其之八
――米沢街道――
早春の冷気を含んだ風が頬を叩く。
源四郎は手綱を握りしめ、米沢街道を突き抜ける。
(今までここらって蘆名の勢力圏だったんだよなぁ…そんで東にゃ二本松。極めつけは南西に越後。米沢って四方八方的に囲まれてたって訳か。御屋形様も苦労されたろうなぁ)
脳裏に輝宗の苦衷が過る。
だが、次の瞬間、源四郎は唇を歪めて不敵に笑った。
(その蘆名が、俺と特務隊、そしてじーちゃんの働きで地図から消えた今じゃ、街道を走るのも造作ねえ。四方を敵に囲まれてたのが嘘のようだ)
かつて死地であったはずの道。
今は伊達の掌中にある。
源四郎は馬の首を叩き、加速を促した。
(政宗様の本隊が、郡山の北から南下を始めているはずだ。時を合わせなきゃならねえ)
向羽黒山城で待つ頼綱と手勢。
彼らを引き連れ、東へと打って出る。
(挟撃の準備は整った。郡山の関所を粉砕し、三春へ攻め込んだ畠山・大内の残党を郡山へ釣ってやる。……この俺の算段。どんだけ敵兵を地獄へ送り込めるか、見ものだぜ……!)
源四郎は背後に広がる蘆名旧領を視界から消し、郡山の関所を塗り潰す未来だけを計算しながら、狂気を帯びた笑みを浮かべて馬を走らせた。
その脳内では次なる一手……
【会津国衆合議連】を支える三本の柱への工作が火を噴いていた。
(佐竹、相馬、最上……。あいつらが畠山や大内を焚きつけている限り、奥州は腐ったままか。だがな、叔父上が動き出した今、それはただの死に体だ)
信尹への全幅の信頼。
真田の外交役として。
いや、謀略の天才として、叔父の口から放たれる言葉は、時として数千の兵以上の価値を持つ。
(向羽黒山城に戻れば、小十郎様とじーちゃんがその「切り崩し」の最終確認をしてるはずだ。俺が関所を叩き潰して敵を右往左往させている間に、叔父上が奴らの首根っこを押さえる。外堀から順に、俺たちの手で埋めてやるのさ)
眼前に、険峻な尾根にへばりつくような向羽黒山城の全容が姿を現す。
源四郎は手綱を引くと、その双眸に、敵の崩壊の予兆を映し出した。
「待ってろよ畠山に大内! そんでその裏で高みの見物を決め込んでる佐竹、最上、相馬! てめぇらはもう、とっくに【真田の掌の上】で踊らされてるんだよ!!」
誰も気づかぬうちに囲われた盤面。
源四郎は下卑た笑みを漏らし、一気に城への道を駆けた。
この城の奥で交わされる言葉が、三つの大大名を真田の計算通りに突き落とす。
その確信が、源四郎の指先を狂おしく躍らせた。
――向羽黒山城、郭内――
郭内に足を踏み入れた途端、源四郎の耳に叩き込まれたのは、号令と足音が重なり合う硬質なリズムだった。
「回れ右ッ!」
「……!」
蘆名からの帰参兵たちと源十郎が、一糸乱れぬ動作で向きを変える。
弥五郎を別名により上田に残した代わりに配した真田特務隊の隊員達が、凍てつくような眼差しでその動きを検分している。
「源十郎!左足の引きつけが甘いぞ!!動きの乱れは規律の乱れ!規律の乱れは即、部隊の壊滅に繋がると心得よ!!」
「はいッ!」
砂ぼこりにまみれた兵たちが、まるで一つの人形のように動かされる。
自衛隊において新入隊員がまず叩き込まれる【基本教練】の反復演練だ。
思考を介さず、反射だけで体を制御させる。
