其之六
――飯山城下、検問所――
街道での襲撃以降、とくに大きなトラブルもなく検問所に着いた三人。
「次の者」
番兵の野太い声が響く。
源四郎は藤五郎と左衛門を一瞥し、真っ先に検問所へと躍り出た。
「むっ!? ……貴様ら、真田の縁者か!」
番兵の視線が、三人の胸元で光る『六文銭』の意匠に釘付けになる。周囲の上杉兵たちが即座に槍の石突きを地面に突き立て、殺気を漲らせた。
「あぁ、そうですが?」
源四郎は、まるで道端で通行人に時刻を尋ねるような、ひどくあっけらかんとした口調で返した。
「貴様ら、この先は上杉が主城、春日山へ通じる道だ。何用で上杉の懐へ入ろうという!」
番兵が食い気味に怒鳴る。
左衛門は眉間を寄せ、藤五郎はいつでも抜けるように刀の柄に指をかけた。
だが源四郎は、あえてその「敵意」を無視するように、わざとらしく大きく溜息をついた。
源四郎は、あえてその「敵意」を無視するように、わざとらしく大きく溜息をついた。
「いえ、それがしはただ、景勝公のもとにいる兄様に会いに行く途中にございまする」
番兵の顔が、驚きに歪んだ。
「兄だと? ……すると貴様は、真田から差し出された人質の……?」
「えぇ、弟でありまする。それがしは兄が春日山へ赴く折、丁度郷を離れておりまして。戻ってみればこの有様……どうしても一目会いたくて、供の者を連れ馳せ参じた次第で」
その言葉には、人質という悲壮感もなければ、隠密特有の影もない。
ただ遠路はるばる「兄に会いに来た」という、市井の若者が口にするような自然体がある。
(なんつー堂に入った受け答えだよ……)
背後で藤五郎が喉を鳴らし、驚きを隠す。
(肝が据わっている……などという言葉では済まされぬほどよ)
左衛門もまた、源四郎の背中を見つめながら内心で舌を巻いた。
ここが飯山城下であり、一歩間違えれば即座に処断される地であるという緊張感など、源四郎の前では存在しないかのように見える。
番兵は槍の穂先を下げ、三人の顔をじろじろと見比べた。
六文銭の家紋、真田の血筋、そしてこの「弟」を名乗る若者の、あまりに無防備なまでの屈託のなさ。
「……真田の若造、人質である兄を訪ねるだと? 先んじて許しも得ずにか?」
訝しむ番兵に今度は源四郎が詰め寄る。
「なんと! 兄に会いたい!! それだけを胸に小県より参ったそれがしの【兄弟の情愛】を疑うと!?」
源四郎は門番の胸倉に掴みかかるかのような勢いで詰め寄ると、今度は一転して、天を仰いで大げさに嘆いてみせた。
「それがしが密書の一つでも持っているとお思いでありまするか!? まして、あの知謀の父、安房守が……かような回りくどく、かつ危ない橋を渡らせるような無能な真似をする男とお思いで!?」
源四郎は侮蔑を込めた冷ややかな笑みを番兵に向け、声を一段低くして言い放つ。
「【義の国・越後】の武士と聞き及んでおりましたが、その実、かように疑り深く、家族の再会すら阻む野暮な方々であったとは……! 景勝公のお耳に入ったら、さぞや嘆かれましょうなぁ!」
その言葉が突き刺さった瞬間、番兵たちの顔色が変わった。
【義】。
それこそが上杉の誇りであり、同時に、策謀渦巻く戦国において、他国から常に「清廉すぎて融通が利かない」と揶揄され、付け込まれやすい『越後の痛い所』であったからだ。
「えぇい! 通せ通せ!! 我ら上杉の【義】、此奴のような小童に貶されてたまるか!!」
近くで状況を凝視していた番兵頭が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
誇りを傷つけられたと受け取ったか、あるいは「こんなことに拘泥していては、それこそ上杉の度量の狭さを晒すことになる」という判断か。
いずれにせよ、源四郎の放った「義」という毒は、見事に番兵頭の逆鱗に触れつつも、通行を認めさせる決定打となった。
「ただし、寄り道せずに春日山城へ直行するのだぞ!? 飯山の地で真田の影など一筋でも見せれば、その首、即座に刎ね飛ばすからそのつもりでな!!」
番兵頭は吐き捨てるように言い放ち、手下の兵たちに槍を引くよう命じた。
「………ありがとうございまする」
源四郎は殊勝な面持ちで深々と頭を下げる。
しかし、深く下げた額の影で、その口元は獲物を仕留めた猛獣のようにニタリと妖しく弧を描いていた。
(……やったぜ!これで大腕振って春日山まで直行だ!)
