
「兄様ぁ! やっぱあいつら馬鹿だよ! ノコノコ城から出てきやがったぁ!!」
その報告に、準備の手を休めることなく源四郎は嬉しそうに口角を釣り上げた。
「そうかそうか♫ その調子だ、引き続きしっかり見張っとけぇ」
上機嫌で返す源四郎の足元には、無造作に積み上げられたいくつもの【転龍】が鈍い光を放っている。
城という堅固な殻を自ら脱ぎ捨て、泥まみれの「手柄」を狩りにやってくる愚か者ども。
罠は完璧に噛み合い、あとは坂の勢いと爆薬の火を放つだけ。
源四郎の目が、冷徹な狩人のそれへと変わっていた。
そんな折、陣地の端からまさにこれから安子島制圧へと臨もうとする前線の慌ただしい動きを見つめていた小十郎が、ふと傍らに立つ頼綱に声を落とした。
「頼もしいものですな、頼綱老」
その言葉に頼綱は鼻を鳴らし、陣地構築に奔走する若者たちの背中を見据える。
「ほうじゃろう小十郎。だがな……この老骨に言わせればあやつらのような若人が殺し殺されの中に身を置く世など……とっとと終わってほしいわな。無論その若人にはおぬしや政宗殿も入っておるぞ?」
不意を突かれた小十郎はわずかに目を丸くし、それから微かに唇を緩めた。
その瞳に浮かんだのは、戦国の世を生きる者としての諦念と、同じ地平を駆ける世代への密かな共鳴だった。
「ほぉ、これはこれは。歴戦の猛者たる頼綱老の口からかような言葉を聞くとは……」
小十郎の驚きをよそに、頼綱は静かに言葉を続ける。
「織田や今川、今は亡き御屋形様たちは天下がどうこうと動いておったが………武士の起こりを考えよ小十郎? 皆はじめは己が所領や家族、領民の安寧を得るためだったではないか、それこそ源平の世よりな。だからこそ武士が力を振るう場など…『守る為の戦』、『失ったものを取り戻す為の戦』だけで十分、と言うことよ」
歴戦の老将の口から語られた、武士の原点とも言える本質。
そして図らずとも語られる源四郎の魂の根幹を成す【専守防衛】の心。
それを聞いた小十郎は、ふっと肩の力を抜いて朗らかに笑った。
「はっはっは! そうでしたな頼綱老!! この小十郎、いつの間にか忘れておりましたが……武士の起こりはそこでしたな! いやはや……流石は生涯をかけ所領を取り戻した真田一徳斎様の弟君、その志は頼綱老だけでなく真田の家や血に脈々と受け継がれておるのですな」
「左様。それをあやつ……源四郎は兄上より直に語られたのであろう、そして今度はそれをしっかり源十郎にその身で、振る舞いで教え込んでおると見える。……ま! 幼子だった故ちゃんと覚えておるかは分からんがな! はっはっは」
豪快に笑う頼綱の横で、小十郎もまた深く頷く。
そうして二人は、喧騒の中にあってなお力強く陣地構築に駆け回る源四郎と源十郎の背中へ、再び暖かな目を向ける。
陣地構築に汗を流す喧騒の中、少し離れた場所で交わされていたはずの老将二人の会話が、ふと源四郎の耳に届いた。
(聞こえてるぞ、じーちゃん。じっちゃまに言われたことなら覚えてるさ……)
手元で鍬を振るいながら、源四郎は一人胸の内でごちる。脳裏によみがえったのは、幼き日に祖父・真田一徳斎幸隆に抱き上げられた腕の中の温もりと、その耳元で告げられた言葉だった。
『天下を取れ、などとは言わん。だがその目に映るこの小県、そして家族や領民くらいは守れる者になれ』。
懐かしい記憶にわずかに口元を緩めつつ、しかし源四郎はすぐに現実に引き戻され、心の中で盛大にツッコミを入れる。
(ま!今や天下取らなくちゃいけなくなってきちまったけどな!!おっちゃん……信長公の目指した先を実現させるためにもよ!!)
胸に去来したのは、かつて強烈なインパクトを残したあの男……信長の背中と、その遺志。
家族や領民を守るための小さな一歩のつもりが、気づけば日本中を巻き込む大乱の只中。
ならば中途半端に収める気など毛頭ない。
この乱世を根底からひっくり返し、自らの手で成し遂げるべき宿願へと思いを馳せる。
誰もが法の下に平等に生きる【民主主義国家樹立】。
そして、ただ権力を盾にふんぞり返るだけの武士を『万民の盾』とし国民の為にその力を振るう組織、【自衛隊】の設立。
己の胸の内に秘めた途方もない未来図を思い描きながら、源四郎は再び力強く鍬を握り締め、目前の陣地構築へと没頭していくのだった。
さてはて、源四郎の【流言】にまんまと乗せられた安子島城の兵たち…その運命や如何に!?(゜A゜;)ゴクリ