この徹底的な「基本」、「規律」の刷り込みこそが、戦場という極限状態において部隊を瓦解させないための…源四郎が戦国の世に持ち込んだ自衛隊の矜持だ。
そうして源四郎は馬を止め、その無機質な光景に目を細めた。
「お~お~、やってんなぁ!」
その声に教練の場が一瞬だけ揺らぐ。
源四郎は泥の跳ね返った鞍から軽やかに飛び降り、教官たちの前へ歩み寄った。
「気をつけぇ!!」
特務隊員の号令が郭内に響く。
源四郎は足を止め、無言で兵の列を睨みつけた。
「部隊長にた〜いし……敬礼!」
兜なき兵たちが、腰を起点に正確に10度前傾する。
その動きに、乱れも迷いもない。
「休ませろ」
「せいれ〜つ……休め!」
号令と共に、部隊が整列休めの姿勢をとる。源四郎は列を通り抜けながら、低く声を落とした。
「なかなかの練度だ。動作の乱れは規律の乱れ、隊の壊滅を招く。ゆめゆめ忘れぬよう今後とも励め。以上!!」
「ハッ!!」
咆哮が収まると同時に、源四郎は助教の肩を叩く。
「ちょいと源十郎と話したい。些か私情を挟むようで悪いが、全体に小休止かけてくれねぇか?」
「了解しました……気をつけ!」
助教の張り詰めた声が再び郭内に飛ぶ。
「これより小休止に入る。事後の集合は追って達する故、現在地近辺にて休め……分かれ!」
「分かれます!」
兵たちは互いに10度の敬礼を交わすと、緊張を解いてその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「さて……源十郎ぉ〜!」
「はい兄様……おかえりなさい……」
源十郎は地面にへたり込み、地面に手をついたまま力なく返事をした。
基本教練をしっかりやった時の過酷さは、古参の兵であっても容赦なく筋肉を蝕む。
源十郎の表情には明らかな疲労が滲んでいた。
(ははっ、やっぱりか。まぁそれを乗り越えれば身体も出来てくる!今はキツイだろうけどな)
源四郎は腹の底でそう呟き、弟の健闘を静かに認めた。
厳しい鍛錬の先にある強靭な身体と、何物にも動じない精神が、やがて来る決戦でその身を救う盾となる。
「……随分と草臥れてるな。だが、そのバキバキになった身体こそが、戦場でお前を助ける唯一の命綱になるんだぞ?」
源四郎は努めて冷徹な声色で、しかしどこか温かみを孕ませて、地面に座る弟の肩を叩いた。
「う、うん……これとは別に腕立て伏せ?屈み跳躍??なんだか跳んだりはねたりしてると身体中が痛くてさぁ!」
源十郎は地面に寝転がったまま、全身の筋肉をかばうように顔を歪めた。
「ははは!それは『筋肉痛』って言ってな、その痛みが引く頃にゃ身体が太くデカくなるもんなんだ。まぁその為にはよく肉や豆食わなきゃならないんだけどな」
「???なんで肉や豆食うと身体デカくなんの??」
源十郎は怪訝な顔で身を起こした。
この時代、筋肉を育てるための栄養学など存在しない。
「ほらよくよく考えろ?猟師の連中は野山駆け回って撃ち取った獲物、鹿や猪や熊を喰らってるから身体デカくてガッシリしてるだろ?そういう道理だ」
源四郎は猟師たちを引き合いに出して手短に、しかし納得させるだけの説得力を持ってそう言い放った。
「あ〜……そういうこと」
源十郎は猟師たちの逞しい背中を思い浮かべ、ようやく腑に落ちた様子で何度も頷いた。