すれ違いざま、藤五郎と左衛門が源四郎の肩を叩く。
「……お前、後で覚えてろよ。心臓がいくつあっても足りねぇよ!」
「二度とおぬしの口車には乗らんからな…」
二人のぼやきは、安堵の裏返しだった。
源四郎は振り返りもせず、春日山へ向かう道をゆったりと歩き出す。
「なにを仰る。これも『タイを捨てる』の一環ですよ。さて、これであとは景勝公のご威光を拝みに行くだけですな」
背後には、まだ怒りに震える番兵たちの視線が突き刺さっている。
だが、一度開いた門を閉じる力は、もはや彼らには残っていない。
三人は飯山城下を堂々と横切り、本来の目的地である春日山城、そして兄・源次郎が待つ運命の場所へと、着実に駒を進めていくのであった。
――二日後――
――春日山城門前――
二日間に及ぶ、険しき山道の強行軍。
疲れも見せず、春日山城の大手門前に立った源四郎は、その威容を見上げて目を輝かせた。
「たっのもー!」
かつて米沢の門を叩いた時と変わらぬ、天真爛漫な響き。
守備の衛兵たちは、突然現れた三人の旅の者と、その胸に光る六文銭に目を丸くした。
「むっ! 真田の者か。来るとは聞いておらぬが、何様か?」
鋭い槍の穂先が突きつけられる。しかし源四郎はひるむどころか、満面の笑みで答えた。
「はい。こちらでお世話になっている兄、源次郎に会いに来ました!」
あまりの直球な回答に、衛兵は肩透かしを食らったようにたじろいだ。隠密の影も、策謀の匂いもない。あまりに真っ直ぐな言葉に、衛兵は困惑しながらも奥へと取り次ぎを出す。
「……なれば、しばし待たれよ」
待つことしばし。戻ってきた衛兵の表情は、先ほどまでの「いぶかしむ顔」から「緊張した面持ち」へと変わっていた。
「……真田の。まずは【山城守】様へ取り次ぐ故、こちらへ」
(……やっぱりか! さて【義の知将】直江兼続、どんな人かな……)
源四郎の胸が高鳴る。
武勇でならす藤五郎と左衛門は、源四郎の両脇で気配を消しつつも…その実、いつでも動けるよう極限まで気を張り詰めている。
真田の「弟」という仮面を被り、源四郎は悠然と春日山城の門をくぐった。
そこは、軍神の威厳と直江兼続の理知が支配する、張り詰めた城郭。
今まさに、源四郎のハッタリが、本物の「知の巨人」と対峙しようとしていた。
――春日山城内、一室――
張り詰めた空気の中、三人は正座して兼続を待った。
襖が開く気配と共に、室内の空気が一変する。
「待たせたな。そなたが源四郎か。源次郎より話は聞いておる……『手のかかる弟』、とな」
静かな威厳を纏い、現れた直江兼続。その眼差しは、源四郎の心の奥底を見透かすような、鋭利な知性を湛えていた。
「……お初にお目にかかりまする、山城守様。真田が三男、源四郎にありまする」
源四郎は深々と頭を下げる。
藤五郎と左衛門も、武将としての気配を極限まで殺し、不動の姿勢を貫く。
「うむ。して用向きは……源次郎に会いに来た、は建前。大方米沢へ抜けさせろ、と言ったところであろうな?」
兼続は扇子で源四郎を指すと、すぐさま視線を隣の二人に移した。
「そこの二人……伊達藤五郎成実、鬼庭左衛門綱元を伴っているのを見るにな」
「!!!」
源四郎の背筋に冷たいものが走った。
変装は完璧なはず。
だが、兼続の前ではその仮面も、真田の血筋も、伊達の猛者という正体も、すべてが白日の下にさらけ出されていた。
