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信濃の修羅〜現代人の俺、存在しないハズの真田の三男坊として転生す〜  作者: ギュネイ山本
第八章【来るなら来やがれ!源四郎対『会津国衆合議連』の段】

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其之五

――数刻後――

――真田の郷、入り口――

真田の郷の入り口には、旅装束を整えた源四郎、藤五郎、左衛門の姿があった。

しかし、その三人の佇まいはどこかチグハグだ。

特に伊達の猛者二人は、何やら気まずげに自身の胸元を何度も引っ張っている。

「……なぁ源四郎。何故俺と左衛門がこの【六文銭】の紋が入った着物を着ねばならねぇんだ!? 俺たちは伊達の家臣だぞ!」

「そうだ! これではまるで真田の従者ではないか!」

二人の不満げなぼやきに、源四郎は手綱を握り直して苦笑する。

「とりあえず景勝公、もしくは山城様(兼続)に会うまでの辛抱でございまする!! 郷を出てしまえば、誰に見られるか分からぬゆえ!身分を誤魔化すには、これが一番手っ取り早いのです!」

そうこう言い合っていると、郷の奥から続々と見送りの面々が姿を現した。

「兄様、早く戻って来てよね! 会津の帳簿、兄様がいないと地獄なんだから!」

源十郎がいつもの調子で叫び、源四郎は「おう!」と力強く応える。

その横で、頼綱が力こぶを作って胸を張った。

「源四郎、わしはひとまず蘆名よりの流れ者を五百ほど率いてゆく! 芦名の残党とはいえ、使いようによっては良い駒だ。……安心してみおと、しのを任せよ!」

「かぁ〜、あいつらも大変だなぁ。会津からやってきたばかりだというのに、またすぐに会津にとんぼ返りってか。……じーちゃん、正直なところ、そんな寄せ集めが裏切りゃしねぇだろな?」

源四郎がからかうように笑うと、頼綱は殺気を隠しもせずニヤリと笑った。

「そんなことをすれば、わしが直々に槍の錆にしてやるわ!」

「ははっ、頼もしいじゃん♫」

軽口を叩き合う二人の横で、みおが静かに歩み寄る。

源四郎の馬のたてがみにそっと手を添え、真っ直ぐに源四郎の瞳を見つめた。

「源四郎様、……お早いお戻りを」

その控えめだが芯のある声に、源四郎は気恥ずかしさを隠すように鼻をこすり、少し照れくさそうに頷いた。

「……うん!」

そんな温かな空気を切り裂くように、郷の方から「けほっ」と乾いた咳払いが聞こえてきた。

おこうが、誰かの手を引きながら急ぎ足でやってくる。

「源四郎、源十郎……ちょっと待ちなさい……けほっ」

「ん? おこう姉さま……おぉ!」

おこうの背後から現れた人影を見て、源十郎の表情が激変した。

「………おっかちゃん!」

それは、源十郎の産みの親、母・たけであった。

その姿に源十郎はただの十歳の少年に戻った。

「おっかちゃん……おっかちゃん!!!」

源十郎は母の腰に勢いよく抱きついた。

その小さな背中が激しく震えている。

そこにはただ、母を恋い慕う子供の泣き声が響いていた。

母たけは、痩せ細った震える手で、恐る恐る源十郎の背中を撫でた。

そして、枯れ果てた喉から、掠れた声が絞り出される。

「ぶ……ぶん……しち……」

かつて彼女が呼んでいた、源十郎の幼名。

「!」

周囲の空気が止まった。源十郎は顔を上げ、信じられないものを見る目で母を見つめる。

「お、おっかちゃん! また喋れるようになったの!?」

源十郎の歓喜の叫びに、おこうも涙を浮かべて頷く。

だが、その光景を背後から見つめていた源四郎の瞳から、それまでの温かな光がスッと消えた。

源四郎は馬の手綱を強く握りしめ、誰にも聞こえないほど低い声で、腹の底で毒づく。

(……やはり【心因性の失語症】だったか。あの日からずっと、たけは自分の中に閉じこもっていたんだ)

源四郎の脳裏に、室賀の郷で行われていたであろう惨劇が過る。

この母子がどれほどの屈辱と恐怖を味わい、その心にどれだけの深い傷を負わされたのか。

それを思うと、源四郎の血管が怒りで脈打った。

(室賀のクソ共……ただで済ませたのが間違いだった。あいつら、やっぱり跡形もなく【根切り】にしてやろうか……!)