「で、源十郎?」
「んあ?」
「【俺を訪ねる者】があると聞いたが??」
源十郎は地面に手をつき、荒い息を整えながら身体を起こした。
「あ〜!信尹叔父上だよ!」
「やっぱりか!で、初めて会ってみてどうだ?」
源四郎はニヤリと唇の端を吊り上げ、問う。
「ん〜……父上の弟なんてじーちゃんから聞いてたから飄々とした人かと思ったけど、なんか物静かで口数は少なかったな。けど……」
「けど?」
「やっぱり兄上やじーちゃんと同じく真田を、小県を愛してるんだろうね!俺や蘆名から流れてきた奴らにもよく声を掛けてくれてさ!昨日も手ずからに飯盛ってくれたよ、しのやみお姉さまと一緒に!」
源四郎は、その光景を脳裏に描く。
叔父が泥にまみれた敗残兵たちに混じり、給仕をしている姿。
「はは、そうか。……俺が【小県を伊達に差し出して飛び領地としたこと】、なんか言ってたか??」
唯一の懸念だった。
叔父が己の所業をどう捉えているか。
だが、源十郎の答えは予想を大きく裏切るものだった。
「んにゃ?『あやつならきっと伊達の家督を継ぐ政宗殿より……必ずや小県を返して貰えよう』ってさ」
「!!!…………叔父上」
源四郎は言葉を失った。
自身を信じていたのは昌幸や頼綱、源三郎だけではない。
あの信尹が、自分という人間を、真田の未来を、信じてくれている。
強張っていた源四郎の胸中に、熱い安堵が広がった。
(小県。……ああ、取り返してやるよ!俺の手で、真田の地として!!)
その確信は、これまでの冷徹な算段以上に、源四郎の血を沸き立たせていた。
「なれば叔父上は今頃は陣屋でじーちゃんや小十郎様と?」
「うん!毎日のように膝突き合わせてなんか話してるよ」
「そうか。ちなみに源十郎?」
「ん?」
「【合議連】の馬鹿どもは此処に来たか?」
「うん、五百ほど来たよ。まぁ……消し炭にしたけどね。じーちゃんが『竹龍はお主に任せる!吹きとばせ!!』ってさ。亡骸は【種床】に埋めたよ。あ!無論小十郎様が首の供養はしてくれた」
源十郎は、戦果を語るというよりは、日々の作業報告をするかのような淡々とした口調で、しかし饒舌に続けた。
【竹龍】の弾頭、その導火線と装薬を正確無比に調整し、的確にエアバーストをやってのける弟の空間認識能力。
源四郎は、そこに「一端の兵隊」としての矜持を見出し、弟の頼もしさに目を細めた。
「そうか、じーちゃんに任されたか。だが油断、慢心はするなよ?」
「うん!しっかりじーちゃんの言う事は聞いてるよ!!」
屈託のない、素直な瞳が源四郎を射抜く。
かつて室賀に虐げられた少年の面影はそこになく、その瞳には戦場を潜り抜けた者特有の冷徹な光が宿り始めていた。
源四郎は源十郎の肩を力強く叩くと、本陣へと足を向ける。
(……じーちゃん、源十郎、小十郎様、そして叔父上。盤石だな)
背後に控える【竹龍】の観測手。
郡山の関所を粉砕し、敵の合議連を地獄へ誘うための駒は、完全に揃った。
源四郎は、勝利の旋律を頭の中で奏でながら、陣屋への坂へと向かうのであった。
――向羽黒山城、本陣屋――
向羽黒山城本陣屋。
障子を開けるとそこには既に真田、そして伊達の軍略を操る三つの巨頭……
頼綱、小十郎、そして信尹が揃っていた。
「………来たか。」
重厚な沈黙の中で、信尹が源四郎の足音を最初に聞きとがめる。