(あっちゃー……新発田のゴタゴタで領内は混迷を極めてると思ったが……流石にそこらに間者放ってたか。……してやられたな)
表情一つ変えず、淡々と正体を言い当ててくる兼続の姿に、源四郎は口の端で小さく苦笑するしかなかった。
「……さすがは山城守様。こちらの『ハッタリ』も、貴殿の前では児戯に等しうございましたな」
源四郎は開き直ったように顔を上げ、兼続をまっすぐ見つめた。
その眼差しに、先ほどまでの「情けない弟」の影はない。『地獄の指揮官』としての、命懸けの対話が始まろうとしていた。
「ふっ。この上杉を舐めておったな? おぬしが伊達が嫡男・政宗が馬廻りへ取り立てられたこと、向羽黒山城を落とし蘆名を滅亡へ追いやったこと……源次郎に聞くまでもなく筒抜けよ」
兼続は冷笑を浮かべて源四郎を射抜く。
その瞳には、伊達という強大な勢力の動向を、常に俯瞰し続ける知将の眼光があった。
源四郎は背筋を正し、先ほどまでの「弟」の面影を完全に消し去った。タイ捨流の極意たる「体面を捨てる」精神が、今や鋼のような覚悟へと変わる。
「……なれば、山城守様。我らをここで斬りまするか?」
源四郎の声は低く、静かだった。
藤五郎と左衛門の呼吸が一瞬止まる。狭い室内でこの三人が本気で暴れれば、どれほどの犠牲が出るか。兼続もまた、それを理解した上でなお、殺気さえ見せずに涼しい顔をしている。
緊迫の糸が、限界まで張り詰めようとしたその時だった。
「源四郎ぉ!!」
障子が激しく開き、青い顔をした源次郎が転がり込んできた。
父や兄の厳格な面影はどこへやら、弟の命を案じるあまりに狼狽しきったその姿。
「……………兄様ぁ!!!」
源四郎は一瞬で殺気を解き、今度こそ心からの安堵を込めて叫んだ。
先ほどまでの地獄の指揮官の顔は崩れ落ち、そこには再会を果たした兄弟の情愛のみがあった。
あまりの展開の速さに、直江兼続でさえ一瞬だけ眉をひそめ、呆れたように息を漏らす。
「……やれやれ。源次郎、おぬしが血眼になって隠していた『手のかかる弟』とは、これほどまでに心臓に悪い男か」
兼続は毒気を抜かれたように肩をすくめ、騒動を制するように一言付け加えた。
「……まあよい。その命、上杉の義にかけて預かってやらんこともない。ただし、この春日山が真田と伊達の密談の場となるのは、御屋形様にも説明がつかん。……とっておきの『言い訳』、用意してあるのだろうな?」
源四郎は、兄と抱き合うのを我慢しながら、ニヤリと不敵に笑った。
「なれば山城守様……この源四郎が、『上杉の弁慶の泣き所』を見事打ち払う……と申したら??」
源四郎の不敵な物言いに、室内を支配していた空気が一瞬で凍りついた。
直江兼続の、不動の菩薩の如き眉が、ピクリと大きく上がる。
「……なに? 今、何と抜かした」
兼続の低い声には、静かな殺気と、それ以上に隠しきれない好奇心が混ざり合っていた。
一方、源四郎の背後に控える伊達の二人は、顔面蒼白どころか、もはや青ざめて震え上がるしかなかった。
((う、嘘だろ……こいつ、よりにもよってその名前を……っ!))
((おい源四郎、正気か!? ここでそれを口にするのは自殺行為だぞ……ッ!!))
藤五郎と左衛門の脳裏に、上杉にとっての最大の膿、そして兼続が最も苦悩している軍事的な難問が過る。
((『上杉が弁慶の泣き所』って……どう考えても、あの【新発田重家】のことでは……ッ!?))