源四郎の表情に憤怒の相が滲む。

それはかつての修行の地、薩州の【薩摩隼人(さつまへご)】達が本気でキレた時と全く同じであった。

その【怒気】を感じ取り、藤五郎も左衛門も身震いする。

(……や、やっぱり【真田】で一番怒らせちゃなんねぇのは源四郎か!?)

(ああ……こやつを本気で怒らせたら、知略などという生易しいものでは済まぬ!奥州全土すら地図から消し去り、灰に帰すような真似を平然とやってのけようぞ……)

二人がその身を震わせていることなど露知らず、源四郎はふう、と一度だけ深く息を吐き、いつもの穏やかな兄の顔を取り戻した。

(ま、今それを考えていたってしょうがねぇか。まずは目の前の一手……田村家の窮地を救わねぇと、兄様の奪還も、その後の奥州平定も夢物語だ)

源四郎が冷静さを取り戻したその横で、源十郎はたけの背中を優しくさすりながら、先ほどまでの激昂を隠そうともせずに、自らの近況を語り始めていた。

「おっかちゃん、これからはずっと一緒だ。俺は昌幸様…父上から【源十郎】という名を頂いたんだ。…それに、これは俺の…女房のしのだ」

源十郎は照れくさそうに、そばに控えていたしのを母に紹介する。

たけは、愛しき息子の成長と、その傍らに立つ伴侶の存在に、柔らかな笑みを浮かべた。

「…向羽黒山城の攻略戦では、頼綱様…そこのじーちゃんにも俺の才を認めてもらったんだ。それにお諏訪様に連なるしののおとっつぁん…清永殿、いや!とと様にも!!…だから、おっかちゃんをここに残して行くのは辛いが、俺はもう一度、しのと共に会津へ向かう。…真田の誇りにかけて、必ずやこの奥州の乱世を終わらせて………兄様やその主家たる伊達の力になってみせるよ!」