「じーちゃん!小十郎様!お待たせしました!!そして……」
源四郎は陣内に飛び込むなり、まずは頼綱と小十郎へ快活に頭を下げる。
次いで、その眼差しは一人の男へ吸い寄せられるように向き直った。
「お久しゅうございます!叔父上!!」
その呼称に、信尹は静かな笑みを浮かべ、源四郎の姿を値踏みするように見つめた。
「うむ。息災であったようだな源四郎」
信尹の落ち着き払った声に対し、頼綱が鼻を鳴らすように声を荒らげる。
「はっ!緊張感のない奴じゃのぉ!!」
そんな老将の毒気を抜くように、小十郎が穏やかな笑みを漏らす。
「はは、源四郎らしくていいではないですか頼綱老?」
真田の血と英知が凝縮された陣屋の中、三者三様の迎えを受け、源四郎は武者震いにも似た高揚感とともに、自らも盤上の駒の一つとしてその陣に加わった。
「して源四郎?その様子なれば無事に源次郎と会えたようじゃな?」
頼綱は意地悪く目を細め、源四郎の顔を覗き込んだ。
その場に漂う空気が一変する。
「あ〜……それなんだけどさ……」
源四郎は居心地が悪そうに視線を彷徨わせ、首筋を掻いた。春日山で景勝と兼続を前に言い放った、あの大言壮語を思い出す。
「……春日山でね。上杉の二人、山城守様と景勝公を前に……新発田を平らげる、と啖呵を切ってきちまった」
刹那、陣内に走った衝撃は大きかった。
「「新発田を平らげるぅ〜!?」」
頼綱と小十郎は顔を見合わせ、目を見開いて硬直する。
信尹はただ静かに、その言葉の重みを噛み締めるように黙して源四郎を見つめていた。
「言ったからには、引くわけにはいかねぇ。……当然、腹は括ってある」
源四郎は努めて平静を装うが、その声の端には自らの、そして源次郎の首を絞めるような宣言をしたという自覚と、それを実行に移すしかないという修羅の決意が混じり合っていた。
そうして、ひとしきり驚き終えた小十郎の怒号が陣屋を震わせる。
「源四郎ぉ!おぬし、伊達と上杉の遺恨を知らぬと申すか!!そもそも御屋形様、それに政宗様はなんと!?」
源四郎は一歩も引かず、冷徹なまでの落ち着きでその経緯を語り出した。
「小十郎様、順を追って話しまする。御屋形様は無論…新発田討伐に難色を示された。ですがそれがしは即座に切り出したんです…『ならば伊達を出奔し、日向が家久公の元へ走る』と。……当然、御屋形様は激昂し、『出奔!?それを許すと思うか!?』と詰めてこられた。だがそれがしはさらに踏み込んだのです」
源四郎は陣内に座る三人の顔をゆっくりと見渡した。
「『なれば、この場でそれがしを斬りまするか!?』……と。そして言い放ち申した。『それが真田伝いに島津へ伝われば、我が魂の片割れ、島津又七郎は…たとえわずかな兵でも米沢へ攻め入り、その命と引き換えになろうとも御屋形様の首をとりましょうぞ!!』と。御屋形様は、俺と又七郎の狂気じみた…青臭い絆の深さを悟られた。……俺を斬れば又七郎が、島津が動く。ならばこの童に賭ける方が伊達のためだと、最後には腹を括ってくださったんです。『新発田の件、好きにしろ』と、ね」
淡々と語り終えた刹那、空気が一変した。
小十郎が疾風のように詰め寄ったかと思うと、その拳が源四郎の脳天に容赦なく叩き込まれる。
ゴチーンッ!!