新発田の反乱。
泥沼化する越後の内乱。
そして、長年上杉の軍勢を釘付けにし、北陸の要衝を脅かし続けているその禍根。
戦国を生きる者なら誰もが知る、上杉家最大の傷口を、こともあろうに伊達の使いであるこの若者が、兼続の目の前で抉り出したのだ。
兼続はゆっくりと立ち上がった。その所作の一つひとつに、威圧的な重圧がこもる。
「……童。その言葉、ただの戯言ではないと見てよいのか? そなた、今の発言が何を意味するか、理解して口にしているのだろうな」
兼続の眼光が源四郎を射抜く。
源次郎は弟の首根っこを掴んで引きずり倒したそうな顔をしながらも、源四郎が命を懸けていることを悟り、必死で兼続の顔色を窺いつつその肩に触れる。
しかし、源四郎は震える兄の腕をそっと解くと、臆することなく兼続の瞳を見つめ返した。
「なればもっと端的に言いましょう……。御殿、輝宗公に『新発田を袖にせよ』と進言し……この源四郎が、新発田を平らげてやる!!」
その言葉が放たれた瞬間、室内は静寂に包まれるかと思いきや、三人の男の声が重なって爆発した。
「「「何を言っておるのだお前は!?(何いってんだお前!?)」」」
源次郎の悲鳴にも似た叫びと、藤五郎・左衛門の狼狽が混ざり合う。
「勝手を抜かすな源四郎ッ! 上杉と伊達の間の禍根、それこそが今の奥州の火種だぞ! 知らぬとは言わせぬぞ!」
「そうだ! 流石にそれは御屋形様も首を縦には振らん! 貴様、伊達を滅ぼす気か!」
二人が泡を食って源四郎の肩を掴み、ゆさゆさと揺さぶる。しかし源四郎は、その二人の腕をまるで羽虫を払うかのように、涼しい顔で振り払った。
「その首を縦に振らせられるのが、この俺です!!」
源四郎は二人を制し、真っ直ぐに兼続を見据えて啖呵を切る。その瞳には、狂気にも似た軍師の確信が宿っていた。
そんな弟の鬼気迫る様子を、源次郎は一人、静かに見つめていた。弟がただのハッタリで動く男ではないことを、誰よりも知っている。
「……やれるのだな、源四郎? まさかとは思うが……お前話に聞く終生の友、島津が又七郎(豊久)の手を借りるつもりか?」
源次郎の問いに、源四郎はふっと空を見上げるような薄い笑みを浮かべた。
「まさか! あいつを呼ぶまでもありませんよ、兄様♫ あいつを呼んだら最後、戦場が地獄の釜の底と化す。そんなことしたら兄上が……色んな意味で死んでしまいまする」
「………っ」
源次郎は、背筋に走った悪寒を抑えるのに必死だった。
兼続はその手で顎をさすりながら、静かに源四郎の挑戦を受け止める。
「面白い。もしそなたが新発田を、この私の計算の外で平らげると言うのなら……その腹の中、見せてもらうとしようか」
兼続が障子を指し示す。
それは、源四郎が望んだ「お芝居」の舞台が、いよいよ本番を迎える合図だった。
「なれば御屋形様(景勝)にお目通しさせねばなるまい」
障子がさらりと開かれると、そこにいたのは、戦国随一の「義」の重圧を一身に背負う男……
上杉景勝であった。
「御屋形様!」
源次郎が慌てて平伏し、床に額をこすりつける。
藤五郎と左衛門も反射的に姿勢を低くするが、源四郎だけは驚きつつも、どこか好奇心を隠しきれない瞳で景勝を見上げた。
「よい、源次郎。……そなたが源四郎か。兼続共々話は聞いておる」
景勝の声は驚くほど低く、地響きのように腹に響いた。
しかし、威圧感の中にもどこか不思議な「砕け」がある。
それは冷徹な支配者のそれではなく、直江兼続という唯一無二の理解者と共に、この荒ぶる越後を支え抜いてきた男特有の、静かな余裕であった。
「ご拝謁を賜り恐悦至極! 真田安房守が三男、源四郎にございまする!!」
源四郎は背筋をピンと伸ばし、堂々と名乗りを上げる。
春日山の最深部。
ここからはもう、先ほどの「小細工」や「脅し」は通用しない。
目の前にいるのは、戦国という嵐の海を、己の信念だけで渡り切ろうとする「軍神の継承者」なのだから。
景勝は源四郎をじっと見つめた。
その瞳は、言葉の裏にある魂の純度を測るかのように静かだ。
「源次郎が『手のかかる弟』と申しておったが……なるほど、おぬしの目には、この乱世の更に先が見えているようだな」
景勝が薄く口元を動かす。
それは微笑とも冷笑ともとれる、微妙な表情だった。
「源四郎よ。おぬしが言った『上杉が弁慶の泣き所を打ち払う』というその策……もし外れれば、我が上杉家のみならず、真田も伊達も、天下の笑いものとなろう。それでもなお、貴様はその泥を啜る覚悟があるか?」
景勝の問いかけに、源四郎は一瞬の迷いもなく首を縦に振った。
「…『泥を啜る』は【真田の誇り】なれば。」
あまりに真っ直ぐな、そしてあまりに泥臭い宣言に、景勝は思わず眉をひそめて首を傾げた。
理知的で、常に「義」という大義を背負う彼らにとって、生存のための屈辱を「誇り」と定義する思考は、いささか異質なものに映ったのだ。
「誇り…とな? 敗北や浪人を、誇りと申すのか」
兼続もまた、その瞳に静かな疑問を浮かべる。
だが、源四郎は彼らの困惑などどこ吹く風とばかりに、目を輝かせて続けた。
「はい! それがしは伝え聞いただけなれど…かつて【浪人の身】と言う泥を啜りきり…最後には所領を取り戻した男を知っておりまする! その名は真田一徳斎(幸隆)! 我が祖父です!!」
源四郎は背筋を正し、胸を張る。
「その執念! どんなに落ちぶれても諦めぬ、あの生涯こそが我が真田の【誇り】! 泥を啜ることなど、一徳斎の孫にしてみれば、大仕事を成し遂げるための前座に過ぎませぬ!!」
「「!!!」」
景勝と兼続は、その若者の言葉に射抜かれたように目を見開いた。
武士の矜持を「美しく死ぬこと」や「清廉でいること」に求める上杉の二人にとって、真田一徳斎という「生き残り」の権化を美学として掲げる源四郎の姿は、あまりに強烈で、同時にひどく眩しく映ったのである。
その瞬間、室内の空気が「敵」から「理解者」に近いものへと変質した。
しかし。
その感動的な空気の裏側で、源四郎の背後に控えていた藤五郎と左衛門の脳内は、怒号に近い総ツッコミで埋め尽くされていた。
(……おいおいおい、今こいつ、なんつった!?)