源十郎の言葉には、かつての「文七」という名の少年にはない、真田の【絆】を紡ぐ者としての力強い響きが宿っていた。

それを静かに聞いていた源四郎は、源十郎の成長に細く目を細める。

かつて向羽黒山の地獄で嗚咽を漏らした弟が、今は己の命を懸けるべき大義を見つけ、守るべき者を連れて戦場へ戻ろうとしている。

ここで源十郎の話を聞いていたたけが、たどたどしくも口を開く。

「げん……じゅう……ろう。……りっ……ぱ……に……努め……を……果たす……んです……よ」

一音一音を確かめるように、しかし確かに息子への願いが込められたその言葉。

源十郎は、瞳から大粒の涙を零しながら、まるで宝物を抱きしめるように母の手に自分の頬を寄せた。

「!………うん!!」

その力強い返事に、先ほどまで母の衰弱を憂いていたその場全員の空気が、パッと明るく塗り替えられる。

「良かったな、源十郎! 母ちゃん、どんどん元気になってきてんじゃねぇか!!」

源四郎が破顔して背中を叩けば、源十郎も涙で濡れた顔で、まるで大輪の花が咲いたような弾けんばかりの笑顔を返した。

「そうだね、兄様!」

別れの時間は、もはや悲壮なものではなかった。

彼らはこれから始まる過酷な旅路を、背中に背負う「守るべきもの」の温かさとともに駆け抜ける覚悟を決めたのだ。

源四郎は、おこうとしのに向き直り、鋭い指揮官の面持ちから、信頼する身内への眼差しへと戻す。

「おこう姉さま、引き続きたけのこと頼みます。……その身になにかあれば、即座に特務隊へ知らせてね」

「えぇ。源四郎も、伊達の家臣としての務め、しっかり果たすのですよ? ……けほっ。身体には気をつけて……」

おこうの心配そうな咳払いに、源四郎は「はい!」と力強く応じる。

そして、そばで控えるしのへ、兄として、そして源十郎の【戦場の師】としての言葉をかけた。

「しの、源十郎は甘ったれな所もあるだろうが……良く支えてやってくれ!」

「はい! お任せください!」

しのもまた、源十郎と並んで凛とした面構えで応える。

全ての未練を断ち切り、源四郎はくるりと馬首を返した。その瞳には、奥州をどう塗り替えるかという策謀の火花が散っている!

「なれば……いざ、上杉の本拠・春日山城へ向かいましょうぞ! 藤五郎様! 左衛門様!!」

源四郎の呼びかけに、伊達の猛者二人が呼応する。

「おう!」

「うむ!」

三人の騎影が、真田の郷を後にし、越後の山路へと吸い込まれていく。

伊達の、真田の未来を賭けた…危険で、爽快な旅路が今、幕を開けたのであった。

――その日の夕刻――

――善光寺、門前町の茶屋――

善光寺門前町の夜は更け、松明の灯りが蕎麦屋の軒先をゆらゆらと照らしている。

店内には湯気が立ち込め、信濃名物の蕎麦をすする音と、旅人たちの話し声が混ざり合っていた。

源四郎、藤五郎、左衛門の三人は、店の隅の席に陣取り、湯気の立つ蕎麦を豪快に啜り込んでいた。

「かぁ〜! やっぱり信濃の蕎麦はうめぇなぁ! 喉越しが違ぇわ!」

藤五郎が満足げに丼を置くと、左衛門もまた大きく頷いた。

「うむ! いやはや……これほどとは。いつか政宗様にお方様、御屋形様や小次郎様にも食べて頂きたいな」

左衛門の言葉に、源四郎はふと思い出したように箸を止める。

「……御台様(義姫)は?」

その問いかけに対し、藤五郎と左衛門は顔を見合わせ、まるで示し合わせたかのように、しかし即座に、険しい表情で口を揃えた。

「「あのババアは『こんな下賤な物!』って言って食わねぇよ!(あの方は恐らく口にせぬ!)」」

言い終わるや否や、二人は互いに「だよな」と目で合図を送る。

伊達家中を仕える者たちにとって、義姫のその傲慢さと気難しさは、もはや共有するトラウマに近い「共通認識」であった。

そのあまりのシンクロっぷりに、源四郎は呆れつつも、腹を抱えて笑いそうになるのを必死に堪える。

「……二人とも、完全に考えが一致してんなぁ。まあ、間違いないだろうね。あの御台様が、庶民の蕎麦なんぞに箸をつける姿……どう想像しても浮かばねぇや」

源四郎は苦笑しながら、手元の茶を一口流し込む。

「で? 源四郎、こっから先はいよいよ上杉領。どうやって関を越えるつもりだ?」

蕎麦を啜り終えた藤五郎が、低く問いかける。

源四郎はそんな藤五郎を尻目にこともなげに言い放った。

「決まっております、藤五郎様。大腕振って…正面から。」

二人は一瞬、耳を疑った。

「なっ!?」

「正気か源四郎!? 関所の番兵がただの『真田の若造』を、そんなホイホイ通すわけがねぇだろう!」

驚愕し、訝しむ二人をよそに、源四郎は呆れたように肩をすくめる。

「そうですかな、藤五郎様? 俺としては、あくまで『人質に取られてる兄に会いに行くてい』なんだから。」

源四郎は何の変哲もない…紋付きの旅装束を整え、ごく自然に立ち上がった。

「関所の役人なんてのは、上から『怪しい奴を通すな』とだけ言われてる。そこに『身なりのいい、血気盛んな真田の若造』が、泣きそうな顔して『兄ちゃんを返してくれ』と頼みに来たらどうすると思います? 追い払うか、あるいは『面倒くせぇ』と突き放して通すか、ですよ。俺たちが伊達の手の者だなんて…夢にも思わねぇと思いますよ??」