「いっでぇええええええ!」
物理的な衝撃とあまりの驚きに、源四郎は陣床を派手に転げ回る。
即座に殺気立った頼綱と信尹が、刀に手をかけ、一触即発の構えを見せた。
「御屋形様を脅したと申すか貴様ぁ!」
一喝して源四郎を睨みつけた小十郎だったが、その表情から瞬く間に殺気が消え、フッと端正な顔立ちを崩して笑みをこぼす。
「だが……おぬしが生きてこの向羽黒山の地に来たとなれば、御屋形様に政宗様がおぬしと島津が又七郎との青臭い【絆】を認めたとあらば……この私が先の拳骨以上におぬしを咎める訳にはいかんではないか!あっはっは!」
陣屋内に響き渡る豪放な笑い声。
源四郎は頭をさすりながら、小十郎のその豪胆さに、思わず呆れ笑いを返すことしかできなかった。
「はぁ〜……老骨の肝を冷やさせるのはやめぬか小十郎」
いつの間にそこまで仲良くなったのか、頼綱が小十郎を呼び捨てにしつつ深々とため息をつき、先ほどまで柄にかけていた手に力を抜いて刀を置く。
殺気は霧散し、陣内に再び重厚だが穏やかな空気が戻った。
「ははは、すみませぬな頼綱老。これほどの若者が無謀な博打を打ってきたとなれば、一つくらいは罰を与えねば気が済みませぬゆえ」
小十郎は微笑を浮かべ、わざとらしく肩をすくめて謝意を示す。主従の絶妙な機微を横目に、信尹は表情一つ変えず、源四郎の眼を射抜くようにして問いかけた。
「……さすれば源四郎、まずは御主の主家が嫡男、政宗殿が正室……めご様の実家を畠山と大内から救わねばなるまい。差し当たってこの信尹は……【相馬】へ赴くが良いか?」
「……! 話が早くて助かりまする叔父上!」
源四郎は先ほどまでの痛みを忘れ去ったようにパァッと破顔した。
真田信尹という調略、謀略の化け物が自ら【合議連】のバックたる【相馬】の楔を打ちに行く。
これ以上の心強い味方はいない。
源四郎の頭の中で大内、そして畠山攻略に向けた盤面が、より確実な勝利へと組み換えられていく。
「確かに此度の【合議連】達の裏には【佐竹】、【相馬】、【最上】がいようが………信尹よ、源四郎めがここに赴きし時に話すと申しておった【策】とは如何様なものなのじゃ?」
頼綱が信尹へ鋭い眼差しを向ける。
佐竹、相馬、最上という強敵を相手に、いかなる謀略で対抗するつもりか。
信尹は肩をすくめ、平然と答えた。
「何をおっしゃいますか叔父上?それがしの【策】は………叔父上、源十郎、そして源四郎。三人の【御身そのもの】でありまするぞ」
「んあ?ワシと源十郎と源四郎自身とな?」
頼綱が意図を汲みかねてキョトンとする一方で、源四郎はふっと溜息をついて笑った。
「………あ〜やっぱりそうなりまするか」
「ふむ。私もそうではないかと思っとりましたぞ、信尹殿」
小十郎もまた、すべてを悟ったような静かな表情で頷く。
「左様。僅かな手勢、僅かな時でこの難攻不落の要塞たる向羽黒山城、そして蘆名そのものを落とした立役者……【真田の三男坊】、源四郎が伊達にいる。その存在そのものが、万の【策】をも超える力であり、戦場を動かす楔なのですよ、叔父上」
信尹の言葉には、迷いも衒いもない。
真田の血が、源四郎自身が戦場に在るという事実こそが、周辺諸大名を震え上がらせ、盤面を支配する最強の切り札であると断言したのである。
「なれば外堀埋め、【相馬】の調略は叔父上に任せましょうぞ!【合議連】が裏にいる連中の中では【相馬】は一番規模が小さい。叔父上の手腕にかかれば、必ずやなびきましょうぞ!」
源四郎は鼻息も荒く、勝利への道筋を熱弁する。
しかし、その高揚に水を差すように、小十郎が静かに名を呼んだ。
「さすれば源四郎、出陣前ではあるが少し良いか?」
その瞬間、源四郎の顔から血の気がサーッと引いた。
(やっべ……! あのホラ話、バレたか!?)