(『祖父の誇り』だと? ……なれば、小県(信濃)を伊達に差し出すような真似をするでない!!)
((ご先祖様が聞いたら、泣いて笑い転げるぞ、こいつッ!!))
二人は顔を真っ赤にして必死に耐える。
一徳斎という高潔な名を盾に、「誇り」を語りながら、実利のために伊達と結託して動くその厚顔無恥。
それこそが真田の業であり、源四郎という男の底なしの「食えなさ」であることを、彼らは改めて痛感していた。
源四郎は気づかない。
いや、気づいた上で景勝たちの前で堂々とその「矛盾」を体現してみせているのだ。
景勝は、深く溜息をつき、そして微かに笑った。
「…真田一徳斎、か。その血は確かに、おぬしのその図太さの中に流れているやもしれぬ。良いだろう、源四郎。おぬしの『真田の誇り』とやら、この景勝、見届けさせてもらう」
「ははっ!!」
源四郎が深々と頭を下げる。
その背中で、藤五郎と左衛門が、死んだ魚のような目で天井を見つめているのには気づかぬままであった。
「…だがそれはまず『田村家の危機』を救ってから、だな」
源四郎の熱弁に感銘を受けていたと思われた兼続が、急に冷ややかな現実を突きつける。
「!!山城守様! なぜそれを!?」
源四郎の声が裏返る。
情報の速さには自信があったはずだが、越後の知将の目には、奥羽の情勢さえも手にとるように透けて見えているらしい。
「会津の国衆の動きはこちらも掴んでおる。その矛先がまず輝宗公の嫡男・政宗が正室の実家(田村家)へ向かっておるのもな。そうなれば、そなたらが米沢へ急ぐ理由も自ずと知れるというもの。今頃は仙道の大内辺りが動いていよう」
兼続の淡々とした指摘に、景勝も頷く。
「ふむ。なれば源四郎、各所に早馬を走らせるが故、急ぎ米沢へ向かうが良かろう」
「ありがとうございまする、景勝公!」
源四郎は一転、表情を引き締め、深々と頭を下げる。
事態は一刻を争う。
藤五郎と左衛門も、この時ばかりは武辺者の顔に戻り、戦闘態勢へと意識を切り替えた。
そんな緊迫した空気をよそに、源次郎が源四郎を袖に呼び寄せた。
「………源四郎、ちょっといいか?」
「なんですか兄様? 今忙しいんですが」
源四郎がすり寄ると、次の瞬間。
ペシッ!