源四郎は店の壁に立てかけてあった、旅人用のありふれた竹笠をひょいと手に取った。

「俺たちがコソコソ隠れるから『怪しい』と思われる。堂々と、馬鹿みたいに正直な【()()()()()】を演じ切る。……俺の顔を見ればわかるだろ藤五郎様? 誰がどう見ても、奥州を手玉に取ろうとする謀者にゃ見えねぇって!」

源四郎は無邪気な笑みを浮かべ、藤五郎と左衛門にウィンクしてみせる。

「……はぁ〜。肝が据わってんのか、それともただの馬鹿か。俺はほとほとおまえが分からなくなってきたぞ、源四郎」

藤五郎は頭を抱え、それでも隠しきれない苦笑を漏らす。傍らの左衛門も、やれやれといった風に首を振った。

「全くだ。だいたい源四郎、おぬし……【外の連中】に気づいていないわけではあるまい?」

左衛門が顎をしゃくり、店の外に目を向ける。闇に紛れて時折ちらつく不自然な人影。

善光寺の喧騒の裏で、明らかに獲物を狙う「影」の気配がそこにはあった。

源四郎は再び茶をすすり、平然と口を開く。

「えぇ。……多分【相模の汁かけ飯一家】の手の者でしょうな」

「……汁、かけ飯……?」

聞き慣れぬその言葉に、藤五郎と左衛門が瞬時にきょとんとした顔をする。

源四郎は悪びれもせず、天下の北条氏康以来の「小田原評定」や、彼らの領国経営のスタイルを茶化したような、あるいは単に飯の食い方を揶揄したような軽口を叩いたのだ。

そのあまりの不敬と、あまりの脱力ぶりに、伊達の二人は吹き出すのをこらえるのに必死になった。

「「し、【汁かけ飯一家】……………ぷぷっ!」」

「おや? お二方は知りませぬか? 北条は戦場の陣中のみならず、平時から【汁かけ飯】を常々喰らうとか。……政宗様ですら平時はそんなことしないと言うのに、行儀が悪いと思いまして……ね。」