脳裏をよぎったのは、伊達家仕官の折、黒脛巾組の前で大々的に吹いたあの虚言。
『向羽黒山城の近郊に、金山が眠っている』という大風呂敷であった。
伊達家を動かし、蘆名の息の根を止めるために放ったあの大嘘。
源四郎の背筋に、冷や汗がツーと伝う。先ほどまでの自信満々だった若武者の面影はどこへやら。
今は、断頭台を前にした罪人のような顔つきで小十郎を見つめるしかなかった。
――しばし後――
――向羽黒山城近郊、砲迫陣地跡――
かつて頼綱と源十郎と共に敵を殲滅したその場所には、焦げた岩石と吹き飛ばされた土砂が今も生々しく残っていた。
源四郎と小十郎、二人の息吹が静寂の中に響く。
「さて源四郎……。この山のどこに金山があると言うのだ?」
小十郎の問いかけは穏やかだが、源四郎の喉元に突きつけられた刃よりも鋭い。
源四郎の頭の中はフル回転していた。
(金山はあった!だが運悪く我ら真田がマヌケにも坑道ごと跡形もなく吹き飛ばしてしまった……なんて新たなホラ、通用するわきゃねぇよなぁ)
そんな苦し紛れの言い訳を喉元までせり上げながらごくりと唾を飲み込む。
しかし、その場に立たされた源四郎は、即座に悟った。
面前の男は、伊達政宗の右腕であり、天下をも見据える眼光を持つ片倉小十郎だ。
ただの山肌を眺めるその瞳は、源四郎の動揺、呼吸、そして「何かを隠している」という気配のすべてを、既に正確に計測し終えていた。
小十郎は、吹き飛ばされた岩盤の破片を一つ拾い上げると、じっと観察する。
その横顔には、怒りでも困惑でもない、すべてを見通す知者の冷徹な笑みが浮かんでいた。
「ふむ……。随分と派手にやったものだな。金脈の痕跡を探すには、些か『過剰』な火力ではないか?」
逃げ場のない追及。
源四郎は、自ら撒いた嘘の種が、今まさに巨大な崖となって自分を飲み込もうとしていることを痛感していた。
「………おおかた、お主お得意の【ハッタリ】であったのであろう?」
小十郎の静かな声が、風の音と共に源四郎の鼓膜を打つ。追及を逃れるすべはない。源四郎は覚悟を決めると、瞬時にその場に膝をついた。
「申し訳ございませぬ小十郎様!」
ズザッ!! と地響きがするような勢いで繰り出された土下座は、真田の郷で普請の補助に明け暮れ、かつては「土下座の名手」とまで呼ばれた繁蔵をも彷彿とさせる、あまりに鮮やかな所作であった。
しかし、激しい叱責を覚悟した源四郎の耳に届いたのは、意外な言葉だった。
「ふむ……【金山】ならばあるではないか」
「へっ?」
源四郎が間の抜けた声を上げ、顔を上げる。小十郎は吹き飛ばされた山肌を眺めたまま、楽しげに続けた。
「何を呆けている? その金山そのものたる者が」
「……それがしが、【金山】?」
「左様。僅かな手勢で向羽黒山城を落とし、蘆名を滅ぼす下地を整えた。他方徳川の資金で、その徳川を討つための顎たる城を上田に築く算段を整え、上杉と伊達の遺恨を取り払わんと駆け回る。果ては、あの島津と懇意!」
小十郎は源四郎の方を振り返り、信尹や頼綱から聞き及んだであろう上田の城普請の話をすると共に…その瞳に底知れぬ期待を宿してニヤリと笑った。
「これほどの、枯れることのない【人としての金山】など、そうそうおるまい! むしろ、ただの埋蔵金などよりよほど価値があるわ!!」
源四郎は呆然としながらも、胸の奥で熱いものが込み上げるのを感じた。
単なるホラ吹きとしてではなく、その才覚と「先」を見る力を見抜かれていたのだ。
小十郎の豪胆な評価に、源四郎はただ、その場に平伏するしかなかった。
「なればこの話はこれまで!私の胸三寸とする故……まずは田村家の窮地を救うぞ、源四郎!!」
小十郎は潔く背を向けると、足早に陣へと向かい始める。
その背中は、源四郎には戦国の世を切り裂く真の猛者のように見えた。
「はっ!!」
源四郎は力強く返事をする。
その声には、小十郎の器の大きさに当てられた昂揚感が混じっていた。
しかし、その胸の内では激しい警鐘が鳴り響いている。
(かぁ〜……! 伊達者ってのは、どこまで人たらしなんだよ!! これでまた一つ、デカい貸しを作っちまった……!)