軽い音を立てて、源次郎の平手が源四郎の頭を叩いた。
驚く源四郎の耳元で、源次郎が殺気立った声をひそめる。
「こやつめ! じじさま(一徳斎)を持ち上げておきながら、小県(信濃)は伊達に差し出す手筈になっとるではないか!!」
「げ。兄様、何で知ってんの?」
「佐助が文を届けてくれたわ! まったく……死んだじじさまが草葉の陰で泣いてるぞ! お前、どの面下げて『誇り』なんて言えたんだ!」
源次郎の正論に、源四郎は「うっ」と詰まり、目を逸らす。
さっきまでの「謀者」の風格はどこへやら、実の兄に説教される弟の顔に戻ってしまった。
「い、いやあれはね……小県はあくまで『伊達という後盾』に預けているだけであって、いつか必ず俺が……」
「言い訳はいい! とにかく今は田村家だ! 行け!」
源次郎に首根っこを掴まれて引きずられるようにして、源四郎は春日山城を飛び出す。
その後ろ姿を見送る兼続は、小さく苦笑した。
「……真田、か。面白い兄弟だ」
「ああ。……あの弟、いずれは我らをも食らい尽くすやもしれんな」
景勝の呟きは、確信めいた響きを帯びていた。
――その頃――
――常陸国、太田城――
【鬼義重】の異名で恐れられる佐竹義重の元には、次々と密書が届けられていた。
山形から最上義光、浜通りからは相馬義胤。
「伊達の快進撃を止め、葦名の仇を討つ」という一点において、奥羽の群雄たちが(表向きは)畠山を盟主に据えた、【会津国衆合議連】。
そしてその【三大バック(佐竹・最上・相馬)】。
伊達を討ち滅ぼさんとする包囲網が完成しつつあった。
「……ふむ。田村の老いぼれが、伊達の軍門に降ろうとはな」
そんな中、義重は届けられたばかりの文……
伊達の陣営に信濃から来た奇妙な若造が加わったという報告に目を落とす。
「……安房守が三男、源四郎。ふっ! 真田の血筋とやらに少しは期待したが……所詮は信濃の山猿、いや子猿か」
義重は鼻で笑うと、文を力任せに握り潰した。
「伊達も落ちぶれたものよ。政宗という若駒だけでなく、信濃の小童まで駒として扱わねばならんとは。……よい。このまま田村を焼き払い、伊達の野望ごとすべて灰にしてくれる」
義重の傍らには、大内や畠山の国衆たちから届いた戦況報告が山積みになっている。
彼は、源四郎という「駒」が、自分の算段を狂わせる「猛毒」であることに、今はまだ微塵も気づいていない。
「この義重、奥州の濁流を鎮める術を知っておる。……子猿など、一捻りよ」
義重は不敵な笑みを浮かべ、常陸から奥州へと視線を走らせる。
義重にとって、源四郎はあくまで「排除すべき障害物」の一つに過ぎなかった。
しかし、その油断こそが、源四郎にとって最高の追い風となる。
佐竹の広大なネットワークの裏をかき、相馬と最上の連携を内側から崩すための、「信濃の子猿」、いや【信濃の修羅】の反撃が始まろうとしていた。
――越後街道――
春日山の緊迫した空気を背に、源四郎、藤五郎、左衛門の三人をその背に乗せた馬が、越後街道を土煙を上げて駆け抜けていく。
山々の陰から刺すような冷たい風が吹きつけるが、源四郎の表情には、これから始まる「大作戦」への期待で熱が帯びていた。
「源四郎! お前、新発田の件! 御屋形様(輝宗)に首縦に振らせるって、景勝公の前で豪語したけどよ……どーすんだよ!? 泥を啜るのが真田の誇りだのと、めちゃくちゃ言いやがって!」
藤五郎が手綱を締めながら、苦い顔で怒鳴る。
「そうだぞ源四郎! 輝宗公はあの通りの豪傑だが、政宗様の手前もある。下手を打てば、それがしたちの首が飛ぶだけでは済まぬぞ!」
左衛門もまた、先ほどの景勝との面談で、源四郎が際どい交渉を繰り広げたことに、未だ動揺を隠せていない。
二人の悲痛な訴えを背中で受け流しながら、源四郎は馬の首を叩き、さらに速度を上げた。
「それは……まぁ、米沢に帰ってからの『お楽しみ』ってことで♫」
源四郎は振り返り、夕闇を背にして、悪戯が過ぎる特大の「悪い顔」を浮かべた。
その瞳には、すでに伊達家を、そして奥州の勢力図をどうやってひっくり返すかという、源四郎なりの算段が組み上がっている。
「……ッ! お前、絶対またロクでもねぇこと考えてるな!?」
藤五郎が叫ぶが、源四郎の耳には届かない。
彼はただ、前方に広がる深い闇……
「田村の危機」と「佐竹の陰謀」が渦巻く混沌の戦場を見据えていた。
【信濃の修羅】は、春日山での「お墨付き」という牙を研ぎ、今、最も熱い戦場へと跳躍しようとしている。
源四郎の怒涛のハッタリ、いかがでしたか?
さて、次回は輝宗とのネゴシエーション!
果たして!?
刮目して待て!
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