源四郎は、まるで世間話でもするような調子で、とんでもないことを言い放った。

藤五郎と左衛門は、蕎麦屋の喧騒にかき消されるよう小声で懸命に笑いを堪えているが、その肩は震えが止まらない。

「お、おい源四郎……。お前、北条を『作法知らずの野蛮人』扱いしてんのか?」

藤五郎の問いに、源四郎は蕎麦を啜った時とは別人のような、凍りつくような冷徹な眼差しで外の闇を射抜いた。

「『野蛮人』? んな綺麗なモンじゃねぇよ、藤五郎様。奴らは【簒奪者】だ。」

源四郎から発せられる殺気が、店の空気を一瞬で凍らせる。それは、外の闇に潜む風魔の忍びたちへ向けて放った、明確かつ致命的な「宣戦布告」であった。

「……【簒奪者】ってなんだ、左衛門?」

聞き慣れぬ言葉に、藤五郎が眉をひそめる。

左衛門は、そんな源四郎の狂気的な余裕に呆れつつも、淡々と解説した。

「……関東管領の旗印を、正当な血筋もなしに謀略だけで手中に収めたという皮肉だ! 今の古河公方様や関東の諸侯が北条に抱いている怨嗟は、まさにそれであろう!」

「あ〜……なるほどな。もっと分かりやすく言うと【こそ泥よりタチが悪い輩】って訳か!」

藤五郎は、外にいるであろう敵に届くよう、わざとらしいほどの大音量で言い放った。

その声には、武人としての底知れぬ余裕と、源四郎の毒を面白がる悪戯心が混ざり合っている。

「おぉ、藤五郎様!【煽り】が凄まじいですな♫」

源四郎がパチパチと手を叩いて称賛すると、藤五郎は胸を張ってニカっと笑った。

「んぉ? なんだか分からんが俺の凄さがようやっと分かったか、源四郎♫」

そんな「真田が指揮官」と「伊達の猛者」の無邪気なやり取りを聞きながら、左衛門は天を仰いで深いため息をついた。

「やれやれ……。明日の朝、飯山で死ぬのはどっちになるのやら……」

左衛門の呟きは、しかし確信に満ちていた。

店の外の闇では、これまで静寂を保っていた気配が、怒りで激しく波打っている。

風魔の者たちにとって、誇り高き北条を「汁かけ飯」「こそ泥」と罵倒されたことは、いかなる任務よりも優先すべき「殺害の動機」となったからだ。

「よし、引き揚げましょう。……ご馳走様でした!」

源四郎は陽気に店を出る。

その背後で、数多の殺気が獲物を追う狼の群れのようにうごめき始めていた。

奴らは気づいていない。

自分たちが追っているのは「獲物」ではなく、自分たちを食い殺すべく口を開け待ち構える【化生】であることを。

――翌日――

――飯山城下への道すがら――

飯山城下へ向かう道中、源四郎はふと足を止め、周囲の木々や起伏を品定めするように見回した。

「……さて。」

「……ここら、かな。」

藤五郎も頷き、周囲を警戒する。

「そうだな。ここらであれば、道行く商人や旅の者にも迷惑はかかるまい。」

三人は手際よく馬から降りると、馬の首筋を優しく撫で、耳元で「少し騒がしくなるからな、怖がって逃げないでくれよ?」と囁いた。

その所作には、戦場に立つ者の余裕と、獣を狩る前の静かな興奮が宿っている。

源四郎は、背後の茂みへとゆっくりと視線を向けた。

もはや、隠密などという生易しいものではない。

怒りと侮蔑に満ちた殺気が、森の木々を揺らしている。

「………殺気ダダ漏れだぜ? 出てきたらどうだ?」

源四郎の呼びかけに応えるように、街道沿いの茂みが大きく裂けた。

現れたのは、異形の忍装束をまとった男たち。

その数、ざっと九人。

風魔の者たちだ。

彼らは昨夜の「汁かけ飯」「こそ泥」という罵倒を反芻し、獲物を引き裂かんばかりの形相で包囲網を敷く。

だが、源四郎、藤五郎、左衛門の三人は、まるで親しい知人に挨拶でもするかのように涼しい顔で、九人の刺客を眺めていた。

「おいおい、九人か。俺たち三人を相手にするには、少しばかり頭数が足りないんじゃないか?」

藤五郎が腰の太刀に手をかけ、肩を鳴らす。

「まぁ、頭数勝負ってところですかね。………ったく、躾がなってねぇ【犬】はこれだから。」

源四郎の皮肉を込めた【煽り】が炸裂する!