脳裏をよぎる過去の記憶。
沼田城へ入る予定の左衛門に対し、あろうことか「留守居、もとい居候でよい」などと言わせてしまったあの一幕。
そして今回の、本来なら打ち首モノの「金山ホラ話」を、小十郎という巨大な後ろ盾によって霧散させられた恩。
(左衛門様に留守居、もとい居候でいいと言わせてしまった件といい、小十郎様との此度のホラ話の件といい……。とにかく、この貸しを返すためには、相馬を落とし、田村を守り、新発田を叩く以上の何かをやり遂げねばならなくなっちまったな!)
源四郎は顔を引き締め、小十郎の背中を追う。
修羅の道を行く若き真田の三男坊にとって、伊達という巨大な怪物との関わりは、まだ始まったばかりである。
「して源四郎? 畠山、大内めは三春に至る要衝たる郡山に関……いや、陣を築いておる。如何に政宗様が二本松より南下して来て此方との挟撃が見込めるとは言え……突破する算段はあるのか?」
先を行く小十郎が、肩越しに鋭い視線を投げかける。
郡山は、田村家救出において避けては通れぬ難所。
単なる力押しでは、こちらも相応の出血を免れない。
源四郎は足を止めず、しかし口元を妖しく歪めてニヤリと笑った。
「それは大丈夫です小十郎様。……それがしの頭の中にある【新兵器】を形にすれば、そんな陣など脆い氷のようなものです」
その表情は、まさに獲物を狙う狩人のそれであった。
戦場を掌握せんとする冷徹さと、兵の血を流させぬための狂気的な軍略。
源四郎の脳裏には、既に郡山の陣を蹂躙するための「非道」かつ「合理的」な破壊手段が、鮮明な設計図となって描かれている。
またしても悪い顔をする源四郎を見て、小十郎は呆れたように、しかしどこか楽しげに鼻で笑った。
「……ふん。また随分と危うい博打を考えたのだな。だがよかろう、おぬしのその『頭の中の新兵器』とやらの実力、とくと拝見させてもらおうではないか」
伊達の懐刀と、真田の三男坊。
二人の若き軍略家が、田村家救出という名の「修羅場」へと足を踏み入れていく。
次なる戦場が、再び火薬と血の臭いに包まれようとしている。
(さぁ待ってろよ畠山、大内。そして……その背後で糸を引く【佐竹】、【相馬】、【最上】!! てめぇらの御託を並べた算段なんざ……俺が泥を塗りたぐって、粉々にぶち壊してやる!)
源四郎の胸の内では、傲然たる野望と冷徹な闘志が火柱となって燃え上がっていた。
ただの領地争いではない。
【会津国衆合議連】を突き崩し、東北の地を伊達家が手に手繰り寄せるための、最初にして最大のヤマ場!
かつて薩州で鍛え、真田の郷で研ぎ澄まされたその殺意が今……奥州の地で再び覚醒する。
小十郎という稀代の知将、真田の血筋、そして島津との絆を後ろ盾に、源四郎は指揮官としての牙を剥いた。
かくして………
【田村家救出、および畠山・大内殲滅戦】。
東北の歴史を塗り替えるその壮絶なる合戦の火蓋が、今まさに、切って落とされようとしていた!
お久しぶり&おまたせしました!
更新再開と相成ります!
さて遂に本格的に田村家救出に動き出す源四郎。
畠山、大内よ!首洗って待っていろ!!