そしてその瞳が、冷徹に「敵」を射抜く。

「余裕ぶりおって!」

「我らが主家をこき下ろした罪は……!」

風魔の一人が激昂し、殺意を全開にして踏み込んだその瞬間だった。

チィィィン。

鞘走りの音すら置き去りにする愛刀【不落】の一太刀。

源四郎の抜刀による横薙ぎは、間者の胴を正確に裂いた。

ドサリ、という重い音を立てて男が崩れ落ちる。

源四郎の左の頬には、返り血が一条、朱色の筋となって飛び散っていた。

それを親指で無造作に拭うと、ニヤリと笑う。

「おぉ! 俺、飛○御○流名乗れっかもな♫」

余裕綽々のテイで飄々とそんなことを言ってのける。

そのあまりに漫画的な(?)冗談と、あまりに現実離れした殺技のギャップに、残る八人の風魔の者たちは、思わず気圧されて数歩退いた。

「な、貴様……今の太刀筋、ただの流派ではないな!」

残った間者の一人が狼狽えながら叫ぶ。

「……狼狽えていも引いている間に仕掛ける手段はあったろうに。」

源四郎が吐き捨てた瞬間、藤五郎と左衛門が左右から地を蹴った。

「くたばれ!」

藤五郎の太刀が、間者の右腕の関節を叩き折り、姿勢を崩した隙にそのまま喉元を切り裂く。

「ぬぅうん!」

左衛門は煙玉を紙一重で回避し、間者の懐へ踏み込んで心臓を貫く。

その動きに隙は一切ない。

二人とも一撃必殺の剛剣を叩き込み、鮮やかな連撃で次の敵へと即座に狙いを移す。

瞬く間に、また二人の間者が泥に沈んだ。

「おっ、やるねぇ藤五郎様も左衛門様も♫伊達の猛者はやっぱり伊達じゃねぇな」

源四郎は血を払うと、なおも余裕を見せて言う。

これで九人のうち三人が脱落。

残る六人は、驚愕に顔を引きつらせながらも、捨て身の構えで包囲を狭めてくる。

静かだった朝の街道は、一気に修羅の巷へと化した。

「お、おのれぇ! 者共、こ奴らは人に非ず!! 御屋形様にそれだけは伝……」

叫びを上げる間者の喉元に、源四郎の刃が吸い込まれる。

源四郎は、常人なら腰を痛めるほどの極端な前傾姿勢から、地を這うような鋭い踏み込みを見せる。

踏み込む速度をそのまま乗せたようなその突きは、回避不能な速度で間者の命を刈り取った。

さらに、倒れ込む間者の勢いを利用して、源四郎は身体を捻るようにして軸を入れ替え、次の一人を流れるような連撃で斬り伏せる。

「………生きて小田原に戻れると思ってんのか?」

日々の柔軟で作り上げた極限まで柔らかい体を活かしどんな姿勢からでも体勢を崩すことなく、即座に次の敵へ刃先を向ける源四郎。

「なっ!?」

「狼狽えとる場合か、そらぁ!」

源四郎の無駄のない連撃に間者たちが動揺した瞬間、藤五郎がその隙を逃さず踏み込む。

力任せではなく、踏み込みの衝撃を刃に伝える洗練された一撃が、間者の構えを正面から打ち砕き、袈裟に断ち切る。

「ひっ!? こ、こやつら……っ」

恐怖に引きつる一人に対し、左衛門が冷徹な一歩を踏み出す。

「言うとる暇があるなら、かかってくるんだったな」

左衛門の刀は、間者の狼狽による身体の硬直を一瞬で見抜き、首筋を迷いなく切り裂いた。

これで残り二人。

飯山の街道に、風魔たちの生臭い血の匂いが立ち込める。追い詰められた残りの二人は、もはや戦意を喪失し、震えながら後ずさりするしかなかった。

「こっ、こ……」

残る間者が懐から何かを取り出そうと指をかけた瞬間、風を切る音が響いた。

源四郎が放った棒手裏剣が、間者の額の真ん中を正確に射抜き、男は音もなく崩れ落ちる。

「おっ? 源十郎真似て手裏剣打ちの練習しといて良かったな」

源四郎は指先を軽く鳴らし、平然とそう言う。

そうこうする間にも、最後のひとりは藤五郎の踏み込みによって胴を両断されていた。

「ふん! ……ったく、ほとんど源四郎が倒しちまったじゃねぇか。だいたいお前の流派、飛び道具も使うのか?」

藤五郎が血の付いた太刀をあしらいながら、呆れたように源四郎へ問いかける。

「はい藤五郎様♫ 使えるものは何でも使い敵を倒し生き残る……タイ捨流の【タイ(体)を捨てる】という極意には、【体面を捨てる】も含まれるとそれがしは考えておりまする♫」

源四郎は屈託のない笑みを浮かべ、涼しい顔で答えた。

「はは、言い得て妙だな」

二人の軽妙なやり取りを、左衛門は冷めた目で見ながらも、その言葉にはどこか納得の響きを混ぜた。

「さて……こいつらの亡骸など、山の獣や鴉どもがついばむでしょう。死体に構っている暇はありません。先を急がねば!」

左衛門が手早く周囲の血痕を土で隠すと、三人は何事もなかったかのように馬へまたがった。

飯山の街道に、ただ静寂と、風魔たちが食い荒らされるのを待つだけの残骸だけが残された。

北条の犬どもを蹴散らした一行は、さらに春日山、そしてその先の米沢を見据え、軽やかに馬を走らせる。

――飯山城下手前、街道筋の茶屋――

飯山城下近くの街道筋に見つけた寂れた茶屋の裏手。

三人は先ほどの死闘の血を拭い去り、馬の背に預けておいた行李から取り出した、ごくありふれた真田の若者らしい着物に着替えていた。

「いやぁ、持ってきていてよかったなぁ、換えの服♫」

源四郎は、まるで湯上がりのようなさっぱりとした顔で、血に染まった先ほどの服を器用にまとめていた。

「……しかし問題はここからぞ、源四郎?」

左衛門が鋭い眼差しを源四郎の背中に突き刺す。

「そうだ! 今から入るのは上杉の重要拠点だぞ? ここでひっ捕らえられたら、伊達も真田も共倒れだ。全てが終わるぞ??」

藤五郎も心配げに、そして苛立ち混じりに念を押す。

だが、源四郎は着物の襟を正しながら、なおも飄々とした様子を崩さない。

「もぅ二人とも心配性だなぁ。大丈夫ですって! 俺の『ハッタリ』……これからその真価を見せますよ♫」

源四郎は振り返り、悪戯っぽくウィンクしてみせた。

((……それが一番心配なんだよ……))

二人の心境は、これ以上ないほど一致していた。

源四郎の策というものは、常に綱渡りであり、紙一重の博打である。

これまでに幾度もその才に救われてきたとはいえ、今回ばかりは相手が「義」を重んじ、軍神を戴く上杉景勝である。

肩を落とし、力なくうなだれる二人の背中を見て、源四郎は小さく笑った。

「さぁ、行きましょうぞ。飯山城の門番には、精一杯『情けない弟』を演じ切ってみせますから。……準備はいいですか? 名優・源四郎の独壇場ですよ」

源四郎は竹笠を深くかぶり直すと、足取り軽く街道へと戻っていく。

二人は互いに顔を見合わせ、深いため息を一つ吐いてから、覚悟を決めてその後に続いた。

(待ってろよ、山城守。景勝公。そして……兄様。)

源四郎の脳裏に、上杉の威光を背負う者たちの顔が次々と浮かぶ。

名将・直江兼続(山城守)、その主君である上杉景勝、そして何より、人質としてあの緊迫した春日山の空気を吸っているであろう最愛の兄・源次郎。

三人の足が、飯山城下の大手門へと近づく。

周囲には、上杉の武士たちが目を光らせ、行き交う人々を厳しく吟味している。

少しでも挙動不審な者があれば、即座に刃が飛んでくるような、張り詰めた緊張感。

藤五郎と左衛門は、源四郎の背後で緊張を殺し、呼吸を整える。

だが源四郎は、そんな空気をまるで春の陽気のように楽しんでいるかのように、竹笠の下で口角を上げた。

これから始まるのは、単なる関所の通行ではない。

虎の尾を直接踏み抜き、その牙の隙間をすり抜ける、命懸けの「演技」だ。

(さぁ、お芝居の幕開けだ。観客は天下の上杉家、主演はこの俺……真田の源四郎。……一世一代の、とびきり下手な「弱者」を演じてやろうじゃないか。)


さて飯山城下にて始まる源四郎の【お芝居】。

その演技力ははたして!?

次回を刮目して待て!

※作者からのお願い※

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